本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

野球やボーリングがオリンピック種目に必要だろうか?!

2008-08-15 05:49:03 | 社会
<五輪野球>日本チームに罰金22万円 キューバ戦の抗議で 8月15日1時13分配信 毎日新聞

 野球日本代表の星野仙一監督(61)が13日のキューバ戦で球審に行った抗議を巡り、国際野球連盟(IBAF)の技術委員会が日本チームに罰金2000ドル(約22万円)を科すことを決めたことが分かった。

 星野監督はキューバ戦の九回、里崎のハーフスイング(空振り三振)の判定に対して抗議し、いったんダッグアウトに戻り掛けたが、選手交代(代打)を告げるため、再び球審の方に歩み寄った。ロドリゲス球審はこれを2度目の抗議と受け取り、退場を宣告。日本側は選手交代を告げようとしただけと主張し、球審が退場を取り消したと理解。星野監督は最後までダッグアウトで指揮を執った。

 試合後、技術委員会が開かれ、球審らへの聴取を行った結果、委員会は退場が取り消されていなかったとの結論に達した。退場に対する罰金と退場宣告後もダッグアウトに居続けたことに対する罰金を科すことを決めた。

 IBAFの麻生紘二技術委員(日本野球連盟規則審判委員長)は「退場させた監督からなぜ選手交代を受け付けたのか。それはおかしい、と反論したが、通らなかった」と話した。

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ホームレス自立支援、雑誌「ビッグイシュー」創刊100号 5年で777人に販売委託

 ホームレスの人たちが街頭販売を担う雑誌「ビッグイシュー日本版」(A4判、36ページ)の通算100号が今月、発行された。自立支援に向けて大阪で創刊されて5年。販売圏は東京、福岡など11都道府県に広がり、これまでに76人の販売員が就職に成功、路上生活を脱した。出版会社の経営は厳しいが、代表の佐野章二さん(66)=写真=は「一人でも多くの人が仕事への自覚と誇りを取り戻し、野宿生活から抜け出せるよう、後押しを続けたい」としている。

 全国でも野宿者が多い大阪の実情に心を痛め、仲間と会社を設立し、2003年9月に創刊。1991年に英ロンドンで誕生した本家のビッグイシューを知り、契約した。定価300円で月2回発行。販売員は1冊140円で仕入れ、差額160円を収入として受け取る。住居を定め、就職につなげるのが狙いだ。

 犯罪被害者の権利など社会問題からスポーツまで、幅広い特集で若者の支持を集め、販売部数は月5万~6万部に上る。会社は4600万円の累積赤字を抱えるが、5年間に委託販売員として登録した777人には、計3億2000万円の収入がもたらされた。現在も120人が街頭に立つ。佐野さんは「『絶対に失敗する』と周囲に言われたが、何とかここまで来られた」と振り返る。

 100号の特集は「戦争は克服できる」。平和活動家らのインタビューを掲載している。9月には5周年記念イベントを大阪市内で開く予定。問い合わせは、ビッグイシュー日本大阪事務所(大阪市北区、06・6344・2260)。(2008年08月12日 読売新聞)

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土佐、欠場の野口を思いやる=女子マラソン代表北京入り〔五輪・陸上〕
jiji.com

【北京14日時事】北京五輪女子マラソン代表の土佐礼子(三井住友海上)と中村友梨香(天満屋)が14日、北京入りした。大会直前の段階で、2連覇を目指していた野口みずき(シスメックス)の負傷欠場が決定。2人への期待が増している。
 土佐は野口の欠場について、「ニュースで見た。同じアスリートとして、けがをして出られないのが一番つらいと思う」と思いやった。到着時には雨が降り涼しい気候。17日のレースに向け、「もっと暑い方がいい。(気持ちは)意外に落ち着いている。いつも通り自分の力を出せればいい」。耐久レースの中で身上の粘りを発揮してメダルを狙う。
 土佐に先立ち、別便で到着した中村は、日本選手団のスタッフが規制したため、報道陣の取材を受けずに移動。天満屋の竹冨豊監督は「状態はいい。だいたい予定通りに(練習は)できた」と語った。同監督は野口の欠場でレースプランをどう変えるのかと問われ、「あまり考えていない」と明言しなかった。(了)
(2008/08/14-17:58)

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ロシアがサイバー攻撃か=グルジアのサイト機能停止-米紙
jiji.com

