本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

少女漫画続考♪

2011-01-29 22:03:05 | 絵本字本
1.シモーヌ・ド・ボーヴォワール著『第二の性』を最初のとっかかりにして、初潮、三従の教え、恋愛、カトリック、契約結婚、未婚の母、シングル・マザー、一夫多妻etc.について考えてみる。

2.少女漫画の現在。

3.少年漫画の現在。

・・とまあ ↑ こういう感じで論を進めて行きたいと考えます。ぁそ。

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 ウィキペディア『ロボット三等兵』にはこうある。 ↓ ↓ (全文引用)

概要・あらすじ [編集]

主人公であるロボット三等兵は、ほぼ同時期に描かれた鉄腕アトムなどとは異なり[1]、まるでブリキ人形のようなオンボロロボットである。人間より格下の「三等兵」などという階級を与えられたロボットは、愚痴をこぼしながらも任務を果たそうと奮闘するが、しばしばそのドジさが災いして失敗し、上官にどやされてしまう。

その作風はチャップリン映画を思わせるドタバタ喜劇であるが、作者の体験した戦場という極限状況をドライに描き、その笑いの中には戦争・軍隊生活の不条理さへの批判が内包されている[1]。ただし『少年クラブ』版ではその批判性は薄められている[2]。また特に後半からは、北支戦線、ノモンハン、真珠湾、シンガポール、ミッドウェー、ガダルカナル、果ては独ソ戦など、第二次大戦における実際の戦場をロボット三等兵は転戦し、その中では東条英機、アドルフ・ヒトラーなど実在の人物がカリカチュア化されて登場する。例えばインパール編では、無駄口司令官による無謀な作戦で前線のロボットたちが飢えに苦しむ一方、後方の将軍たちが遊びほうけるさまをギャグとして描いている。
連載・出版 [編集]

貸本単行本として寿書房から1955年から1957年にかけて全11巻が出版され、その後『少年クラブ』(講談社)にて1958年6月号から1962年12月休刊号まで連載された。1995年にはアース出版局から貸本版が全3巻、2007年にはマンガショップから同じく貸本版が全3巻でそれぞれ再編集されて復刻されている。
主な登場キャラクター [編集]
この節は執筆の途中です この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。

前谷作品では、同じキャラクターが役割を変えて様々な作品に出演しており、ロボット、トッピ博士、ごくらくコンビなどは同作者の他の作品でも活躍している。

ロボット三等兵
トッピ博士によって造られた人間型ロボット。陸軍に入隊するが、二等兵よりさらに下の「三等兵」に任ぜられてしまい、軍服も与えられなかったので、星無しの赤無地の階級章[3]を胸にぶら下げている。マイペースかつ臆病な性格。世界各地を転戦し、時には上等兵、果てはドイツ軍元帥にまで昇進するが、失敗して三等兵に逆戻りしてしまう。ロボットということで危険な任務に従事させられてしまい、幾度も命の危機にさらされる。
トッピ博士
町の科学者で、ロボット三等兵の製作者。出征するロボット三等兵に千人針とお守りを用意するなど、文字通りロボット三等兵の親代わりである。
連隊長
ロボット三等兵の所属する連隊(雷連隊)を率いる大佐。大きな鎌髭(カイゼル髭)がトレードマーク。部下には精神論を説き無茶を強要しながらも自分には甘い。特にロボット三等兵には辛く当たり、死地に送るような理不尽な任務を与えることもしばしばである。
飛車角軍曹
ロボット三等兵の直属の班長を勤める軍曹。鼻下のちょび髭が特徴。当初は銃剣を下げていたが、後に、軍刀(日本刀)をぶら下げるようになる[4]。
ごくらくコンビ
米兵、英兵などとしてしばしば登場。ロボット三等兵とは幾度も戦場で遭遇。モデルはローレル&ハーディ。

注釈 [編集]

