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人生と財産 私の財産告白(本田静六)という本はとてもオススメ!

2022年02月03日 01時00分00秒 | 

 

 「人生と財産 私の財産告白」という本は、日本の林学者で造園家、株式投資家で、日本の公園の父と言われる本田静六氏(1866年~1952年)が1950年に85歳の時に以下の3つについて発行したものとなります。

・私の財産告白
・私の体験社会学
・人生設計の秘訣

 特に月給4分の1天引き貯金を元手に投資で巨万の富を築いたことは今でも通じる内容ですし、体験社会学や人生設計の秘訣も著者の失敗談を踏まえながら、以下のことなどが書かれ、現代でもより良い人生のヒントになると思います♪

・家計簿をつけることは大切
・本職以外で文章執筆はその後の著作に役立つ
・株式投資は2割利食い、10割益半分手放し
・好景気時代には勤倹貯蓄を、不景気時代には思い切った投資
・個人間の金銭貸借はNG
・失敗は人生の必須科目で、良い経験として次に活かすことが大切
・事業は儲からなければならない
・自分の実力に合った地位は引き受けるべき
・上長は責任を負い、部下に仕事は一任すべき
・部下の名前は必ず覚える
・長所を褒める
・人生計画は重要
・好意の忠告や指摘は不要
・本業以外のことでも積極的に見聞すべき
・失意の時こそ修養の工夫をし知識を養うべき

人生と財産 私の財産告白という本は、より良い人生のヒントになりとてもオススメです!

以下は本書のポイント等です♪

・ドイツのブレンタノ博士はこういうことをいわれた。「財産を作ることの根幹は、やはり勤倹貯蓄だ。これなしには、どんなに小さくとも、財産と名のつくほどのものはこしらえられない。さて、その貯金がある程度の額に達したら、他の有利な事業に投資するがよい。貯金を貯金のままにしておいては知れたものである。それには、今の日本では-明治20年代-第一に幹線鉄道と安い土地や山林に投資するがよい。幹線鉄道は将来支線の伸びる毎に利益を増やすことになろうし、また現在交通不便な山奥にある山林は、世の進歩と友に、鉄道や国道県道が拓けて、都会地に近い山林と同じ価格になるに相違ない。現にドイツの富豪貴族の多くは、けっして勤倹貯蓄ばかりでその富を得たものではない。こうした投資法によって国家社会の発展の大勢を利用したものである」そこで私はまず4分の1天引き貯金の断行をし、それからこのブレンタノ博士の貨殖訓をおもむろに実行に移すことにした。

・こういう風にして私の4分の1天引き貯金生活は始められた。2,3年たつと預けた金の利子が毎年入ってくる。これは通常収入になるので、その4分の3は生活費に回すことができる。つまり月給と利子との共稼ぎになるので、天引き生活はいよいよ楽に続けられることになってきた。

・天引き貯金によって相当にまとまることになった資金で、最初にまず、ブレンタノ博士の仰せに従って日本鉄道株(上野青森間-私鉄時代)を買い入れた。確か12円50銭払込のもの30株だったと記憶するが、それがまもなく300株に増えた時、払込の2倍半で政府買い上げとなった。年々1割の配当を受けつつ私の貯金の一部が早くもここに、3万7500円(昭和25年当時で約1億4千万円の価値)となったわけである。続いて私はそのお金で、今度は秩父の山奥の山林買収に着手した。ところへ、日露戦争後の好景気時代がやって来た。木材の思わぬ大値上がりで、しかも漸次搬出の便宜もととのえられてきた。そこで、その立木だけを1町歩280円ずつで一部を売ることにした。まさに買値の70倍である。これで昨日までのすかんぴん本多が一躍成金になったというわけ。ある年のごときは年収28万円(昭和25年当時で約10億円の価値)で、当時のおける東京都新宿区の一地区の税務署管内のナンバーワンにまで出世したのである。

