感想

バラとおわら風の盆と釣りなどの雑記

長谷寺(ちょうこくじ)のしだれ桜

2007年04月29日 | 桜/あんず/紅葉/つつじ
 真田幸隆が安中の長源寺より僧を招き建立した曹洞宗の寺です。創建は1547年と伝えられています。幸隆が村上や武田信虎軍に破れ、上州に逃れてから6年後、武田信玄と村上義清の上田原合戦の前年にあたります。幸隆没後は真田昌幸によって整備されますが、その後1600年の第2次上田合戦時焼失、その後、真田信之の松代移封により、松代の長国寺へ移り、こちらはその末寺となり現在に至ります。捲土重来を期し上州の地に逃れ僅か6年で幸隆はふるさとの地を回復しています。本堂の裏手には現在も幸隆と夫人、昌幸の墓が並んでいます。





石の山門が大変めずらしいです。















六地蔵 











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チューリップ

2007年04月28日 | My Garden
 ここ数日、寒い朝が続いていますが、バラはしっかりと成長しており、もう蕾が出てき
ているものもあります。チューリップは昨年は全く植えなかったので、例年の通りの品種
しか咲いていませんが、やはりチューリップが咲くと庭が一気ににぎやかになっていいです。














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山桜とケヤキ(欅)

2007年04月27日 | 桜/あんず/紅葉/つつじ


  

















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敷島の

2007年04月26日 | 桜/あんず/紅葉/つつじ
古来より桜は日本人の心のよりどころとして存在していました。
桜を詠んだ歌は数え切れないほどありますが、その中で最も親しまれ、愛された桜とはソメイヨシノでもしだれ桜でも八重桜でもなく、山桜でした。山桜の特徴は花と葉が同時に展開して行くことにあります。新緑の活力ある神々しいうす緑葉と清楚な花びらの取り合わせは他の桜にはない美しさがあります。

「敷島のやまと心をひと問わば 朝日に匂ふ山桜花」

山桜を見るたびに、本居宣長のこの歌を思い出します。












今朝、散歩の途中、裏山にて
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塩の道 Ⅲ

2007年04月25日 | 雑記
宮本常一の「塩の道」は、学生や一般向けの講演を本にまとめてあるため非常に平易で、また胸に落ちる文章になっています。塩の道の歴史を辿ることで、歴史の表舞台に出ない庶民の生活をあぶり出し、われわれが全く省みることもなく、また教えられることもない生活史という分野を切り開いた氏の研究の集大成であろうかと思います。論文形式ではないので、いたるところに結論、推論がちりばめていますが、本の中ほどにある以下の一文こそ、宮本常一が生涯を通して伝えたかったテーマだったと思います。

「われわれの目の見えないところで大きな生産と文化の波が、そのような形(記録には残らない※)で揺れ動き、その上層に、記録の残っている今日の歴史があるわけです。これはとりもなおさず、じつは国民のわれわれが国全体を支えていたということをご記憶いただきたいのです。」

※原文のままですと、前の章を読まないとわかりにくいので※の( )の部分を追加しました。

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塩の道 Ⅱ

2007年04月24日 | 雑記
 北信濃から東信濃の塩の流通ルートをよく見ると、興味深いことが判ります。まず江戸からのルートは小諸で佐久方面と上田方面へ分岐し、上田からは小県の郡部へと流通しています。また直江津ルートは長野から上田に向かい、上田からやはり小県へと向っています。ところで、この直江津ルートの塩は小諸、佐久方面へは向わず、また江戸ルートの塩は長野方面へは向っていません。つまりこのルートの塩の道の終点は上田及び小県でありました。これは現在も上田に残っている塩尻という(塩尻市ではありません)地名もその証拠であろうと推測されます。
 塩の道のルート図を眺めながら上田が終点だったということをぼんやり考えていると、新たな疑問が湧いてきます。上田の地名には、塩の付くものが数多くあります。(旧)塩田村(旧)塩尻村を始め、塩川(旧丸子町)、塩野入(青木村)、塩野(神社)、塩水(別所温泉)など。これはどういう意味を持っているのでしょうか。この海から遠く離れた山の地にかつては塩水が湧き出る場所があったと考えることが自然のような気がします。しかしそういった話は今まで聞いたことはありません。ただはるか昔、おそらく上田という地名が登場する頃にはこういった名称がついていたと思われます。すると先ほどの塩留=塩尻という推察は時代的に整合しなくなります。戦国時代は武田の支配下に一時あった時は、武田の今川の塩留にあった時以外は、静岡から塩が直接入ってきていたと考えられますが、その前後の時代はやはり上杉支配下の直江津から善光寺経由や新潟の信濃川の舟運で十日町経由で入ってきたと思われます。その後江戸幕府が安定してくると、前述の塩の道のルートが確立して行きました。塩の道のルートはその後明治まで続いています。塩は人が生きて行く上で必要不可欠なものなので、有史以来、なんらかの方法で山の民も入手していたはずですので、我々が考えている以上に、古代から現在まで大規模な流通が広い地域で行われており、そう思うと、そこに生きてきた庶民の文書には残らない生き生きとした暮らしぶりがあったこと。そういったことに思いをめぐらすのもいいのではないかと思います。

