牛頭天王信仰とその周辺

牛頭天王(ごずてんのう)信仰とそれに関係する信仰や情報を紹介するブログです。

牛頭天王と対権力闘争

2010-11-25 04:31:26 | 日記
 牛頭天王は、富者のくせに泊めなかった巨旦(こたん)一族を皆殺しにしたのですが、そのとき巨旦も攻撃されないように策を練ったのです。京都大学附属図書館蔵の『牛頭天王御縁起』には次のように描かれています。
「千人の法師ならび為(い)て大般若を読誦す。彼六百巻の経は くろがね四十丈六重の辻となり経の箱は天蓋となる。更以(さらにもって)入べき様もなし。」
 しかし、牛頭天王は言いました、
「千人の法師の中に片目にきす(傷)ある法師 飯酒(眠り)で経をよまず。時に驚くといへども文字にあたらずいわれなき字をよむ法師あるべし。」
 牛頭天王の眷属は、だらしのないその僧侶の所から乗り込んでいって、巨旦一族を皆殺しにしたと言うのです。
 ここで、次のようなことが言えます。「昔から、貧しい者の味方にはならず、権力や富者にゴマする坊主が多くいた」ということ。
 京都大学附属図書館蔵の『牛頭天王御縁起』からは、千人のゴマすり坊主共が皆殺しになったのか、頭丸めて坊主なり人生やり直すようになったのか分かりません。おっと、元々頭丸めている坊主だから、これ以上は丸められない・・・・。貧しい者の味方をしないで巨旦のような富者の味方をした坊主は牛頭天王からこっぴどい仕打ちを受けたことは間違いありません。権力を利用して富者になり貧しい者の味方をしない者、権力を握っても貧しい者への慈悲のない者へ、同様に、牛頭天王は厳しい仕打ちをするに間違いありません。貧しい蘇民将来を救ったように、牛頭天王は慈悲ある貧しい者の味方なのです。牛頭天王は対権力闘争の象徴のように思うわたしですが・・・・・。
 京都大学附属図書館蔵の『牛頭天王御縁起』の作者は、大切なことは、茅の輪を購入することでも、札を購入することでも、符を購入することでもなく、「お唱え」をすることを述べています。「お唱え」の言葉はタダです。お金のない貧しい者にでもできるのです。『御縁起』の中の皆殺し物語は慈悲の精神ではありません。この作者は「屈折した」人物と以前推理したわたしですが、一方自分なりに貧しい者の味方になろう努力したのかもしれません。
 食っていくためには、権力に迎合する場面もありますし、金持ちの協力も必要になる時もあります。親のすねかじりのように、ノーテンキなことは言っていられません。しかし、「降る雪と金は 積もれば積もる程 道を失う」の名言があります。天下の国学者本居宣長の言葉のようですが・・・・。金持ちや権力との距離が必要とのことでしょうか。『御縁起』の作者もその距離を保とうとしていたのかもしれません。