2011年3月11日午後2時45分頃 大地の揺れが感ぜられた。尋常でない!
とっさに大型テレビが台座から落ちないように必死に押さえていた。
よく覚えている。テレビ画面では東北地方が地震と津波で大変なこと
になっているのを逐一伝えていた。だれも見たことのない津波のおそ
ろしさをまざまざと見せつけられた。日本では海岸に近い平地を利用
して家屋を建てて暮らしている人々がほとんどだ。大津波が来た場合
にはひとたまりもない。鎌倉の大仏さまだって無事ではいられない。
神仏の御利益にも限りがあるというものだ。その日はいちんち中テレ
ビにかじりつきだった。大晦日のように夜通し各家庭の灯がともって
朝まで消えることはなかった。空を見上げると何とも不気味な地震雲が
腕となり東北の方を指し示すようにどこまでも拡がっていた気がした。
それから一ヶ月ばかりガソリンをはじめいろんな物資が不足して手に
入りずらくなる。ガススタンドには長い順番待ちの列ができそれがい
つしか常態化する。スーパでは飲料水のポットボトルなどなにか買い
占め合戦の気運を醸し出す。品薄に陥ったものがひとつや二つでない。
未曾有の不自由で不快きわまりない生活が厳然として現実に鎌首をも
たげて迫ってきたのを今でも記憶している。震源地から遠く離れてい
るとはいえどもかつて経験したことのない地震の影響による生活苦を
味わうとは想像すらしなかった。世の中なにが起こるかほんとにわか
らない。阪神淡路大震災のときはこれぽちも被害を被ることもなく事
実対岸の火事だった。が、今度はちがった。いろんな苦い思いを味わ
った。東日本大震災はいつおこるかわからない自然災害の恐ろしさを
いやというほどわたしの記憶の中に深く刻みんだ。心の準備はいつで
もできている。最悪な事態になることを想定して行動することを誓い、
みんなにも積極的に教えたり伝えたりする。恐ろしいものは、ほんに
地震、カミナリ、火事、津波だな。