本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

托鉢小論。

2008-01-03 21:11:13 | 
1.私の第一の疑問は、托鉢を規制するということは憲法の保障する信教の自由に抵触するのではないかということである。托鉢を検索したら(私は残念ながらお目にかかったことはないが)京都では各寺社の繰り出す托鉢隊が冬の風物詩になっているという記述もあったくらいで、良寛和尚だって「非聖非俗」の托鉢僧だったというし、何を偉そうに、不祥事の絶えない大阪府警あたりが托鉢にまで規制の網を掛けて来るのか、ということだ。

cf.托鉢

2.ローマカトリックの一分派に托鉢修道会というところがあるそうだ。農業その他の生産に従事しない限り、雲水・行者と言えども霞を食べて生存し続けることは不可能ということだろう。神社仏閣を訪れれば我々はその都度拝観料を寄進しなければならないし、北海道の修道院では特製バター飴が名産品ということになっている。

3.「教えてgoo」には質問者の疑問に幾つか興味深い回答が寄せられていた。

【質問】 時々、お坊さんが10人くらいで『おーーぅい』とだけ言いながら小走り、時には立ち止まり、家に向かって『おーぅい』と言っているのを見かけます。というか早朝なので起こされるんです。
 初めて見たときは雨の日で笠もマント(?合羽?)も真黒だったので、ものすごく恐かったのですが、ちょくちょく見かけるので『これは修行なんだ』と思いました。
 それにしても私の知ってる托鉢とは随分違います。この人たち、一体何をしているのですか?今日なんて朝から3度も家の横を大声で走り、何なのか知らないと正直苛々してしまいます。

【回答1.】 「おーーぅい」ではありません。「法施(ほっせ)」という言葉を、長く伸ばして言っています。
つまりお金や食べ物など物を施す「財施(ざいせ)」をした者に対して、「仏法の教えを施す」という「法施」を僧侶が行うのです。その具体的作法が「読経」です。
 托鉢は、仏教に限らずインドの一般的宗教行為の一つで、インドでは修行者は自ら働いてはいけないとされ、信者からの施しのみで生きるとされます(ただし、これは気候が平穏で、食料などが豊富な豊かな国であるインドであるから行えることでしょう。仏教が支那・日本へと北伝するに従い、托鉢のみの生活は緩和されてきました)。
 で、他者にものを施す「布施」はインド語で「da<長音>na」を翻訳したものです。この「ダーナ」を漢字に音写して「檀那(だんな)」といいます。
 これは仏教以前からあるインドの基本的道徳律で、これには「持つ者が持たぬ者に施すのは当然の義務」「持たぬ者が持つ者より施しを受けるのは当然の権利」という考えが前提にあり、これによって富者は施すという行為によって善行を積む。貧者は施しを受けることにより、善行を行わせるという、日本人の常識とは異なります。
 そこで仏教もインドの伝統にならって「布施」を基本修行と取り入れますが、先の前提に従いながらも、何らかの対価を求めない(善行を積もう・来世の幸福を求めようなど)、義務的・虚栄心で行わない、自らの物に執着する心を捨てるために行うとしました。
 それは何かを「してやっている」という普段は自覚しない傲慢な心を気づかせるための、第一歩となる修行だからです。
 ですから托鉢では、我々が物(財)を施す布施に対して、教え(法)を施すという布施を、つまりは互いが布施をしあうことになりますね。

【回答2.】  私の住んでいる京都には,臨済宗の本山がいくつもあり,それぞれ僧堂と呼ばれる修行道場があります。その僧堂で修行している雲水さんが「お~~ぅい」と言いながら托鉢されている姿を良く見かけます。
 妙心僧堂・相国僧堂・大徳僧堂・建仁僧堂・東福僧堂・南禅僧堂・天龍僧堂と6つも僧堂(いずれも臨済宗)がありますから,入れ替わり立ち代わり雲水さんがやってくることも珍しくありません。
 首から下げておられる頭陀袋に「○○僧堂」と書かれています。
 「あれ?さっき来たのに,また来てるぞ。」と思って見たら,最初は○○僧堂の雲水さんで,今度は別の僧堂の雲水さんだったということは良くあります。

 宗派によって托鉢のやり方は違うのだと思いますが,質問者の方が見られた托鉢は,臨済宗の雲水さんの托鉢だと思います。

4.宗派の行なう托鉢と一仏教者の行なう托鉢との相違はさておき、視点を変えて一般生活者からの『布施』ということなら、以前このblogでも取り上げたように、イスラム教の教えの中にもこの考え方は広く一般に浸透している。
 つまり金儲けは結構だが儲けた金はどんどん喜捨・寄進・布施・・へ投入しなければならず、それをしない金の亡者は絶対天国へは行けないのだから、施しを受ける側は富者が天国へ入るための手助けをすることになり、感謝すべきはむしろ施しをさせて貰った富める者の方である、というものである。

cf.稲盛和夫「わが出家」の記=托鉢で貰った五百円のありがたさ←要は「大企業も金融資本も儲けてばかりでいいのか」ということだが、総体としてこの国は『金がすべて』というそのまんまの拝金主義に陥って久しい。だから壊れ始めているのであると私は思う。

cf.托鉢愚感。
cf.かたつむりの詩。

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振り込め詐欺で1000万円被害 長男と思い、77歳男性
2008年1月3日 『東京新聞』19時06分

 埼玉県東松山市の無職男性(77)が3日、「長男を装った男から電話があり、現金1000万円を指定された口座に振り込んだ」と東松山署に届けた。同署は振り込め詐欺とみて調べている。

 男性は「長男と声が似ていたので信じてしまった」と話しているという。

 調べでは、男性は先月17日、男から「会社で不祥事を起こしたので金が必要だ。上司の銀行口座に入金してほしい」との電話を受け、長男と思い込み、20日まで5回にわたり400万-50万円を振り込んだ。

 北海道に住む長男(49)が正月休みで帰省。3日、男性が長男に「金(の問題)は大丈夫だったか」と尋ね、だまされたことに気付いた。(共同)

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90歳男性、自宅で殺される 千葉県警が捜査本部
2008年1月3日 20時19分『東京新聞』

 3日午前7時ごろ、千葉県市原市姉崎、アパート経営刈米祐夫さん(90)方で、刈米さんがベッドの上で口と鼻から血を流して死んでいるのを、同じ敷地内の離れに住む長男(58)が発見し、110番した。

 千葉県警は、室内が物色され、顔に殴られたあとがあったことなどから同日午後、強盗殺人事件として市原署に捜査本部を設置した。

 調べでは、刈米さんはパジャマ姿で布団の中であおむけに倒れていたという。左ほおを骨折、鼻や目の上にも殴られたあとがあった。捜査本部は四日に司法解剖して死因の特定を急ぐ。

 たんすの引き出しなどが開けられ、金庫を動かした形跡もあった。台所の窓が割られており、県警は何者かが盗み目的で侵入、刈米さんに暴行したとみて、何か取られた物がないか調べている。

 刈米さんは10数軒のアパートや貸家を経営。一人暮らしで、足が不自由なため、長男夫婦が世話をしていた。長男は雨戸を開けるために訪れたという。(共同)


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