牛頭天王信仰とその周辺

牛頭天王(ごずてんのう)信仰とそれに関係する信仰や情報を紹介するブログです。

牛頭天王信仰と伊勢信仰

2010-11-11 07:48:46 | 日記
 伊勢神宮が天皇家の先祖アマテラスオオミカミを主祭神にして、皇室に直結している神社であることは、周知のことです。ですから、明治神宮と共に「神宮」と言う訳ですが、この伊勢神宮、江戸時代まではほとんどの天皇が参拝に来なかったとのことです。皇室のご先祖様と言うのに・・・・・。「ご先祖様を大切に」とは神社仏閣の「決まり文句」のような言葉ですが、ではなぜ、歴代の天皇が参拝しなかったのか、その辺については、井沢元彦という人が『逆説の日本史』で述べています。
 井沢の歴史観とはわたしとは多くの点で異なっていますが、この点については同感で、要するに、伊勢神宮というのは「皇室のご先祖を祀っている神社ではない」ということです。皇室にとって最も重要な神社は伊勢神宮ではなく、宇佐八幡宮です。だからこそ、道鏡を天皇にすべきかどうかを、和気清麻呂は近くの伊勢神宮に「お伺い」を立てずに行かず、遙か遠い宇佐八幡宮に行って「神のご判断」を仰いだのです。(宇佐八幡宮神託事件)
 では、伊勢神宮はだれを祀っているのかというと、ヤマト朝廷が滅ぼした近畿地方の豪族の先祖神や伊勢地方の地元の神々でしょう。恐らく、縄文時代神の影響を受けた、または縄文時代神を継承している部族(出雲系かもしれません)の神々でしょう。 スサノヲは朝鮮からの帰化人神で、それ以外のアマテラスも、タカギノカミも、イザナキも、イザナミも、縄文時代神で、それらの神々をヤマト朝廷側が利用したとわたしは想像しています。「自分たちこそ、それらの神々の子孫とだ」と宣伝して。
 大陸文化の影響を強く受けた場合、太陽神は男性神・月の神は女性神となるように思います。しかし、縄文時代神であるが故に、太陽神アマテラスは「生産の神」女性神のままでした。金属器をもった戦闘的部族集団ヤマト朝廷の戦術・戦略の一つが縄文時代神を利用することだったと思うのです。この戦術・戦略は坂上田村麻呂の「蝦夷征伐」においても引き継がれました。
 ヤマト朝廷が伊勢に「敵側」の神々を祀ったのは、井沢が言うごとく「祟り」を恐れてのことでしょう。『古事記』にはオオクニヌシやオオモノヌシの「祟り」の話が出てきます。「敵側」の神々に「お伺い」を立てに行く訳がありません。
 話は長くなりましたが、ということで、伊勢神宮は江戸時代まで皇室から大きな支援を受けることはなく、財政的には困窮していたと思われます。なにせ、伊勢神宮のある町の家々には蘇民将来札が貼られ、町は蘇民信仰に満ちていますし、伊勢神宮の「表看板」アマテラスオオミカミの効力が発揮できない状態でした。
 江戸時代、宮司たちはなんとか伊勢神宮を宣伝し信者を多くし財政の健全化を図ったとのことです。「獅子舞」を呼んで共に「 地方巡業」の旅に出たとのこと。これが功を奏し、「お伊勢参り」の誕生となり、「祭り」「儀式」「行事」の際には「獅子舞」が登場するようにもなったというのです。この「獅子舞」の流布説は大変興味がありますが、わたしなりに疑問も生じます。
 当時、困窮している宮司たちが、「獅子舞」の分の旅費も用意して地方を回るのは無理だったのではないかと。もしも、共に「地方巡業」したのであれば、誰かがスポンサーになっていたのではということです。だれがスポンサーになったのか、皇室でないことは確かでしょう。一部の宗教の突出を恐れたのは、江戸幕府です。江戸幕府は、将軍よりも偉大な存在を、イエス様とするキリシタンや、日蓮様とする日蓮宗を弾圧してきました。特定宗教が突出して一揆を起こされるとまずいと判断して、江戸幕府の「陰の部隊」が「伊勢神宮」を支援し信者増加を図ったと想像しています。当時、突出していた宗教は牛頭天王信仰だったと思われます。
 江戸時代の古文書から考えられるのは、幕末に至るまで、幕府と朝廷とは「共存共栄」の関係だったのです。それが急変したのは幕末の孝明天皇の死以後です。孝明天皇の死因についての不可思議さから明治維新史を見直す人たちもおります。それはとにかくも、江戸幕府は、庶民から「天王様」と言われ「天皇」と書かれる時もある牛頭天王信仰の拡大を恐れたと思われます。
「お伊勢まいり」は人気を博し、伊勢神宮の信者も増大しました。しかし、日本は多神教ですから、疫病退治はやはり薬の神様牛頭天王にお願いする人が多く、結果的には、共に信者が増えていったとも思われます。ただ、現在、旧郷社・旧村社の旧天王社・旧祇園社では、祭りの際、御神輿が出たり「獅子舞」が披露されたりしても、「天王舞」が披露されることはあまりありません。「獅子舞」は全国の村々まで行き渡っていると言えます。土着の「鹿踊り」などと結びついてでしょう。
 旧天王社・旧祇園社で、最も大切にすべきは「天王舞」でしょう。明治維新以降の「神仏分離」が続いてはいますが、「天王舞」の復活を望みたいところです。