本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

「安倍ポンに依るクーデター説」を考える。

2015-07-21 08:42:52 | 政治
 石川健治東大教授の「安倍ポンに依るクーデター説」のビデオニュースを見た。憲法解釈を勝手に一内閣・お友達内閣が「ロビー」(⇦つまり内閣=キャビンと言うよりは安倍一派の恣意的・場当たり的な即興だけで)変えてしまったのだから、これは確かにクーデター即ち「不法不当なる政変劇」そのものである。「絶対多数を占めているのだから何をやっても許される」ということにはならない。
 だから、私には「異論」という程の反論など阿呆らしくて存在しないのだが、「彼に限らず👽今頃になって(まるでアリバイ作りのように!)」あちこちの憲法学者やその他の学識経験者?達が「違憲だ!違憲だ!」と騒ぎ立てていることに対しては少なからぬ違和感を覚えるものである。これが所謂「証文の出し遅れ」にならない保証など何処にもないではないか。
 つまり私としてはこの際「あんた方はこれまで寝てたのか?」と言いたいところなのだ。余りにも始動が遅すぎる。事は安保法案だけで済む話ではない。自公政権も安倍ポン自民党独裁政権もきれいさっぱり《歴史のゴミ箱》に葬り去って初めて「彼ら有識者らが声を上げてくれて良かった♪」と我が国民はホッと一息安堵の声を上げることが可能となる。

 自民党のこの根強い《改憲願望》というのは何も今回安倍によって唐突に開始された暴挙などではない。そもそも「占領軍お仕着せの《平和憲法》なんてオラ要らねえや!自主憲法を創るんだい!」というのが自民党という保守政党の「正体」であり「党是」であり「金科玉条」なのである。だから安倍は「出発点と言うよりは寧ろ終着点・当然の帰結」である。こんなものに絶対多数を与えたのだからその責任は我々全員で負わなければならない。「《立憲主義》を守れ」などとご高説を垂れている場合ではないのである。我が憲法は既に第9条を筆頭に徐々に空洞化され今や歴史的使命を終えている。自民党の70年間に亘る執念によって扼殺されてしまったのである。「ひゃあ済んだ(⇦岐阜弁)」と言っても言い過ぎではない。

 我々は「長いものには巻かれろ」が大好きな、時の権力に従順で自発心はなく自尊心の薄い凡庸な民の集まりに過ぎないのだから今唐突に「革命だ!」と一部が声を荒げたとしても《革命》など逆立ちしても起こせない。が、《クーデター》の一つや二つなら権力上部の者達だけで史上何回も起きている。我々が学校で教わった《大化の改新》も正しくクーデターそのものだったわけである。🚀🐹🔰👙😍😥🐳👽😡。

 戦後ドイツにには『ナチス』という格好の《悪役》が現存し続け今に至っているが、では日本にあってはどうだったろうか。極東国際軍事裁判?あっそ。A級戦犯?あっそ・・・で凡そ《戦争責任》などというものは問われたことがない。「負けたんだからしょうがない」「原爆落とされたんだからしょうがない」で「《被害者意識》で自己武装し自己防衛して全てを《なあなあ》で曖昧模糊のままお茶を濁して来た(!)」のが我が《戦後70年間》の実相だったのではないか。この極東離れ小島にあっては「天の下新しきこと何も無し」なのである。

 ☆$¥124.36(21:20ロイター)


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