↑写真は5/15葵祭に於けるスナップで、本論とは無関係です♪
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*鈴木宗男、佐藤優が出版した「反省」の中身
2007年06月18日10時00分『Livedoorニュース』(←『日刊ゲンダイ』から)
5年前にムネオ疑惑で逮捕、公判中の鈴木宗男議員と佐藤優外務省主任分析官(休職中)のコンビが共著を出版した。
「反省 私たちはなぜ失敗したのか」(アスコム)。題名から、「不正をしでかした反省をつづったもの」と思いきや、中身は「検察があそこまでやるとは思いませんでした」「男の嫉妬、ヤキモチに鈍感すぎました」「外務官僚の無能さは理解を超えていました」「田中真紀子さんとのケンカに乗せられました」――。
ちっとも反省しているようには見えない。いや、反省したふりをしながら外務官僚の実態を実名・写真入りで暴露しているのだ。
「飯村豊官房長(現フランス大使)は『鈴木先生、田中真紀子を排除してください』と、毎日言ってきた」「坂場三男総括審議官(現報道官)は私の部屋で真紀子さんの悪口を言っている時に、田中さんが入ってきて、ソファーから転げ落ちて、ロダンの『考える人』の格好で固まっていた」「松田邦紀ロシア課長(現イスラエル公使)は料亭で私の前で『ボクちゃん、チャミチイでちゅ』と両足をバタバタさせてオムツを替えて欲しいようなプレーをしておったですね」「ソ連大使だった枝村純郎さんは家の建替中の数ケ月、ホテルニューオータニに住んでいた。外務官僚は半額で泊れた」
その他にも外務官僚のトンデモ生態が暴露されている。書かれた当事者は名誉棄損で訴えてもよさそうだが、恥の上塗りの裁判ができるかどうか……。
【2007年6月15日掲載】
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*「あったことを恰もなかったように言うことは許されない」。これが「近代」というものである。
*昭和天皇はかつて訪英された折「日英両国の永きに亘る友好関係」のみを強調し、エリザベス女王には「私たちの間には(英日開戦という)不幸な時期もあったがこれからは仲良くして行きましょう」とチクリとやられたことがあった。
昨日もフランス「市民革命」について少し触れたが、イギリスの場合も同様で、そもそも国王と国民とは契約関係で主従が成立しているから、なまじなことを言っているといつ「廃位~退位」の刃が飛んで来るかわからないのである。
*戦時中の昭和天皇も軍部の暴走に引き摺られる形で、最後には「やるからには徹底してやれ」という判断をしたものであるから、かつて管さんが「昭和天皇には戦争責任がある」と指摘したのは全く正しい。戦中のご自身への痛苦な反省があったからこそ、戦後の昭和天皇は徹底した平和主義者として振舞われたのであり、戦争の惨禍に喘ぐ我が国民を鼓舞せんがために、必要とあればヘルメットを被って炭鉱構内へ檄を飛ばしに出陣されたわけである。
で、ムネオさんたちが背水の陣で指摘したこの問題はどうなるか!?
「外務省はあったことはあったこととして認めろ!」
これに尽きるだろう。
風はお前たちにはアゲンストだ!
*小泉ポチを勝たせた論功褒賞で外務大臣に抜擢された真紀子さんは、会見の度に次官らを頭ごなしに叱り付け「(外務省は)伏魔殿のようなところだ」と断罪したものだから、「誇り高い(?)外務官僚」どもからは阿鼻叫喚の悲鳴が上がったのも頷けるところである。官僚たちの教えるままにレクチャーを受けるしか能が無いのが「派閥均衡」のみの理由から大臣に抜擢されるアホ議員どもの習い在るところであり、まして彼らに真正面から喧嘩を売るような大臣が、真紀子さん以前にかつて一人でもいただろうか?