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塩の道 Ⅰ 道草

2007年04月23日 | 雑記
長野県立歴史館内にはボタンを押すと点滅しながらルートをたどってくれる大きな塩の道の地図パネルがあります。ちょうど宮本常一の「塩の道」(講談社学術文庫)を読んだばかりでしたので、喜んでボタンを押してみました(笑)このパネルは宮本の「塩の道」にも出てくる「信濃の塩道」で山深い信濃にどのように塩が運ばれていたかを図示しているものです。これによるとかつては瀬戸内海産の塩を運んでくるルートがいくつかあり、主として海運と川運により江戸から群馬の倉賀野まで運び、中馬あるいは牛を利用して上田をはじめとして、信州各地まで運んでいるルートや糸魚川から千国経由のルート、直江津から北国街道のルート、富士川から山梨ルート、桑名からの木曽川ルート、矢作川から足助経由の飯田方面へのルートなどがありました。歴史館には中馬の説明があり、牛でも運ばれていたということでしたが、宮本は中馬(ちゅうま)よりも牛がメインであったと著書の中で述べています。牛に引かれて善光寺参りという説話も残されている通り、信濃の江戸から明治までの陸運の主体は牛が日常的であったようです。馬よりも牛が何故利用されたかを、宮本は「塩の道」の中で述べていますが、その中でおもしろかったのは、牛は道に生えている草を食べながら歩いて行くので、エサ代がかからず、また馬のように宿泊場所も選ばなかったということでした。馬は馬宿に泊まらなけれならず、牛は、どこでも円陣を組み中で火を焚き、人は牛の腹に体をつけて寝ればよかったので、人も牛も費用がそれほどかからなかったということです。火を焚くのは、もちろんオオカミから牛も人も身を守るためです。牛は現在は牧場で見かけるくらいですが、かつてはとても身近な存在だったようです。著書には書いてありませんでしたが、「道草」の語源はきっとここから(牛が道端の草を食べるために先に進まないこと)きているんだと思いました(笑)



最近民俗学、特に宮本常一が静かなブームなのか、長野の書店では特設コーナーを設けています。




旧北国街道 柳町の町並み 
当時陸舟(おかぶね)と呼ばれていた牛はこういった街道に沿った細い道を通っていました。

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中禅寺薬師堂  

2007年04月22日 | 桜/あんず/紅葉/つつじ
前山寺から西へ15分程歩くと、真言宗中禅寺があります。こちらのお寺は空海が塩田平を訪れたとき、雨乞いの儀式を行った草庵が起源とされています。
写真の薬師堂は中部日本最古の木造建築で、四方どこから見ても同じように見える造りとなっています。素朴な様式と落ち着いた佇まいは大変美しいものがあります。












本堂の前には箒をひっくり返したようなおもしろい姿の桜(箒桜)が何本もあります。
花は小さくすべて上向きで咲いています。






中禅寺の参道横にある売店はおすすめで、営業している時はいつも入るとおいしい山菜類の漬物と番茶を無料で出してくれます(笑)

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前山寺のしだれ桜

2007年04月21日 | 桜/あんず/紅葉/つつじ
 上田市の塩田平には信州の鎌倉と呼ばれる、国宝、県宝などの文化遺産群があり、都市化されていないその風景は京都や奈良よりも情緒があるということを言う旅人もいらっしゃいます。その一つ、前山寺で(ぜんざんじ)す。
前山寺で一番有名なのは写真の後ろにある(見えませんが)室町時代建立の未完成の三重塔ですが、参道から仰ぎ見る景色が四季折々移り変わり大変美しいお寺です。
 またこのお寺で有名なのが、名物のくるみおはぎで住職のお母さんの手作りの味は全国に知れ渡っています。かつて皇太子殿下もいらっしゃいましたが、我々一般人が行ってもお皿に2つだけ出てきますが、殿下の時も二つだけ(笑)だったそうです。







