札幌に来た。
こんな寒いところで学生時代を過ごしたんだな、と学生街をとぼとぼ歩く。
自分が過ごした時と、ずいぶん学生街が変貌している。
あたりまえか、もう四半世紀も前のことだ。
▼私が住んでいた場所
住んでいたのは「貸間」というジャンルの建物だった。
なんというのか、漫画「めぞん一刻」のような感じ。
いや、めぞん一刻などという言葉も、もう通じないのかもしれない。
トイレや洗面所が共用、もちろん風呂などない。
ギシギシと響く階段や廊下。
私の下宿なんかは、隣の部屋の声が聞こえるのは当然で、もうひとつ隣の部屋の話声まで丸聞こえだった。
女の子を連れ込むなんて、不可能に近い住まいだった。
大学生になる息子と部屋探しに行くようになった身には、もう、笑い話としか思えない。
その「貸間」だが、もう絶滅に近い感じだ。
私が住んでいた「永幸荘」も近代的なビルに変貌していた。
あたりまえか、もう四半世紀も前のことだ。
でも、隣の「道友荘」は奇跡的にまだやっていた!
どうやって経営しているのか深刻に気になるが、でも何か昔の友人と再会したような気になる。
近くに住んでいた友人の「友和荘」や「興和荘」も、跡形もない。
名前もまた味わい深い時代だったな、と想う。
▼隣の「道友荘」
大学1年生の冬に、あまりの寒さにバイト代をはたいて買ったダウンコート。
そのコートを今まさに着て歩いている。
おそらく死ぬまで着れる丈夫さだ。
完全に元はとったな。
体育会で毎日死ぬほど身体を動かしているにもかかわらず、ほんとに様々なバイトをやったもんだ。
親からの仕送りが限られる中、部活の遠征費などは自分で稼ぐしかなかった。
遠征費に使いたいけれど、寒さにおののき、ダウンを買うことは即決。
そのダウンコートを来て学生街を今歩くと、懐かしい青春がよみがえる。
▼わが母校
▼母校のイチョウ並木
▼母校のローン(芝生)
▼一応、ここで勉強した
▼大学時代のほとんどの時間をここで過ごした
そのバイトをしたススキノにも足を運び、学部の先輩たちと朝方まで飲んだ。
みんな変わってないけれど、もう齢50に近い。
貫録があり過ぎで笑えるよホント。
最後のラーメンはほんとにうまかった。
次に札幌に帰ってくるのはいつになるかなあ。
またこの街を歩きたい。
▼ススキノの定番
▼20年ぶりくらいに再会した先輩たち
▼「けやき」の味噌ラーメン
代表 辻だいち
こんな寒いところで学生時代を過ごしたんだな、と学生街をとぼとぼ歩く。
自分が過ごした時と、ずいぶん学生街が変貌している。
あたりまえか、もう四半世紀も前のことだ。
▼私が住んでいた場所
住んでいたのは「貸間」というジャンルの建物だった。
なんというのか、漫画「めぞん一刻」のような感じ。
いや、めぞん一刻などという言葉も、もう通じないのかもしれない。
トイレや洗面所が共用、もちろん風呂などない。
ギシギシと響く階段や廊下。
私の下宿なんかは、隣の部屋の声が聞こえるのは当然で、もうひとつ隣の部屋の話声まで丸聞こえだった。
女の子を連れ込むなんて、不可能に近い住まいだった。
大学生になる息子と部屋探しに行くようになった身には、もう、笑い話としか思えない。
その「貸間」だが、もう絶滅に近い感じだ。
私が住んでいた「永幸荘」も近代的なビルに変貌していた。
あたりまえか、もう四半世紀も前のことだ。
でも、隣の「道友荘」は奇跡的にまだやっていた!
どうやって経営しているのか深刻に気になるが、でも何か昔の友人と再会したような気になる。
近くに住んでいた友人の「友和荘」や「興和荘」も、跡形もない。
名前もまた味わい深い時代だったな、と想う。
▼隣の「道友荘」
大学1年生の冬に、あまりの寒さにバイト代をはたいて買ったダウンコート。
そのコートを今まさに着て歩いている。
おそらく死ぬまで着れる丈夫さだ。
完全に元はとったな。
体育会で毎日死ぬほど身体を動かしているにもかかわらず、ほんとに様々なバイトをやったもんだ。
親からの仕送りが限られる中、部活の遠征費などは自分で稼ぐしかなかった。
遠征費に使いたいけれど、寒さにおののき、ダウンを買うことは即決。
そのダウンコートを来て学生街を今歩くと、懐かしい青春がよみがえる。
▼わが母校
▼母校のイチョウ並木
▼母校のローン(芝生)
▼一応、ここで勉強した
▼大学時代のほとんどの時間をここで過ごした
そのバイトをしたススキノにも足を運び、学部の先輩たちと朝方まで飲んだ。
みんな変わってないけれど、もう齢50に近い。
貫録があり過ぎで笑えるよホント。
最後のラーメンはほんとにうまかった。
次に札幌に帰ってくるのはいつになるかなあ。
またこの街を歩きたい。
▼ススキノの定番
▼20年ぶりくらいに再会した先輩たち
▼「けやき」の味噌ラーメン
代表 辻だいち