ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

 2008年10月から「第2マキペディア」として続けることにしました。

教育の広場、第65号、投書とお返事

2006年01月21日 | ご意見の広場
教育の広場、第65号、投書とお返事

(2002年01月24日発行)

 U・T氏から2通の投書をいただきました。それを掲載します。

 第1の投書

 近頃のマガジンには読者の投稿が載っていません。これは投稿が
無いのか、多過ぎて載せられないのか、意図的に載せないのか、ど
のような状況なのでしょうか。少し気になります。

 それと、牧野さんは非常勤講師の授業についても、教員と同様の
評価を当てるべきと考えておられるようですが、私もそれは当然と
思います。ですが、現実は全く違います。大学に限らず、ほとんど
の教員の頭の中は、正教員だけが教師であると思っているでしょう。
彼らは区別しなくてはいられない連中のようですね。

 それと、いいかげんな教師の評価を下げることを提案されていま
すが、これは非常に重要なポイントであると思います。この発想が
無いため、日本の社会はいつまでたっても改善されないのです。分
かりきっているはずのこの事が、実行される事が、今の社会には最
も重要であると私は考えます。


 牧野からのお返事

 最近、投書が載らないのはただ投書がないからです。ではどうし
て投書がなくなってしまったのでしょうか。それはいろいろと考え
ていますが、一番大きな原因は、「自分の考えを自分にはっきりさ
せる」ために話し合うということを家庭でも学校でも練習しておら
ず、そういう事に慣れていないからではないかと思います。

 最初の頃、投書を下さった方は、どこか、「牧野の間違いを論破
しよう」という感じがあったと思います。そこで、それは本メルマ
ガの目的ではないとして、目的をキャッチコピーとして掲げました
。それ以降、投書が少なくなったように感じます。

 民主主義の成熟を待ちたいと思います。


 第2の投書

 こんにちは。
 いつも「教育の広場」を送っていただきありがとうございます。

 第63号「『小泉ビジョン』について」の号について、いくつか
感想を記させていただきます。

 この記事で、小泉氏をヒトラーになぞらえているところがありま
した。私は、小泉氏の言動に報道で接するとき、よく毛沢東を連想
します。小泉氏も毛沢東も名言が得意です。毛沢東の中国語のニュ
アンスは分かりませんが、翻訳の限りでは、何となく似ているもの
があります。

 小泉:構造改革なくして景気回復なし
 毛:調査なくして発言権なし
 小泉:恐れず、怯まず、捉われず(論語に出典あり)
 毛:革命は、客をよんで宴会をひらくことではない。文章をつく
ることではない、──文質彬彬で「温、良、恭、倹、譲」ではあり
えない。(論語に出典あり)

 これは、偶然や先入観、コジツケによるものだと思いますが、こ
のようなコジツケを考えてしまうのも、一般党員に訴えかけて自民
党総裁選に勝利したときの戦術や直接国民に訴えかけ直接国民の支
持を得ようとする政治手法が、毛沢東の「都市で農村を包囲する」
によるゲリラ戦や文化大革命の「私の大字報」を連想させるからだ
と思います。

 牧野さんは、小泉氏が「民主主義的な方法を使って、今後の日本
のあり方を自分の思う方向へ持っていこう」としていると指摘され
ています。

 小泉氏が内閣での論議や国会での審議を活性化することにより、
自分の主張を実現しようとしているのであれば、民主主義的な方法
を利用していると言えると思います。こうした面からは、小泉氏の
政治手法が民主主義的な方法を利用しているとは思えません。

 小泉政権になって、大臣を含め、私的諮問機関や懇談会の設置が
さらに増え、国会の形骸化が進んだと伝えられています。インター
ネットにより大衆的に小泉ビジョンを作成することも、それを大規
模にしたものではないかと思います。

 少数の仲間内で相談して物事を決め、マスコミを通じ国民に直接
訴えることで国民の情緒的な支持を得た上で、実行に移す、という
のが小泉流だと思います。毛沢東の大衆路線と似ています。

