感想

バラとおわら風の盆と釣りなどの雑記

旧師団長官舎 室内(1F)

2007年11月30日 | 雑記

 

食堂の照明  漆喰の天井には旧陸軍のマークが入っています。

男子応接室

夫人応接室

夫人応接室のシャンデリア   牡丹か芍薬の花にも似ていますが、五枚葉、7枚葉がありますし、蕾が尖っていますので、バラの文様です。この文様が建築当初のものならば、少し興味がそそられますが、おそらくガリカローズの一種のような気がします。

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旧師団長官舎(高田)庭園

2007年11月29日 | 雑記

 

 

旧師団長官舎の庭は、和風庭園になっており、ちょうど紅葉が見頃でした。中でももみじの古木(前の写真)は幹がさるすべりのようにつるつるで時代を感じさせますが、この場所はかつては旧陸軍の初代師団長の私邸があったところに旧市長公舎を建てた場所なので、明治時代からあった庭園なのかもしれません。

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旧師団長官舎(高田)

2007年11月29日 | 雑記

高田の雁木通りをうろついていると、見事な洋風建築を見つけました。これは明治43年(1910) 旧陸軍第十三師団第三代師団長官舎として建設されてもので、平成3年までは自衛隊幹部宿舎として使用していたそうです。現在は旧市長公舎跡地に移築され市が管理していますが、どうも近隣の自治会行事にも一部使われているようで、管理もその自治会に委託しているようでした。なので驚くことに入館料無料で、中も見ることができます。

 

 

 

 

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胎内潜

2007年11月28日 | 雑記

宿場と唱る所は家の前に庇を長くのばして架かる、大小の人家すべてかくのごとし。雪中はさら也、平日も往来とす。これによりて雪中の街(ちまた)は用なくが如くなれば、人家の雪をここに積。次第に重(かさなり)て両側の家の間に雪の堤を築たるたるが如し。ここに於て所々に雪の洞をひらき、庇より庇に通う、これを里言に胎内潜(たいないくぐり)という、又間夫(まぶ)ともいふ。間夫とは金堀の方言なるを借りて用ふる也。

(北越雪譜 より抜粋)

新潟の雪の多い地方の道路の中央には、融雪パイプが埋め込まれ、そこからスプリンクラーのように水が流れ雪を溶かしています。この装置は標高が高く気温がマイナスになるところでは、使えませんので長野県で見かけることはほとんどありません。この装置が出来る前、自動車が今のように普及する前までは、中心の道路は道路としての機能ではなく、もっぱら雪降ろしをした雪の捨て場として利用されていました。もちろん今も雪降ろしが必要であるので、雁木の上には梯子が付けられています。先日の高田の記事の中でこの両脇の雁木通りを結ぶ雪のトンネルのことを書きましたが、江戸時代には、このトンネルを胎内潜と言っていたようです。おもしろいのは、間夫とも呼んでいたことですが、両方とも言いえて妙と言えます。胎内潜は1年のうちかつては半年もの間雪が積もるこの地方の重要な生活道路としての役割を担っていました。北越雪譜には、雪を美しさを愛でるのは雪浅き国の人々の楽しみで、越後の人は毎年毎年幾丈の雪を見るので何の楽しみがあろうか、「雪の為に力を尽くし財を費やし千辛万苦する」と述べています。もちろんこの胎内潜も雪堀職人を雇い掘らせていたようです。また雪に対する備えに係る経費も手間も膨大でありました。

 

 

 

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雁木通り 高田 Ⅱ

2007年11月28日 | 雑記

 

 

 

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雁木通りの町 高田

2007年11月27日 | 雑記

雁木の町 高田(新潟県上越市)

江戸の町にいふ店下(たなした)を越後に雁木(がんぎ)といふ、雁木の下広くして小荷駄をも率(ひく)べきほどなり、これは雪中にこの庇(ひさし)下を往来の為なり。余(百樹)越後より江戸へ帰る時、高田の城下を通りしが、ここは北越第一の市会なり。商工軒をならべ百物備わざることなし。両側一里余庇下つづきたるその中を往こと、甚だ意快なりき。

(鈴木牧之「北越雪譜」中の京山人百樹の解説より抜粋)

 