この桜は八重のしだれ桜です。山門にかかるしだれはシングルでした。









バラはダブルがいいですが、桜はシングルがいいです。


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常田池

2007年04月20日 | 桜/あんず/紅葉/つつじ
うちの近くの池です。
江戸時代に造られた池で、雨の少ない上田には沢山このような池が残っています。
川の水は田畑を潤し、水性植物や昆虫、魚を育み、人の喉も潤しますが、また洪水も引起し、人々の生命と財産を飲み込んできました。川の氾濫対策として、また灌漑対策としてため池は重要な役割を果たしています。
武田信玄や空海などは、治水事業を行ったことでも有名ですが、私も含め、その事業の大切さを身をもって認識している方はほんの一握りの関係者だけです。
簡単な水路の改修などを除き治水事業はとかく大規模な事業となり県や国の施策として行ってゆくものですが、総合的にみて自然環境を壊すことなく、治水事業を続けなくてはなりません。近年は農業用水路も3面コンクリートの魚の住めないものにとって代わり、ドイツ式の自然を利用した水路も導入されているようです。
公共事業としての水路の改修の規模の目安は100年に一度の豪雨を想定したものだそうです。昨年こちらでも珍しく豪雨に見舞われ川が氾濫し、川の堤防道路を通っていた新聞配達の方が決壊した堤防に飲まれ、未だ見つかっていません。ただ後で、行政の方からあの時の雨量は100年に1度の想定雨量を越えていたと聞いてちょっと拍子抜けしました。何故なら一昨年の集中豪雨の方がはるかに沢山降ったからです。普段雨が少なく、カラっとしている上田ですので、どちらかというと灌漑対策としてため池が沢山作られたのですが、池に繋がる用水路は大人の背丈の倍から3倍以上までの深さがあり、危険のような気もしていましたが、住人の予想を超えた雨量もきちんと計算して造られているんですね。


常田池は今は立ち入り禁止のネットフェンスで覆われていますが、子供の頃は池で遊び、蛭に吸い付かれたことがあります(笑)












































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畑山の一本桜

2007年04月19日 | 桜/あんず/紅葉/つつじ
これは上田から菅平へ向う幹線道路から左に見える山(戸石城のある山)の裾際に頭だけ覗かせている巨大な桜の木です。今まで気がつきませんでしたが、遠めにもよく見えるので近くまで行ってみました。
そこは畑山(はたやま)という以前は上田市の飛び地のようになっている地区で、隣の真田町を通って神川にかかる橋を渡らないと入っていけないめずらしい場所でした。
あまりにも大きい木ですので、なにか神社でもあるのかと近づいてみるとご覧の通り周りは竹薮に囲まれて、その中で競うように上に横に枝を広げて咲いています。
手前の竹も相当高い木です。またすぐ横はりんご畑や野菜畑になっています。
ただ桜の木の下に出る道はないようでした。

この木から百メートル程南側に戸石城への登山道があります。
また金剛寺峠は、この畑山の北側山中を通っているようです。





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外猫ハイヒール

2007年04月18日 | My Garden
2日から始まった上田城の桜も盛りを過ぎてきました。
2週間あまりほぼ毎日様子を見に行っていましたので、
今日はその間すっかり忘れていた庭の様子です。
 
これは、去年の秋ネコの「ハイヒール」


姫こぶし…こぶしは大木になりますが、こちらはあまり大きくならない姫こぶしです。
秋も深くなるころから、蕾を持ちはじめ、春になるとだんだんと長くなり、更に花弁が
丸まって見えてくるようになります。そしてポツポツと花が開いて行きます。
例年ですと、小鳥のエサになることが多く、あまり花を見ることができませんが、
今年は暖冬の影響で、渡り鳥も場所を変えてきているせいか、蕾を食べられて形跡も
なく、ひらひらと薄いやわらかな白桃色の花が咲いています。


こちらは、ぼけの花の近況。
やはり鉢植を貰った時から紅白で咲いているようです。
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乱れ咲き‥

2007年04月17日 | 桜/あんず/紅葉/つつじ
プリントしたこの写真を見た会社の元お嬢様が一言
「乱れ咲き 姥桜」(‥‥)




















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サクラを見下ろすと

2007年04月16日 | 桜/あんず/紅葉/つつじ
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逆さ太郎山

2007年04月16日 | 桜/あんず/紅葉/つつじ
水面に映るサクラと太郎山
画像を反転しています。

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