 私が現在携わっている仕事(役所の社会福祉)の関係でも、住民
参加による計画づくりが強調されています。地域福祉計画、健康づ
くり計画、高齢者保健福祉計画、障害者福祉計画、母子保健計画と
目白押しです。いずれも、策定にあたっては、国は住民参加を進め
るよう指導しています。その指導に基づき、自治体では、意見の公
募が行われたり、公募市民を交えた検討委員会が開催されたりして
います。

 しかし、国民参加にしても、住民参加にしてもその国民や住民は
とてもあいまいです。それが多数意見かも正確には検証できません
し、意見が割れたときの処理方法など、民主主義に必要なルールは
ありません。有力者や声の強い人ほど意見を反映させやすいという
問題もあります。インターネットもすべての国民が利用できる訳で
もありません。国民参加や住民参加を強調すればするほど、民主主
義が形骸化していくような面があるように思います。

 この矛盾を解決するには、国民投票制度や住民投票制度も検討さ
れてしかるべきだと思いますが、国レベルでは、例えば、内閣や国
会の構成員全員がインターーネットを通じ意見交換を行い、その状
況を国民に逐次公開する場(電子閣議や電子国会)をつくることに
より、今ある間接民主主義制度により選出された構成員による討論
を深めるようにしていったらどうでしょう。

 現在の難局にあっても、その対策を検討するため、1日でも半日
でも時間をとって閣議が開催されたという話は聞いたことがありま
せん。野党はシャドウキャビネットを作って政権交代に備えよ、と
よく言われます。しかし、与党にはシャドウではないホンモノの内
閣があるのでしょうか。実情は、個々の大臣がいるだけのように思
われます。
(年末に見たテレビによると、小泉政権になって、形式的な閣議終
了後、若干のフリーディスカッションの時間ができたそうですが。)
 国会論議の貧困もよく指摘されるところです。

 小泉氏が本気で国民に小泉ビジョンの策定を問いかけたいのなら、
自民党内外を問わず、法的にはもっとも正統な国民の代表者たる国
会議員全員による電子国会に諮ったらどうでしょう。

 また、小泉氏がこの内閣で現在の難局を乗り切りたいのなら、電
子閣議で徹底的に解決策を話しあったらどうでしょう。

 それでは、また、よろしくお願いします。


 第2の投書

 面白い視点で、参考になりました。ありがとうございます。

 U氏の意見を整理してみますと、次の2点になると思います。

 A・内閣と国会の議論を活性化するのが(間接)民主主義である
。その活性化された内閣と国会の議論に国民がコミットするのが正
道である。

 B・内閣と国会の議論の活性化を抜きにして、私的諮問機関や懇
談会を増やしたり、住民参加を進めたり、直接国民に訴えたりする
のは(法的に正当な)民主主義ではない。これは毛沢東の大衆路線
と似ている。

 なぜなら、国民参加や住民参加という時の国民や住民はあいまい
で、その時には何が多数意見かの検証はできないし、意見が割れた
時の処理方法が確立していないし、インターネットも皆が使えるわ
けではないからである。

 長野県で田中康夫知事が登場してから、車座集会とかで県民と直
接話し合うことが多くなったのに対して、多くの県会議員から出さ
れている疑念と似ているように思いました。

 最近多くなってきました住民投票の請求に反対する意見の論拠も
これだと思います。

 たしかに直接民主主義がいつでもどこでも好いとは言えないと思
います。それに、日本は憲法上、間接民主主義を採用しています。
しかし、トップが一般の大衆と直接話し合うことは憲法上も否定さ
れていないし、間接民主主義とも矛盾しないと思います。

 田中知事にしても小泉首相にしても、国民の政治に対する関心を
高めた功績はあると思います。そして、まずこれが民主主義の根本
だと思います。これを更にどう生かしていくか、これが問題なのだ
と思います。

 内閣の議論も国会の議論もインターネットでの討論も、全部活性
化させたらいいのではないでしょうか。

 お返事になったかなと思いつつ、今回はこれで終わりにします。

 ほかの皆さんも自分の意見を出して下さい。