1. ^ a b アース出版局版1巻の石子順による解説より
2. ^ 『現代漫画博物館1945-2005』小学館、2006年、ISBN 4-09-179003-8、46頁。
3. ^ 本来は幼年学校の生徒が使用するものである。
4. ^ 通常は、軍刀を所持できるのは曹長以上である。

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 少なくとも私が二十代前半の頃までは東京にも『貸本屋』はあった。今もあるのかどうか、私は最近見たことがない。当時(とりわけ漫画週刊誌が出る前は)定期刊行の雑誌にはおよそ描くことのない(出来ない?)貸本専門に描く漫画家が大勢いたのである。
 今で言えばCDやDVDを借りるような感じで、昔の子供たちは漫画の単行本(ハードカバーだった)を(一冊5円とか10円とかの単位だったと思うが)借りていたのである。時期はわからないが漫画以外にも小説・雑誌等も貸し出していた。
 漫画週刊誌は『少年マガジン』が最初だったと思う。程なく『少年サンデー』が発刊され、最初は70円80円で売られていたこの二大誌が長らく双璧だったが、『こまわりくん』(だったかな?)などの出現が引き金になって二誌とも『少年チャンピオン』に牛蒡抜きにされた。『少年ジャンプ』の興隆はその後である。

 貸本という習慣は江戸期にもあったわけで、江戸では本屋が貸す本(即ち商品)を自ら背負って街を巡り、足で稼ぐ商いをしていた。ぁそ。

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「一夫多妻制」との関連のみで ↓ 以下の記事を引用する。

cf.2011年1月27日木曜日「やや日刊カルト新聞

大川きょう子氏、文春・新潮で大川隆法総裁の私生活を暴露!
1月27日発売の『週刊文春』と『週刊新潮』

 昨年10月、幸福の科学・大川隆法総裁の妻・きょう子氏が教団から事実上追放。隆法氏および教団から「悪妻」「悪霊」と罵られたきょう子氏が、本日発売の『週刊文春』『週刊新潮』でインタビューに応えています。そこで語られているのは、隆法氏の教団内「女性関係」や収入の金額。離婚調停の経緯も詳しく説明されている上に、訴訟宣言まで……。

 きょう子氏への取材をもとに、大川夫妻の現状や隆法氏の“素顔”をリポートしているのは、1月27日発売の『週刊文春』と『週刊新潮』(ともに2月3日号)です。『週刊文春』は、<大川隆法総裁夫人 ついに明かした「教祖の私生活」カネと女>とする4ページの記事。『週刊新潮』は3ページで、<「幸福の科学」の不幸すぎる離婚歴 捨てられた「大川きょう子」総裁夫人の嘆き>。

 以下で紹介するのは、それぞれの記事のごく一部分です。ぜひ雑誌を買って読むことをお勧めします。どちらも非常に興味深い内容で、ボリュームもたっぷりです。

■教団の収入はお布施だけで年間300億円

 『週刊新潮』によると、きょう子氏が隆法氏と別居状態になったのは、08年4月から。その4カ月後にきょう子氏は、教団の役職を全て剥奪されたとのこと。その原因は、07年6月頃から隆法氏がある女性秘書を寵愛し「彼女は過去世の妻だ」とまで言い出したことだそうで、記事中、きょう子氏は隆法氏から「エル・カンターレ系の基本は一夫多妻制だ」と言われたとも語っています。

 09年の衆院選についても言及しています。実は教団内では会員数をもとに票読みを行い、「45万票」と予測していたそうです。結果は、ほぼこの予測通り。供託金だけで約11億円が水の泡となりましたが、きょう子氏によると教団にはお布施だけで年間300億円も集まるので、11億円くらいは大した金額ではないのだとか。もっとも、書籍販売による収入は書籍の宣伝費用で消えてしまって、実はあまり儲かっていないそうです。

