goo blog サービス終了のお知らせ 

牛頭天王信仰とその周辺

牛頭天王(ごずてんのう)信仰とそれに関係する信仰や情報を紹介するブログです。

伊豆下田の牛頭天王信仰

2014-08-24 06:10:43 | 日記
 
下田八幡神社
    下田市1丁目18−38

 久しぶりに神社巡り・・・・以前伊豆方面の牛頭天王信仰を紹介しましたが、今回は伊豆下田にいきましたので、下田の様子を兼ねてご紹介。
 伊豆急下田駅下車徒歩5,6分。唐人お吉記念館近く。下田市民文化会館隣に鎮座している八幡神社。八雲神社も合祀ということで、由緒書には牛頭天王を祀っていることが記載されていました。八雲神社のお祭りもしていますが「天王祭」「祇園祭」とは言っていません。例祭と称しています。非常に残念・・・・・・。
 八幡神社としてのお祭りは8月14日15日に町あげて盛大に行われたようです。





津島神社総本社(旧津島牛頭天王社)

2014-07-30 20:55:41 | 日記
津島神社総本社
  愛知県津島市神明町1番地
  電話0567-26-3216
  
 名鉄津島駅下車徒歩15分。

 駅の改札口近くの案内所には鳥居があり、駅前には「津島神社」と書かれた大きな看板もあります。
 今年もあわただしく、津島天王祭を見に行くことはできませんでしたが、名古屋方面に行く機会があり参拝。

駅前の案内所


町並


本殿・拝殿



札の種類




パンフレット一部


境内社一部紹介
わたしは「蘇民社」や「毒蛇神社」に注目しました。

旧毒蛇神社



京都八坂神社と大蓮寺と祇園祭と・・・・

2014-06-11 06:30:52 | 日記
京都八坂神社
京都市東山区祇園町

今回は全国の八坂神社の総本社の京都八坂神社。

多忙の折ですが、たまたま大阪に行くことになりましたので、帰りに立ち寄りました。
 京都駅からですと、徒歩では1時間くらいかかるでしょう。老人はバス・タクシイーを使われた方がいいでしょう。

「事前学習」として京都八坂神社のホームページを見ました。ホームペ-ジに書かれてある八坂神社の由来について、一部を記しておきます。
「当社は慶応4年(1868)5月30日付の神衹官達により八坂神社と改称するまで、感神院または祇園社と称していた。創祀については諸説あるが、斉明天皇2年(656)に高麗より来朝した使節の伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まるという。また、一説には貞観18年(876)南都の僧円如が建立、堂に薬師千手等の像を奉安、その年6月14日に天神(祇園神)が東山の麓、祇園林に垂跡したことに始まるともいう。・・・・・」

御祭神については
「中御座 素戔嗚尊(すさのをのみこと)
 東御座 櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
 御同座 神大市比売命(かむおおいちひめのみこと)・佐美良比売命(さみらひめのみこと)
 西御座 八柱御子神(やはしらのみこがみ)
 八島篠見神(やしまじぬみのかみ)
 五十猛神(いたけるのかみ)
 大屋比売神(おおやひめのかみ)
 抓津比売神(つまつひめのかみ)
 大年神(おおとしのかみ)
 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
 大屋毘古神(おおやびこのかみ)
 須勢理毘売命(すせりびめのみこと)
 傍御座 稲田宮主須賀之八耳神(いなだのみやぬしすがのやつみみのかみ)」と記されています。

 由来・祭神では、牛頭天王については一言も触れていません。
 すでに、わたしはこのブログで、江戸時代に書かれた『羣書類従』の「二十二社註式」(国立国会図書館蔵、木版原板巻二十二。四十七。 ただし、国立国会図書館デジタル化資料番号では第23冊~25冊[147]の138祇園社)に記されている祇園社と牛頭天王について紹介してあります。(2012年7月6日)そこには
「西間 本御前竒稲田媛垂跡一名婆利女一名少将井脚摩乳手摩乳女
中間 牛頭天皇号大政所進雄尊垂跡
東間 蛇毒氣神龍王女今御前也」
となっているのですが・・・・・・。

そこで、実際に八坂神社に参詣にいってみました。牛頭天王については拝殿の所に由緒書が出されていて
「平安時代以来、祇園精舎の守護神、牛頭天王と付会されました・・・・」と一行書かれてあるのを見ることができました。


