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2024年問題

2023-10-08 | 日記
物流・運送業界の「2024年問題」が此のところ大きく取り上げられる。「ドライバーの時間外労働に上限を課す」という、ある種「当然の事」が企業や大口顧客だけでなく、個人の小口(宅配)にまで及ぶ大きな危機を引き起こすというのだから、皮肉なものだ。「荷物の3割近くが届かなくなる」という試算まであるらしい。それは、バブル期前に「便利さ」を掲げて大きく膨らんで来た「宅配」「通信販売」というビジネス・生活様式が、ドライバーの「常識外れの時間外労働」によって「かろうじて維持されていた」ことを表しているのかも知れない。
 かつて陸上輸送が鉄道に大きく依存していた時代に、「扉から扉へ」「ドアtoドア」の触れ込みでトラック輸送が急速に増え、やがて個人荷物を扱う「宅配」が現れて物流・運送業界を席巻した。物流は長距離トラック輸送に置き換わり、まるで鉄道・大量輸送は必要無くなったかのように急速に減退した。長距離トラック輸送や宅配に関しては、当初からドライバーの過剰労働が問題視されて来たが、バブル期以降の数十年間、その問題は社会から「気づかない振り」をされて来たということ。「気づいた途端に輸送力不足が取り沙汰される」ということは、社会全体がドライバーの過剰労働の上に「安くて便利な輸送システム」をひたすら拡大して来たということになる。
 ある番組で、2024年問題の解決法の一つとして「鉄道貨物の利用」が上がっていた。長距離トラック輸送を各拠点を結ぶ鉄道貨物で置き換え、拠点から先の荷主まで比較的短距離区間をトラック輸送が担えば良いのだという。いっそ「やっぱり40年前に戻した方が良いですね」と言えば良いじゃないかと。まあ、「40年前にそのまま戻るわけじゃない」と言い訳は出るだろうが、元のままで40年間来たとしても、その間にいろいろなシステムの進歩・改良は起きただろう。
 基本的には40年前にあった、そして物流の常識であり、鉄道や大量輸送システムが作られる理由、「大量輸送によるコスト・エネルギー削減」というやり方が優れているのは自前の事で、今更の感もある。荷物を個別に「扉から扉まで」運ぶやり方には、それ相応の「余分な」コスト・エネルギーが掛かり、「贅沢=善」とも見えたバブル期に造り上げたエネルギー的・コスト的に贅沢なシステムが、やがては「贅沢=無駄・悪」の評価を受けるということ。また、経済競争の中の「コストカット」で最も安易にカットされるのは「労働の価値」である。バブル期以降の経済不振で、多くの職場で募る一方だった「過剰労働」や「過労死」が問題化する中で、ようやく「ドライバーの過剰労働」にも目が向くようになったということ。
 しかし、医療や介護・看護、教育や建設など「現場での過剰労働」に見て見ぬ振りをして過ごしているこの社会が、本気で「過剰労働を排除した社会システムの維持」に取り組むことが出来るのだろうか?。おそらく、見過ごしにして来たいくつもの現場で「2024年問題」が存在しているはず。すでに建設労働者の不足が表面化し、医師・看護師の不足(数十年前から続くが)、教員不足、バスドライバーや鉄道運転士の不足も。
 結局のところ「2024年問題」というのは、「2024年の混乱によって、日本が一部労働者の過剰労働の上に成立っている社会だとバレてしまう」こと、つまり「2024年には、日本が世界基準を守れないと明らかになって」問題なのかも知れない。
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