 『週刊新潮』の記事は、大川夫妻の不仲の原因から、きょう子氏が教団から事実上追放されるにいたった経緯を詳細にリポートしています。

■隆法氏の年収8億円、高級腕時計コレクションは30本

 一方『週刊文春』は、隆法氏の女性関係を含めた「私生活」をかなり具体的に掘り下げています。

 きょう子氏は97年にも、隆法氏の身の回りの世話をする若い女性職員らと隆法氏との中を疑って、隆法氏と口論になったことがあるとのこと。このとき隆法氏は、女性職員らを連れて軽井沢の教団施設で女性秘書らを夜勤にさせ、総裁用のロッジに毎晩1人ずつ交代で泊めていたといいます。

 隆法氏はお気に入りの若い女性を「過去世の妻」と言ったり、大川姓を名乗らせたりしているという話のほか、お気に入りの女性相手に隆法氏が「○○ちゃん、ボクこれどうすればいいの?」と赤ちゃん言葉のような口調で会話していた、といった話も出てきます。

 お金の話も出てきます。隆法氏は04年に心不全で倒れて一命を取りとめて以降、金遣いが荒くなったとか。1着約60万円のジャケットを買ったり、600 万円から中には2000万円もする腕時計を買ったり。高級腕時計は30本以上持っているそうです。収入は、本の印税を含めて8億円。

 『週刊文春』は幸福の科学グループ広報局のコメントもかなりの分量で紹介しています。広報は、「女性問題」はきょう子氏の誤解であり「一夫多妻」の教義もないとしており、女性信者に与えられた大川姓は「法名」だとしています。

■離婚調停は不調、舞台は法廷へ?

 離婚調停の経緯について詳しく書いているのは『週刊新潮』。これによると、昨年10月19日にはすでに、双方の弁護士による1回目の話し合いが行われていたとのこと。しかし財産分与の内容で折り合いがつかず(教団の提示は5000万円だったとか)、11月9日にきょう子氏が離婚調停を申し立て。1月11 日に2度目の調停を行ったものの、それで打ち切りとなったとのこと。きょう子氏は今後、子どもの親権も含めた「配偶者の権利」を裁判で争うとしています。

 一方『週刊文春』の記事では、きょう子氏は「一連の誹謗中傷についても今後は大川と教団を名誉棄損で告訴するつもり」と語っています。親権・財産分与をめぐる訴訟のほかに、名誉棄損に関する訴訟も起こされる可能性があるようです。

 幸福の科学では、隆法氏がきょう子氏の霊の言葉「霊言」であるとして、きょう子氏がいかにワガママでヒステリックな女であるかを教団信者に向けて発信し、信者たちが「悪妻封印祈願」を唱和するなどしています。

 きょう子氏がこれを「名誉棄損」であるとして裁判を起こすなら、「霊言」が名誉棄損に当たるかどうかが争われることになるのかもしれません。幸福の科学は、これまできょう子氏以外に何人もの存命中の人物の「霊言」を発表してきています。これが果たして、名誉棄損にあたるのか。きょう子氏が語る隆法氏の素顔にも興味が尽きませんが、「霊言裁判」も興味深いものになりそうです。

■教団のメディア対応にも注目

 幸福の科学は、1991年に有名な「フライデー事件」を起こしています。隆法氏を「分裂症」などとした講談社の『フライデー』の記事について、教団は講談社にFAXや電話を使って抗議をしまくり、講談社の通信を全社的にマヒさせました。また、全国で訴訟も乱発しました。

 こうした行為を幸福の科学は「希望の革命」と呼んで正当化し、いまだに反省していません。

 今回の『週刊新潮』『週刊文春』の記事は、大川市の女性関係や私生活に大きく踏み込んでおり、夜中に寝室で突然、霊言を語りだしたりする隆法氏について「彼を病院で一度診てもらった方がいいのではないかと思った」というきょう子氏のコメントを紹介したりしています。幸福の科学における最高神「エル・カンターレ」である大川隆法氏の人間性や精神面の健康が疑われるような内容になっています。

 この記事に幸福の科学がどう反応するのかも、注目したいところです。
投稿者 藤倉善郎 時刻: 8:00:00

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