MATTのひとりごと

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ココナッツ島見学(2014年6月19日)

2014年06月19日 | 歴史・地理

(この記事はインターネット上の各種情報からまとめました。)

ハワイ・シニアライフ協会(HISLEA)から次のような案内が届きました。

カネオヘ湾に浮かぶココナッツ・アイランドにあるハワイ大学海洋生物研究所を訪問。そこでは、この美しいハワイの海を守るための研究がされています。この小さな島にも、カメハメハ王朝時代から現代に至るまで、数々の歴史が刻まれています。小さなボートで島に渡り、海洋生物研究施設をゆっくり視て歩きます。見学の後は、静かな水際でランチ・ピクニック。個人ではめったに訪問できない島です。人数制限がありますので、早めにお申し込み下さい。なお、初参加の方を優先させて頂きます。

 HISLEA主催の見学会は2年前に続いて2回目。前回は企画が発表されるとすぐに定員に到達してしまったとのことでしたので、今回は募集開始の日に申し込み、無事参加OKを得ることができました。

 この「カネオヘ湾に浮かぶ島」(浮かんでいるわけではないのですが・・・笑)はオアフ島の東岸で、

以前家族でブルー・エンジェルスのデモ・フライトを見に行った

米海兵隊カネオヘ航空基地MCAS:Marine Corps Air Station Kaneohe Bayの滑走路の延長線上にあります。

この島を南側から見た航空写真です。島が珊瑚礁で囲まれていることが良く分かります。

東側から見た航空写真です。たくさんの研究建屋が見えると思います。

島内に掲示されていた全体図です。島を取り囲む珊瑚礁が「保護地域」として明示されています。

衛星からの写真を全体図に合わせて反時計方向に75度回転させたものです。すばらしい解像度ですね。右下の直線状のところがカネオヘ側埠頭です。

この島を中心にした湾内のパノラマ写真です。画面をクリックすると少し大きい写真が現れます。

島の右側で島と重なっている山がMCASのレードーム(レーダー・アンテナ保護のドーム)が設置されている山で、島の左側遠方にかすんでいる陸地はクアロア牧場で観光船が停泊していました。

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ここでこのココナッツ島(Moku O Lo`e)の歴史を振り返ってみましょう。

ハワイ王朝時代には、この島はカメハメハ一世(1819年没)や

その曾孫バーニス・パウアヒ王女(後のビショップ夫人1831年-1884年)

たち王族が所有していて、タロ芋つくりなどの農業や養魚池による漁業が行なわれていました。

ところで、今回の見学では「パウアヒ王女が殺風景なこの島にココナッツを植えたことからMoku(島)O(の)Lo`e(ココナッツ)と名づけられた」という説明を受けた(たぶん・・・)のですが、私の持っているハワイ語辞典にはLo`eの意味として「釣針の湾曲部」としか載っておらず、ココナッツのハワイ語としてはNiuという単語があるだけでした。おそらく私の聞き違いと思いますが、もし「釣針の湾曲部」だとするとこの島の形状から来ている(もしかするとこれが正解?)ということも想像できます。この件の真相(!)をご存じのかたがいらっしゃいましたら是非ご教示ください。

この島の歴史には二人の重要人物が登場します。

その一人めはChristian Holmes II (クリスチャン・ホームス二世:「II :二世」が付いていない文献もあります)という人物で、欧米でパンを焼く際に不可欠な材料イースト菌を開発して財をなしたフライシュマン・イースト社の財産の相続人でした。

彼は自分の経営していたHawaiian Tuna Packers(ハワイ・ツナ缶詰会社)の缶詰工場を建てるべくそれまでの所有者であったビショップ財団からこの島を買い取りましたが、最終的には缶詰工場ではなく彼自身の理想とした「個人的なパラダイス」とすることにしたのです。

