わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

大人こそ瀬戸際にいる

2016年01月02日 | 日本初!教育で立つ村
「教えるとは、未来(希望)を共に語ること」

フランスの詩人、ルイ・アラゴンが言った。

1943年11月、中仏オーヴェルニュ地方においてストラスブール大学の教授、学生が銃殺され、数百名が逮捕される事件が起きた。

大学は、戦火と弾圧を避けて、ストラスブールからクレルモンという地に疎開し、再びこの地で開学していた。

彼がこの悲劇の最中にその心境を唄った「ストラスブール大学の歌」の中に、冒頭の言葉がある。

青年への虐殺が繰り返される絶望的な状況に陥ってもなお、命をかけて未来を切り拓こうとする姿勢こそ「教える」ことの本質だ、というこの言葉は、現代の我々に教育の本質を強烈に突きつける。



「貧すれど貪せず(貧しいけれども、心は貪しない)

これは、南信州泰阜村の魂の言葉だ。

昭和初期の世界恐慌。

泰阜村でも村民の生活は窮乏していた。

村では教員に給料を支払えず、給料を村に返上して欲しいと要望が出る。

しかし当時の校長は、「お金を出すのはやぶさかではないが、目先の急場をしのぐために使うのではなく、むしろそのお金をもって将来の教育振興に役立てるべきだ」と、将来を担う子どもの情操教育のための美術品購入を村に提言した。

「どんなに物がなく生活が苦しくても、心だけは清らかで温かく、豊かでありたい」という考えは、村民のほとんどから賛同を得られたという。

最も厳しい時にこそ、子どもの未来にお金も気持ちも注ぐべき、という気風は、泰阜村に暮らす人々に今なお脈々と受け継がれている。



命をかけて、全てをかけて、こどもに未来を示す。

それが「教育」の本質だと。

フランスでも信州の山奥でも、昔の人はかくも壮絶な想いで教育を捉えていたのかと絶句する。



泰阜村に「育てる」という意味の「ひとねる」という方言がある。

子どもが「育つ」ことを「ひとなる」ともいう。

人に成る、人間になるということだ。

一人前になるためには、未来を共に語る命懸けの気概を持った大人が必要なのだ。







昨年の漢字は「安」だという。

まさかその意味を「安心」の1年だったという人はそういないだろう。

再び巡ってきたこの「不安」だらけの厳しい時代。

子どもたちはあらゆるSOSを出している。

子どもたちの未来・希望を語る大人でいられるかどうか。

大人こそ瀬戸際にいる。


NPOグリーンウッドスタッフ一同、2016年を迎えた今こそ、教育に心血を注ぐ気概を持ちたい。


代表 辻だいち