湖底に沈む朽木(きゅうぼく)を描きました。
透明水彩という言葉の所以たるものは何と言ってもその透明性にあります。
そこでふと思いついたのが湖。
湖の中でも、5年ほど前、東北・白神山地に旅行した時見たくて見れなかった青池。
青の透明度で有名なところですが、その時は落ち葉が湖面を覆っていました。
この秋、せめてその青池をネット上で旅しようと巡っていましたら、
『ちょいっと情報通』というサイト様の「白神十二湖 青池」での画像(2017.8.12公開 8.13更新)
に遭遇しました。
青池に沈む朽木の写真が掲載されていました。
それは見事な秋の朽木でした。
そこからヒントをいただき水彩で描かせていただきました。
もとよりその鮮やかさや深遠さなど、自分にはとても表現できませんし、
木々の数や配置あるいは色合いなど変えてはいますが、
「湖底の朽木」を描きたいという切っ掛けはこのサイト様から刺激をいただきました。
「朽木は雕(え)るべからず」という言葉があるようです。
辞書には(朽ちた木を彫刻することは不可能である、の意から)
素質のない者にいくら教えようとしても仕方がないとの例え、とありました。
彫刻の世界のことで“中身が空っぽでは彫ることもできず役に立たない”というニュアンスのようです。
深く研究したわけではありませんが、確かに静止画や動画にしろ、
根が生えた古木・老木を対象にしたものは多いものの、
朽木のそれは少ないように見えます。
まして水の中となるともっともっと少ないようです。
ところがどっこい、でした。
この青池の朽木、先ほどのサイト様により光を当ててもらい、
不肖私目もささやかながらフォローさせていただきました。
お陰でいい東北の旅をすることができました。
朽木と本サイト様に感謝!です。
本日も午前中教室で、モチーフ当番の一人です。
朽木も見事に描かれていますね。そのどっしり感と言うか無言で横たわり自然の状態に身を任せている姿・・・
又その周辺にある湖底に息づく草草。
幼かりし頃祖父に連れられ池に釣りに行ったときの湖底を思い出しました。
探し当てた写真は確かに日本人の心底に訴える透明感あふれる神秘な写真で、白神山地の雰囲気を味わえました。
ただ写真では作品のような「湖底の朽木」の哀愁感はありません。
作者の心を映した思いはこの作品でしか味わえない貴重なものと感じました。