ひろみの「PM9」

YAZAWAなライブとYAZAWAな言葉
永ちゃん最高~!!
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スローガンは”リメンバー佐世保”

2017年11月05日 14時32分53秒 | 矢沢語録

今日も気温は上がりません

雨は降らないものの、どんよりした曇り空

気温は朝が3℃くらいで昼間でも7℃とヒンヤリです

 

11月に入りトラバスツアー2017は・・

2日(木)長崎 5日(日)和歌山 6日(月)滋賀

 

長崎といえば佐世保

佐世保といえば・・

「リメンバー佐世保」

今回、佐世保に参加された方のお話では・・

MCで

「当時は悔しかったけど、今考えるといい試練だった・・。」

と、このようなお話だったようです

 

私の選んだ矢沢語録

   

   20012年「別冊カドカワ Premium」より・・

 

『ソロでデビューした当初、キャロル時代からのファンの中には

激しく矢沢を批判する人々もいた。

「矢沢はオカマになった」「矢沢は死んだ」

だが、むしろ矢沢のやり方は軟弱とは真逆だろう。

変化を恐れず、批判をものともしない勇気と強靭な精神力があるからこそ、

彼は”変わった”のだ。

が、新しい矢沢の音楽の世界が浸透し、理解されていくには

ある程度の時間が必要だった。

’75年のファーストツアーの初日の京都会館の公演では

怒声が鳴り響いたという。

コンサートの評判は散々だった。

同じツアーの10月7日に行われた佐世保市民会館は

1500人のキャパに対して、売れたチケットはわずか100枚。

スタッフが雨の中、タダ券を撒いたのだが、

それでも観客数は200人。

その数年後に出演したテレビ番組のインタビューで、

「負けたことはありますか?」と訊かれて

「死ぬほどありますよ」と答えながら、当時の矢沢はこう語っている。

 

「悔しくて悔しくて、ステージに上がった時に

200人のお客さんにこう言いましたよ。

”いらっしゃい。こんな才能のあるオレが佐世保に来て、

こんなに侮辱されたことはない。

でも、今日来てるお客さんは幸せだ。

なぜかと言うと、こんな素晴らしい矢沢を観れたから。

オレのプライドとして、素晴らしい歌を歌うから、

最後まで楽しんでください”って。

で、最高のステージやって、自分なりに勝手に

”リメンバー佐世保”というスローガン作りました。


その2年後の佐世保でのコンサートでは超満員。

矢沢は、そうやって逆境を乗り越えてきている。

不利な状況をエネルギーにして、進んできている。

まさに不撓不屈。』

 

試練をバネにし勇気に変え!堂々と乗り越える

クーッ永ちゃんカッコイイーーー

 

永ちゃんって、やっぱりスゴイ!って思うのは・・

こんなふうにスローガンを作ると何だか悲壮感が無くなり

みんなが、そこに向かって頑張れますよね

そんな所もリーダーとしての資質が光ますね

 

 

 

コメント (6)
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