わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

【「貸間」なんてもう絶滅やろ】 ~四半世紀後の札幌の学生街~

2017年01月21日 | 私のルーツ・私の物語
札幌に来た。

こんな寒いところで学生時代を過ごしたんだな、と学生街をとぼとぼ歩く。

自分が過ごした時と、ずいぶん学生街が変貌している。

あたりまえか、もう四半世紀も前のことだ。


▼私が住んでいた場所




住んでいたのは「貸間」というジャンルの建物だった。

なんというのか、漫画「めぞん一刻」のような感じ。

いや、めぞん一刻などという言葉も、もう通じないのかもしれない。

トイレや洗面所が共用、もちろん風呂などない。

ギシギシと響く階段や廊下。

私の下宿なんかは、隣の部屋の声が聞こえるのは当然で、もうひとつ隣の部屋の話声まで丸聞こえだった。

女の子を連れ込むなんて、不可能に近い住まいだった。

大学生になる息子と部屋探しに行くようになった身には、もう、笑い話としか思えない。

その「貸間」だが、もう絶滅に近い感じだ。

私が住んでいた「永幸荘」も近代的なビルに変貌していた。

あたりまえか、もう四半世紀も前のことだ。




でも、隣の「道友荘」は奇跡的にまだやっていた!

どうやって経営しているのか深刻に気になるが、でも何か昔の友人と再会したような気になる。

近くに住んでいた友人の「友和荘」や「興和荘」も、跡形もない。

名前もまた味わい深い時代だったな、と想う。


▼隣の「道友荘」






大学1年生の冬に、あまりの寒さにバイト代をはたいて買ったダウンコート。

そのコートを今まさに着て歩いている。

おそらく死ぬまで着れる丈夫さだ。

完全に元はとったな。

体育会で毎日死ぬほど身体を動かしているにもかかわらず、ほんとに様々なバイトをやったもんだ。

親からの仕送りが限られる中、部活の遠征費などは自分で稼ぐしかなかった。

遠征費に使いたいけれど、寒さにおののき、ダウンを買うことは即決。

そのダウンコートを来て学生街を今歩くと、懐かしい青春がよみがえる。


▼わが母校




▼母校のイチョウ並木




▼母校のローン(芝生)




▼一応、ここで勉強した




▼大学時代のほとんどの時間をここで過ごした





そのバイトをしたススキノにも足を運び、学部の先輩たちと朝方まで飲んだ。

みんな変わってないけれど、もう齢50に近い。

貫録があり過ぎで笑えるよホント。

最後のラーメンはほんとにうまかった。

次に札幌に帰ってくるのはいつになるかなあ。

またこの街を歩きたい。


▼ススキノの定番




▼20年ぶりくらいに再会した先輩たち




▼「けやき」の味噌ラーメン




代表 辻だいち