感想

バラとおわら風の盆と釣りなどの雑記

第一義

2008年02月29日 | 雑記
春日山城の隣にある林泉寺は、上杉謙信が7歳から14歳まで修行を積んだ寺です。山門には巨大な闊達した書体で「第一義」と書いた謙信の筆による額が掲げられています。第一義とは、禅宗の祖、達磨大師の有名な問答中に出てくる言葉で、仏教の第一義とはなんぞやという設問から来ています。達磨大師によると第一義とは廓然無聖 (かくねんむしょう)であるといいます。この意味は言わば明鏡止水の境地のようなものなのですが、上杉謙信の生涯を思うに、その隠された真意よりも、字をそのまま素直に義を第一に重んじたと読んだ方が遥かに謙信の生き様を現しているように思えます。しかし謙信の理想は更に高く、自らを毘沙門天の化身、北方の守護神として仏道を歩みます。この二重の意味において「第一義」を見なくてはならないと思います。

「野伏する鎧の袖も楯の端も みなしろたへのけさの初雪」

「なれもまた草のまくらやゆうひばり すそ野の原におちてなくなり」

謙信が北陸に侵攻した信長軍を迎え撃った手取川の戦いの頃陣中で読んだ歌です。
死の中に生あり、生の中に生なしと悟った謙信の静寂な心が伝わってくる歌で特に上の句は白妙を使った歌としては、有名な「天の香具山」の歌と対極の境地にある名句であると思います。

先日林泉寺を訪れた際、僧堂は雪で覆われ白妙を引きつめたようでした。
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越後の龍 

2008年02月28日 | 雑記

林泉寺にて

 

 

 

 

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世界貿易センタービルから

2008年02月27日 | 東京
関東で春一番が吹き荒れた日、北陸日本海側から内陸の上田あたりまで、猛吹雪となりました。断続的に荒れた天候が続いたあと、汚れた大気が一掃され、冬特有の遠方まで見渡せる日になるかと思った25日ですが、新幹線に乗り大宮あたりまで来ると、遠く富士山が良く見えるものの、すでに霞がかっており、春は確実に近づいていることが分かります。

 浜松町にある世界貿易センタービルの40階にある有料展望室は、かつては360度視界が広がっていましたが、現在は近くにも高層ビルが立ち並びビルの風景は見えるものの、隅田川が東京湾に流れ込むあたりはあまり眺望が良くありませんでした。しかし、反対の東京タワー側は、左奥に富士山も見渡せなかなかの景色です。夕方ここに登ると、ご多分にもれず多くのカメラを構えた人々がいましたが、夕陽を中心に撮っているようでした。夕陽が沈む光景は、下にいるとなかなか見えないものだと後になって納得したのですが、始めは富士山の横に静かに落ちて行く夕陽を眺めながら、歓声を上げている人を見て、その感動の意味が良く判りませんでした。江戸時代までは、平地でも富士周辺に沈む夕陽を日常的に人々は見ていたはずですので、そういった日常的なるものが、自然と非日常にとって変わってしまっています。

 先日、高橋克彦さんの「楽園にようこそ」という本を読みましたが、これが結構おもしろくまた参考にもなりましたが、弥生時代にもたらされた稲作文化というものは、管理社会のはじまりで、自然破壊のはじまりでもあったという説です。縄文時代の人々がいかに、自由に伸び伸びと楽園のごとき生活をしていたかに思いを寄せ、米という持ち運びに便利な主食が導入され、管理社会が発達し戦が大規模かつ広域的になり、自由な縄文人は北へ北へと追いやられて行きます。弥生時代こそ現代社会の萌芽期であり、その頃から人々の現代的なる病が出てきたと推測されます。

 富士山を日常的に眺めていた時代の人々はそれを畏れ敬っていたのですが、見えなくなって久しい富士山はその霊的能力がいつしか人々の心から失われていることをどう思っているのでしょうか。








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東京タワー

2008年02月26日 | 東京

世界貿易センターから

 

 

