本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

今民放もNHKも共に充分堕落している。

2009-01-02 18:19:43 | web・メディア
私が自室に小さなTVを再導入したのは07年の年末だったからちょうど一年が経過したことになるが、それまでどうしていたかというと、根っからのテレビ好きの私はテレビ音声の聞けるラジオをわざわざ購入して音だけでテレビを受信していたわけで、私の場合仮にテレビがあったとしても付けているだけでしっかり注視していることは殆どないのでそれでも別に不都合はなかった。第一テレビを見ていたらPCを扱えない。笑。毎年正月で困るのはテレビ番組に見るべきものがひどく少ないことで、この件では「早く平日に戻れ」と毎年思っている。昔の私の経験から言うと、例年10月頃からテレビ各局はそれこそタレント総動員で正月番組の撮り貯めに忙しいのである。正月に我々が見せられる番組は録画が多いという事情は今も変らないのではないかと思う。で、民放に「お馬鹿さん番組」が過度に多いのは何も今に始まったことではない。NHKは不評を託っていた時期民放に追随して民放顔負けの「お馬鹿さん番組」を量産していたが、豊穣な「お宝映像」を倉庫の奥深く隠匿したまま売れっ子タレントに動員を掛けてバラエティーに奔るというこの傾向は今も止むことなく続いている。「普通のことを普通に知らせる」姿勢というものが今のメディアからは窺うことが出来ないのである。何でもかんでも仰々しくショーアップ化してしまえばいいと思っている。テレビは総じて『簡易見世物小屋』である。かつて「例えばこの『群像』は文学を扱うリトルマガジンですが、この中にどれだけ文学がありますか」と厳しく問い糺したのは故・埴谷雄高だが、今の私たちは「テレビ界はニュース報道を扱うメディアですが、この中にどれほど報道の内実が詰まっていますか」といつでも糾弾し得る立場にいるのである。朝生で暴露されていたが、ソニーはテレ朝の「派遣切り」報道が不満で一切のCMから降りてしまったそうである。これでは他社は「ソニー批判」など恐くて出来ない。昔はスポンサーが前面に出て「報道批判」することなど例外で、そういう役目はワンクッション置いて「広告代理店」の各社が「虎の威を仮る狐」よろしく来賓室のソファーにふんぞり返ってしていたものである。「百年に一度の大不況」を大義名分に大企業は凶暴化しつつある。トヨタのボケがメディアの「厚労省批判」を口実に「CMを降りてやるぞ」と各社報道を露骨に脅迫したのもこの流れの只中にあるのだ。 . . . 本文を読む