和弥のノンアルコールライフ

酒の無い日常をここで語りましょう。

故郷は

2016年03月15日 18時00分00秒 | 日記
うちの村(集落)には、昔は13軒の家があって、それぞれの家族が暮らしていた。今は8軒に減ってしまい、そのうち4軒は独り暮らしをされている。内、高齢者が2名、両親が亡くなられて残った者が2名。なぜこうなったのかは別として、夜の独りの暮らしは寂しいものだろうと思う。
夜には農作物を荒らしに野生の鹿やイノシシがやってくる。不気味な鳴き声をあげる時もあり、おいらも最初は驚いたものだった。
それでも、寂しいからと愚痴ることなく生活されている姿は、立派なものだと感心する。

独り田舎の村に住んでいても、そこが生まれ育った場所だから、寂しさにも平気なのではないだろう。独り自分の食事を作り、独り自分の洗濯をして、毎日を過ごす精神の強さは脱帽だ。

そんな田舎に帰ってきても、おいらには両親と、幼馴染の友人達が居てくれたことに感謝をしている。

それよりも、猟銃の免許を取得して、あのイノシシのお肉で商売したら儲かるかもなぁ?

病院

2016年03月14日 17時23分55秒 | 日記
今朝は、父の病院の日だった。9時15分の予約だったから、8時30分に母と3人で家を出た。よく降る雨の中、9時には病院に到着したので、診察の間、母と食料品を買いにスーパーに出かけた。
父の通う病院は車で30分の距離にある。なんと不便な・・・しかし、これが田舎の実情だ。おいらが帰ってからは、近所の人に頼まなくてもよくなったが、車を持たない高齢者の方々には辛いものがある。

実際、都会では歩いて行けるほどの距離に病院やスーパーがあるところが多く、そうでなくても公共交通が発達しているから、電車やバスで、移動の自由に制限は受けにくい。逆に地方は何もない。この不公平感が今の日本なんだと思った。

その代わり、ちょいと飲み屋に出かけるのも無理だから、逆に健康には良いのかな?

今日はお寺の掃除

2016年03月13日 15時59分56秒 | 日記
今朝は、村の人達と彼岸に向けたお寺の掃除をした。簡単ではあったが、落ち葉を掃除してビシャカキという木の枝葉を仏様に飾った。
皆で行う作業は楽しい。時間的には1時間半ほどだったが、こういった村の行事は宝塚に住んでいた頃には経験のないことだった。

やはり熊野信仰の地であるのだろうか。自分達、住んでいる者が協力してお宮にしろ、お寺にしろ維持管理をしていくということは気持ちが清々しくなるものだと感じた。

ほんと、生活が変わったと思う。宝塚では、街の掃除などしたこともなく、神や仏を意識することもなかったのに。田舎生活なのだろうな。

あぁ・・・それにしても、仕事をしないのは退屈だ。早く仕事をしたい気持ちと、せめて少しは失業保険をもらって、ゆっくりしたい気持ちが交わってしまう。

しかし、住宅ローンは返したし、車のローンも完済した。無借金だから、こんなこと書いて居れるのだろうな。。。

休耕田

2016年03月12日 19時53分26秒 | 日記
この水田も、昔は立派にお米を収穫していた。だけど政府の減反政策と、高齢化もあって耕作されなくなってしまった。
画像でみれば、まるで野原のようだが、春になり夏になりすると草が茂り、土地の持ち主は度々草刈りをしなくてはならない。
草刈りは草刈り機で作業をするが、なかなかのきつい作業だ。そして耕作放棄地と言われているが、ただ放棄している訳ではないのだ。なぜなら、草ボウボウにしておくと、害虫が発生して、近隣の田畑に迷惑をかける。だからお米や野菜を作っても作らなくても手入れが必要になってくる。
めんどうくさい事なのに、自分ができなければ他人にお礼を渡しても草刈りをしなくてはいけない。村のルールなんだろうな。

コミュニケーション

2016年03月11日 17時36分58秒 | 日記
田舎暮らしには、コミュニケーションが絶対必要だと思う。よほどの変わり者でないかぎり、一日誰ともしゃべらないで暮らすのは、精神的によくないことだと思う。
ところが、独り暮らしの方には、そういった状況におかれている方が、おいらの住む村でも何人か居られる。まだ車を運転できる方は、買い物や病院などで会話をすることもあるだろうが、そうでない方はほんとうに孤立した生活となってしまう。

そして、そこに忍び寄るのは酒なのだ。おいらが大阪に出ている間に、孤独に耐えれず酒を飲んで、亡くなってしまった方が居たことを母に聞いた。残念な気持ちだった。

故郷は高齢化し、若者は都会に出ていく。そうした構図がもう何十年と続き、過疎化、限界集落となり、次第に住めなくなっていっている事が、目に見えて解る。

過疎と孤独と酒か・・・