愚ダメ記、真誤付き、思い津記

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節電のためスタジオの照明を落として

2022-08-29 | 日記

近頃気になること。夕方のニュースの度に、画面の横に「節電のためスタジオの照明を落として…」という文字。関東での「電力逼迫」による節電要請が出た際には、それも「なるほど、東京では節電してるんだな」と納得していたが、それ以来もう2ヶ月くらい経つが、いまだに毎日「節電のため・・・」という表示が続いている。

 一応、「電力逼迫」は緩和されている現在でも「節電する」のなら、今後は電力事情がどうなると予想して「一時的な処置」という「ことわり」を表示し続けるのだろうか?。実際、「節電照明下」の放送が見ずらいとか、アナウンサーの顔が暗すぎる印象があるとは感じない。むしろ「節電照明下」の方が、アナウンサーの顔も妙に白くなり過ぎず、自然な感じに見えるような気がするのは自分だけなのだろうか。

 「電力逼迫」という状況でなくとも「節電する」というのであれば何ら異論は無いし、むしろ「歓迎」である。しかし、それならばどこかの時点ではっきりと「今後、○○放送局では節電の為にニューススタジオの照明を〇割減らします」と表明して、いちいちニュースの度に字幕を出すのは止めて欲しいと感じる。「字幕によってニュースが見えない」などということは無いが、無い方がすっきりするし「少々邪魔くさい」とは感じる。

 テレビニュースの「字幕」には「緊急の内容」や「重要な要約」を特に「文字で確実」に伝達したいという意図を感じる。したがって字幕が出れば、やはり目がそこに行く。毎日見る人には「周知のこと」で気にならないかもしれないが、たまにニュースを見る自分には「正直、邪魔くさい」。常態化しているのなら、もう消しても良いんじゃないかと感じる。「照明を落としている」と言っても、別に読み手の顔が分からないほど暗いというわけでもないし、そろそろ根本的に「明るい照明」の必要性を見直し、「節電照明」の方を「本来の明るさ」とした方が良いのではないか?、と思えてくる。

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