まず手始めにそれまで12エーカー(約15,000坪)であったこの島の面積を同じカネオヘ湾内で北方に6キロほど離れたカパパ島

付近の砂洲から運んだ砂を使って埋め立てることでなんと二倍以上の28エーカー(約34,000坪)にまで拡張するとともに養魚池も拡充しました。

このことは後年二つの結果を生みました。ひとつはこの養魚池が現在存在しているハワイ大学の海洋生物研究所の施設として役立っていることで、もうひとつは長いことこの島の面積が12エーカーということで不動産税を徴収していたハワイ州が実際には28エーカーであることを知って大問題となったことでした。

島の埋め立てには上記のようにカパパ島付近の砂洲からの砂を使ったのですが、当初はカネオヘ側の埠頭の横にある珊瑚礁を骨材として使うべく試しに削り取ったようで(単なるウワサかも)トップ写真に見えるタイヤの跡のような黒い筋がそのときの名残りだということです。数十年経っても再生しないんですね!

彼の「パラダイス計画」は着々と進行していきました。何百という熱帯植物や樹木を持ち込むとともに、飛び込み台やウォーター・スライダーを持つ大きな塩水プールもつくりました。

さらにサモアから購入した4本マストの帆船がハワイに到着したときに船底から浸水して使い物にならなかったのですが、これを映画館やバーに転用したとのことでした。そしてこの船は1948年のリパブリック映画「怒涛の果てWake Of The Red Witch」(ジョン・ウェイン主演)の装置としても使われました。

映画といえばTVのコメディー映画シリーズ「Gilligan's Islandギリガンの島」1964年~1967年のタイトルバックにこの島が使われていましたが、

実際に島内での撮影は無かったそうです。さらにその後のシリーズのタイトルバックでは

どうやら別の島の画像が使われているようですね。

ホームズ氏の「パラダイス計画」はさらに発展し、ついに小さな動物園まで作ることになりました。収容された動物はロバ、猿、キリン、そして「皇后Empress」と名づけられた小象を含む多数の小動物や鳥類でしたが、1944年に彼が亡くなったことでこれらの動物はすべてホノルル動物園とカピオラニ公園にある「バード・パーク」に移されました。

生前のホームズ氏はこの島にたくさんのゲストを招いては盛大なパーティーを催し、彼自身チンパンジーの扮装をしてゲストをもてなしたそうです。

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彼の死と第二次世界大戦がほぼ同時期であったことで、この島はその後1947年まで隣接しているMCASの兵士たちの休養施設に充てられました。そのときに建てられた兵舎は現在の研究所の建屋として使われているそうです。

もう一人の重要人物はEdwin Wendell Pauley, Sr.(エドウィンWポーリー・シニア)
http://en.wikipedia.org/wiki/Edwin_W._Pauley

です。かれは石油で財を成した億万長者で、政治家としても民主党のハリー・トルーマン上院議員(後の33代大統領1945-1953年)

の親友であったため、そのつながりから32代大統領(1933-1945年民主党)のフランクリンDルーズベルト


とも親交がありました。

彼はこの島を家族との夏休みを過ごす場所として選ぶ一方、トルーマンをはじめリンドンBジョンソン(36代大統領1963-1967年民主党)、リチャード・ニクソン(37代大統領1969-1974年共和党)、ロナルド・レーガン(40代大統領1981-1989年共和党)そして俳優のレッド・スケルトンという錚々たるメンバーをこの島に招いては盛大なパーティーを催していました。

もともとハワイ大学の初代学長John W. Gilmore

の提案でワイキキに「ハワイ海洋研究所」が1912年に設立され、同じくワイキキにあった「ワイキキ水族館」とともに1919年からはハワイ大学傘下の研究施設として活動していたのですが、1947年にポーリー氏からココナッツ島を無償で提供するのでそこに研究施設を設置するよう提案があり、1951年に「ハワイ海洋生物研究所」がココナッツ島に誕生しました。その後建屋が火災に遭った際にもポーリー氏は再建費用を寄付するなどこの施設へのサポートを続けていたのです。

1981年にポーリー氏が亡くなったことがきっかけでこの島が売りに出されましたが、長いこと買い手が現れませんでした。ポーリー氏の遺志を継いだスチーブン・ポーリー氏の主宰するポーリー財団が買い手を探していたときに「現金850万ドルでこの島を買う」というビックリするような提案した人物が現れました。