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大網とは

2008年02月25日 | 雑記
 釣りに富山方面へ行った帰り、時間があるときは糸魚川市から白馬方面へ国道148号線を通り上田に戻ります。ヒスイ峡がある明星山を右に仰ぎながら、小滝駅を過ぎると、次ぎの平岩駅までは、姫川に面した洞門の道しばらくの間続きます。洞門が終わり、急に視界が開けると、進行方向左側に堰堤続きの横川が流れ込みます。雪代が入る頃の横川は川幅いっぱいに水が流れ、その上流の雨飾山までの間は人家も何もない自然のままの流れに見え、いつか遡ってみたいと思っていましたが、地図で確かめるとその上流には「大網」という集落が見てとれます。大網集落はその横川の流れ込むすぐ先にある姫川温泉街から急坂で蛇行した山道を2kMほど進んだところにありました。何年か前に姫川が大氾濫した際、この姫川温泉へ渉る橋が決壊し、陸の孤島になったことがありますが、当然そのとき、姫川温泉から上にあり、そこからしか道がない、この大網集落も通行不能となっていたと思われます。

 また、白馬村から八方尾根スキー場を横(左)に見て日本海側に向かって行くと、道路の右側を姫川が流れています。その姫川にそって糸魚川市まで急勾配の国道148号線が走ります。この道路はかつては姫川に落ち込む谷の裾を沢山の洞門により作られた狭い道でしたが、今は道も広がり、トンネルも作られ、一部まだ狭道はあるものの、幹線道路として快適な道になっています。国道148号の道筋には、所々集落がありますが、途中車を止めて両方に迫った山の勾配を見上げると、かなり上まで集落が点在していることが判ります。さらに山が重なり合った、姫川右岸側には、いくつか見えない集落が地図で確認することができます。夏はいいですが、冬の雪道の登り下りはさぞ大変だと思っていました。
 
  さて、そんな奥深い山中の集落のひとつが大網(おあみ)です。かつて日本海側の糸魚川から小谷村を通り信濃に広く塩が運ばれた道が二つあり、いずれも山道なのですが、大網はその荷継場として栄えた集落です。また信越国境の信濃の最終集落という位置関係により、戦国時代には、武田信玄による支配が及び、遠く離れた甲斐から人々が移住してきた歴史があります。現在も同集落の半数近くが「武田」ないし「竹田」姓で、武田菱の家紋をもっています。大網のすぐ向こうにある、越後側の根知城は武田に追われた信濃の猛将、村上義清親子が上杉謙信の命により対峙していることからも、戦略上、重要な拠点であったことがわかります。大糸線が全線開通したのは、それほど昔のことではなく、昭和32年のことです。糸魚川から小滝駅までの13.6kMと中土駅から松本駅までは昭和10年に開通していますので、中土駅から小滝駅までの区間17.7kMがいかに山岳地帯をくりぬく難工事であったかが思われます。大網集落は新潟県側の小滝駅から6.7kM先の次の駅で昭和32年に開通した同じく新潟県に属する平岩駅が最寄の駅となっています。また、国道148号は昭和28年に2級国道として指定されていますが、こちらも大網集落を通りません。大網集落へは、かつての秋山郷と同じく、車でも、列車でも一度新潟県へ出ないと入れない長野県側の集落となっています。現在は長く立派なトンネルが出来ましたが、それ以前の国道は姫川大仏の横を抜け県境を通る九十九折の葛葉峠を越えて新潟県に入ったものでしたが大網集落はその新潟県姫川温泉の先にあります。そのため現在はどう見ても行政区域は糸魚川市に属しているものと考えるのが普通ですが、塩の道という旧糸魚川街道からすれば、信濃から越後に入る大網峠の向こうが越後ということならば、その手前南側が信濃のということなので、こういったややこしい事情となっています。こちらの集落も中山間地域の近年の傾向である、若い世代の離村とそれによる高齢化世帯の増加が顕著で60数世帯ある家々に若い人ほとんどいない模様です。35年前に考案され、現在まで村人により連綿と引き継がれている「雪と火の祭り」ですが、その担い手たる若者はほとんどいない現在、村と縁のある若者が中心となり祭りを執り行っています。しかし、会場作りなどの一方の中心の人々は高齢化した村の方々の仕事となっており、現在も大切にされている行事であることが判ります。

 雪と火の祭りは、鬼役の若者達の元気の良い「ウォー・ウォー」という叫び声がいつまでも心に残る祭りです。今年の巫女役の高校生は、大網に縁のある同じ小谷村の方で、すがすがしく巫女を演じていました。雨飾山の神の使いである大鎌と鉈(なた)を持った「海彦・山彦」のような司祭たち、また神の火をいただいた矢を射り鎮めとした方などそれぞれ自分の役柄を見事に果たしていました。また姫川太鼓の勇壮さは見ごたえがあります。20人ほどもいる鬼役には、地元在住者では足りませんので、旧大網分校を使っているアウトドア団体の若者達がはつらつと演じています。過疎化による高齢化が進み、地元行事が成り立たなくなってしまう集落を限界集落というそうですが、大網においては、この伝統行事に関しては、外部の人々の協力もあって成り立っているようです。

