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バラとおわら風の盆と釣りなどの雑記

上田城 けやき並木2

2007年10月31日 | 桜/あんず/紅葉/つつじ
上田城の外堀のけやき並木が色づいてきました。
夜のライトアップもはじまりました。
11月3日から11日までは、紅葉まつりが開催されます。
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上田城 けやき並木

2007年10月31日 | 桜/あんず/紅葉/つつじ

 

 

 

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小布施と旦那文化

2007年10月30日 | 雑記

信州小布施は葛飾北斎と栗菓子の町です。江戸時代より小布施の栗は名産品として有名でしたが、幕末から明治にかけて栗を使った菓子を製造販売し、この地域の銘菓として更に有名になります。また小布施は豪農商の町でもあり、巨万の富を背景に文化の保護育成に努めた町人気質の町でもあります。特に85歳より亡くなる90歳までの間、碓氷峠を越え数度も小布施に滞在し、後年に残る、傑作・大作を小布施に残した葛飾北斎を庇護したのは現・小布施堂の4代前の当主で、幕末の文化人「高井鴻山」です。小布施町は長野市が善光寺の門前町として全国から来る方を歓迎し、持ち込んだ文化を受け入れる気質が現在に至る長い間伝統的に受け継がれているのと同様に、来るものを拒まず、それが将来町を潤してくれるかもしれないという進取の気質に富んだ町でもあります。このように、町人の勢いが強い町や門前町は現在に至るまで常に進化し続けていますが、これとは逆に、来るもの認めない閉鎖的な町は武士が支配していた城下町に多いものです。私の住んでいる上田は、その典型のようなところで、今でこそ規制緩和により多くの全国チェーンの店が出来ていますが、高度成長の頃は何かというと新規の大型店舗出店は反対反対で、前に進まないものでした。また近年の行過ぎた規制緩和という古き良き日本を壊す政策により既得権者は戦後の農地解放のような状態に置かれ、特に地方都市では多くが富の集中から取り残されいますが、そんな中、景気の指標にもなる建設業界の動向を見ても、ここ数年は軽井沢周辺と長野市周辺の建設ラッシュに比べ、上田は全く動きが鈍い状態です。軽井沢に関しては、景気の良い、首都圏の別荘需用に応える好景気が続いているのですが、長野市の好景気は前述の町の持つ住民性にも理由があるようです。話が反れましたが、小布施で特徴的なのは、小布施町民の進取性は現在も引き継がれ、その中心になっていらっしゃる方々も旦那文化の子孫の方々であるということです。地方の素封家が旦那となって文化を培ってきた歴史は各地にありますが、先日、中野市にある中山晋平記念館の中で、中山晋平が音楽家になることに決定的な影響を与えたものが、幼い頃、上田にあったジダンという楽団の演奏を聞いたからだという記述があり、その上に当時の上田のジダンの写真があったのですが、軍隊式の衣装を着た今のマーチングバンドのような雰囲気があります。更にその写真の周りを良く見ると、写真の提供者名が記載されており、知った人でしたので驚きましたが、その方の家も代々の巨大な素封家で、小布施の素封家とも姻戚関係があり、富は集中するものだと感じたわけですが、上田でもそいうった文化を庇護する風潮は明治の頃はあったようでしたが、小布施のように町をあげてというようにはなりませんでした。小布施には古き良き伝統を町作りに計画的に取り入れたおそらく全国で最初の町で、狭い町を歩くと、いたるところに町の人々の心使いを感じることができます。

 

 

 

 

 

 

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松川渓谷 3

2007年10月30日 | 桜/あんず/紅葉/つつじ

 

 

 

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松川渓谷 2

2007年10月29日 | 桜/あんず/紅葉/つつじ

 

 

 

 

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松川渓谷 1

2007年10月29日 | 桜/あんず/紅葉/つつじ

 

 

 

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松川渓谷 高井橋

2007年10月28日 | 桜/あんず/紅葉/つつじ
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山を開く道

2007年10月27日 | 雑記
上信越ハイウェー
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日本の屋根 北アルプス

2007年10月26日 | 雑記
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ルイ14世の貢献

2007年10月25日 | My Garden
フランスの絶対王政の基礎はルイ13世の宰相リシュリューにより作られましたが、ルイ13世の後を継いだルイ14世の時代に、国力は最高潮に達し、ルイ14世は太陽王とも呼ばれることになります。彼は、ベルサイユ宮殿を造営し、バレエを振興させます。またヒールの高い靴を愛用し、普及させたことも有名です。ヒールの高い靴を履くことは、足を長く見せることばかりでなく、より細く、脚線美が強調されることになるのですが、フランスで300年前から受け継がれている風習が日本で一般的に普及するようになったのはここ近年のことなので、何世代を経て足が細く長い女性の体型が定着してきたフランスと違い、日本ではまだまだそのようになるには時間がかかるようにも通常思われていますが、様々な要因が複合して、日本人の足は細く長くなってきているようにも思われます。15年ほど前に東京の某有名ファッションビルを企画運営している方に聞いた話ですが、その方が地方都市を周った時、駅前に降り立ち、町行く女性のある部分をひと目見るだけで、この町には美人が多いか少ないかが判断できるとおっしゃっていました。そのある部分とは、ハイヒールを履いている人が多いか少ないかということなのですが、今はどこの駅前でもミュールなどを履き足の長く見える方が多いので、その原則は成り立たないと思われますが、逆にそれだけ日本人は綺麗になってきているのではないでしょうか。