 さて、一般庶民にとって牛頭天王はどのように思われているのか、地元の人に聞いてみますと、どうやらスサノヲノミコトの「化身」と理解しているようです。
 しかしながら、八坂神社側が一行でも牛頭天王について触れていることはうれしいので、全国の八坂神社もこれに倣い、由緒書には牛頭天王の文字を入れていただきたい気持ちでおります。
 牛頭天王よりも、もっと「かわいそう」なのは蛇毒気神(だどくけのかみ=女神)で、江戸時代とは変わり「無視」されています。
 蘇民将来については境内社としてあります。



 参詣に行って思ったのですが、もともとは八坂神社側が言うように、八坂神社は高麗より来朝した使節の伊利之(いりし)が建立したのでしょう。そして、当初は伊利之(いりし)が「八坂大神」として先祖神を祀っていたのでしょう。時代が下り、御霊信仰がさかんになるとそれを勧請し(祇園信仰の盛んな地となり)、さらに牛頭天王信仰と結びついたとわたしは想像しましたが・・・・。



 神社側が「八坂大神」の掛け軸を出そうが、仏教徒が「牛頭天王の精神に還れ」と言おうが、とにかくも、地元の人にとっては「祇園さん」。日本三大祭りのひとつ京都祇園祭は健在。そして,今年はさらに盛大にもりあがりそう。
 わたしは7月も多忙。京都まで祗園祭を見に行くことはできませんが、今回立ち寄る程度でも参詣できてよかったと思います。

 祇園社にやってきた平清盛の「ろうぜき」ぶりについて記した文章の横にある写真。中世の祇園社と思われる絵。







 八坂神社から徒歩ですと、2、30分くらい。東大路通りを二条の方に行き、仁王門通りを左に曲がり衣料などを売っている店の道を右に入ると、安産祈願で有名な大連寺があります。八坂神社が祇園社だった頃、仏教信仰の地でしたから当然仏像があったわけです。その仏像を今なお大切に保管しているお寺が大連寺です。きれいなパンフレットを作成してあり、祇園社と大連寺の関係についても述べています。









大連寺  京都市左京区東山二条西入一筋目下ル457

 

東京品川の天王祭

2014-06-07 22:04:14 | 日記

 江戸時代言われていた「北の天王祭(品川神社の例大祭)」と「南の天王祭(荏原神社の例大祭)」とが、幸い今年も同日開催。雨の中見てきました。明日も行われます。京浜急行線新馬場駅下車。
雨の中ですが、各町内の立派な御神輿が商店街をまわっていました。




 荏原神社保管の牛頭天王(現在はスサノヲノミコトとしているようですが)の面のついたお神輿の海中渡御は、今年は行われず、御神面を海水につける儀式のみ行われるとのこと。
 江戸時代、海(天王洲)から牛頭天王の御神面を拾い上げた寄木神社氏子は、当時寄木神社(荏原神社より河口に向かう。洲崎橋近く)に宮司が常駐していなかったため、近くの荏原神社に寄贈したとのこと。ということで、海中渡御の場合には、寄木神社神輿に御神面をつけて、目黒川河口からお台場海浜公園まで運ぶとのこと。



 荏原神社のこの例大祭を、氏子たちは今でも「天王祭」と称してポスターや旗をつくり祭りを行っています。残念なことに、品川神社のポスターには「天王祭」の文字を見ることはできませんでした。







荏原神社 品川区北品川2-30-28

品川神社 品川区北品川3-7-15

寄木神社 品川区東品川1-35-8

東京の6月の天王祭

2014-05-21 09:02:29 | 日記

6月 2日(月)~6月 8日(日) 素盞雄神社 天王祭 
     荒川区南千住6-60-1
     電話03-3891-8281  
     南千住駅下車徒歩8分
     7日(土)8日(日)氏子まつり神輿渡御。
 


6月 6日(金)~6月 8日(日) しながわ天王祭荏原神社 (南の天王祭)
     品川区北品川2-30-28
     電話03-3471-3457

6月 6日(金)~6月 8日(日) しながわ天王祭品川神社 (北の天王祭)
     品川区北品川3-7-15
     電話03-3474-5575

 *共に京急線新馬場駅下車。7日(土)8日(日)に神輿渡御予定。




6月22日(日)沼袋氷川神社天王祭  
     中野区沼袋1-31-4
     電話03-3386-5566
     西武新宿線沼袋駅下車徒歩2分  
     境内末社天王社の祭礼
     氏子参列のもと疫病退散・家運隆昌の祈りを捧げる。


