本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

象徴天皇制下の戦後っ子?

2005-06-06 11:15:04 | 政治
*私たち昭和20年(1945年)8月の敗戦以降に生まれた子供たちは《戦後っ子》と呼ばれて、平和の象徴のようにもてはやされた。その子供たちは1970年前後『戦争を知らない子供たち♪』というフォークソングを唄ったりしたが、当時は熱い政治の季節で、私の仲間たちは『戦争しか知らない子供たち』という替え歌の方をむしろ好んで唄っていた。尤も今私が思い出し得るのは「♪10・21、三里塚ぁ」というフレーズくらいなものだが・・・。

*象徴と言えば『象徴天皇制』である。これは日本独特の蒙昧主義(オブスキュランティズム)で意味不明と言っていい。
 例えば英国の国旗=ユニオンジャックはシンボル即ち象徴であると明記されている。だから国家統合のサインでありシーニュであっても構わないのだが、幾ら何でも天皇陛下は旗ではないだろう。維新の際、西郷らは(あくまで隠語としてだが)明治天皇を『玉(ぎょく)』と呼んでいたことを考えれば、政権を実際に争う人たちには天皇は単に記号であったとしても一向に差し支えなかったのだ。

*昭和天皇は英国訪問に際して(恐らく役人たちの用意していたものを読んだだけのことだろうが)日英両国の伝統的な友好関係を高らかに謳いあげたが、それが先の大戦時の敵対関係を全く無視していたものであったため、お相手のエリザベス女王からは「両国間には不幸な時代もあったがこれからは仲良くして行きましょう」とはっきり釘を刺されてしまった。

*イギリス国民もフランス国民も、自らの国王を処刑してしまった歴史を持っているが、幸か不幸か日本にはそういう野蛮な歴史はない。古代天皇制の下では骨肉相食む凄惨な争闘の歴史があるが、それらは大きく括ればみな天皇家内部とそのブレーンたちの惹起したクーデターや暗殺等々であって、私ら一般庶民には、正面切っての革命の歴史などこれっぽっちもないのである。

*ただ現天皇も、東欧革命の吹き荒れた皇太子時代には「革命が起きたら僕らは処刑されてしまうの?」と側近に質問されたそうだから、欧州の王室並みの危機意識は感じていらっしゃるようである。この春の園遊会に招かれた米長九段(現将棋連盟会長)というお調子者が「日本中の学校で《君が代》を唄わせたい!」などと歯の浮くようなおべんちゃらを言った際にも「強制するのはよくない」と即座に言い切ったというのだから、現状認識は遥かに上手である。
 天皇陛下の立場で「さようか、良きに計らえ」などと言えるものかどうか、ちょっと考えたらわかりそうなものである。

*この《君が代》であるが、何だかわけのわからないうちに《国歌》ということになってしまったらしい。言うまでもなく「天皇陛下の御世が千年も八千年も続くように」という歌詞である。
 象徴天皇制だからいいじゃないか、戦前の絶対君主制ではないし《人間天皇》であって戦前の《現人神》ではないのだからいいじゃないかというのであるが、だったら何故曲も歌詞も戦前と同じものを使うのだ?
 これもマヤカシ以外の何者でもない。千年も後のことは千年後の人たちが決めたらいいのだ。余計なお世話だ。
 余計なお世話と言えば、安倍元幹事長の「小泉さんも次の総理もみんな靖国に参拝して欲しい」という発言も調子に乗り過ぎ、はしゃぎ過ぎである。あんたが次の総理の心配などしなくていいのだ。 彼は次は自分が総理になるつもりで「私が総理になったら必ず靖国に参拝します」と言いたかったのだろうか、語るに落ちるとはこのことである。

*明治欽定憲法の所謂「万世一系の天皇これを統治する」などというのは真っ赤な大嘘であることなどはみんな先刻承知だろう。足利尊氏が南北朝をそっくりすげ替えてしまったのだから。

*江戸期、強まる外圧に抗すべく、国学者たちはこの国のアイデンティティを天皇制に求めた。これに乗ったのが竜馬によってジョイントされた薩長である。
 将軍と言ったって、これは《征夷大将軍》であり、意味を文字通り取ればアイヌを屈服させるための総責任者という名誉職に過ぎず、いよいよ国難が迫って来ると《大政奉還》してしまうのだから、武家は《北面の武士》以来の主従関係の伝統を守り続けただけの話だったというオチをつけて、鎌倉以来の武家政治は終焉した。
 ふがいない奴らだ、何が暴れん坊将軍だ、何がマッケンサンバだと因縁つけて当たり散らしてもしょうがない。いいとか悪いとかの問題ではなく、これしかなかったのである。(私は最近『暴れん坊将軍』の再放送を見る機会が多いのです。)
 この天皇制をもって、日本は近代化への道の第一歩を踏み出したわけである。

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