本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

海外文通は楽しかった♪

2014-05-28 13:48:42 | 世界
 今日は「私は以前海外文通をしていた♪」という話を少しだけしてみる。
 文通していた期間は短く、中2くらいから高3までだった。一番長く続いたのはドイツ人女性とスウェーデン人女性の二人で、どちらも私と同年だったから、今もご存命なら相当いいお歳を召されていることになる。
 私はこのお二人と掛け持ちで、英語で文通していたのである。

 私の英語力は当時も今も低いのだが、しかし先生方に頼ることなく、文通の手引きと英和辞書のみを参考にして殆ど独力で書いていた。英語の文章もさることながら、私の最大の難関は航空便にかかる費用を如何にして捻出するかにあった。当時私の小遣いの大半は文通費用に消えた。英語のネイティヴスピーカーとの文通を希望して始めたアメリカやセイロン(←当時。今はスリランカ共和国)の男性との文通を断った大きな理由も費用にあった。

 スウェーデンの子はIngegerd Selmamnと言って、姓はセルマンでいいのだろうが、名前の方はどう読んだらいいのか、近くにスゥェ-デン語のわかる人がいなかったので、40年経った今でも読めないのである。
 文通していた当時はストックホルム在住で、この人は大分後になって、当時京都の或るスナックの厨房で働いていた私のところへ、なんと面会に来たのである。そのときの彼女はパリに出て来て秘書の仕事をしており、パリで知り合った或る日本人男性の菩提を弔う為に来日したのだった。彼女の恋人はニースでヨットに乗っていて、不幸にも水難事故にあって亡くなられたのだが、私はその小さな報道記事を偶然東京で読んでいたのであった。

 彼女はパリに於ける男性との共通の友人だった、東京の弁護士の息子を頼って来日し、亡くなられた人の実家が九州だったため、そちらへ向かう途中京都へ寄ったわけである。彼女から私に宛てられた手紙はまず昔通りの私の旧家に配達され、そこから東京の家族の元へ転送されて、最後に運良く京都の私のところまでなんとか届けられた次第である。
 私は店に休暇を申し出たが厨房の責任者のお爺さんが「店に呼んだらええ♪」とおっしゃってくれたため、(私は半日でも京都を案内出来たらと考えていたため、幾分有難迷惑ではあったが)彼女と彼女の友人の二人を三条河原町の市街電車の停留所まで迎えに行き、店に呼んで少しだけ話した。お互い現住所の交換などはしなかった。別れ際彼女が握手しながら「See you again!」と言ったので、私は「In Paris♪」と答えた。彼女の東京の友人が私宛に写真を送るという約束だったので、私は彼女のフランスのアドレス等は先でいいと思っていたのだが、彼からは無しの礫だったので、彼らとはそれっきりとなった。彼女と会ったときせめて名前の読み方くらいは聞いておくべきだったと今にして思うのだが、全ては後の祭りだった。

 ドイツのお相手の名前はSigrid Wagner といい、Hunberg(Hanburgならビートルズも行っているし、なにせ大都市だから当然検索にもかかって来るのだが、私の記憶違いでなかったら彼女は『Hunbergという名の小さな港町』(SaarStrasse48に在住だった)の洗濯屋さんの娘だった。

 彼女は当時売り出し中のビートルズの熱狂的なファンで、あるとき私に「ビートルズを知っているか?」と聴いて来た。私は知らなかったから「姉は知っているが自分は知らない」と正直に答えたら「欲しかったらレコードを送る♪」と言ってくれた。私が彼女の申し出を断る理由は無かった。そう、私たちはたまにプレゼントの交換もしていたのだ。私からは扇子やこけしを贈った。無論船便でである。w
 それで彼女にとっても航空便の費用は高過ぎたのだろう、彼女は船便でビートルズのドーナツ盤2枚を送ってくれた。到着まで一ヶ月以上を要したと思う。この2枚は田舎を出るとき友人にあげてしまったので今はない。
 彼女はビートルズの面々がどこかの砂浜で戯れる写真なども送ってくれたのだった。
 彼女のことを思い出すと40年経った今でも多少辛く感じる記憶が幾つかあるのだが、それを語り出すと長くなってしまうので今は書かないでおく。

 さて、その2枚のドーナツ盤に入っていたのが ↓ 下の4曲である。
 私が初めて聴いたビートルズの曲はこれも偶然だったが「Money」だった。しかも歌詞が「俺が欲しいのは金なんだ!金をくれ!」だったから驚かされた。家族も皆口々に「凄いね!」と驚いていた。これは日本で「抱きしめたい」が発売される前の話だったのだから、私はことビートルズに関してはかなり先陣を切っていたことになる。

 イギリス・リヴァプールでの彼らのデヴュー曲は「Love me do」だったが、戦後の日本文化は昔はアメリカべったりの追随主義だったから、日本ではアメリカ同様「抱きしめたい」が最初にリリースされヒットした。「ラヴ・ミー・ドゥ」は比較的地味な曲だから日本で流行したのはずっと後になってからのことだった。

 以前どこかに書いたが、スリーファンキーズという日本のポップグループがカヴァーした「抱きしめたい」はこんな日本語の歌詞だった。 ↓

おおプリーズ
おおイェイイェ
お前を抱きしめたい
わぁかぁる、この気持ち?
アイヲナホウリュウハ~ン
I wanna hold your hand
I wanna hold your hand・・・
(wannaはwant toの口語訛りだ。)

 ちなみにスリーファンキーズのメンバーの一人高橋元太郎は後に喜劇役者に転進し、例の水戸黄門の『うっかり八兵衛』役で当たったのである。
 
 以下埋め込み無効のようなのでクリックして下さい。
The Beatles - Money

The Beatles- It Won't Be Long

The Beatles - Please Please Me. 他。

The Beatles - Love me Do

 最後に、「郵便屋さんが待ち遠しくてたまらない」という曲を聴いて欲しい。私もこんな心境だったに違いない。w
Please Mr. Postman.



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