桜の下には死体が一杯埋められていると言った詩人の名前は忘れてしまったが、イメージは生涯忘れられない。桜になんの罪はないのだが,年代によっては戦争と結びつく人が沢山いる。私の桜は、母と一緒に小学校に登校したとき正門に桜の花びらがひらひらはらはら舞っているのを覚えている。そしが脳裏に焼きついている。現在は桜の木は1本しか残っていない。コンクリートの塀と5メートル以上のフェンスが張り巡らされた味気ない風景のなかにポッンと立っている。風が吹けば近隣住民に砂埃が舞うといわれ塀をして、ボールが飛び出すので安全のためにフェンスをした。立派な理由があるのだが、なんだか拒否されている光景にみえてしまう。世の中こうした事が沢山あるのだ。時代のせいだと一言でかたずけられてしまう
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