本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

雨を見たかい?

2010-10-09 20:28:21 | 
1.『鉄道の日記念切符(全3回分)』第一回目の使用方法の結果はというと:

10/05(火)JR天王寺09:37発ー大阪ー播州赤穂ー大阪ー天王寺ー奈良ー木津ー加茂ー奈良ー京都ー奈良ー天王寺22:18着・・という経過を辿った。

 こういう、同じところを何回も通過するような乗り方をしたのは初めてで、夕刻3時台の明るいうちに天王寺まで一旦戻って来たときにはなんだか奇妙な感じがした。w

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2.10月5日(火)は出がけから変調だった。まず私の乗った環状線が「車両トラブル」により大阪で運転を取止め、そのまま回送から車庫に入るというのであった。私は大阪で降りる予定だったからこれには実害はなかったが、「京橋止」や「天王寺止」の環状線なら私も何回も経験があるけれど「大阪止の環状線」は、今回が初めての経験である。

 JR西日本の変調はこれで終わりではない。幸い人身事故ではなかったようだが、京都線も神戸線も阪和線も、みんな信号やポイントの故障で遅れが出ているのだ。こんなに各線の故障が同じ時間帯に集中するのも珍しいことで私の記憶にはない。「福知山線」の大事故以来、JR西日本は何かあるとすぐ電車を止める体勢になっている。
 この徹底した「安全第一主義」は結構なことであると私は思う。たとえそうすることによって電車の運行に一時間や二時間の遅れが出ようと、多数の乗客が事故で突然死することを思えばなんぼかマシだろう。

 電車の運行に何らかの不具合があった場合、鉄道会社は何をするかというとまず「通知運転」というのを発令するのである。これはどういうことかというと、各線では各々の駅に一列車のみを止めて、駅間には列車を置かないという態勢を敷くのである。それで復旧した後もそうそう簡単には平常ダイヤに戻れないわけである。

 私は混み合った電車は苦手なので、どうせ遅れるならと、JR京都線に乗る予定を変更して、早くも一旦駅の外へ出て(大して空腹でもなかったが)吉野家で牛鍋丼を食べることにした。最初からそのつもりなら京橋の「駅ナカ吉野家」へ行けば駅を出る必要もなかったわけだが、京橋を通ったときはそんな気はさらさらなかったのである。
 ところが(入り口の貼り紙を見てわかったのだが)驚いたことに、辿り着いた「阪急新梅田食堂街」入り口の「吉野家」では牛鍋丼はやっていなかったのである。どういう事情か知らないが、私はわざわざ他所より百円も高い金を払って牛丼を食べる程の吉野家ファンではないので、即刻駅へ引き返しJR神戸線に乗ったのである。神戸方面を選んだのは別に深い理由はなく、ここが一番空いているような気がしたからである。要するに私の場合、行き先はどこでもいいのである。ぁそ♪

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3.考えてみたら、最初の環状線内回りからして既に3分遅れだった。

09:37 天王寺発
09:46 鶴橋
10:04 大阪1番線着。
10:30 大阪5番線から新快速姫路行。

 青春18切符もそうだと思うが、この切符は1回分に付き「(改札を通って以降)当日限り有効」なのであるが、但し東京と大阪「近郊」に限っては深夜日付が変わっても終電まで有効なのであった。私は今度の3枚ある説明書を読んで初めてこの「特典」を知った。「深夜に限っては東京・大阪では細かいことは言いませんよ♪」ということなのである。あちゃ。だったら前回、あんなにあせって東京から戻って来る必要はさらさらなかったのである。説明書はよく読むべきである。ぁそ。笑。

10:35 尼崎
10:43 芦屋

10;50 三宮 
ここでどっと降りたので席移動。「進行方向に向かって右の窓際」が撮影にはベストと思っている。
10:55 神戸 
新快速は元町には止まらないのである。

11:07 明石 
 明石というと明石焼や鯛を連想するが、JR駅ホームから見えるのが明石城で、天守閣はないが名園があるらしい。私はまだ行ったことはない。一度明石で降りたことはあるが、そのときは駅の反対側をぶらついただけで終わった。

 この城は廃藩置県の改革に伴う「廃城令(明治7年)」で廃止された。
 一般に「統治機構」というものは成り行きに任せて放っておくとどんどん自己増殖して肥大化して行くものである。役人が自ら進んで自分の仕事を減らすことなどあり得ないからである。逆に彼らは自分たちの仕事を増やし続けることにとりわけ御執心なのである。霞ヶ関も各都道府県・市町村の役所も議会もみんなそうである。だからこそ名古屋の河村市長や大阪の橋下知事がやろうとしていることには意味があるのである。

