曳山写真の途中で、提灯山までまだまだですが、
近所のフジの名所の様子を見に行ってきました。
まだ満開ではなかったのですが、現在の様子を載せようと思います。
カバンの藤のカバンとは文字通り「鞄」のことで、
上田に本店のあった旧19銀行(現 八十二銀行)の行員
(佐久出身の黒澤初代頭取)が明治13年に南佐久の八千穂からビジネスバッグに
苗をしのばせ、持ってきたものを上田本店敷地に植えたものだそうです。
昭和51年まで同地にありましたが、老木となり銀行が上田市に寄贈し、
こちらの信濃国分寺資料館横に移植され現在に至っています。
カバンには色々なものが入っていますが、電車にカバンはつきもので
まだ信越線が上野まで走っていた頃、東京に所用に出向くとき、手土産として
カバンに生きた鯉を新聞紙で包み入れていった時代があったそうです。
佐久地方や上田地方は降水量が少なく、ため池が発達し、
副業で食用鯉の養殖をやっている農家も多く、現在でも特産品となっています。
鯉は生命力が強く、電車に揺られ何時間でも生きていたそうです。
近所のフジの名所の様子を見に行ってきました。
まだ満開ではなかったのですが、現在の様子を載せようと思います。
カバンの藤のカバンとは文字通り「鞄」のことで、
上田に本店のあった旧19銀行(現 八十二銀行)の行員
(佐久出身の黒澤初代頭取)が明治13年に南佐久の八千穂からビジネスバッグに
苗をしのばせ、持ってきたものを上田本店敷地に植えたものだそうです。
昭和51年まで同地にありましたが、老木となり銀行が上田市に寄贈し、
こちらの信濃国分寺資料館横に移植され現在に至っています。
カバンには色々なものが入っていますが、電車にカバンはつきもので
まだ信越線が上野まで走っていた頃、東京に所用に出向くとき、手土産として
カバンに生きた鯉を新聞紙で包み入れていった時代があったそうです。
佐久地方や上田地方は降水量が少なく、ため池が発達し、
副業で食用鯉の養殖をやっている農家も多く、現在でも特産品となっています。
鯉は生命力が強く、電車に揺られ何時間でも生きていたそうです。