本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

教師は教え子に手を出すのだ。

2006-03-26 13:14:33 | 政治
女子生徒と同宿、体触る 大阪市の中学教諭を懲戒免職 2006年 3月17日 (金) 13:05(朝日新聞)

 大阪市教委は17日、クラブ活動で引率した女子生徒と同じ部屋に泊まり、わいせつ目的で体を触ったとして、市立中学の男性教諭(46)を懲戒免職にした。府青少年健全育成条例違反で大阪府警に告発する方針。教諭への監督責任で校長(57)も戒告処分にした。

 市教委によると、男性教諭は昨年11月、顧問を務める陸上部の女子生徒8人が東京都内で開かれる大会に出場するため、引率して都内のホテルに宿泊。そのうち2人と同じ部屋に泊まり、1人を自分のベッドに呼んで体を触った。女子生徒が嫌がると、「ばれたらクビや」などと口止めした。今年2月、女子生徒がほかの教師に相談して分かったという。

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教え子と性的な関係 高校講師を懲戒免職 佐賀県教委 2006年 3月25日 (土) 02:09(西日本新聞)
 佐賀県教委は二十四日、教え子の女子生徒と性的関係を持ったとして、県立高校講師(27)を同日付で懲戒免職処分にした。

 県教委によると、講師は二月十四日夜、女子生徒とドライブに行き、車内でみだらな行為をした。女子生徒が友人に相談して発覚した。女子生徒は県教委の調査に対し「抵抗した」と話しているという。講師は二〇〇五年四月から臨時採用職員として勤務していた。

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(後註:)

教え子にメール9百通「愛しています」 教諭を懲戒免職 2006年 3月28日 (火) 20:19(朝日新聞)

 「愛しています」「何年かたって機会があったら合体しましょうか?」といった内容を含む921通の携帯メールを教え子の女子生徒に送信したとして、神奈川県教育委員会は28日、平塚市内にある県立高校の男性教諭(53)を懲戒免職にした。

 県教委によると、理科の授業を担当していた当時2年の生徒に04年6月から半年ほど送信し、うち約100通は勤務時間中だった。

 保護者からの連絡で発覚したが、教諭が休職したため、調査が遅れたという。県教委は「2人で食事に行ったことはあるようだが、教諭は恋愛感情は否定している」と説明している。

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 以上引用終わり。

 *昨日と今日のイラスト=『教え子シリーズ』は随分以前に描いたものですが、状況は少しも変わりませんね。

(後註:今日の『教え子にメールを送るな』ですが、これを発表した当時、恐らくは教育の現場からでしょう、「あなたは教師が生徒にメールを送ること自体を否定されるのですか?」というコメントが寄せられて恐縮したことがありました。
 当時確か中年教師からだったと思いますが、特定の女生徒に対しセクハラ・メールが送り続けられたというニュースが話題になったので、私としてはそれと往年の日教組のスローガンである『教え子を戦場に送るな』のゴロを合わせただけの軽いギャグに過ぎなかったのですが、「世の中には傍目には《機転が利かない》と思われる程何事も生真面目に考える人がいるんだな」と、改めて感じた次第でした。)

 日頃教育の現場で接している特定の子供をはっきり異性として意識して自らの性的嗜好の対象にする教師が、この国には少なからずいるということでしょうか。京都で小学生を刺殺した同志社大のアルバイト塾教師もそうでした。

 ただそんなことまで心配し出したら、親は危なくて学校にも塾にも子供を送り出せなくなります。しかももしそんなことが原因で子供が『不登校』にでもなったら、今度は(奈良県が先陣を切ったように)「学校へ行かない児童は不良だ」とばかりに補導されてしまうかも知れない。

 「昔はこうじゃなかったんだけどなあ・・」と老人らしい感慨を抱いたところで、以前楽天日記(2005/01/17)に私の高校時代に私たち仲間の兄貴分的存在だった教師Nについて書いたことがあるのを思い出したので以下に引用してみましょう。

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私は中部地方の一田舎町で高校卒業までを過ごしたが、先生方には恵まれたと思っている。そして昨今の一部教師たちの破廉恥な振舞いを見るにつけ、この人たちって一体どんな先生に教わったのだろうと考えさせられてしまうのである。

 高校3年のときNTという私たちと5歳しか違わない社会科の先生がいた。この先生は授業はマイペースの朗読調で少しも面白くなかったが、アフター5には打って変って兄貴分的な親しみを感じさせてくれる人で、学校から歩いて10分もかからない彼の6畳1間の下宿は土曜の午後ともなると一部生徒たちの(あくまで一部、という意味である)溜まり場と化した。

