本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

キレる。

2015-02-28 12:54:07 | 世界
 我々大人に若者を教育する資格があるのか云々という議論は何も私の発明ではない。私が高校生のとき読んだ《マルクーゼ》の本に書かれていたことだ。米ソが冷戦時代の話だが、互いに相手の喉元に核兵器を突きつけ合っている《大人たち》に若者を教育する資格があるのかと、彼は言っていたのである。

 若者たちが大人たちに不信を感じ、社会全体に対して憤懣をぶつける行動に出るという事態は、何も今始まったことではない。ずっと昔からそうだったのだ。そして彼らはときとして《キレる》し暴発もする。私自身もそうだった。社会の《活力》《前進する力》というものはこれに依存する度合いが極めて大きいと、私は思う。

 埴谷雄高は《革命家》になる資格があるのは25歳までに限ると言った。彼は個人史的には《5・15》事件に連座し、獄中で《転向声明》を発して出獄した経緯を持つ人だったが、御自分が25歳のときに何らかのエポックメイキングな事件があったのかも知れない。

《薔薇・屈辱・自同律、約めて言えば俺はこれだけ》というのが彼の残した標語のような言葉だった。自同律は通常《アイデンティティ》と訳されているが、彼は《自同律の崩壊》ではなく《自同律の不快》という哲学的な言葉も残している。

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 《キレる。》ということは何も若者に限ったものではない。私だって年甲斐もなくしょっちゅうキレて血圧を上げている。先ほども某住友銀行とか言う金融機関のWeb記載に反する対応にぶちキレて来たところだ。こっちはWebを信用してわざわざ金と時間をかけて訪問しているのに、向こうは何十分も待たせた上、けんもほろろの事務的対応に終始したのだから許せない。

 舐めんじゃねえぞ、馬鹿野郎!


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