3月11日
震災から1年目です。
日本全国が、今日、特別な想いを寄せる日になりました。
長くなりますがおつきあいください。
一ヶ月目の4月11日、宮城県南三陸町の歌津中学校にいました。詳しくはこちらへ。
▼南三陸町志津川の4月11日
ニヶ月目の5月11日、東京の出版社との打合せの場でした。詳しくはこちらへ。
三ヶ月目の6月11日、琉球大学に呼ばれて沖縄にいました。詳しくはこちらへ
▼梅雨明けした沖縄の6月11日
四ヶ月目の7月11日、再び被災地宮城県にいました。息子、娘とともに。詳しくはこちらへ。
▼RQ市民災害救援センター東北本部長佐々木豊志さんにお話しを伺った7月11日
五ヶ月目の8月11日、初めて区切りの日を泰阜村で迎えました。 詳しくはこちらへ。
▼福島のこどもたちをキャンプに招待した8月11日
六ヶ月目の9月11日、秋の気配漂う南信州泰阜村で迎えました。詳しくはこちらへ
▼9月11日の泰阜村
七ヶ月目の10月11日、再び沖縄のハンセン病療養施設「愛楽園」で迎えました。詳しくはこちらへ
▼愛楽園で迎えた10月11日
八ヶ月目の11月11日、冬の訪れ迫る南信州泰阜村で迎えました。詳しくはこちらへ
▼南信州の晩秋の味、干し柿つくり
九ヶ月目の12月11日、みぞれ降りしきる北陸福井で迎えました。詳しくはこちらへ
▼私の通った福井の中学校
10ケ月目の1月11日、北海道の北端に近い町、中頓別町で迎えました。詳しくはこちらへ
▼中頓別町の風景
11ヶ月目の2月11日、厳寒の南信州泰阜村で迎えました。
▼これがNPOグリーンウッド施設内に設置してある登り窯「南山窯」
そして1年目の3月11日。福井県集中豪雨の中心被災地、福井県旧美山町(現福井市)で区切りの日を迎えました。
旧美山町は、2004年夏に発生した福井県集中豪雨の中心被災地。
普段はおとなしい足羽川がうなりをあげ、町の名の通り美しい山と人々の住居を、あっという間に流れの中にもっていきました。
▼今日の足羽川。豪雨のおもかげは今はない
私の故郷福井。
この旧美山町から通う高校の同級生もいました。
2005年には、私たちNPOグリーンウッドと泰阜村民有志で創る実行委員会が、傷ついた美山のこどもを泰阜村のキャンプに招待しました。
2004年秋に発生した、中越地震で被災した新潟県長岡市のこどもたちも。
このキャンプの打ち合わせのために、旧美山町には打ち合わせで何回通ったことでしょうか。
キャンプで美山のこどもたちは、泰阜村のクワガタをつかまえて大喜び。
「クワガタなんて美山にもいるやろ?」という私の問いに、答えた美山のこどもたちの言葉に絶句。
「クワガタ? いくらでもいたよ。でも、クワガタがいた山ごと川に流された」
集中豪雨から7年がたち、美しい山に戻りつつある被災地。
その山に佇む廃校を活用してこどもたちの体験活動を進めるNPO法人自然体験共学センターに呼ばれました。
こどもの緊急事態の対処(小児救命法)を教えるインストラクターの指導助言です。
私は救命救急法の国際トレーナー。
手を差し伸べれば救えた小さな命。
その命を救おうという「想い」を育てるのが私の使命です。
東日本大震災から1年の今日。
忘れ去られていく北陸の被災地で、こどもの緊急事態や防災を志向する青年たちへの指導。
これもまた「縁」です。
持てる者から持たざる者への一方的な意味合いを含む「支援」から、双方向的なお互い様・支え合いの意味合いを含む「支縁」へ。
距離を超え、時を超え、しがらみを超え、既存の価値観を超える「縁」を豊かに紡いでいきたい。
「支え合い」が土台にある「縁」を豊かに紡ぎ、こどもたちの命の尊厳をこれ以上失う社会になりませんように。
小さな命に手をさしのべる「想い」を持つ青年が増えますように。
そんな祈りを込めて、14時46分に黙祷しました。
災害多き街、北陸福井より