ちょうど土地バブルの時期とあって、たくさんの日本人がハワイの不動産を買い漁っていたころで、その中の大物で悪名高き「丸源ビル」オーナー川本源司郎氏と並び立つ不動産業者であり「元祖地上げ屋」とか映画「マルサの女」に登場する悪徳不動産屋のモデルとも言われた「八大コーポレーション」(のちに倒産)オーナー川口勝弘氏がその人物でした。

結局その後7年間は川口氏と「ハワイ海洋生物研究所」が共同でこの島を管理していましたが1995年にポーリー財団が川口氏の持分の買取り資金200万ドルを出したことでこの島の全てがハワイ大学の所有となり現在に至っています。余談ですが川口氏がたぶん850万ドルで手に入れたこの島の持分をわずか(!)200万ドルで買い戻すことができたのはバブルがはじけて川口氏の資金繰りが苦しくなったことが背景にあるのでしょうね。

いつもながら長~い前置きに続いて短い?「見学記」に移ります。写真のなかにはクリックすると動画になるものがあります。

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当日の集合場所はギャラリア横の地点で2台のクルマに7名と14名が分乗し現地に向かいました。

H-1からリケリケ・ハイウェイを経由してカネオヘまで、という道順です。

研究所のカネオヘ側ゲートに到着しました。足下に長いPier(埠頭)が、そして遠方にココナッツ島が見えます。

ゲートに掲示されている注意書きです。

全員クルマから降りたのですが、ここにはゲスト用の駐車場がないので2台のクルマはカネオヘのウィンドワード・モールの駐車場まで停めに行き、ふたりのドライバーは研究所のクルマが迎えに行きました。

二人の案内人はいずれもボランティアということで見学者のあるたびに声がかかるようです。

島に渡るためのボートに乗るために埠頭を先端に向けて歩きます。 

しばらくするとモーターボートがやってきました。このボートはもともと島に渡る研究者たちの「足」ですので、我々見学者たちは遠慮しながら利用させてもらいました。

乗船準備です。

一回あたり6名しか乗れないので我々は何回にも分かれて乗船しました。



ボートの航路は往きと帰りで異なり、大きく迂回して島に到着です。

ボート内は水しぶきが激しく、カメラが塩水でびしょびしょになりました。

そして島に到着しました。
まずは全体の説明があったのち

案内人が二人だったので島を時計回りと反時計回りで歩く二つのグループに分かれて見学がスタートしました。・・・でも不思議なことに小さな島を一周し終わってももうひとつのグループには遭遇しなかったのです。なぜだろう???

島内には大小さまざまな水槽があり、それぞれで多彩な水中生物が飼育されていました。案内人からは何度も何度も「設備に触れてはいけない!」という注意がされましたが、唯一手で触れてよい水槽に案内されました。
そこではウニやナマコ、クラゲなどの「魚以外」の生物が飼育されていて、脇に置かれたボードには「触れてよい生物」と「触れてはいけない生物」が表示されていました。

そこで「触れてよい生物」に触ってみるという体験をしました。

クラゲの一種で笠が下側にあり。「足?」が上を向いているUpside-down Jellyfishすなわち逆さクラゲも飼育されていました。日本では1960年代までは「逆さクラゲ」が「連れ込み宿」のことを表していたという歴史が有りますが、現在は死語となっていますね。

研究所の周囲にある数多くの池にもたくさんの魚が飼育されていました。

歴史の記録には全く載っていない時代の人骨3体が島内で発見されたことがあり、調べてみると3体とも同時期に亡くなったと判明したのですが、それ以上の情報が得られなかったのでそれらの魂の平穏を祈ってこのようなモニュメントを設置したとのことでした。

標識にはこのようなことが書かれています。

「iwi」は「骨」のことです。

研究生による鮫への餌やりを見せてもらいました。
ひとつの池では普通の?鮫が河豚たちと共生しており、もうひとつの池では撞木鮫だけが飼われていました。河豚と共生している池での餌やりでは、ほとんどの餌を河豚に取られてしまう鮫の姿に「目が見えないのか?」という疑問すら沸きましたが、撞木鮫への餌やりでは先を争って餌を奪い合う姿がありました。この違いは何なんだろうか?

