本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

パチンコ依存症かも。

2015-04-11 19:35:21 | 

 自分はパチンコ依存症かも知れないと強く思うときがある。金のなる木があるわけではないからそんなに毎日毎日行くわけではないが、1年に1回とか半年に1回くらいのペースで、突如として(間欠温泉のように)不意に狂ったように通い詰めることがあって、そうなると《かかる》迄近くの店にあちこち通い続けてしまうのだ。運良く少ない出費で掛かればいいが、そうでないときは所持金の大方を数時間のうちに吸い取られてしまい《茫然自失》の状態に陥る。

 私はパチンコはギャンブルの一種だと思っているが、《悔しがる性格の人》とか《意地っぱりの人》とかがこれに嵌まると重症化すると言われる。私もこのビョーキ的症状が重かった時期などは「一度精神科医に相談してみたら?」と友人に何度となく助言されたが行くことはなかった。『小遣いの大半を失って初めて我に返る』という自暴自棄的習性は若い頃身につけた悪習だが、この歳になっても辞められないのだからそれこそ頭がアッパラパーにならない限り止まらないのかとも想う。パチンコに限った話ではないが、こういった自虐的自棄的体質一般を『業(ごう)』だとか『人倫の性(さが)』だとか拡張して呼ぶ人もいる。曰く『馬鹿は死ななきゃ直らない』だ。

 病気・症状というものは医者なり医療機関なり(つまりはその道の専門家各位)が作り上げ構築するものである。これには当事者達の善意悪意企図・・・の介在は予定されない。
 我々は体調が優れないとまず医者にかかるが診察を受けた患者は「貴方は***です」と医者に《病名》を宣告され断定されてそこで初めて《一個の病人としての自分自身》が確定されるのである。この辺の医療関連の問題については、私は30代の頃1960年代半ばに書かれたフランスの哲学者=M・フーコーの著作から学んだ。兵舎と病棟との類似・類推など今も充分通用する示唆に富んだ記述だったと思う。

 そこでさて《依存症》だが、《仕事も遊びもほどほどに》という程度のお定まりの結論くらいしか今の私に言えることはない。何事も『程度』の問題なのである。パチンコ店のポスターにも『遊びの範囲で楽しんでね♪🙆☺😊😉』という意味の標語があったが向こう様は商売でやっていることだ。w

 《商売》という言葉で私が直線的に想起する自作の戯れ唄がある。それは20代前半に作ったもので自分としては傑作の部類に入るものだ。↓↓

**するのが私の商売なら
**するのがあいつの商売ってわけで
あっちも商売
こっちも商売
It's my business!
Indeed!

最後の2行はチャップリンのトーキー『殺人狂時代』からの借用で、チャップリン扮する殺人鬼に財産と命を狙われた或る貴婦人が「そんなの私の勝手でしょ!」と突き放すところをチャップリンが間髪を入れず「その通り!」と食い下がる場面である。
 冒頭「**」の部分には好きな言葉を入れていい。オリジナルの文句もあったのだが忘れてしまった。あちゃ。例えば以下のように対比関係の語句を入れたらいいだろう。

盗むのがおいらの商売なら
パクるのがあいつの商売ってわけで
あっちも商売
こっちも商売
It's my business!
Indeed !

・・・とすれば語っているのは盗っ人だという設定になるわけである。
 ( ↑↑ これは単なる例示で、何もドサクサ紛れで警察への当て擦りを飛ばしたわけではない。『警察官僚』は確かに嫌いだがそれは役人一般が嫌いなのである。今や犯罪は益々多様化しているから、現場の職員に対しては私は寧ろ同情的でさえある。)
 押し込み強盗だとかの粗暴犯だけが泥棒ではない。現在流行の《ネット犯罪》などは他人の著作・金品を昼夜を問わず素知らぬ顔をして(スマートに?)剽窃~強奪する。
「あんたのブログも危ないぞ!」ってか?・・いいじゃないの、それくらい。私の駄文が仮に他人様の生計を支える一助になっているというのならそんな目出度い話もない。w


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。