どこかでそんな内容のものを目にしたことがあります、いわゆる識者が書いていました。
指示されたことを仕事としてやるのか雑用としてやるのかは本人の気持ち次第で気持ちが入ればそれは仕事になりその意味では雑用という名前の仕事はない。
要点はこんなところですがなにか違うんですよね、現場を叩き上げできた人間から見てこれは頭だけで食っている現場を知らない人間のことばにしか思えません。
例えば職場に落ちているゴミを拾って歩く、情けなやうちの職場、ほとんど誰も落ちているゴミを拾わないのです、何かを使えば使いっ放し、それを元のように戻すのが半ば私の係りみたいになっているものもあります、トイレも然り、「自分は汚す人」を地で行っている輩ばかりです、誰もがそれで平気らしいですが私はそれが我慢ならずどうしても自分で綺麗にすることになるのです。
こんなことに気持ちなんか込められますか?そんなことでどんどん時間を取られていくのです、これが雑用でなくして何でしょう?
「雑用という仕事はない」はご都合主義の極みだとしか思えません、中身の無い役付き者が取って使いたいとても便利な方便でしかないと思います、雑用はあくまでも雑用でしかないのです、おそらく今書いたようなシーンなど想像すらしたことがないでしょう。
私には戯言であり、寝言に過ぎません。
指示されたことを仕事としてやるのか雑用としてやるのかは本人の気持ち次第で気持ちが入ればそれは仕事になりその意味では雑用という名前の仕事はない。
要点はこんなところですがなにか違うんですよね、現場を叩き上げできた人間から見てこれは頭だけで食っている現場を知らない人間のことばにしか思えません。
例えば職場に落ちているゴミを拾って歩く、情けなやうちの職場、ほとんど誰も落ちているゴミを拾わないのです、何かを使えば使いっ放し、それを元のように戻すのが半ば私の係りみたいになっているものもあります、トイレも然り、「自分は汚す人」を地で行っている輩ばかりです、誰もがそれで平気らしいですが私はそれが我慢ならずどうしても自分で綺麗にすることになるのです。
こんなことに気持ちなんか込められますか?そんなことでどんどん時間を取られていくのです、これが雑用でなくして何でしょう?
「雑用という仕事はない」はご都合主義の極みだとしか思えません、中身の無い役付き者が取って使いたいとても便利な方便でしかないと思います、雑用はあくまでも雑用でしかないのです、おそらく今書いたようなシーンなど想像すらしたことがないでしょう。
私には戯言であり、寝言に過ぎません。