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牛頭天王信仰とその周辺

牛頭天王(ごずてんのう)信仰とそれに関係する信仰や情報を紹介するブログです。

鎌倉の天王社①小動(こゆるぎ)神社

2012-04-13 06:24:52 | 日記
小動(こゆるぎ)神社
 鎌倉市腰越2-9-12



 所在地は鎌倉市ですが、実施は江ノ島に近く、小田急線片瀬江ノ島駅を降りて134号線を鎌倉方面に歩いて2、30分位の所( 小動信号手前)の海側小高い所にあります。江ノ電腰越駅を降りて海側に向かうと徒歩で4,5分で着きます。
 地域の中核的存在で、境内の大きな倉庫には各町の山車(だし)が保管されています。境内社も多く、稲荷社・金毘羅社・海神社・第六天社があります。境内、境内社とも大変きれいで、清掃・管理が行き届いています。4月上旬には鳥居ふきんの桜がきれいに咲くと思われます。


 海神社の神は綿津見神ですが、「龍王海神」と書かれた石碑があり、その上に「亀の像」があります。現代のわたしたちは龍と亀とは違うと思いますが、古代中国においては同じ存在のように考えていたようです。


 境内には神社の立場での由緒書と鎌倉市の案内板と両方あり、この神社をていねいに説明しています。
 源氏の武将佐々木盛綱が近江の八王子宮を勧請して1185年この地に八王子宮を創建したとのことです。ですから「八王子社」です。神奈川県神社庁では「小動神社 八王子宮(はちおうじのみや)」と記しています。
 主祭神については、須佐之男命(スサノヲノミコト)と須佐之男命の奥方稲田姫命(クシナダヒメ・クシイナダヒメとも言う)と御子八王子命(五男三女神)を一柱として祀っています。



 以前にも書きましたが、八王子神は元々は天台宗延暦寺の影響を受けた日吉大社の山王信仰における「八王子権現」であり、牛頭天王信仰における八王子とは関係ありません。佐々木盛綱が勧請したのは「八王子権現」です。しかし、時代が下り牛頭天王信仰が大流行して、「八王子」と言えば牛頭天王の御子八王子となっていったので、鎌倉腰越の「八王子社」も、江戸時代には牛頭天王信仰の「八王子社」となったのでしょう。
 明治維新になって政府の意向に沿い「牛頭天王」「八王子権現」をやめて、スサノヲノミコトと奥方と御子八王子にしたと思われます。現在、小動神社の由緒書には「牛頭天王」の名は一切出てきませんが、しかし、今でも地域の人たちには八王子の父君「天王様」は存在しており、「天王祭」が行われているというわけです。
 毎年7月の中旬、江ノ島の八坂神社と共同で「天王祭」が行われています。あたりは小動神社の御神輿と江ノ島八坂神社の御神輿とが古式による行合祭りでにぎわいます。

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