わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

お礼のあいさつはフクシマのこどもの叫びだ ~ヒロシマの日に泰阜村から~

2011年08月06日 | 震災支援:山賊キャンプ招待
 昨日、フクシマのいわき市のこどもが到着しました。

 今日は快晴。きっと今頃は、朝食作りの悪戦苦闘も終わって、川遊びの段取りに入っているのではないでしょうか。思いっきり五感で自然を楽しんでほしいと強く、強く思います。

 昨日到着したこどもたちのリーダー(?)が、歓迎のあいさつに訪れた村長と教育長に、こどもたちを代表してお礼のあいさつを述べました。

 このこどもは、昨年の山賊キャンプに参加していました。被災した今年は参加をあきらめていたらしいのですが、それを私たち泰阜村のみんなが「今年もおいで」と招待したのです。いわき市勿来地区から多くのこどもを引き連れてきました

 あいさつ全文?つまりあいさつの内容をそのまま掲載します。

▼堂々とあいさつをしたこども




 このたびは山賊キャンプに僕達を招待してくれてありがとうございます。今回の招待は泰阜村の皆さん、長野県の皆さん、学生の皆さん、その他たくさんの方々の支援があって実現したことを聞きました。本当にありがとうございます。

 僕は去年の夏と冬に山賊キャンプに参加してとても楽しかったので、今年の夏も山賊キャンプに参加しようと思っていました。でもあの地震があってから参加はあきらめていました。でもキャンプのスタッフがわざわざ僕の家までお見舞いに来てくれて、今年もキャンプに参加できると聞いたときにはとても嬉しく信じられませんでした。

 今、福島県と聞くと、福島原発、放射能が思い浮かぶかと思います。
 3月11日の大地震から、僕たちの生活は大きく変わりました。地震のとき、僕は小学校で先生方との謝恩会を開いていました。学校の屋上から、津波が近づいてくるのを見ました。そして同級生の家が流されました。その日の夜は近くの学校の体育館に避難しました。それからしばらく水や電気が止まり、毎日何時間も並んで水汲みに行きました。スーパーが閉まって物が入らなくなり、食べ物がなくなりとても困りました。原発が爆発してたくさんの人が県外に避難していきました。僕もしばらく東京のいとこの家に避難していました。

 しばらくすれば落ち着くと思っていましたが、5ヶ月たっても福島の状況はよくなりません。いわきでは水辺ではもう遊べませんしプールの授業もありません。外での部活も時間が制限されています。食べ物もできるだけ離れたところで作ったものを買います。

 でも僕たちは福島で生活していくしかないので、学校ではあまり放射能のこととか話したりはしません。これからどうなるのか不安はありますが、みんなでがんばっているので福島を応援してください。

 僕たちは山賊キャンプで、いわきではできない水遊びや自然の中での遊びを思いっきり楽しみたいと思います。そして泰阜村の皆さんが作ってくださった野菜やお米をたくさん味わいたいと思います。
このたびはありがとうございました。




 きっと、たくさん考えて、悩んた末につくった文なんだろうな~。それがわかる。わかるだけに涙が出ました。

 そしてあいさつを聞き終わった村長が、思わずこどもを集めて「みんな、お互いに、希望を失わずに生きていこう」と語りかけた言葉も、ずしんと心に響きました。

 泰阜村は、満蒙開拓、植林、減反、自治体合併・・・、常に国策に翻弄されてきた村です。それが、生産性がない(経済的尺度ではの話ですが)と切り捨てられてきた小さな山村の現状です。

 そしてフクシマのこどもたちも、いま、国策に翻弄され続けています。

 国が強くなろうとするとき、そして国が大きな危機に直面するとき、常に犠牲になるのはより弱いものです。戦争の本質は「より弱いものが犠牲になる負の連鎖」でしょう。

 今日はヒロシマの日。朝の黙祷は、けっしてヒロシマ原爆で命を絶たれた人びとへの想いだけではなく、東日本大震災で犠牲になった人びとへの想い、そして、いままた繰り返される「負の連鎖」におそれおののく弱い立場の人びとや地域へ、もう一度想いをめぐらす契機にならなければならないと、強く思うのです。

 フクシマのこどもたちが、未来に不安を背負って、それでも泰阜村で元気に遊んでいます。

 彼らの未来をどう考えるのか、彼らの未来を私たち大人がどう語るのか、それが試されています。

 全国のみなさん、今日、ヒロシマの日から考えましょうよ。

 彼らが、このまま自然に触れることを断たれたまま育ってしまっていいのでしょうか。

 いわき市のこどもリーダーのあいさつを読み返しながら、つくづくそう想います。

 
代表 辻だいち

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