本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

京都で『ミシェル・フーコー』を買った。

2011-09-28 08:22:36 | web・メディア
1.家を出たのが11時半くらいで、寺田町の自転車一時預かりが満杯だったので一旦は京都行を諦めたが、大阪城公園方面に向かっていたとき「ああ、京橋に自転車を預ければ京都に行けるな♪」と思い直して京橋へ行くも、ここも預かり所は満杯で「すんませんな、ダイエー前ならまだ少し空きがありまんねんけど・・」とせっかく教えてくれたのでちょっと遠いけど行ってみたら確かに空きがあった。それでそこに自転車を預けて京都へ向かった。久しぶりのことである。w

2.京都も大阪も、今日は好天で暑いくらいだった。駅前は小中学生・高校生の修学旅行と、観光客が多かった。駅を出た直後にUSBメモリをもう一本買い足して置くことを思いついてBICカメラに寄った。改札を出る前に気づいていればホームから直接行けたのに大分大回りになった。京都駅前にはヨドバシカメラも進出していて、今日などは京都タワーの下ではチラシの配布合戦をしていた。

3.遠回りしたお陰で、1Fのsoftbankのコーナーに寄って、i-phone4の説明を聞くことが出来た。と言っても私が説明を求めたわけではない。on-airのi-phon4を面白いから指でいじっていたら係員が寄って来て勝手に説明を始めたのである。ソフトバンクもAUの進出が囁かれているから大変である。w

4.説明によると、アイ・フォンの旧式タイプはもう売っていない。今売っているのは一番高い4だけである。あちゃ。
 一括払いだとこれが18GBで4万8千円くらい、36GBなら5万7千円くらいかかる。但しこの価格は一番安い使用法に設定した場合で、これを「インターネット使い放題」にすれば毎月5千7百円かかる。
 いずれにせよPCより遥かに高いので、今の私には手が出ない。泣く。

5.USBスティックは4GBで一番安い中国製が880円だったのでこれにした。だがこれは何故かパッケージが必要以上に頑強で(!)どう足掻いても中身を取り出せないので(!)ゲンダイを買う際レジの店員さんに頼んでハサミで解体してもらった。笑。彼も「頑張ります!」と宣言して暫く苦闘していた。肝心の中身の性能はまだ試していないのでわからない。w

6.京都に着いてからも私はどこへ行くか迷っていた。駅前で2時3時ではちょっと遅かった。もっと時間が早ければ500円の市バス一日切符を買ってあちこち行くのだが、それには遅過ぎた。
 それでこういう場合の私の常套手段は、タワービル2Fのダイソーへ行って飲食物を調達し、それをアテにして駅前広場で人間観察しながら時間を潰すのである。飲み物はお茶が良かったがそれはペットボトル1つなので、(甘過ぎたけれど)私は105円で2つ選べる缶のドリンクにした。ツマミ1つと缶ジュース2個で210円。しかも喉が渇いていたのでこれを2回繰返したのである。あっちゃ。

7.タワービルの下では「NO NUKE」の団体が関電の京都支局へ渡してきたばかりという抗議文書(?)のコピーを配りながら即興の鳴り物パフォーマンスをしていた。録画しておこうかとも思ったが、音楽自体が大した芸ではなかったので(!)止めておいた。あそ。

8.タワービルの4Fに本屋があったので宇宙論の新書を探しに行ったが、買ったのはなぜか『ミシェル・フーコー』(重田園江著・ちくま新書)税込861円という本だった。著者は1968年の生まれである。この年は佐世保で『エンタープライズ入港阻止』の全学連全国動員デモがあった年で、私はこの年は一浪人生だったが、若き糸井重里などは佐世保へ向かう列車の中での取材に答えた勇ましい録画ビデオがしばしばオンエアーされていたものである。w
 エンプラというのは常時核兵器を搭載しているという『公然たる秘密』を疑われていた米空母で、これが日本国内に寄港するということは故佐藤栄作(当時)首相の所謂『非核3原則(←核を、作らず、持たず、持ち込ませず)』なるものが口から出任せの単なる嘘っぱちに過ぎなかったことを儚くも当時から露呈するものだったのである。

 宮崎哲哉の『新書365冊』はなかったが『映画365本』(朝日新書)はあった。だが映画と言っても彼の場合DVD専科であり、しかも洋画(米映画)ばかりなので読む気が起らなかったから、パラパラ見ただけで買うのは止めた。
 私は映画フリークではないが映画は映画館で見るものだと思っている。DVDは駄目だなどとは言わないまでも、ホームシアターだとかテレビ画面だとかで見る映画は、映画館の文化とは違ったまた別の文化なのである。
 ではホワイトハウスの地下にあるという巨大な映画館ならいいのか。私はそれも違うと思う。w