 わたしは、今のところ、6月は7日(土)午後のみ空いているので、品川神社・荏原神社に行ってこようかと思っていますが・・・・。

埼玉県ふじみ野市の牛頭天王信仰

2014-05-14 23:07:12 | 日記

八雲神社
ふじみ野市上福岡1ー7ー7

東武東上線上福岡駅北口下車徒歩2分。「ウノビル」の所の「八雲通り商店街」を進むとすぐ左に見えます。自治会や商店街が音頭をとって「天王祭」はしていないとのこと。氏子が中心となって、こじんまりと7月に「天王様」のお祭りをしているようです。神社には由緒書はなく、年間行事についても分りません。



大井氷川神社
埼玉県ふじみ野市大井 2-4-3
東武東上線ふじみ野駅西口下車徒歩10分。JAいるま野をめざし、川口信用金庫の方へ進み、そこの十字路を左に曲がり最初の信号を右に行くと見えてきます。こんもりとした林の中の落ち着いた雰囲気の神社。

由緒書からわかるのですが、この神社は江戸時代前半は「根上(ねのかみ)大明神」と呼ばれていたとのこと。幕末近くになって「氷川根上大明神」となったとのこと。このことから大宮の「氷川大明神」が勧請されたと考えることができます。しかし、正式に氷川神社の系列に入ったのは明治になってからのこと。それにしても、境内社の八雲神社の祭礼が、今も「天王様のお祭り」として毎年7月に大井地区を挙げて行われているとのことですので、牛頭天王の方が、根上大明神という「地主神」や氷川大明神よりも人気があったと言えるでしょう。



境内社の八雲神社と倉庫

境内社の稲荷神社と神楽殿(鳥居が赤くない)

それにしても、牛頭天王信仰が入る前の「根上大明神」とは具体的にはどのような「地主神」だったのでしょうか。わたしは縄文時代からの「アラハバキ神」だっ たと想像しているのですが・・・・・。




埼玉県富士見市水子地区牛頭天王信仰

2014-04-10 10:57:46 | 日記
水子氷川神社
埼玉県富士見市水子1406-1


東武東上線志木駅下車、東武バス下南田行バス、水子貝塚公園前下車徒歩3,4分。




境内にある祠には「牛頭天王宮」と書かれています。毎年7月中旬「天王祭」を行っていることが行事予定案内板からも分ります。

 氷川信仰におけるスサノヲノミコトと祇園信仰におけるスサノヲノミコトとは違います。氷川信仰においては、氷川信仰の総社大宮の氷川神社を見て分りますが、歴史的に見て牛頭天王との習合はなされていません。「氷川信仰と牛頭天王とは関係ない」というのが基本にあります・・・・・。しかし、実際の関東の氷川神社においては牛頭天王を祀り「天王祭」を行っている氷川神社がいくつかあります。そこを「切り口」に氷川信仰を研究すると面白い発見がでるかもしれませんが、その時間もありませんので今のわたしには無理な課題となっています。
 この水子地域では毎年7月中旬「天王祭」を行っており、江戸時代の文化を残そうとしています。戦前はお祭りの時は学校を休みにしたほどさかんだったようです。今と違って病院がなく医者もいなかったので、まさに「神頼み」で、「疫病退散」を願い盛大にお祭りを行っていたのでしょう。



水子石井八雲神社
埼玉県富士見市水子字石井2582近く

 国道266号線の宝性寺近くの水子地区(字 石井)には小さな祠の八雲神社があります。2体の石碑には「八雲大神」と書かれているものと「牛に乗って剣を持っている神様」像があります。この神様が「八雲大神」でしょうが、、この地区でも毎年7月中旬「天王様」のお祭りをしているので、この石像は牛頭天王と考えていいでしょう。



御神輿などが保管されている宝性寺。

埼玉県川越市的場八坂神社

2014-04-03 20:59:08 | 日記
埼玉県川越市的場八坂神社
川越市的場1874


 川越線的場駅を降りて国道114号を東武東上線霞ヶ関駅方向に進みます。駅から徒歩4,5分の所に鎮座。駅近くですが、境内広く落ちついた雰囲気の神社です。鯨井の八坂神社同様薬師堂(写真右)と共に鎮座しています。的場下組自治会館の隣。