【ワシントン14日時事】14日付の米紙ワシントン・ポストは、グルジア政府がロシアのサイバー攻撃を受け、多くの政府系サイトが機能を停止していると主張していると報じた。停戦合意後もサーバーがダウンしており、インターネットを通じて市民に最新情報を伝達することが困難になっているという。
 ロシア側は関与を否定。逆に自国のメディアや政府のサイトが同様の攻撃を受けたと反論している。(2008/08/14-17:03)

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*日本に於ける野球の創生期についてはウィキペディアに以下の記述があった。↓ :

野球という言葉の語源

「ベースボール」を、初めて「野球」と日本語に訳したのは、第一高等中学校(1894年、第一高等学校に改称。第二次大戦後の学制改革の際に東京大学に併合され、新制東京大学教養学部になる)の野球部員であった中馬庚(ちゅうまん かなえ)である。1894年(明治27年)、彼らが卒業するにあたって部史を刊行することになり、中馬の書いた文章中に「野球」が登場するのである。逸話として、同僚で名投手の青井鉞男が「千本素振り」をやっている所に中馬がベースボールの翻訳を「Ball in the field-野球」とすることを言いに来たと言われている。

明治期の俳人で、1889年(明治22年)に喀血してやめるまで捕手として好んで野球をプレイした正岡子規が翻訳したという俗説があるが、これは間違いである。なぜなら、1896年新聞「日本」で連載した子規の随筆『松羅玉液』のなかで、「ベースボールいまだかつて訳語あらず」と書いているからである。この俗説は子規が自らの幼名である「升(のぼる)」にちなんで「野球(のぼーる)」という雅号を用いていたことが誤解されたものと考えられている。しかし子規は野球用語を数多く翻訳しており、2002年にはその功績によって野球殿堂入りを果たした。

子規は「野球(のぼーる)」という雅号を中馬が「ベースボール」を「野球」と翻訳する4年前の1890年(明治23年)に使い始めている。つまり、「ベースボール」を「野球」と最初に翻訳したのは中馬であるが、「野球」という表記を最初に使用したのは子規である。

なお、記録上で日本ではじめて国際試合を行ったのが、青井鉞男が投手時代のこの旧制一高ベースボール部で、1896年(明治29年)5月23日、横浜外人居留地運動場で横浜外人クラブと対戦し、一高ベースボール部は29対4で大勝した。

また、記録上で日本ではじめて米国人チームと試合を行った(日米野球)のもこの旧制一高ベースボール部で、同年6月5日、雪辱戦として横浜外人クラブから試合を申し込まれ、横浜外人居留地運動場で当時の米国東洋艦隊の選りすぐりによるオール米国人チームと対戦し、一高ベースボール部は再び32対9で連勝した。

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*また国際的な組織については同じくウィキペディア国際野球連盟の「概要」に以下の記述があった。

1938年に設立され、スイスのローザンヌに本部がある。2006年現在、112の国と地域が加盟している。しかし、アメリカ・メジャーリーグベースボール協会という野球界最大の組織が加盟しておらず、その影響力の少なさが問題視されている。

1973年にはFIBAとFEMBAに分裂した。1973年の世界選手権が2度開催されたのはこのため。73年のニカラグア、74年のアメリカ大会は新興のFEMBA主催。1976年1月、両団体は統合してAINBAとなった。

2006年7月26日にアルド・ノタリ会長が死去したため、第1副会長の彭誠浩が会長職を代行していたが、2007年3月2日に北京で行われた臨時総会で後任を決める会長選挙が実施され、元アメリカオリンピック委員会専務理事のハービー・シラーが選出された。任期は2009年まで。

2006年9月15日に、ローマで22カ国の代表者による会議が行われ、2016年以降のオリンピック復帰に向けた委員会が発足している。

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*更にクリケットについてウィキペディアでは ↓ :

クリケット (cricket) は、半径55メートルほどの広大なフィールド(クリケットではオーヴァル:oval と呼ばれる)で行われる野球に似た球技。野球の原型ではないかという説もある。全面芝のフィールドでプレイし、試合中にはティータイムもあるその優雅な雰囲気から、別名「紳士のスポーツ」といわれる。

イギリスで発祥したスポーツであるため、インド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ、イングランド、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、ジンバブエ、西インド諸島といった英連邦諸国などで絶大な人気を誇る。およそ120の国と地域で競技されるスポーツ。

競技人口はサッカーに継ぐ世界第2位ともいわれるが、実際は定かではない。これはインドの人々の多くがクリケットを競技できるだろうという推定に基づく。

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