9.さて、M・フーコーである。著者は所謂『フーコー三部作』の中では一番最後に出版された『監獄の誕生』に魂を震撼された人のようだが、世代の違いか、私自身は最初にフーコーをメジャーに押し上げた『言葉と物』に少なからぬ影響を受けていることはいつも言っている通りである。

 それでこの本を京阪三条の駅でパラパラ読みながら思い起こしてみたのだが、私がなぜM・フーコーを読むようになったのか、その経緯が釈然としないのである。埴谷さんとかフーコーとかに私が堪能したのは30代前半のことだが、その時代の自分をしっかり思い出せないのである。
 一方吉本隆明も『言葉と物』は高く評価しているのだが、但し私は吉本とは別方向からこの本にアプローチしている。吉本がこの本を評価しているのを知って「へえ、吉本もか・・」と私は驚いたのであった。
 私は得意の「(構造主義)ガイドブック」あたりからフーコーに接近したのだろうか。汗。笑。

10.吉本も私もフランス語が出来ない。彼も私もネタ本はフランスで出版後10年も経ってからようやく第一回の翻訳が完成された新潮社の日本語版である。それも随分以前に紹介した「東大仏文をリミットの7年かけてかろうじて卒業出来たE君」に言わせると「誤訳だらけ」だというのである。
 というか、フーコーという人は言葉を詩的イメージたっぷりに多義的に操る人なので、そんなものを逐一「翻訳」するなど誰にも不可能だと言うしかない。そういう文章が随所に飛び出してくるらしいのである。

 それでフランス語の化身のような人間=M・フーコーを捕まえてああだこうだ騒ぐのは本来おかしいのである。でもこれは突き詰めれば「翻訳不可能」の問題とぶち当たるのだから、過度に厳密な議論をするのも考えものである。
 同じ日本語を操る者同士でも、たとえば私が言う「大和」と他の誰かが言う「大和」とが、意味・指示・表出の全ての領域で寸分の狂いもなくピッタリ重なり合うことなど金輪際起こり得ないからである。

11.私はフーコーの三部作は全て買い揃えたが完全読破したものは一つもない。「積んドク」している間に生活に追われて全部売り払ってしまった。今は「古本屋」の商売自体が成り立たなくなって個人経営の店はどんどん閉鎖に追い込まれているが、昔は「古本屋」の商売は充分成り立っていたのである。

 三部作のうち『言葉と物』はノートを取りながら私としてはかなり熱心に読み進んで、7~8割は読み終えていたと思う。「それで内容は理解出来たのか!?」と訊かれても、私には答えられない。一部だけなら理解した部分はあるだろう。

 それで結末に行こうとしていたある時期、前出のE君に
「E君、構造主義教えてよ♪」と持ちかけたところ、即座に
「駄目だよM(←私のこと)、フランス語出来ないじゃん!」
と拒絶されて、私の読破しようとする気力は一瞬にして萎えてしまったのである。

 本の結末というか結論はガイドブック等で予め知っていたし、パラパラとなら翻訳文を読んでいたのでそれでどうこうしたということはなかった。

 結論はこうである。

「人間主義(ユマニスム)なるものはたかだかこの数世紀の発明であるから、いずれ顧みられなくなる」と。

 一冊目の読了からしてこのように大頓挫~挫折してしまったのだから、後は推して知るべしである。w

12.フーコーの著作というと挿絵が有名である。『言葉と物』なら巻頭の『侍女たち』(ベラスケス)だし、『監獄の誕生』なら、あれは誰の作画だったか以前ちょっと触れたことがあったかと思うが、「一望監視」(パラプティコンというらしい)の絵がやはり巻頭に使われていた。

 あの絵は、絵を直に見れば直感的に『ああそうか!』と伝わるものだと思うが、それを言葉を操ってああだこうだ説明するのは骨である。一方にドーム状というかコロシアムのようなところに鉄格子付きで閉じ込められた多くの囚人たちがおり、他方には彼らの視線の全てを一身に引き受けている一人の弁士がいる。そういう設定の戯画調のラフな絵画である。

 それで異様な目つきをした囚人たちは何者かと言えば彼らはアルコールの中毒患者たちであり、弁士は個々独居房に押し込められた彼らにアルコールの弊害を訥々と訴えているのである。
『監獄の誕生』は『規制』について書かれた書であるというのが定説になっていると著者は言うのだが、当時の私の理解としては、『近代』というものは総じてこのような『監視社会』なのであるというのがM・フーコーの主張であるというものだった。

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