牛頭天王信仰とその周辺

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牛頭天王と海神

2010-10-23 05:18:20 | 日記
日本古来の「海神」は龍ではありません。それは『古事記』を読むと分かります。日本古来の「海神」は鮫(ワニ=サメ)です。「海幸彦と山幸彦」の物語の章に出てきます。岩波文庫の『古事記』に沿って見ていきます。
 海幸彦は漁師で、弟山幸彦は猟師でした。山幸彦はたまには道具を交換して仕事をしてみようと言いましたが、兄は承知しません。3回頼み込んでも承知しなかったのですが、4回目に承知して、海幸彦は山へ、山幸彦は海へ行きました。なれない仕事ですから、山幸彦は釣れないばかりか、大切な釣り針を海の中に落としてしまったのです。そこで、山幸彦はお詫びに千本の釣り針をつくりました。ところが、兄は承知しません。元々の釣り針を探し出してもってこいというのです。
 山幸彦は海で泣いていました。すると、シオツチノカミがやってきて、「善き議(ことはかり)なさむ」と言って、「海神」のお宮に案内してくれました。山幸彦はそこで、「海神」の娘豊玉毘賣(トヨタマビメ)と出会い恋愛関係になり、「海神」も承知してふたりはご結婚と相成りました。落とした釣り針は「海神」が魚たちを集めて探し出してくれました。山幸彦は釣り針を持って、豊玉毘賣をつれて、地上に戻りました。
 妊娠した豊玉毘賣は言いました。「凡 (すべ)て、他国(あだしくに)の人は産む時に臨(な)れば、本つ国の形をもちて産むなり。故、妾(あれ=わたし)今、本の身もちて産まむとす。願はくば、妾をな見たまひそ。」要するに、「海神」の娘は、元の姿になって子供を産みますから、その姿を見られるのははずかしいので、見ないでください。」と言ったのです。ところが、山幸彦は見てしまいます。豊玉毘賣はなんと大きな鮫だったのです。耐えられなくなった 彼女は海に帰っていきます。しかし、我が子のことが気になり、妹玉依毘賣(タマヨリビメ)を地上に送り養育を頼みます。
 娘が鮫ですから、「海神」の本来の姿も鮫と想像でき、海を司っていたのは龍ではなく鮫という観念のあったことがわかります。
 もうひとつ分かることは、「海神」もその子も普段は人の形をしていますが、時と場合によっては、元の形に戻るということです。「半人半獣」ではないということです。「海神」もその娘も、自然神と人格的神の「中間的存在」の神像であることが分かります。牛頭天王のお后婆梨采女(ハリサイジョ)も、豊玉毘賣と同様の「中間的存在」なのかもしれません。
1.動物そのものを神とする。
2.「半人半獣」神像を神とする。
3.時と場合によって、人になったり獣になったりする像を神とする。
4.人格的神が、動物を司るとする。
 こうした、変化の中でも、第3段階に位置づけられるのが『古事記』であり、牛頭天王が南海の龍王の娘と結婚する話もこの段階の話と想像するのですが、夜、たまたま元の姿に戻ることはなかったのでしょうか?


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1 コメント

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補足 (gozu)
2010-10-23 05:24:48
写真は、江の島の龍宮です。
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