小豆島の北西部、小江漁港の北西沖に浮かぶ千振島にはカヤックでしばしば訪れてます。
最近、土庄町在住のM氏より、千振島の大坂城残石の写真撮影を所望されたので、昨日撮影に出かけてきました。
実は、氏に教えてもらうまで、千振島の周辺の岩礁に点在する岩石群が大坂城の築城に使われた石の残石であることを知らなかった。
小豆島北部の小海地区や東部の岩谷地区の石丁場は有名ですが、千振島に石丁場があったとは。
千振島の周辺にはそれらしき巨石が岩礁の上にゴロゴロしているけど、調べてみるとどれも大坂城残石群のようでした。
豊臣秀吉の大坂城ではなく#1、秀吉の城が破壊された後、徳川によって再築城された現在の大坂城の石垣に用いられたものであり、その後も近代まで採石は続けられていたようです。
参考文献:東瀬戸内海島嶼部における大坂城築城石丁場と石材輸送水運に関する研究(徳島文理大学、研究者代表:橋詰茂)
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#1: 2020-8-4 追記
豊臣秀吉の大坂城ではないと書きましたが、土庄町立図書館で四海村史を調べたところ、天正年間より千振島には福岡の黒田藩管轄の石丁場があったようで、秀吉の大坂城の築城に千振島の石が用いられていた旨の記録がありました。
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千振島の大坂城残石調査報告が上記文献の32~38ページにあります。
(上記文献より参照)
残石の写真を以下に掲載しておきます(記号は上記航空写真のものを使用)。
1.千振島北東部のF地点(鳶島)の残石
2.千振島南~西南部の3つの岩礁部
左よりイチノソワイ、ナカノソワイ、白石の岩礁
2-1.イチノソワイ岩礁
2-2.ナカノソワイ岩礁
2-3.白石岩礁
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