バラの名前に前述のフランスの名宰相カーディナル・リシュリューの名を冠した、ガリカローズに分類される花がありますが、こちらはガリカの特徴の1季咲きで、深い赤紫色の花びらの多い品種で、大変美しい品種です。色合いは写真の「ルイ14世」に似ています。バラのルイ14世は1859年フランスのギヨーの作ですが、チャイナローズに分類され、四季咲き性にすぐれ、花を摘むと、下からすぐに次の蕾を付け、シーズン中絶え間なく、咲き続けています。チャイナローズは、花に栄養常に行きますので、蓄えが少ないのか、ほとんどが花びらの数が少ないのが特徴ですが、こちらも例外ではないのですが、花びらの数の少なさを感じさせない黒っぽい赤紫の花は存在感があります。
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たまだれの滝

2007年10月24日 | 桜/あんず/紅葉/つつじ
新鹿沢の手前にある「たまだれの滝」です。三脚を忘れた上、後ろの滝がわかるようにピントを合わせたつもりが、手前に覆いかぶさる木の下あたりに焦点がいってしまい写真中央部から見ると酔いそうになってしまいますが、この不思議な緑と黄緑の色合いと森の深さ、そして滝から立ち上る水蒸気が霧状に漂うは景色はどこか別世界に迷い込んだようでした。

新鹿沢温泉の源泉は旧鹿沢にあり、パイプで引いていますが、鉄分の多い泉質で、空気に触れると酸化し、茶褐色の湯の花が特徴です。飲用に適し、胃腸に良く、こちらに住んでいる人で胃の弱い人はいないそうです。
新鹿沢は避暑地としてすばらしい場所で、軽井沢の別荘に来られる方が、自炊に疲れ、更にこちらのホテルに滞在するケースが多々あるようです。ちょうど北海道と同じ気象条件です。新鹿沢周辺には少し入れ込みがあるのですが、これからは寒くなる一方で冬は雪に閉ざされますので、このところほとんど行きませんが、冬は冬でまたいい所です。

ここから草津~上田を結ぶ国道に出て、県境の鳥居峠を下り、上田に戻りましたが、途中の紅葉はもう少しという状況で夕陽が強いこともあり写真は撮りませんでした。
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鹿沢渓谷

2007年10月24日 | 桜/あんず/紅葉/つつじ
地蔵峠の入口が1番観音のある旧・東部町の新張地区とすると、終点は100番観音のある旧鹿沢温泉となります。ここから4km程下にある新鹿沢温泉までの間は、湯尻川沿いの小渓谷ではありますが、大変落ち着いた自然の中に静かに清流が流れ、川沿いの紅葉が所々見事になってきます。こちらの地籍は群馬県の嬬恋村となりますが、主に山女魚が棲み、真夏には毛鉤を追って輝く魚体が澄んだ流れの中から飛び出します。
(鹿沢渓谷は私がそう呼んでいるだけで、地図には載っていません)
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地蔵峠4

2007年10月23日 | 桜/あんず/紅葉/つつじ
旧鹿沢温泉にある一軒宿は、その名も紅葉館といい、峠道の上の方の湯の丸高原の紅葉が標高の高いところの特徴である黄色が中心であるのに対し、こちらまで下ると、急に赤い葉が目立つようになります。志賀高原や上高地なども黄色がメインなので、どうしても高原の紅葉に京都や湖東三山の真っ赤なもみじを期待して行くと、意外とがっかりする方も多くいらっしゃいます。こちらに行った同じ秋晴れの最高の日に、上高地に行った人から話を聞きましたが、色に関しては、やはりちょっと期待はずれだったとの事でした。赤い色の紅葉を探すには、やはり理由は判りませんが、やや標高が低い渓流沿いが良く、次に白駒池のような湖や池の周りが良いようです。昨年行った松川渓谷の高井橋から見下ろす光景はその代表的なもので、今年もほぼ同じ頃見ごろのようです。
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地蔵峠3

2007年10月23日 | 桜/あんず/紅葉/つつじ

 

 

 

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地蔵峠2

2007年10月22日 | 桜/あんず/紅葉/つつじ
地蔵峠の由来は、旧東部町(東御市)側の入口にあたる新張(みはりと読みます)にある一番観音から湯の丸を越え、この旧鹿沢温泉の袂にある百番観音(写真)までの3里(12Km)の間に百体の石仏が一町ごとに、道端に置かれたことから付けられたのですが、今は壊されたり、盗難に遭い百体すべてはありません。この百番観音は千手菩薩なのですが、石仏の台座に小さな10cmほどの高さの、お地蔵様が置かれています。かつてこの峠の旧東部町側(更に昔は弥津村)にマムシ取りの名人がいて、それを生業としていたほどだったそうですが、最後はマムシに噛まれて亡くなったと、坂口安吾の本の中で紹介されています。また、島崎藤村の小説「破壊」の中で主人公の丑松が一時住んでいたことがあったところも、この地蔵峠入口からは近いところにあります。百体観音は江戸末期から明治期にかけて置かれたものですが、山を越え温泉地(旧鹿沢温泉)までの旅人の安全を願い、置かれた観音像の表情はどれも穏やかで、観音像を寄進した当時の村の人々がいかに心豊かに暮らしていたかということがわかります。
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