 新潟のちょっとした町の商店街を歩くとアーケードの前身のような、商家の軒先の庇を迫り出した屋根付きの道を見かけることができます。このような町並みは新潟県を初め北国の雪の多い地方特有のもので、新潟では雁木(がんき)、秋田、青森、盛岡では小見世(コミセ)、山形では小間屋(コマセ)と呼ばれていました。この中で特に広く普及してきたのは新潟で、その中でも高田は総延長13キロとも15キロとも18キロとも云われ全国一の規模となっています。雁木は道に積もる雪と、屋根の雪降ろしの際に出る雪とで通行不能になる通りの代替通路でもあり、この下は安全に人が通ることができます。昨年、長岡にある新潟県立歴史博物館に行ったとき、この豪雪時の雪に閉ざされた高田の町並みを再現した展示物がひときわ印象深く、その町並みはどこか懐かしさを感じさせるものでしたが、その展示の中でも特に雁木と雁木の間にある通常は通りとなってところが雪で埋まり、そこにトンネルを掘って横断道としたところに、角巻(かどまき)という雪避け、寒さ避けのショールのような織物を体に巻いた女性の姿が印象に残っていました。角巻姿は昔は新潟ではよく見かけたスタイルでいつの間にか時代とともに無くなり我々の記憶からいつしか忘れ去られてしまったものです。雁木通りと雪国の道行く人々の光景は北国の日本人の原風景のひとつとしていつまでも保存されてほしいと思っています。記録的な11月の大雪との報道でもしかしたら、この高田の雪景色の雁木通りを見れるかもしれないと、信越線で来たのですが、雪は信越国境から隣接の新井までで、高田は雨に変わっていました。高田の雁木の起源は江戸時代に遡ることができますが、冒頭の北越雪譜の抜粋に書かれているように、その頃にはもう宿場通り沿いの家々には庇を長く伸ばした雁木の通りが8Km余りあったようです。江戸時代の高田は新潟随一の城下町として栄え、商工業も盛んで、買えないものはないほど品揃えが豊富で大変賑わっていた町でした。現在では高田も中心市街地の空洞化が進み、かつて賑わいを見せた中心商店街には人はほとんど歩いていませんが、この雁木通りを保護して行こうとする市民運動や行政の後押しなどにより、雁木とその母屋である町屋の見直しが進んでいるようです。信越線の高田駅正面側に高田城址へと続く道があり、その周りほとんどがこの雁木通りとなっていますが、一方駅裏側は住宅地となっており、また寺院の数も非常に多いのが特徴で、今でも60数寺が密集し寺町を形成しています。こちらも又おもしろそうなのですが、今回は当時の生活の名残が今も残る、雁木通り側を歩いてみました。古い町屋がすべて約一間(約180cm)の庇を道路側に出しているのですが、この軒下の部分は現在もすべて民地となっているそうです。歩道も道路ですので、通常は市道であったり県道などの官地というのがあたりまえなのですが、この雁木の部分はそれぞれの家々が昔から無償で供出している通路であり、道行く旅人や近所の子供達、買物に来る近隣の人々が雨に濡れず、雪にさらされぬようと代々続いてきた雪国の人々の知恵と優しさであるともいえます。

 

 

 

 

 

 

 

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雁木通り   高田

2007年11月27日 | 雑記
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初冬の花火 LAST

2007年11月26日 | 雑記

 

 

 

花火の最後はあっけなく終わりましたが、この花火は冬の澄んだ大気の中で燃え尽きる星の輝きにも似ています。この後は潮が引けるように会場となった犀川河川敷は静かに月明かりのみが川面を照らしていました。

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初冬の花火 Ⅶ

2007年11月26日 | 雑記

 

 

 

 

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初冬の花火 Ⅴ

2007年11月26日 | 雑記

 

 

 

 

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初冬の花火 Ⅳ

2007年11月26日 | 雑記

 

 

 

 

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初冬の花火 Ⅲ

2007年11月26日 | 雑記

 

 

 

 

 

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初冬の花火 Ⅱ

2007年11月26日 | 雑記

 

 

 

 

 

 

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初冬の花火

2007年11月25日 | 雑記

長野市えびす講の花火大会   

 

 

 

 

 

 

妙高高原駅発16時52分発、長野行きに乗り長野駅へ。長野駅東口から徒歩約30分で日赤裏の犀川河川敷へ着きました。東口からは渋滞を避けて電車+徒歩の方が大勢いて列をなして歩いて行きますので迷うことがありません。途中横で歩いていた女子高生(?)の会話がおもしろかったです。「今日はえびす講でうちはいつもお寿司なんだけど、毎年花火を見に行くので私の分は残しておいてもらうんだ」「うちはいつもチーズフォンデューなんだけど、帰るとフランスパンしか残っていない……」「唐揚げ買って食べようね」  すでに広い河川敷は人で埋まり土手の上にも沢山の人人人。一段低い護岸下道路はだれもおらず、そこで見ていましたが、しばらくすると同じ考えのカメラマンが並び出しました。花火大会では一応義理立てのスポンサー名の放送をしますが、あれって寄付した人しか聞いていないですし、また良く聞えないのですが、その間、ひたすら次の打ち上げまで、厳寒(笑)の中待っていなくてはならないので、やはり花火は夏見るのがいいです。

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名残雪

2007年11月25日 | 雑記

 

 

私は鉄道マニアではないですが、こうした駅の情景は旅情を誘い、住む人々の暮らしを垣間見ることができ、懐かしい思い出が凝縮しています。

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