 祭り当日は、午前中から高田の町並みを見て、雪の春日山城を尋ねたあと、林泉寺を詣でその足で、糸魚川市から小谷村に戻るルートで大網集落へ行きました。祭りは午後6時30分からとなっていますが、大網集落に着いたのが午後4時頃で、会場を探しますが、案内の看板一つとしてありません。雪で覆われた静寂のみが支配する落ち着いた佇まいの山間集落です。平日は村営バスが日に数本走っているようですが、休日は来ないようです。時刻表のポールはほとんどが雪で埋もれ、時間が書いてあるところのみ出ています。祭りの場所を探そうと、バス回転場の先にある神社の一角に車を止め、集落を歩いてみますが、会場らしき広場も見当たらず、まして人も見当たらず聞くことがでないまま、集落の南側半分を一回りしてくると、ちょうど人家の駐車場から男性が出てきました。聞くと祭りは、向こうの林の先で行われますとのこと。ただ6時30分にこの場所から、出発しますと親切に教えてくれます。車はどこにおけばいいのですかと聞くと、この先の民家の横でもいいし、バスの回転場でもいいとのことでした。山間の集落ですので、集落内の道は狭いうえ、雪で更に幅がなくなっています。会場までの道も雪で覆われおり、無理をせず、回転場まで車をもどして、しばらくそこで待っていました。やがて日が完全に暮れ、回転場の前の道路はぽつぽつと車が集落にはいって行くのが見受けられるようになりました。6時を10分ほど過ぎたころ、先ほどの神社の前に行くと、その裏手にある公民館の内外には村人や見学の人々が集まり始めていました。小さい子連れの方が多いので、こちらに住んでいる方のお孫さんたちのようです。それでも見送りの人数は十数人程度で、あとは関係者、近所の方といった様子です。おわらや他の大規模な祭りから想像すると、本当に人が少なく、ほとんど宣伝されていない、地元だけの祭りといった印象でした。そんな貴重な祭りを見に来ることができ、自分もその時良かったと思いました。6時30分になると公民館からは鬼達が出てきます。続いて巫女が登場し、輿に載せられ、会場までの数百メートル行進がはじまりました。ウォーという鬼の奇声と気勢が静かな山間に響きます。会場に着くと、地元の方が暖かい甘酒を用意し配っていました。
 
 新聞によると見物客は200人ほどということでしたが、姫川温泉に宿泊された方などがマイクロバスで来ていましたので、私のようにその他一般で他所から見に来られた方は極僅かだと思います。熱心に撮影しているカメラマンも多くなく、祭りが終わると山間の雪で閉ざされた空間には静かに元の世界に戻って行きました。
会場から出たところにある、集落から続く道がやや広くなったところに、大きな4WDの車が数台止まっていましたが、その車に乗っている若いご婦人と子供達が帰って行く鬼達に向って「鬼さん 車押してください」と何回か叫んでいました。見ると車の前輪が路肩から落ちています。押すのを手伝おうと向うと、すでに沢山の裸の鬼達が車の隅に付き、車を押し上げていました。「鬼さん ありがとうございました」子供達の大きな声が聞こえてきました。








長野県小谷村「大網 雪と火の祭り」  終わり
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大網集落 3

2008年02月24日 | 雑記

 

 

 

 

 

 

 

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大網集落 2

2008年02月24日 | 雑記

 

 

 

 

 

 

 

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大網集落

2008年02月24日 | 雑記

 

 

 

 

 

 

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大網雪と火の祭り 鬼の叫び

2008年02月23日 | 雑記

 

 

 

 

 

 

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大網雪と火の祭り クライマックス

2008年02月23日 | 雑記

 

 

 

 

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大網雪と火の祭り  姫川太鼓

2008年02月23日 | 雑記

 

 

 

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大網雪と火の祭り  鬼の舞と神への供物

2008年02月22日 | 雑記

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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大網雪と火の祭り 巫女から鬼へ

2008年02月22日 | 雑記

 

 

 

 

 

 

 

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大網雪と火の祭り  神の火巫女へ

2008年02月22日 | 雑記

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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大網雪と火の祭り 姫川太鼓奉納

2008年02月22日 | 雑記

 

 

 

 

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