ホンモノの鮫の歯を手に記念撮影です。

大抵の鮫は一日のうち何時間か睡眠をとるのですが、タイガー・シャークだけは泳ぎをやめると死んでしまう?とのことで24時間泳ぎ続けているようです。こタイガー・シャークに無線発信タグ付けて人工衛星で追跡した結果が表示されていました。

周囲が珊瑚礁に取り囲まれているこの島で唯一の砂浜のあるSandy Beachです。

ここでは白砂の成分が珊瑚であることを「酢」を掛けてみて確認する実験をしました。

本来は珊瑚礁の中にたくさんの小魚が入り込んで巣として使っているのですが、このあたりでは海草のOgoが群生してしまい、珊瑚礁をふさいでしまうので、バキューム船「Super Sucker Boat」で定期的にこれらのOgoを吸い取り駆除しているとのこと。ただしこのOgoは食用ではない種なので肥料にするそうです。

最初に触れたようにこの島はMCASの滑走路の延長上にあるために、MCASで発着訓練を繰り返している航空機がひっきりなしに上空を通過します。

遠くの海面は珊瑚礁の白色と海水の青色が層を成していて、写真では表現できないほど美しい風景となっています。

ところでこの島で使われている電力、水道水などをどうしているかと疑問を持ったのですが案内人からは納得いくお答えがが得られませんでした。おそらく海底ケーブルや海底水道管?でカネオヘから供給を受けているのでしょうね。
ただ、一箇所でディーゼル発電機が稼動している現場を見つけました。これ一台で島中の電力を賄えるのかどうかは分かりませんが・・・・

持参した弁当を食べ終わって島を離れる時間になりました。

島の埠頭からモーターボートに乗船します。

カネオヘ側の埠頭に向かいますが、戻りは一直線の航路をとるためすぐに到着します。

ゲートの前で記念撮影を、

以上で非常に貴重な経験をしたレポートを終わります。このすばらしい見学を企画し、各方面に交渉したりと直前まで大変な努力をされたHISLEAの深田理事にお礼申し上げます。

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ところでハワイアン音楽ファンでしたらアレックス・アンダースンが1936年に作った「On A Coconut Island」のメロディーが浮かぶのではないでしょうか。
この曲はルイ・アームストロングの歌で大ヒットをしました。
https://www.youtube.com/watch?v=sfgNwopir7A
このタイトルの「ココナッツ島」は今までハワイ島ヒロにあるココナッツ島のことと思っていましたが、よく考えると「ココナッツの生えている島」でそのように呼ばれる島はほかにもあるかもしれません。念のためタイトルをよく見ると「coconut island」には不定冠詞「a」がついていますのでどこでも構わないのでしょう。
逆に言えば定冠詞ではないのでヒロにあるココナッツ島のことではないともいえますね。

この曲は作られるとすぐに日本に入り、永田哲夫作詞、灰田勝彦のうたで「椰子しげる島」として大ヒットをいたしました。

若い頃にこの歌を歌った方も多かったのではないでしょうか。

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帰路に前を行くゴミ収集車の動きが面白かったので撮影しました。・・・・余計なことですが・・・・

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10 コメント

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Unknown (たぬき)
2014-06-27 21:47:49
いいなあ、いいなあ・・・。
行ってみたいなあ・・・!

最後のゴミ収拾車、日本にあったらおもしろいでしょうねえ。
ただ、狭い東京ではむりでしょうう!
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はじめまして (でにす)
2014-06-28 07:35:02
初コメントさせていただきます。

いつも覗いてばかりで失礼しております。
神戸ではお話しさせていただきありがとうございました。

これからもハワイ情報、レレ情報楽しみに見せていただきます。よろしくお願いいたします。
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たぬきさん、ぜひお出かけ下さい。 (MATT)
2014-06-28 08:42:45
旅費と宿泊費と食費だけ持っていただけるようでしたらいつでもご招待いたしますよ!