震災から1年目です。
日本全国が、今日、特別な想いを寄せる日になりました。
長くなりますがおつきあいください。
一ヶ月目の4月11日、宮城県南三陸町の歌津中学校にいました。詳しくはこちらへ。
▼南三陸町志津川の4月11日
ニヶ月目の5月11日、東京の出版社との打合せの場でした。詳しくはこちらへ。
三ヶ月目の6月11日、琉球大学に呼ばれて沖縄にいました。詳しくはこちらへ
▼梅雨明けした沖縄の6月11日
四ヶ月目の7月11日、再び被災地宮城県にいました。息子、娘とともに。詳しくはこちらへ。
▼RQ市民災害救援センター東北本部長佐々木豊志さんにお話しを伺った7月11日
五ヶ月目の8月11日、初めて区切りの日を泰阜村で迎えました。 詳しくはこちらへ。
▼福島のこどもたちをキャンプに招待した8月11日
六ヶ月目の9月11日、秋の気配漂う南信州泰阜村で迎えました。詳しくはこちらへ
▼9月11日の泰阜村
七ヶ月目の10月11日、再び沖縄のハンセン病療養施設「愛楽園」で迎えました。詳しくはこちらへ
▼愛楽園で迎えた10月11日
八ヶ月目の11月11日、冬の訪れ迫る南信州泰阜村で迎えました。詳しくはこちらへ
▼南信州の晩秋の味、干し柿つくり
九ヶ月目の12月11日、みぞれ降りしきる北陸福井で迎えました。詳しくはこちらへ
▼私の通った福井の中学校
10ケ月目の1月11日、北海道の北端に近い町、中頓別町で迎えました。詳しくはこちらへ
▼中頓別町の風景
11ヶ月目の2月11日、厳寒の南信州泰阜村で迎えました。
▼これがNPOグリーンウッド施設内に設置してある登り窯「南山窯」
そして1年目の3月11日。福井県集中豪雨の中心被災地、福井県旧美山町(現福井市)で区切りの日を迎えました。
旧美山町は、2004年夏に発生した福井県集中豪雨の中心被災地。
普段はおとなしい足羽川がうなりをあげ、町の名の通り美しい山と人々の住居を、あっという間に流れの中にもっていきました。
▼今日の足羽川。豪雨のおもかげは今はない
私の故郷福井。
この旧美山町から通う高校の同級生もいました。
2005年には、私たちNPOグリーンウッドと泰阜村民有志で創る実行委員会が、傷ついた美山のこどもを泰阜村のキャンプに招待しました。
2004年秋に発生した、中越地震で被災した新潟県長岡市のこどもたちも。
このキャンプの打ち合わせのために、旧美山町には打ち合わせで何回通ったことでしょうか。
キャンプで美山のこどもたちは、泰阜村のクワガタをつかまえて大喜び。
「クワガタなんて美山にもいるやろ?」という私の問いに、答えた美山のこどもたちの言葉に絶句。
「クワガタ? いくらでもいたよ。でも、クワガタがいた山ごと川に流された」
集中豪雨から7年がたち、美しい山に戻りつつある被災地。
その山に佇む廃校を活用してこどもたちの体験活動を進めるNPO法人自然体験共学センターに呼ばれました。
こどもの緊急事態の対処(小児救命法)を教えるインストラクターの指導助言です。
私は救命救急法の国際トレーナー。
手を差し伸べれば救えた小さな命。
その命を救おうという「想い」を育てるのが私の使命です。
東日本大震災から1年の今日。
忘れ去られていく北陸の被災地で、こどもの緊急事態や防災を志向する青年たちへの指導。
これもまた「縁」です。
持てる者から持たざる者への一方的な意味合いを含む「支援」から、双方向的なお互い様・支え合いの意味合いを含む「支縁」へ。
距離を超え、時を超え、しがらみを超え、既存の価値観を超える「縁」を豊かに紡いでいきたい。
「支え合い」が土台にある「縁」を豊かに紡ぎ、こどもたちの命の尊厳をこれ以上失う社会になりませんように。
小さな命に手をさしのべる「想い」を持つ青年が増えますように。
そんな祈りを込めて、14時46分に黙祷しました。
災害多き街、北陸福井より
代表 辻だいち