・皆さんにも、貯金を作る生活は、まず、家計簿をつける生活から始まらねばならぬことを特に力説しておきたい。

・勤労生活者が金を作るには、単なる消費面の節約といった、消極策ばかりでは十分ではない。本職に差し支えない限り、否本職の足しになり、勉強になる事柄を選んで、本職以外のアルバイトに努めることである。私のアルバイトは、「1日に1ページ」の文章執筆の「行(ぎょう)」によって始められた。それは満25歳の9月から実行に入ったことで、私は4分の1貯金の開始とともに1日1ページ分(32文字詰め14行)以上の文章、それも著述原稿として印刷価値のあるものを毎日必ず書き続け、第一期目標50歳に及ぼうというものであった。これには、貯金と同じようにあくまでも忍耐と継続とが大切で、最初はずいぶん苦しかったが、断然やり抜いた。
・ところが42歳の時、腸チフスにかかって赤十字病院へ入り、38日間この「行」を休まされて閉まったので、それを取り返すために1日3ページ分ずつに改め、退院の翌日から再び馬力をかけた。そうしてこれがいつしか新しい習いとなり、1日3ページ分、すなわち1年千ページというのが知らず知らずの中に第二のと力めになってしまった。もう第一期限の50歳はとうに過ぎ去ったが、85歳の今もってこのアルバイトを続けているので、詰まらぬ本も覆いながら、中小370余冊の著書を生み出すことができたのである。

・まず株式の話から始めるとすると、「2割利食い、10割益半分手放し」という法で押し通した。

・投資戦に必ず勝利を収めようと思う人は、いつも、静かに景気の循環を洞察して、好景気時代には勤倹貯蓄を、不景気時代には思い切った投資を時期を逸せず巧みに繰り返すよう私はおすすめする。

・私はいかなる場合にも、金銭の貸借融通などはいっさい銀行またはしかるべき正式機関を対手にし、親族知友間にはすべてこれを行わない方がよいと考える。万一のっぴきならぬ申し込みを受けた場合でも、その事情におり、頼まれた金額の幾分にのしをつけて進呈してしまうに越したことはなく、けっして証文をとり、返してもらうつもりで融通してはならないと思う。

・本多龍の致富奥義は、しごく平凡だ。誰にもやれる。また誰にもやってもらいたいと思う。
第一に、常に、収入の4分の1を天引き貯金すること
第二に、いくらか貯まったところで、巧みに投資に回すこと
第三に、無理をしないで最善をつくし、辛抱強く時節の到来を待つこと

・失敗は人生の必須科目だ。総じて世の中のことは、一から十まで何事もうまくいくものではない。ちょっとした出来心の気張り方で大成功を収めることもあるし、また小心翼々として長年苦心を続けてきたものがついに失敗に終わることもある。金を儲けるのも、大損を招くのもまた同じことで、要するに、やれるだけのことをやって来たのなら、その結果についてそうそういつまでも悔やむことはない。問題はそれを「よい経験」として次の仕事に活かしていくことである。

・渋沢栄一さんはよくこう言っていた。「事業というものは、儲かるものでなければ成り立たない。儲からなくてただ有意義だというのでは、結局長続きしないで、せっかくの有意義が有意義でなくなる。儲かる上に有意義ならなおさら結構だが、なんとしてもまず事業は儲かることが先決問題だ。しかし、この儲けを独り占めにしようなどと企てては結局失敗である。儲けるのはみんなで儲けなければならぬ。またみんなで儲かるようなものでなければ、いい事業、いい会社にはならない」

・渋沢栄一さんは、あれだけの地位、あれだけの声望があったのだから、自分で大儲けしようとすればいくらでも大儲けの機会はあったのであろうが、あえてそれを利用されることがなかった。関係者から有利な会社だとみられると、発起人としての渋沢さんの持株が、いつの間にかみんなに持っていかれ、どうも芳しくないとみられると、渋沢さんの持株が意外に多く残るという有様であった。「株の奪い合いが出てくるほどなら、会社のためにいいことだ。わしが儲けなければ、それだけ他の人が儲けてくれる。誰が儲けても事業の功德、会社の功德と申すものだ」と渋沢さんはいつも笑っていた。

・私は今更ながら「私の体験社会学」として力説したい。それは、いかなる場合、いかなる職務でも、自分自身にその実力さえあれば、与えられた当然の地位は敢然と引き受けるべしということである。つまらぬ儒教流の古いこだわりを捨て、聖人君子を志さない限りは、仕事の上で決して無用な謙遜などしてはいけない。遠慮なく進んで、できるだけ自分で満足のいく位置を確保すべきである。

・上長が部下に対し、責任はわしが負う。しかし仕事は君らに一任する。何でも思う存分やってみたまえ、という風に出ると、かえって彼ら自身に責任を感じ、自発的にいろいろ創意をこらすばかりでなく、大事な所は大事をとって、一々相談を持ちかけて来る。したがって何事にも大過はない。しかもみんなは、それを「自分の仕事」としていっそう打ち込んでかかるのだから、かえって、その官庁なり会社なりの仕事は、活気に満ち、能率も大いに上がってくるものである。

