牛頭天王信仰とその周辺

牛頭天王(ごずてんのう)信仰とそれに関係する信仰や情報を紹介するブログです。

牛頭天王とちんりんき

2010-11-03 02:21:51 | 日記
京都大学附属図書館の『牛頭天王御縁起』の作者は、「しやかつ龍王」の次女が「ちんりんき」と記しています。摩訶不思議な名前の生き物ですが・・・・・。
 
 林羅山の著作『本朝神社考』には「牛窓」の地名の起こりについて次のように説明していて、これが、また『備前國風土記』の逸文とされています。
「神功皇后(じんぐうこうごう、夫仲哀帝の死後、朝鮮出兵を行い、朝鮮半島を支配下に置いたと考えられてきた皇后)ノ舟、備前ノ海上ヲ過グ時、大牛有り。出テ舟ヲ覆サムト欲ス。住吉ノ明神(海運を司る神様)、老翁(おきな)と化(な)リ、其ノ角ヲ以テ投倒ス。故ニ、其處ヲ名シテ牛転(うしまろび)ト曰フ(言う)。今、牛窓ト云フハ訛(なま)レル也。」
 ここまでが『備前國風土記』の逸文となっているのですが、実は『本朝神社考』には続きがあって、次のように記されています。
「其ノ牛ハ蓋(けだ)シ塵輪鬼(ちんりんき)ノ之(これ)化スル所也。塵輪八ノ頭有リ。嘗(かって)黒雲ニ駕(のり)来テ 仲哀(ちゅうあい)帝ヲ侵ス。帝之(これ)ヲ射ル。身首二と為テ落死ス。塵輪モ亦(また)帝ヲ射ル。帝遂に崩ス(崩御す)。」
 要するに、この記載から解釈すると、「ちんりんき」は第一回目の攻撃では「住吉明神」に投げ倒されたのですが、死にませんでした。第二回目の攻撃では仲哀帝と相打ちになったことになります。

 京都大学附属図書館の『牛頭天王御縁起』の作者は、羅山の『本朝神社考』を読んでいたとも思われます。読んでいなくとも、神功皇后の夫「仲哀帝」と相打ちになった塵輪鬼伝説をどこかで聞いて知っていたとも思われます。この伝説は、『古事記』の内容とは全く異なっていて、この地方の伝説でしかありません。『古事記』では仲哀帝は神の怒りをかって瀬戸内海でなく九州の地で死んだのです。それはとにかくも、瀬戸内海のこの伝説では、塵輪鬼は「反天皇勢力」で、ヤマト朝廷にいどんで互角の勝負をしたことになります。
「ちんりんき」が「反ヤマト朝廷勢力」ということは、その父親龍王、他の娘たちも「反ヤマト朝廷勢力」ということも想像できます。その娘と結婚した牛頭天王も・・・・。
 京都大学附属図書館の『牛頭天王御縁起』の作者は、なぜ、「反ヤマト朝廷勢力」の「ちんりんき」を龍王の娘として描いたのか。・・・・・それはこの作者が「反ヤマト朝廷」の立場だったからと思えてきます。京都八坂付近には朝鮮からの帰化人が多くいたと言われます。この作者もその末裔かもしれません。神功皇后の朝鮮出兵に対して憎悪をもっていたとも考えられます。ヤマト朝廷と強く結びついた延暦寺・大社賀茂神社の中にあって、「いい思い」のできなかった僧侶または宮司だった可能性も考えられます。