牛頭天王信仰とその周辺

牛頭天王(ごずてんのう)信仰とそれに関係する信仰や情報を紹介するブログです。

山の神に敗退して死んだヤマトタケルノミコト

2010-10-05 22:18:36 | 日記
 牛頭天王は、インドの自然信仰の立場から考えていくと、ビャクダンの山の神。仏教の立場で、京都大学付属図書館蔵の『牛頭天王御縁起』から言えば、須弥山(しゅみせん)半腹の豊饒国の王。牛頭天王は間違いなく山の神です。
 山の神は、国は違えど「地上最強」であり、日本において言えば、英雄ヤマトタケルノミコトもやっつけてしまう程の力をもっているのです。 岩波文庫の『古事記』から見てみましょう。
 ヤマトタケルノミコトは伊吹山の神を取りに(退治しに)山に登りますが、
「山の神は大氷雨を零(ふ)らして、倭建命(やまとたけるのみこと)を打ち惑はしき。」 ヤマトタケルノミコトはしだいに体力を失い、三重県の能煩野(のぼの)に達したとき故郷をしのぶ歌を詠んで死んでいきました。中でも有名な歌は、
「倭(やまと)は 國のまほろば たたなづく 青垣 山隠(やまごも)れる 倭(やまと)しうるはし」でしょう。現代語訳では次のようになりますか。
「やまとは最高の国で畳重ねたような青々とした垣の山に囲まれている。やまとはうるわしい。」
 その後、八尋白智鳥(やひろしろちどり=大きな白鳥)に化(な)りて 、河内國(かわちのくに=大阪府)の志幾(しき)に留(と)まったとのことです。
 伊吹山の神様を何で退治しようと思ったのか、その理由は『古事記』には書かれていません。そもそも、多くの恵みをもたらす山の神を倒そうとはとんでもないことですから、当然と言えば当然なのです。
 同様に、山の神牛頭天王を「弾圧」するとはとんでもないことなのです。ろくなコトは起きません。実際に、歴史が証明していると言っていいでしょう。