本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

ママチャリで京都へ行った♪

2009-04-11 19:44:52 | 
1.前口上。

 野宿者の必須アイテムの一つは自転車であり、もう一つは手押し車であると言ってもさほど的外れではないだろう。自転車も手押し車もないとなると野宿生活もいよいよ末期的症状を呈して来て、あとは街中を彷徨いながらシケモクを拾いゴミ箱を漁ることくらいしかすることがない。着る物は「着たきりスズメ」で新しく着る物が手に入らない限りそのまんまで、髪も髭もぼうぼうに生やして、もちろん風呂なんか何ヶ月も入らない。センターの地下にはシャワー施設があるということだが、それも無料ではない。「NPO釜」が管理するシェルターでは時間制限はあるが一応シャワーはある。しかし本当に落ちぶれてしまった人はシェルターに入るための行列にさえ並ぼうとしないのである。
 このような言わば「究極の野宿者」に昨日枚方のサティ前の公園で休憩中に出会った。私が遠目に彼に金か食べ物のどちらかをカンパしようと迷って見ていたら、彼は突然周囲の人間に当たり散らして、わけのわからないことを口走りながらどこかへ去って行った。追いかける気にもならず、彼とはそれきりになった。

 野宿者の生活というのは超の付く程の「スローライフ」で、何であれ商品を作って作って作りまくり、売って売って売りまくる「回転」が勝負の今の時代の対極に位置している。職もなく金もないからすることがない。代わりに時間はたっぷりある。来る日も来る日もただただ暇でアンニュイである。
 働く意思も気力もあるが職に就けないのだからしょうがない。求人に応募すると言っても只で求職活動が出来るわけではない。身なりを整え履歴書を用意して会社へ出向くのに最低でも1日数千円はかかるだろう。
 実際のところ所持金が数万円(数十万円でもいいが)になってしまった時点で、失業保険の給付もない人が自前で求職活動を続けて社会復帰するなどということは既に相当困難な状況だと思う。派遣切りにあった人というのはこういう状態なのである。

 昔はこうではなかった。私が二十代の頃はまだ高度経済成長の余波があってどこも求人難で、仕事は幾らでもあった。ちょっとした店先に求人の張り紙があって、仮に応募でもしようものなら文字通り直ちに「面談即決」だった。ANの前身=「日刊アルバイトニュース」がガリ版印刷で刊行された時代である。私はそれを直接見てはいないと思うが、私の当時の友人(明治の夜学だった)はそれを買って求職したと言う。もっと遡って昭和30年代ということになれば、中卒で「集団就職」する若者たちは「金の卵」と呼ばれて大層重宝された。
 思うにこの、後先考えない闇雲で急激な経済膨張の反動が今社会総体に来ているのである。「生産第一主義」「営利第一主義」の結果として我々の心身はズタズタにされ、一方で肥太ったのはメガバンクと大企業と投機ファンドと、あとはせいぜい竹中くらいなもんだろう。

「団塊の世代が日本を駄目にした」と誰かが言っているそうだが、私に言わせればこの世代の「優秀な」部分の大半は学生運動や社会運動に参加して大弾圧を受けてしまったのであって、社会性の欠落した残った部分が社会の中枢に生き延びて日本をここまで疲弊させたのである。
 一般に我々下々の民などは号令一下踊らされ時代に弄ばれるだけで一生を終えるものなのである。稀に「革命」とかで一躍時代の主役に躍り出ることはあるが、それも今の腑抜けな我々には到底無理だ。

 それで、暇な野宿者たちは「釜」にくすぶっていてもしょうがないから自転車を駆って京都や神戸に出張るのである。電車賃はなくても自由な時間はたっぷりあるのが何よりの強みだ。彼らは或る意味社会的拘束からは自由なのである。
 家財道具だって大してあるわけじゃないから、出張した勢いでそのまま先方に住みつくこともある。私は以前京都の鴨の河原に住んでいる老女から「大阪はもう懲りた」と聞かされたことがある。

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2.ルート。

 車によるドライブとかバイクのツーリングとかだったら標識に従って道なりに進めばすぐ京都だが、ママチャリではそうは行かない。例えば国道1号線一本で進めばいずれ京都市内の「五条バイパス」に到達する筈で事実その通りだが、途中「規格歩道」どころか「歩道」自体が全然存在しない区間もあるので、ここはちょっと怖くてママチャリでは走れない。大型トラックがビュンビュン飛ばして行くから、原付や小型バイクや軽自動車でも怖いと思う。

 で、淀川水系という大きな川がある。私はどこでどう合流しているのか知らないが木津川とか宇治川とか桂川とかである。これらの内最低一つか二つはいずれどこかで渡らなければならない。それで①大淀を早めに渡って十三または高槻経由で北上するコースか②可能な限り淀川の東南岸を進んで行くコースの二つに大別される。

 私がよく使ったのは②のコースで、この利点は枚方までなら道なりで楽に到達出来る点である。枚方までだったら軽いサイクリング気分で行ける。
 ①の高槻コースは一度しか通ったことがないが、これも阪急の沿線に沿って行けばそう難しいコースではない。ただ走っていてそんなに楽しい道程ではなかったような記憶がある。
 枚方市の向こうは八幡市だからもう京都府であるが、八幡市の安全で効率のいい越え方が私はまだ発見出来ていない。いろいろ試したが、問題は樟葉(くずは)から先である。山道も田園地帯の砂利道も歩道のない怖い道もあって、どこを通るか迷う。下手をすると京田辺市に行ってしまう。あちゃ。昨日は東樟葉公園から男山~桜公園を通っていつの間にか淀競馬場から京都市伏見区に出た。伏見区と言っても広いからそこから先がまだ横大路とか大手筋とかいろいろあるのだ。途中京都南IC入り口を突っ切るところが、もう暗かったからちょっと恐怖だった。京阪国道口まで来れば東寺があって、そこは大宮九条だから勝手知ったる道でもう大丈夫の筈だったが、四条烏丸で右折すべきところを勘違いから左折して、そのまま脇目も振らず突き進んで四条大宮まで戻ってしまったのには我ながら呆れた。

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