・人をよく使うには、その人の性格(長所と欠点)をよく呑み込まねばならない。大勢の部下があると、なかなかその姓名さえ充分に覚えにくいものであるが、正しく、早く、その名前を覚えると同様に、その人物についても巨細に知悉するところがなければならない。人間は誰でも、持って生まれた特長が何かある。それゆえ、上長たるものは、部下についてその特長を発見するにつとめ、機会あるごとにまずその長所を褒め、しかるのち、ほんの添え物程度に、もし欠点があれば、その欠点を指摘し、矯正するように注意してやることである。上役が自分の長所を認めていてくれると知れば、誰しも悪い気持ちのしないのが人情である。その部下はどんなにも、日常の仕事に張り合いを感ずるかもしれない。そうして、それとなく注意せられた欠点の矯正にも、素直な受け入れ方をして本気に努力するものである。

・私は努力主義の人生観を押し通してきた建前から、部下の仕事ぶりなどをみて、表面的に華々しい能率を上げることよりも、むしろ、営々として、縁の下の力持ちを続ける人を多とし、できるだけその労に報いるにつとめてきたが、いずれの社会でもそうした人々の働きが見落とされがちなので、上に立つ者は、怠らず常に、何事にも裏の裏まで見透かしていることが大切である。

・人を使うのには、人の名前を、早く、正しく覚え込むことといったが、これはなんでもないことのようで、極めて大切なことである。

・若い人々に何かを頼む場合、無理にならない程度に、必ずその人の地位や力量に比して、少し上のものを選ぶようにし、「これはちょっと重要なことだナ、しかしおれにだって大丈夫できるぞ」といった気持ちになれるものを、適材適時に与えるようにした。そうして丁寧にその内容を説明し、やり方を指示したうえ、本人の腹案を聞き、適度の追求を行って、「ではよろしく」と懇切に頼むことにしてきたのである。ところで、こうした命ぜられた仕事は誰しもいささか誇りを持ち、かつ責任を感じ、必ずこれを完成しようとベストを尽くす。しかも、その結果は概して良好であるのを例とする。そうして私は、こうして出来上がった仕事に対して、あくまでも親切に再検討を加え、創意の程度によっては、いつも部下の名前でこれを発表し、学業または事業上の名誉をその人に得させるように心掛けてきたのである。

・部下の心を自分につなぐことは、何かの頼まれごとや約束を、忘れずに必ず実行することなど最も有力な手だ。私はこのために手帳を用意して、一々克明にメモをとっておいたのだが、頼んでいた方で忘れているような些細なことでも、このメモのおかげでこちらは忘れずに必ず実現したので、「うちのオヤジはこんなことまで覚えていてくれるのか」と馬鹿に評判をよくしたものである。

・賞賛は春の雨のごとく、叱責は秋の霜の如しである。褒めることは人を生き返らせ、伸び伸びとさせるが、小言はどうも人を傷つけ、萎縮させることが多い。だから小言を人に言う場合も、称揚することを8分、注意することを2分、といった程度に心を用いるとかえって効果があるようである。子どものしつけ方についても、「3つ褒めて1つ叱れ」といった言葉もある。

・人生計画は、向上心の充足、つまりは努力の予定表なのである。計画生活を完全に予定し、かつそれを実行しえた時、果たしていかなる効果、実益をもたらすものであろうか。
(1)仕事の順序を誤らず、各々の仕事の段階を秩序整然たらしめること
(2)ムダがなく、無理がなく、仕事の出来高が増え、質も良くなること
(3)仕事の結果があらかじめ推測できるので、仕事の進行を思うままに制御でき、時間と労力が著しく節約されること
(4)常に前途に希望を持ち、かつ現在に安堵しえて、よく焦慮と苦悩と疲労から免れられ、余裕ある生活を送り得ること
(5)可及的速やかに成功し、健康長寿、福徳円満に一生を過ごし得られること

・25歳の時に人生計画としての計画要綱をご披露に及ぶと大体次の通りである。
第一 満40歳までの15年間は、馬鹿と笑われようが、ケチと罵られようが、一途に奮闘努力、勤勉貯蓄、もって一身一家の独立安定の基礎を築くこと
第二 満40歳より満60歳までの20年間は、専門(大学教授)の職務を通じてもっぱら学問のため、国家社会のために働き抜くこと
第三 満60歳以上の10年間は、国恩、世恩に報いるため、一切の名刹を超越し、勤行布施のお礼奉公に努めること
第四 幸い70歳以上に生き延びることができたら、居を山紫水明の温泉郷に卜し、晴耕雨読の晩年を楽しむこと
第五 広く万巻の書を読み、遠く万里の道を往くこと