ホノルルの街なかでの巨大なゴミ収集車に驚かされたと思ったら、こんどは郊外用の収集車の遭遇し、またまたビックリでした。
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でにすさん (MATT)
2014-06-28 08:45:23
是非これからもコメント宜しくお願い致します。

神戸のレポートも近く掲載する予定ですのでお待ちくださいね。
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すごい! (Naomi)
2014-06-28 18:27:10
MATTさん素晴らしいレポートありがとうございます!
全貌がよくわかりました(笑)FBにシェアさせてください(=^x^=)
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Nyaちゃん (MATT)
2014-06-29 03:17:23
シェアありがとう。
NyaちゃんのFBに「もっと研究内容を」というコメントがありましたが、今回は団体だったこともあり、屋外の施設だけをそれも研究者ではない「案内人」に連れられて回っただけですので、内容まではわかりません。
もっと知りたい場合は施設のホームページにしっかりと紹介されて居ますのでそちらをみて頂きたいと思います。
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Unknown (I氏)
2014-07-01 06:29:11
ハワイの文化を深くリスペクトするMATTさんのレポートにはいつも感動させられます!
なかなかお会いする機会がありませんが、いつもこのブログをたのしく読ませていただいてますよ~。
(逆さクラゲ・・・勉強になりました)
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I氏さま (MATT)
2014-07-01 10:58:49
演奏会でご活躍の様子を拝見しております!

逆さクラゲは死語ですのでみなさんほとんどご存じないと思いますね。私も知りませんでした(ウソ!)

返信する
夢の小島 (jinjar)
2014-08-05 10:22:48
珊瑚礁に囲まれた美しい小島ですねぇ。
オアフにも「ココナッツ・アイランド」があったのですか。歴史とロマンに溢れ、しかも、海の生きものの知識が得られるとなると---。旅情が誘われます。
ここも、日本の土地バブルに見舞われたとは、驚きです。

寺部頼幸、震兄弟の「ココナッツ・ランダース」思いいだしています。ココナッツにこだわって「ココナッツ・リズム」とか「ココナッツ・ブギー」など、ジャージーなオリジナル曲も演奏していたようでした。

20年ほど前、佐渡島の電力事情を調べに行ったことがあります。やはり、電源は、重油を燃料にしたディーゼル発電機でした。需要増に伴い増設し、今では10数機になっていると思われます。

たぶん、この島も、写真にあったディーゼル発電機が電源ではないでしょうか? 複数機あるのかどうか?
海底ケーブルをカネオヘから引くとなると、相当、コスト高になるように思われますが---。
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埋め立てによる拡張 (MATT)
2014-08-05 12:03:04
無断で登記簿?の二倍以上の面積まで拡張したホームズ氏の行為と今回の山北町の中川の中洲を埋め立て拡張した行為が重なって見えてしまいます。
人命に関係あるなしにかかわらず無許可の拡張が行われるのは問題ですね。ワトスン君がいたらなんと言ったでしょうね。

寺部頼幸がバンドを弟に任せて南米に渡って「トリオ・エスメラルダ」というラテン・グループを結成した、と聞いたときにはびっくりしましたが、一度しかない人生ですから自分のやりたい事を実現したことに納得しました。
でも遺された弟さんは大変な苦労をしたのでしょうね。なにしろ兄あっての弟だったようですから。

私が最初に買ったスチール教則本は寺部頼幸著のC6(当時はバッキーさんの影響でしょうかAm7と呼んでいました)調弦のものでした。
誰かに貸したのか覚えていないのですがもう手元にはありません。

ジーゼル発電機は最低でも2台同時運転をしていないと突然の停電に襲われ、飼育している海洋生物が危機に瀕する恐れがあります。

果たして海底ケーブルで電力を受けているのかはわかりませんが、比較的距離が近いのでもしかすると水道管とともに敷設されているのかもしれませんね。

2~3人のかたに訊いたのですがだれもご存じなかったようです。
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