 土曜日の午後そこへ行くとどうなるか、と言うと、夕飯前はそれぞれが菓子などを持ち寄る談笑タイムであり、みんなテーマなど関係なく好き勝手なことをしゃべっている。

 夕食は90センチ四方のコタツを囲んでのお好み焼きと相場が決まっていた。焼くのは先生が大抵仕切っていて、キャベツは手でちぎって載せていくという自称《広島風》であった。
 
 この夕食は定時制の4年生女子の参加が予定されていると時間が遅れることもあったが、そんなことまでが私たちの楽しみの一つだった。

 キャベツは手で引き千切ること、それともう一つ、お茶は急須の最後の一滴までを湯呑みに入れること(これを私たちは当時の彼のガールフレンドの口調を真似て「最後のポタポタがおいしいのよ!」と呪文を称えながら殆ど儀式的に遂行したのである)、この二つが今ルールとして思い出される。

 テレビは無かった。代わりに自慢のステレオがあった。クラッシックが好きな先生で、私たちがビートルズの「ロール・オーバー・ベートーヴェン」をわざと口ずさんだりすると、即座に「ベートーヴェンがあんな奴らに丸め込まれてたまるか!」と反論して来たが、それを更に「丸め込むって意味じゃねえよ、タ*オ!英語知らねえな」とやり返すのが我々の楽しみの一つだった。そう、我々は教師の名前を呼び捨てにしていた、無論本人の目の前で、しかも本人の部屋で・・・。

 興が乗って来ると、決まってクラッシックタイムだった。電気を消して、真っ暗な中でモーツアルトやベートーヴェンを聴く。

 カラヤンのベートーヴェン7番(旧盤)や旧イ・ムジチの四季(60年の録音)もここで聴いた。
 「よし、第九を聴くぞ!」と来ることもあって、これはシーズン関係なしだった。寝るときもコタツに車座に足を突っ込んで雑魚寝した。深夜裸足の女生徒の足と触れ合っていることに気付いたときなどは、流石に切ないものがあった。・・・。

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 以上、引用終わり。

 彼は自分の同僚が元の教え子と結婚した話題になったとき「俺には考えられない、デへへ」とだらしなく(?)笑ったことがあった。あの笑いは何だったのかと今頃になってふと考えたりする。彼は女子生徒に人気があり、その一部の人からは積極攻勢をかけられていた。そうなのだ、昔は女生徒の方が若い教師に夢中になるケースの方が一般的だったように思う。
 時は流れ、今若い人たちのアイドル候補は幾らでもメディアから噴出し続けているから、何も学校の先生なんかに現を抜かす必要もなくなったということか。

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「惚れたが悪いか」

            (太宰 治『かちかち山』より、狸の台詞。)

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 特定の教え子を「そういう目でしか見られない」未熟な教師も困ったもので、そんな人間に「好きになってしまったものは仕方ないから(?)せめて相手の子が卒業して大人になるまでアプローチするのを待ったらどうか?」などと折衷案的なとりなしを試みるなどと発案してみたところで、彼にそういう分別があったなら、そもそもそういう迷路に入り込むことのないよう最初から自分にブレーキをかけて自粛していたに違いない。
 ニュースにある陸上部引率の教師は46歳だというから《分別盛り》であっていいわけだが、その歳で女生徒と同衾して体を触り、「ばれたらクビだ」(←当たり前だ!)などと口止めしたというのだから、何を考えているのか。何も考えずに情感の赴くままの軽挙妄動(*)か、変態か。ほんとに世の中いったいどうなっているのだろうか?

(*)上官の命令は朕の命令と思ふへし。
   事の如何を問はす直ちに服従すへし。

   情感の命令はチンの命令と思うべし。
   コトの如何を問わず直ちに腹上すべし。

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*以下は先週の結果です

週 ・・・・・・・・・閲覧数・・・・・アクセスIP数
03/19~03/25 ・・2164 pv・・1309 ip

*久々に週末の2日だけランキング1000位以内に入りました。ぶひひ。

3/25(土) ・・329 pv ・・220 ip ・・948位(504157 BLOG中)
3/24(金) ・・473 pv ・・344 ip ・・492位(503364 BLOG中)

 来て下さった皆さん、アートンNE!


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