11:11 西明石
11:20 加古川
11:30 終点姫路8番線到着。

 この先は決めていなかったので、とりあえず同じホームに連絡していた赤穂行に乗った。明石大橋のあたりでは山陽電鉄もJRも電車は平行して海岸線を進むので車窓からの撮影ポイントは多いが、なにせ進行が早いから、私はいつも撮影に失敗している。あちゃ。

11:36 姫路駅7番線発(普通)播州赤穂行。
11:40 英賀保(あがほ)
11:43 はりま勝原
11:46 網干(あぼし)

11:55 相生(あいおい)
 ここが山陽道を行くか赤穂線を行くかの岐路であることは前回高松へ行ったときに述べた。今回は四国・広島方面は目指さなかったのでそのまま乗っていた。
この線に入るのは2回目だが、赤穂線というと山間部も通るローカル色の強い路線で、私が行くといつも電車通学の高校生たちの下校とかち合うのである。こう言っては何だがみんな「屈託の無い田舎の子」という印象である。w

11:59 西相生
12:04 坂越(さこし)
12:06 終点播州赤穂駅到着。

 約1時間後に野洲行の新快速が出ることがわかったので、それまで駅前周辺を散策することにした。以前来たときと変わったことはと言えば、駅前の緑地のあちこちに林立していた四十七士の姿絵の看板がきれいさっぱり撤去されていたことである。
 私は駅舎から見えた「すき家」へ行って牛丼並280円也を食べた。
 これが12:31-45くらいのことである。

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4.西へ進んだのはここまでで、ここから一転引き返したわけである。岡山ー広島方面は時間の都合を考えてまたの機会にすることにした。私の場合午後2時前後になってようやくその日の行程のおおよその輪郭が決まる。そして無難なところで「日帰り」に決定するとなると、行動範囲は自ずと限定されて来るわけである。

13:09 赤穂駅3番線から新快速野州行。始発であるがガラガラだった。
13:42 姫路。ここで少し混んだ。
14:22 三宮。満席になる。
14:30 芦屋。ここはお嬢様の住む高級住宅地ということになっているが、私はここでそれらしい人を見かけたことはない。と言っても、私は一度だけ駅周辺をうろついたことがあるだけなので何も語る資格はないだろう。w

14:40 大阪8番線到着。

 電車が野洲行なので、私はとりあえず終点まで行くつもりだった。
「野洲から米原まではちょっとあるし、半端だな・・」と、どうしようか思案していたら、大阪到着寸前の乗換え案内で「大和路快速は1番線から・・」というアナウンスがやけに耳に響いて、直ちに予定変更して大阪で降りたのである。

14:48 大阪駅2番線発外回り環状線天王寺行。
 大和路快速ではなく普通の環状線になった。
15:09 天王寺終点。

15:20-32 駅構内の「天王寺うどん」というのを初めて食べた。「デリカフェ」と通路を挟んだ隣にあって椅子が1脚もないまったくの立食いである。格別可も不可も無い普通の天ぷらうどん300円也だったが、同じ300円でおにぎりが付くモーニングサービスをやっているから、急ぐときはいいかも知れない。

15:39 天王寺15番線発大和路快速加茂行。

15:46 久宝寺
 武田哲也の『贈る言葉』に「暮れなずむ」という言葉が出て来るが、今は殆ど死語になりつつあるこの形容がぴったりの、車窓からの光景だった。秋は急速に深まりつつあると実感した。

15:58 王寺。以降は各駅停車になる。「一天俄かに」という程ではないが日差しは消えて曇って来た。
16:02 法隆寺。中学の修学旅行で初めて行った。
16:05 大和小泉。
16:08 こおりやま。
16:14 奈良。
16:17 平城山(ならやま)。電車は先刻来まるで暗雲の下へ突っ込んで行くような感じだったが、ここではっきりあたりは黒雲に包まれ一気に暗くなった。

 この辺は既に単線になっているようで「みんなで乗って複線化」という標語が目に入った。複線化を望む地区住民は多いが「採算第一主義」のJRや自治体は取り掛かる素振りも見せない。儲からないことはやらない時代なのである。

16:21 木津。
16:28 終点加茂2番線到着。

 ここでまた迷った。更に進むのならワンマンカーの伊賀上野行と、あと亀山行があった。関西本線ったって、ここまで来ると伊勢湾文化圏というか、名古屋の縄張りである。ぁそ。時刻表がないからどこまで進んだらぎりぎり帰って来ることが可能なのかわからなかった。行き先も決めてないのに駅員にあれこれ訊くのも気が引けた。で、私ももう若くないので「迷ったときは引き返す」のである。しかし今考えると、亀山くらい迄なら充分行けた気がする。あちゃ。

16:52 3番線から普通奈良行。
 バックオーライである。待っている間に雨は一旦本降りになった。
17:00-03 木津。雨が上がり、雲の切れ間から日差しも戻って空には見事な虹がかかった。このブログに掲載しているのは最初に車内から撮った虹だが、そのあとホームに出て、電車の屋根越しにも何枚か撮影出来たのは幸運だった。写真にうまく収まった保障はないが、こんなきれいな虹は近年見たことがなかった。