*ポチには外交はまるでわからなかったから、外務省を敵に回すことなど及びも付かなかった。ポチは自分の政権の生みの親で尚且つ自分が任命した外務大臣たる真紀子さんを切った。外務省の役人どもの顔色を伺いながらしか前に進めないポチには、「官庁の改革」などどうでも良かったのである。
*『ムーヴ!』によれば「真紀子切り」に目一杯活用されたのが鈴木~佐藤の両氏であり、これに成功すると不要となった両氏は今度は検察を使って潰された。
これぞまさしく『コウ兎尽きて良狗煮られ、高鳥死して良弓蔵われる』を絵に描いたような権謀術策であり、策士=ポチの面目躍如といったところである。
が、安倍ポンには密室で鉛筆を舐めながらあれこれ策略を凝らすだけの頭はない。
流石にあれだけ叩かれれば『慙愧に耐えない』の意味は覚えただろうが・・。
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cf.ムネオ日記。
cf.情報保全隊員。
cf.情報機関。
cf.ある女子大教授の つぶやき
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*鈴木宗男、佐藤優が出版した「反省」の中身
2007年06月18日10時00分『Livedoorニュース』(←『日刊ゲンダイ』から)
5年前にムネオ疑惑で逮捕、公判中の鈴木宗男議員と佐藤優外務省主任分析官(休職中)のコンビが共著を出版した。
「反省 私たちはなぜ失敗したのか」(アスコム)。題名から、「不正をしでかした反省をつづったもの」と思いきや、中身は「検察があそこまでやるとは思いませんでした」「男の嫉妬、ヤキモチに鈍感すぎました」「外務官僚の無能さは理解を超えていました」「田中真紀子さんとのケンカに乗せられました」――。
ちっとも反省しているようには見えない。いや、反省したふりをしながら外務官僚の実態を実名・写真入りで暴露しているのだ。
「飯村豊官房長(現フランス大使)は『鈴木先生、田中真紀子を排除してください』と、毎日言ってきた」「坂場三男総括審議官(現報道官)は私の部屋で真紀子さんの悪口を言っている時に、田中さんが入ってきて、ソファーから転げ落ちて、ロダンの『考える人』の格好で固まっていた」「松田邦紀ロシア課長(現イスラエル公使)は料亭で私の前で『ボクちゃん、チャミチイでちゅ』と両足をバタバタさせてオムツを替えて欲しいようなプレーをしておったですね」「ソ連大使だった枝村純郎さんは家の建替中の数ケ月、ホテルニューオータニに住んでいた。外務官僚は半額で泊れた」
その他にも外務官僚のトンデモ生態が暴露されている。書かれた当事者は名誉棄損で訴えてもよさそうだが、恥の上塗りの裁判ができるかどうか……。
【2007年6月15日掲載】
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*「あったことを恰もなかったように言うことは許されない」。これが「近代」というものである。
*昭和天皇はかつて訪英された折「日英両国の永きに亘る友好関係」のみを強調し、エリザベス女王には「私たちの間には(英日開戦という)不幸な時期もあったがこれからは仲良くして行きましょう」とチクリとやられたことがあった。
昨日もフランス「市民革命」について少し触れたが、イギリスの場合も同様で、そもそも国王と国民とは契約関係で主従が成立しているから、なまじなことを言っているといつ「廃位~退位」の刃が飛んで来るかわからないのである。
*戦時中の昭和天皇も軍部の暴走に引き摺られる形で、最後には「やるからには徹底してやれ」という判断をしたものであるから、かつて管さんが「昭和天皇には戦争責任がある」と指摘したのは全く正しい。戦中のご自身への痛苦な反省があったからこそ、戦後の昭和天皇は徹底した平和主義者として振舞われたのであり、戦争の惨禍に喘ぐ我が国民を鼓舞せんがために、必要とあればヘルメットを被って炭鉱構内へ檄を飛ばしに出陣されたわけである。
で、ムネオさんたちが背水の陣で指摘したこの問題はどうなるか!?
「外務省はあったことはあったこととして認めろ!」
これに尽きるだろう。
風はお前たちにはアゲンストだ!
*小泉ポチを勝たせた論功褒賞で外務大臣に抜擢された真紀子さんは、会見の度に次官らを頭ごなしに叱り付け「(外務省は)伏魔殿のようなところだ」と断罪したものだから、「誇り高い(?)外務官僚」どもからは阿鼻叫喚の悲鳴が上がったのも頷けるところである。官僚たちの教えるままにレクチャーを受けるしか能が無いのが「派閥均衡」のみの理由から大臣に抜擢されるアホ議員どもの習い在るところであり、まして彼らに真正面から喧嘩を売るような大臣が、真紀子さん以前にかつて一人でもいただろうか?
*ポチには外交はまるでわからなかったから、外務省を敵に回すことなど及びも付かなかった。ポチは自分の政権の生みの親で尚且つ自分が任命した外務大臣たる真紀子さんを切った。外務省の役人どもの顔色を伺いながらしか前に進めないポチには、「官庁の改革」などどうでも良かったのである。
*『ムーヴ!』によれば「真紀子切り」に目一杯活用されたのが鈴木~佐藤の両氏であり、これに成功すると不要となった両氏は今度は検察を使って潰された。
これぞまさしく『コウ兎尽きて良狗煮られ、高鳥死して良弓蔵われる』を絵に描いたような権謀術策であり、策士=ポチの面目躍如といったところである。
が、安倍ポンには密室で鉛筆を舐めながらあれこれ策略を凝らすだけの頭はない。
流石にあれだけ叩かれれば『慙愧に耐えない』の意味は覚えただろうが・・。
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cf.ムネオ日記。
cf.情報保全隊員。
cf.情報機関。
cf.ある女子大教授の つぶやき