 地元の人の話ですと、4月中旬「天王さま(春祭り)」をするとのことです。夏には自治会主催でお祭りをするとのことです。

埼玉県川越市鯨井八坂神社

2014-04-02 07:07:30 | 日記
埼玉県川越市鯨井八坂神社
川越市鯨井1842


 東武東上線霞ヶ関駅から徒歩20分。国道114号線を北上し上戸信号へ出てさらに260号線を進みます。鯨井自治会館隣。薬師堂と並んで鎮座しています。


 7月中旬「天王さま(夏祭り)」で演じられる「鯨井の万作」踊りで有名。


鯨井ではホームページをつくっています。http://www1.ocn.ne.jp/~ee191919/
また、「鯨井の万作」はユーチューブ動画でも見ることができます。

日野市南平八坂神社

2014-04-01 05:19:57 | 日記


日野市南平八坂神社
東京都日野市南平4-8-6

 京王線南平駅徒歩10分。国道173号(北野街道)の南平3丁目信号と高幡橋南信号との間にある「ドラマ日野南平店」向いの道を京王線の方に向かって入ります。スギの木に囲まれた落ち着いた雰囲気の神社。


 由緒を書いた大きな記念碑があり、詳しく説明されています。祭神は「素戔嗚尊」「稲田姫命」「牛頭天王」となっています。
創建は不明ですが、享保20年(1735年)に神道管領卜部宿禰兼雄より「正一位牛頭天王」の神階を授かったこと、本殿造営の折に神紋を「祇園守」にしたこと、牛頭天王の御神像(享保二十年の作)があることなどが書かれています。今も本殿には「正一位牛頭天王」と書かれた大きな額が飾られています。

 境内には庚申様や馬頭観音などの 石像があります。右から二番目が馬頭観音です。



東京都東村山市八坂神社の御朱印

2014-03-31 03:24:34 | 日記

東村山八坂神社
東京都東村山市栄町3-35-1

西武新宿線久米川駅下車徒歩10分  西武多摩湖線八坂駅徒歩5分

 きのうは東村山市の白山神社の牛頭天王像を紹介しましたが、その白山神社とさほど遠くない所にあるのが、八坂神社。わたしは2010年に訪問していましたが、近くと言うことで再訪問。
 この八坂神社では『武蔵野牛頭天王』と称してパンフレットや御朱印を発行しています。ということで、神社側で旧牛頭天王社であったことをしっかり述べており好感が持てます。
 パンフレットの一部をを紹介しますと、「古き良き歴史は、今も生きています。」という一文から始まります。
「由緒  八坂神社の由緒は寛文二年(1662年)3月26日の火災をはじめ、数回の火災にあってしまいましたので創建年月は、残念ながら分りません。しかし昔は「天王社」「天王宮」、野口の牛頭天王などといわれて、八雲神社といわれたこともありました。近くの臨済宗の正福寺が別当でしたが、この正福寺が寛文年間に数回の火災にあいました。その時に大切な八坂神社の記録がぜんぶ燃えてしまいました。・・・・・宝暦四年(1754年)11月の野口村『村柄様子銘細書上帳』には『村中鎮守牛頭天王 別当正福寺 五反七畝弐拾弐歩御除地とありまして、天保十三年4月の『村柄様子銘細書上帳写』でも同じ文であります。 明治三年(1870年)11月の『神社書上帳』に「社号 往古ヨリ天王宮ト唱ヒ来候処、明治二年、奉願上八坂大神ト改替仕候外ニ旧号等無御座候。」とあり明治二年8月に『天王宮』を『八坂神社』と改め、同じ年に村社に列せられました。・・・・・」
 ということで、今でも地元の人たちからは「天王さま」と言われています。
  大獅子頭は東村山市指定有形民俗文化財になっており、7月の祭礼に時に拝殿回廊に奉安され見ることができます。
 境内には「祇園社」と称する建物もあります。