 虹が見られたこと一つだけでも、この小旅行は私には価値があった。
 虹は空気中の無数の水滴が個々プリズムの作用を果たして太陽光を分解して我々に無料で見せる自然現象であり、これには幾つかの好条件がぴったり伴わないと実現しない空中ショーなのである。
 それで思い出したのが以下に書いたCCRの「雨を見たかい?」だったという次第である。あれはお天気雨(狐の嫁入り)の歌だからである。

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5.CCRの『雨を見たかい?』について検索していたら次のブログ記事に辿り着いた。ここへはいろんな人が到着しているようで、コメントもたくさんあった。w

宮 寿陵 Lyrics of Love&Life (音楽)楽天ブログ

http://plaza.rakuten.co.jp/miyajuryou/diary/200508070000/: ↓

ジョン・フォガティ(1945年生まれ)が

リーダー、ソングライター、ボーカル、リード・ギター、という

非常にワンマンな体制の4人編成のバンドは

59年に、カリフォルニアで結成。

しばらく鳴かず飛ばずでしたが

68年にCreedence Clearwater Revivalと改名して、メジャー・デビュー。

この曲は、実に和訳者泣かせの曲です。

まず、曲の背景。

アルバム「ペンデュラム」(1970-全米5位)

シングルカットされた「Have you ever seen the rain?(邦題:雨を見たかい?)」(1971-全米8位)

共に、順位にはそれほど恵まれませんでしたが

カントリー・ロックの名曲として、広く知られています。

日本でも、桑田佳祐(KUWATA BAND 名義)や氷室京介がカバーし

オリジナルも、日産や野村證券のCMで使われています。

しかし、中で歌われている

「晴れた日に降る雨(rain on a sunny day)」というのが

当時アメリカがベトナムに撒き散らしていた

「ナパーム弾」の隠喩であるという説が広く普及しているんですね。

イラク戦争の際にも、放送局によっては自粛のリストに加えられたりもしました。

また、一方では

自らのワンマンが原因で崩壊しようとしているバンドについて歌ったものだという説もあります。

実際、シングルをリリースした71年には

実のお兄さんであるトム・フォガティ(リズム・ギター)が脱退し

3人で活動を続けようとしますが

翌72年には、解散してしまいます。

僕は、全体の歌詞から

ナパームと判断して訳しましたが

あるいは、CMの担当者が勘違い? しているように

単なる天気雨の歌かもしれません。

それと

ジョン・フォガティの発音には、かなり癖があって

(本人はリトル・リチャードの影響を受けていると、インタビューで語っています)

サビの

 I 〇〇 know
 Have you ever seen the rain?

の〇〇が聴き取れないんですよね。

歌詞カードでは

 I won't know

となっていますが

 I want to know

じゃないかという説も根強くて

(歌詞カードというものは必ずしも正確ではない、というのは常識です)

僕は「want to」で訳しましたが

これが「won't」だと、意味が正反対になってしまうんですよね。

和訳は、和訳へGO!こちら

さんざん言いわけを重ねましたが

訳は参考程度にして、とにかく聴いてみてください。

一度は聴いた事あると思いますし

名曲ですよ。

http://www.jvcmusic.co.jp/-/Discography/A001425/VICP-62076.html

http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/B000000XDM/qid=1123388216/sr=1-9/ref=sr_1_9/002-2333599-1904032?v=glance&s=music

(この2つを続けて聴くと、1番を全て試聴できます)
Last updated 2005/08/22 04:20:18 PM

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 それで私も寄ったついでに以下の書き込みをしておいた。w ↓

歌詞は:
I wanna know で、あなたの説が正しいのです。
Beatlesの『抱きしめたい』が
「I wanna hold your hand」であるように、
「want to」は「wanna」に訛る(?)のです。

歌詞の含意ですが、明喩としてはまさに「お天気雨」のことを歌っているのですが、暗喩(メタファ)は勿論ヴェトナム戦争に於ける米軍のナパーム投下を批判しているものです。私はそのように教わりました。

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 こういったことも「常識」では通らなくなっている時代なのである。
 最近の歌は歌手の肉声までもが照明等からバックダンサーの衣装・振付に至る総合的なステージ演出・パフォーマンス総体の一角・一要素にまで「格下げ」されている傾向が顕著だから、まして「歌詞の意味」などが深刻な問題たり得るほど聴く側も「おぼこ」ではないわけであるが(!)、本来歌詞というものは「詩」なのであるから、「詩」には明喩も隠喩も暗喩もあって初めて「あったりまい」の「詩」なのである。
「Aと言うからには単純にAのことを言っている」と限った話ではないのである。我々の日常会話だって裏も表もあってそこまで散文的に干からびてはいないのだ。w

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cf.

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