写真正面のそれほど広くない通りを進むと、道を挟んで右が某大学理工学部、左が全く別の某大学の校舎です。20数年前私が(極めてたまに‥‥笑)通っていた道ですが、その頃は左の某大学校舎もほぼ右の校舎と似たような古さでした。先日所用で近くまで行ったので懐かしさで、この裏通りを見てきましたが、当時の面影は右側だけで、左側は跡形もなく変わっていました。当時はいくら大学密集地帯とはいえ、教室の階段を降りて、道に出ると、すぐ目の前に他の大学があることに驚いたものですが、この町の至るところにそんな町並みが続いていることに後になって気がつきました。
こちらを後にして、橋を渡り本郷方面に行きましたが、そこでも改めて気がつきましたが、巨大な大学系総合病院が隣同士並んで建っています。江戸から明治に入りこちらの土地はどのような経緯で大学が出来ていったのかはわかりませんが、最初から都市計画がありきだったのか、偶然の産物か興味が湧くところです。
本郷で用を済ませた後、本郷3丁目の駅に向かいましたが、途中歩きながら、この東大の赤門近くに中学の修学旅行で泊まった旅館があったことなどを思い出していました。地下鉄に乗ると、ちょうど隣の席に座っていた仕事中とおぼしき私よりもやや年配中年男性2人組の会話が耳に入ってきました。偶然にも自分たちの修学旅行の話題で、そこで初めて知ったのですが、元々修学旅行は地方の学生や児童が皇居を参拝、見学に来ることを目的として出来た学校行事なので、東京の子供達には修学旅行は無く、変わりに信州の高原などへの林間学校があったということです。
現在も東京の小中学生は盛んに林間学校でやってきますが、信州の子供達が修学旅行で皇居に行くのは極めて稀で、ほとんどがディズニーランドとなっています。
こちらを後にして、橋を渡り本郷方面に行きましたが、そこでも改めて気がつきましたが、巨大な大学系総合病院が隣同士並んで建っています。江戸から明治に入りこちらの土地はどのような経緯で大学が出来ていったのかはわかりませんが、最初から都市計画がありきだったのか、偶然の産物か興味が湧くところです。
本郷で用を済ませた後、本郷3丁目の駅に向かいましたが、途中歩きながら、この東大の赤門近くに中学の修学旅行で泊まった旅館があったことなどを思い出していました。地下鉄に乗ると、ちょうど隣の席に座っていた仕事中とおぼしき私よりもやや年配中年男性2人組の会話が耳に入ってきました。偶然にも自分たちの修学旅行の話題で、そこで初めて知ったのですが、元々修学旅行は地方の学生や児童が皇居を参拝、見学に来ることを目的として出来た学校行事なので、東京の子供達には修学旅行は無く、変わりに信州の高原などへの林間学校があったということです。
現在も東京の小中学生は盛んに林間学校でやってきますが、信州の子供達が修学旅行で皇居に行くのは極めて稀で、ほとんどがディズニーランドとなっています。