6年前のあの日あの瞬間、ぼくはどうしていた。家で
パソコンの画面をみつめていた。右手には頑丈な木製
の机があって、32インチの薄型テレビが載っていた。
そのすぐ下でこたつの上にモニターをおいて和風すわりで、
まるで文机を前にしたようなのが一応定着した仕事スタ
イルである。なんの変哲もない日射しもある、天気のよい
午後のひるさがりだった。
ぐらぐらしたと感じるや、ああ、またいつものナマズが地面
をけっておる。なあにすぐに静まりまたもとの平穏にかえる
さ、数十秒後に必ず落ちつくと思った。ところがどっこい、
なかなか横揺れがやまない。
これは一大事、いつもとちがってあきらかに長いぞ。おい、
こら、静まれ、長いぞ、長いぞ、あまりに長いぞ・・・、こう
思った。するうちに古机の上に高々と起立してる、重々しい
感じのテレビがふいに心配の種になった。とにかく、立ち上がっ
て大型テレビがたおれてこないようにと両手で押さえること
が脳裡にひらめいた。で、一生懸命それをおさえていた自分
がいた。あまりに長いのでこれはただで済まない、きっと大きな
被害事になる。こう確信したことをおぼえている。
近所の人がたくさん家から飛び出ていたらしい。外で人々の
声がなにやらがやがやと言い合っていた。テレビをつけると上を
下への大騒ぎ。これが徹夜でつづけられ、さらに夜が明けて
太陽がのぼる朝が来てもおさまらない。次の日の昼夜にわ
たっ連チャンだった。おかげで、通夜や大晦日のような灯火が
地域中の家々にともってけっして消えることがなかった。
これが後に言うところの、東日本大震災という東北地方の
未曾有激震、大津波地震だったのだ。
福島・いわき市 慰霊碑が完成し除幕式
TBS(JNN) 3/11(土)
死者・行方不明者があわせて1万8000人を
超えた東日本大震災から6年を迎えました。被災
地では、早朝から祈りがささげられています。
「手作業での捜索に加え、地中深くまで探すため
に重機も使われています」(記者)
原発事故により、町の全域に出されていた避難
指示の一部が今月31日に解除される福島県浪江町
では、警察と消防が合同で行方不明者の一斉捜索を
行いました。福島県内では東日本大震災の地震や
津波で、これまでに1614人が亡くなり、196人
が行方不明になっていて、浪江町では今も31人
の行方が分かっていません。
「何か一つでもここに住んで生活していたものを見つ
けられたらと思う」(捜索にあたった兵庫県警の警察官)
一方、津波で122人が亡くなったいわき市の薄磯地区
には全員の名前が刻まれた慰霊碑が完成し、除幕式が行
われました。
「また新たに思い出す。やっぱりここに生きた証が
あった」(地元の人)
訪れた人は、震災から6年の年月を感じながら、焼香
をささげ故人の冥福を祈っていました。
なぜわれわれは福島の教訓を活かせないのか
/田辺文也氏(社会技術システム安全研究所所長)
ビデオニュース・ドットコム 3/11(土)
2017年3月11日、日本はあの震災から6年目を迎えた。
一部では高台移転や帰還が進んでいるとの報もあるが、
依然として避難者は12万人を超え、その7割以上が福
島県の避難者だ。
原発の事故処理の方も、いまだにメルトダウン事故
直後の水素爆発によって散らばった瓦礫を取り除く
作業が行われている状態で、実際の廃炉までこの先
何年かかるかは、見通しすら立っていない。
福島第一原発のメルトダウン事故については、政府、
国会、民間の事故調査委員会がそれぞれ調査報告書を
出しているほか、さまざまな検証が行われてきた。
これまでの説明では概ね、津波によってステーショ
ン・ブラックアウト(全電源喪失)に陥ったことに
よって原子炉を冷却できなくなったことが、メルト
ダウンに至った原因とされてきた。一部で地震によ
る原子炉の損傷も指摘されているが、あれだけの地震
と津波に同時に襲われ電源がすべて失われるような
事態を想定していなかったことが問題視され、安全
神話などのそもそも論に関心が集まったのは記憶に
新しいところだ。
教訓としてはもう十分だ。
だけど、まだまだつづく地震と津波の余波
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