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私たちがハワイ移住以来ずうっと住んでいるコンドミニアムのある建物「シーサイド・タワーズ(複数形ですが建物はひとつです)」は16階建てで部屋数も100室ちょっとしかない小形の建物ですが、それだけあって、住人たちがお互いに顔なじみになる率が高いようです。
とりわけこの建物を管理するマネージャーと建物のメンテナンスのすべてを受け持っている「お爺さん」はほとんどの住人と顔なじみになっていると思います。
「お爺さん」の名前はTho Soo(たぶんトー・ソーと呼ぶのでしょう)で自慢じゃ有りませんが自他共に認めるお爺さんの私から見てもあきらかに本格的な?「お爺さん」なのです。(負けた!!)
彼はベトナムからの移民です。
その昔、南北ベトナム軍が衝突した「ベトナム戦争」で南ベトナム政府が崩壊し、首都のサイゴン市(現在のホーチミン市)が1975年4月30日に陥落いたしました。そしてそれまで南ベトナム政府をサポートしていた米軍も敗北を認め、ヘリコプターと航空母艦を使って南ベトナム在留の米国人1,300人以上と南ベトナム人20,000人前後を救出して米国に移送しました。ちなみにこのとき日本人と韓国人は米軍からも自国政府からも救出されなかったのです(涙)・・・・
おそらく我らがトーさんもこのときに米国(というかハワイ)に移住した一人だったのでしょう。
ハワイに着いたトーさんは運よくこの「シーサイド・タワーズ」に職を得て、爾後40年にわたってこの建物のメンテナンスをひとりで受け持っていました。
毎日発生する各部屋からのゴミを集めて廃棄したり
各フロアーの廊下を掃除したり
建物の周囲の掃除をしたり
駐車場のフロアを高圧の水で洗浄したり、植物に水をやったりと、朝7時から夕方4時まで休む間もなく働いている様子を見受けます。
休みの週末も朝だけ出勤して各フロアーのゴミの廃棄だけを済ませると帰っていくほどの勤勉さで、わがやではトーさんのことを「おじさん」と呼んでよく話題にしていました。
「おじさん」に声を掛けてカメラを向けると気さくに応じてくれて、シャカ・サインではなくピース・サインをしてくれるのもご愛嬌です。
彼の愛車は(まさか1975年式ではないでしょうが)トヨタのバンですが、エンジンの調子が悪いようで、午後4時の終業時刻になると駐車場に響き渡るほどのセルモーターの音がしてエンジンがかかります。
しかしときとき何度セルを回してもエンジンがかからないときにはわれわれも一緒になって応援するほどです(笑)。
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今年になって「おじさん」の姿を数日見かけないことがあり、マネージャーに訊ねると「腰を痛めて休んでいるが2週間ほどで出てくるよ」ということで安心しましたが、実はもっと深刻なことまで想像してしまっていました。(汗)
そして先月末、ふたたび「おじさん」の姿が消えたので心配になったのですが、マネージャーと遭遇することがないまま数日過ぎてから、このような掲示が出たのです。
すなわち「10月9日にトーさんの引退式をするので集まって!」というもの。
これで心配が吹き飛び、われわれ二人ともプレゼントの準備にかかりました。
実はこの前日が私の誕生日なのですが、誕生日なら来年もある(たぶん)のにたいして、引退式はこの日だけですから、当然でしょうね。
奥方は折鶴で紅白のレイをつくるとともに
当日にはバナナケーキを焼いて持ち込みました。
一方、わたしは彼とビンテージカーの写真をフレームにいれ
裏にメッセージを貼り付けました。
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そして引退式の当日になりました。
開始時刻になってもあまり住人が集まりません。
定刻から30分経過して参加者は増えたのですが、肝心の主賓もマネージャーの姿もありません。待ちきれない住人たちは「お先に」食事を開始してしまいました。
住人のお一人がマネージャーに電話をしたところ「こちらに向かっている」とのことで安心しました。
この種の催しでは「主賓」の参加が絶対です。
以前、現役のころ、ある人物の送別会が開かれたのですが、肝心のご当人が遂に現れませんでした。今みたいにケータイが普及していなかった時代でしたので、止む無くこの会は主賓抜きで進みました。
ハワイにきてからもRGHのカニ・カ・ピラのリーダーの誕生会にそのリーダーが遂に現れなかったこともありました。どこでもこんなことが起こるのですね。
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そして遂に主賓登場です。(パチパチ!)
ちょっと手間取りましたが折鶴のレイも無事に贈呈できました。(クリックで動画も)
早速顔見知りとの雑談が始まりました。
そしてお食事にも
私のほうも彼の写真を贈呈しました。
そして記念写真も、彼のマネをしてVサインです
美女に囲まれてのお食事
そしてトーさんの娘さんとお孫さんとの写真も
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ここでこの建物に35年住んでいると言う元米海軍軍艦の艦長でベトナムにもいっていたという方が、トーさんの略歴からこれまでの働きを称えたスピーチをして
トーさんと記念撮影も
(なんかドロボーを捕まえた保安官のような雰囲気・・・・)
実はこの艦長は3年前の旧正月の時期にこんなものを各部屋に届けたことがありました。
すなわち「軍艦の艦長としてベトナムに行っていたときに、ベトナムの旧正月にはポチ袋にラッキー・マネーを入れて差し上げる風習があることを知ったので、皆さんも多少なりとも協力してトーさんに差し上げて欲しい。」とのことだったのですが、これがこの建物の運営委員会で「寄付行為の強制に当たる!」と指摘され、大目玉を食いました。
もっとも私たちはこれに賛同して小額のプレゼントをした後でしたが・・・・
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パーティーがどんどんと進行していったころ、このキャプテンが私のところにやってきて「お前はワイキキができるか?」と訊くのです。たまたまトーさんを送るときにアロハ・オエでも弾こうかとウクレレを持ってきていたので目にとまったのでしょう。
まさか歌え、というのでは無いと思っていましたが、彼いわく「私のガールフレンドが歌うので伴奏して欲しい」とのこと。
それならばお安い御用と引き受けてキーの相談をしました。
そして彼女はとても85歳とは思えない張りのある声で歌ったのです。私はヘンなコードを弾いてますね(汗)(クリック)
大きな拍手とアンコールを受けて「Don't Like Shoesができるか?」というので、たぶん「ハワイ人というものは (That's The Hawaiian In Me)」だろうと思いOKし、その通りの曲でこれまた大きな拍手を貰いました。
そして2時間近いパーティーも終わりを告げました。
トーさんファミリーも家路につき、無事終了です。(右端は本日の陰の功労者であるマネージャーのケン・オオタです・・・日本名のかたですが残念ながら日本語はダメです・・・・)
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ほかのコンドのことは分かりませんが、すくなくともこのコンドが普段からきわめて家族的であったことのひとつの象徴のような出来事で、このコンドを選んで良かったとつくづく思います。
いままでハワイアン音楽関係の食事会の始まり部分で必ずあった「神への感謝の祈り」がなかったことも妙に新鮮に感じられました。
目立たないけど黙々と仕事をこなす姿勢にはやはり「Mahalo!」ですよね。
それにしてもベトナムからの移住先がハワイだなんてトーさんも幸せな人生ですね。
ハワイで結婚し、お孫さんまでできた彼は幸せですね。