・新人生計画は以下の通り
(1)教練期(6歳~20歳)人間らしく働くための準備で勉学、錬成の徹底化、克乏生活の訓練(従順・学習。錬成)
(2)勤労期(21歳~65歳)身のため国のために働き名利を蓄積するため勤倹貯蓄、職業の道楽化、成功(3)奉仕期(66歳~85歳)名利に超越して世のため人のため働くため名誉職、世話役、官公吏、人生指導など
(4)楽老期(86歳~120歳)働学併進、努力道楽の晩年を楽しむため晴耕雨読、顧問相談役、身上相談、遊覧指導旅行など

・いかに有為有能な人材でも、一つの仕事に打ち込んで、それを大成せぬ間に、他の仕事に目を移したり、中途で放り出したまま、他へ転ずるというようなことでは、精力の分散となって、自然、ムダも多く、ついにその初めの一事をだに、成功し難いことになるのである。これに反して、いかに微力不才と思う人であっても、その全力を一つの目的に集中すれば、必ずある程度の成果が勝ち得られる。したがって、何人も一点に集中、一事に沈潜し、専心その業を励むにおいては成功疑いない。

・それがたとえ好意の忠告や指摘であっても、忠告を受けた人の気持ちはよくない。自分の欠点、短所に気づくと、誰しも一時は感謝の言葉でこれに応えるけれども、一度自分の欠点を見抜かれたという引け目を感ずると、いつかはその人をけむたく思い出し、ついには友人としての交わりを断つに至るものである。したがって、これを避けるためには、相手の悪い点に気づいても知らぬ顔で見過ごし、ただその人の良い方面だけを称揚するようにする。そうすれば、自然と自らの欠点にも気付き、人知れずそれを改めることにも努めるし、またどんな敵意を抱く人でも、自分の長所を褒められて悪い気持ちのするはずもないから、いつしかその敵意も失せ、自らも大いに反省して本当の友人ともなれるのである。

・専門以外、本業以外のことについて知る適当な機会があったら、この場合、好機を逸せず、できるだけ見聞し、調査し、その要点をしっかり把握しておくのがよろしい。

・私の専門は山林であったが、かつて内務省の煙害調査委員となってセメント工場に赴いた際、私にとっては無関係と思われたセメントを一応研究しておいたところ、あとになって全国山林を視察して歩くうち、その原料土質の豊富と工場立地に適した地域を発見して、ここにセメント工場を建設すれば有望だと、自信を持って実業家に勧めえたことがある。しかも、それが立派に成功したのだった。

・また私は旅行するときにはいつも、尺度の目盛りをつけたバンドを締め、同じく目盛りのついたステッキを携えることにした。そうして、行く先々で、交通機関や公園設備やその他の都市計画などを見て、これは新しい、これは珍しいと感じたことは、何にでも立ち入って調査を進め、バンドやステッキで寸法までとって丹念に記録しておく。これが後年、私の風景地問題や、公園、鉄道、ホテル、温泉、その他の観光事業に関係せしめるもととなり、また東京市の関東大震災復興に際して後藤新平氏を助けえる絶好資料ともなったのである。

・一度世話を受け、恩になった人には、その後の中間報告を怠らず、心配の上にも心配をかけぬ程度に、自分の現状を細かに知らせるのがよろしい。音信不通の上、突如として驚かせに出るよりは、どれだけその方が謝恩になるかしれはしない。

・いかなる不運、不幸も、不景気も、けっしてそれが永久的に続くものではない。時計の振り子のごとく、また波の起伏のごとく、やがては元に戻るものである。時が来れば必ず元へ盛り返すものである。したがって、我々順調の時、好都合の時、得意の時には、一刻の猶予をおかず、大いに活動し、大いに伸びるべきである。その代わり、逆境の時、思うに任せぬ時、失意の時にはよく耐え、よく忍び、鳴りを静めて雌伏すべきである。また雌伏を幸い修養の工夫をし、知識を養い、英気を加えて、じっと自説の到来を待たなければならぬ。こういう態度でことに臨めば、順も可、逆もまた不可ならずで、どちらへ転んでも、実力の発揮と実力の貯蓄時代となる。実力さえ己にあるならば、風雲到来の暁は、いつでも、ただちに奮起勇進することができる。 


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