 「天王森講中」と書かれた額も飾られていました。

 拝殿上には「牛頭天王」と書かれた額があります。


 こう見ていくと、火災で焼失されたとは言いますが、関東の牛頭天王信仰の歴史を詳しく今に伝えている神社で、まさに、古き良き歴史は今も生きている貴重な神社です。

東京都東村山市白山神社の牛頭天王像

2014-03-30 19:35:23 | 日記

東京都東村山市白山神社
東京都東村山市久米川町4-41-2

 白山神社は石川県白山市の白山比(しろやまひめ)神社を総本社とする神社です。石川・福井・岐阜の三県にわたりそびえる白山を信仰する「霊山信仰」の神社ですが、実際の主祭神は「シロヤマヒメ(ククリヒメノカミ)」で、イザナキノミコト・イザナミノミコトをも含めて祀る場合も多いようです。
 明治の初め、井戸の中からみつかったという牛頭天王の石像(坐像)が安置されて一般の人もいつでも見られるようになっていると言うので、訪問しました。
 牛頭天王像を見ることは関東においてはなかなかできないので貴重な神社だと思います。
 市の教育委員会が詳しい説明文を掲示してくれています。





 西武新宿線東村山駅を国道16号(府中街道)方向に降りて所沢方向に歩きます。できるだけ線路沿いに進みます。少年野球場の近くに鎮座しています。

東京都立川市の八雲神社

2014-01-07 21:24:19 | 日記
東京都立川市の八雲神社
 東京都立川市一番町2-4


JR中央線立川駅から徒歩ですと1時間以上かかるかも・・・・。バスかタクシー利用の方がいいでしょう。
 五日市街道に出て五日市方面に進みます。途中立川水天宮が見えます。そのさらに2kmくらい先。「天王橋信号」付近に鎮座。小さな神社ですが、地元の人たちからは「天王様」と慕われている神社です。地蔵尊も境内にあり昔の神仏習合の名残を見せています。
 わたしは仕事を終えてからの訪問。辺りは真っ暗になっていました。





埼玉県栗橋の八坂神社

2014-01-06 12:47:28 | 日記
 栗橋の八坂神社
 埼玉県久喜市栗橋北2-15-1



 JR宇都宮線栗橋駅を降りて、バスの通り道を利根川の方に進みます。静御前のお墓を過ぎて、突き当り(栗橋駅信号入口)を左に100mくらい行くと見えてきます。徒歩15分くらい。利根川の岸に位置しているとみていいでしょう。ということで「狛犬」ではなく拝殿前には「鯉」が二匹。
 三が日、参拝客でにぎわっていました。甘酒をごちそうになりました。地元に人に慕われている神社であることがわかります。由緒書も丁寧に書かれていて、ここが牛頭天王社であったことがわかります。




 ただ、夏のお祭りは「夏祭り」とポスターに書かれていて、「天王祭」「祇園祭」とは称していないようです。



東京調布市国領町の牛頭天王石像

2014-01-03 07:09:18 | 日記
 東京の調布市、京王線布田駅近くに常性寺というお寺があります。正しくは医王山長楽院常性寺。ですから御本尊は薬師如来。しかし、このお寺、「調布の不動様」で有名。というのは江戸時代に「中興の祖」が成田山の不動明王を勧請したから。境内には今年の干支、午に関係する馬頭観音像もあります。

常性寺全景


常性寺馬頭観音

 常性寺の北側地域は「八雲台」という地名です。ところが、旧牛頭天王神社が見当たりません。 ただ、国領神社という神社があり、神社側の由緒説明によれば、第六天社(大六天社)と、スサノヲノミコトを祀っていた神明社だった2つの神社をまとめ國領神社として、さらに明治42年に天照大御神を合祀したとのこと。しかし、おかしいではありませんか。神明社でスサノヲが祀られて、アマテラスは祀られてこないで明治の末になって祀りだしたとは・・・。神明社ならその付近も「神明町」となるはずでしょう・・・・・。しかし、「八雲」・・・・。
 推理小説のように、この謎を解き明かすのは、わたしのように、シュールな絵やストーリーマンガを描いてきた者には正直言って楽しいものです。
 常性寺とは反対側(布田駅の南側)歩いていきます。椿地蔵前信号を越えてセブンイレブン近くまで行った道を左に行くと国領町6-17付近の道のわきに「牛頭天王」と書かれた石像があります。

「馬供養」に馬頭観音像を立てたこともあった江戸時代、同様に、地元の人が牛供養に立てた「牛頭天王」石像のようですが、「牛頭天王」の名前が地元の人たちに浸透していたことがわかります。
 要するに、この付近も、江戸時代、牛頭天王信仰の地でもあり、その関係の「八雲」の地名だったと想われます。別当寺はもちろん薬師如来を本尊にする常性寺だったのでしょう。しかし、明治維新を迎え寺社側はそういうことには触れたくなかったということでしょう。そこで「八雲」の地名だけが残ったのでしょう。