教育の広場、第 240号(責任転嫁男の末路)
2006年08月21日の朝日新聞の声欄に次の投書が載っていました。
これはテーマを決めて投書を募集したもので、テーマは「全共闘」
でした。字数制限は 500字だったようです。題名は新聞社で付けた
のだと思います。
記
学問とは何か自問せぬ学生(無職、K・T、愛知県瀬戸市63歳)
私は高校、大学と社会科学研究会(社研)に入っていた。マルク
ス主義の研究サークルで、大抵の高校や大学にあった。大学の自治
会の連合体が全学連である。いずれも終戦直後から出発し、綿々と
引き継がれていた。
1970年を前に全共闘の運動が高揚していった。だが、行動が先に
ありきで理論は駄目だった。国家イコール暴力、とでもいうような
古い信条だった。私は東京の私大に進んだが、全共闘には加わらな
かった。
大学紛争で学長や教授を捕まえて、大衆団交をやる。「学問は何
のためにやるか」などの問いを突き付け、教授たちがまともに答え
られないと言って笑った。学生が学問に志すものなら、そうした問
いは自分にも突き付けられているのだ、ということに気付かなかっ
た。
広範な学生が立ち上がったが、しょせん一時の跳ね上がり。全共
闘が沈静化した後、学園は全くの砂漠となってしまった。私は全共
闘に恨みを覚えている。
(引用終わり)
これまたお粗末な考えの見本です。主要点だけ指摘しておきまし
ょう。
第1点。ご自分は社研に入っていたそうですが、どういう問題意
識で入り、何をして、その結果どうしたのかが書いてありません。
多分、主体性がなかったのでしょう。
第2点。「行動が先にありきで理論は駄目だった」と言っていま
すが、本当は「理論も行動も低劣だった」と言うべきでしょう。こ
の点は拙著「理論と実践の統一」(論創社)で検討しましたので、
繰り返しません。
第3点。理論の低さを「国家イコール暴力」の事だとするならば
、それは又別の問題です。ではK氏は国家の本質をどう捕らえるの
か、それを言わなければなりませんが、言っていません。万事、K
氏には自分の説と行動を積極的な形で述べるという、論争者として
守るべき態度がありません。
私は年を取るほど、行政の横暴や怠慢の度し難さを知って、やは
りレーニンの国家暴力説は正しいと思っています。ここで暴力とは
強制力のことです。
第4点。学問は何のためにやるかという問いを「学生は、自分に
も突き付けられている」のだと言っていますが、この「も」が曲者
です。
教授にも学生にもと言うのは、それ自体としては正しいと思いま
す。しかし、ここで終わるのはごまかしです。授業のお粗末さは先
生にも責任があるが、生徒にも責任がある、と言って終わるのと同
じです。これでは、どうしたらいいのかが出てきません。そういう
のをごまかしと言うのです。
責任のパーセンテージを検討し、イニシアチブはどちらにあるの
かまで検討しなければ「考えた」とは言えません。K氏の間違いは
ここに極まりました。
その結果、最後に、「全共闘が沈静化した後、学園は全くの砂漠
となってしまった」と正しく指摘したのですが、その責任を全共闘
だけにおしつけて、「私は全共闘に恨みを覚えている」と結ぶこと
になりました。
この結論は完全な間違いです。
60年代末の学生運動は、今から振り返りますと、その根底に、
大学の大衆化(進学率が20%を越えた)と、その現実に対処してい
なかった大学との矛盾があったことは明らかです。
これに対して、全共闘はただ「現状は間違っている」とだけ言っ
たのです。その行動方法と共に幼稚な考えでした。勝てるはずはあ
りませんでした。しかし、この問題の解決方法を学生に提示しろと
求める方が間違っていると思います。これを解決するのは大人たる
大学の責任だからです。
これはその後も解決されませんでした。実際には90年代に入っ
て、大学設置基準の大綱化により大学の自由度が増したこと、及び
少子化で、特に私大の経営問題が出て、一部で解決の機運が出てき
たという程度です。
つまり、大学は実際には理論によってではなく札束にひっぱたか
れて少し動いたということです。
たしかに全共闘は幼稚で話になりませんが、だからと言って、す
べての責任を全共闘にだけなすりつけるのは同じように幼稚な考え
で、そこからは何も出てこないと思います。
2006年08月21日の朝日新聞の声欄に次の投書が載っていました。
これはテーマを決めて投書を募集したもので、テーマは「全共闘」
でした。字数制限は 500字だったようです。題名は新聞社で付けた
のだと思います。
記
学問とは何か自問せぬ学生(無職、K・T、愛知県瀬戸市63歳)
私は高校、大学と社会科学研究会(社研)に入っていた。マルク
ス主義の研究サークルで、大抵の高校や大学にあった。大学の自治
会の連合体が全学連である。いずれも終戦直後から出発し、綿々と
引き継がれていた。
1970年を前に全共闘の運動が高揚していった。だが、行動が先に
ありきで理論は駄目だった。国家イコール暴力、とでもいうような
古い信条だった。私は東京の私大に進んだが、全共闘には加わらな
かった。
大学紛争で学長や教授を捕まえて、大衆団交をやる。「学問は何
のためにやるか」などの問いを突き付け、教授たちがまともに答え
られないと言って笑った。学生が学問に志すものなら、そうした問
いは自分にも突き付けられているのだ、ということに気付かなかっ
た。
広範な学生が立ち上がったが、しょせん一時の跳ね上がり。全共
闘が沈静化した後、学園は全くの砂漠となってしまった。私は全共
闘に恨みを覚えている。
(引用終わり)
これまたお粗末な考えの見本です。主要点だけ指摘しておきまし
ょう。
第1点。ご自分は社研に入っていたそうですが、どういう問題意
識で入り、何をして、その結果どうしたのかが書いてありません。
多分、主体性がなかったのでしょう。
第2点。「行動が先にありきで理論は駄目だった」と言っていま
すが、本当は「理論も行動も低劣だった」と言うべきでしょう。こ
の点は拙著「理論と実践の統一」(論創社)で検討しましたので、
繰り返しません。
第3点。理論の低さを「国家イコール暴力」の事だとするならば
、それは又別の問題です。ではK氏は国家の本質をどう捕らえるの
か、それを言わなければなりませんが、言っていません。万事、K
氏には自分の説と行動を積極的な形で述べるという、論争者として
守るべき態度がありません。
私は年を取るほど、行政の横暴や怠慢の度し難さを知って、やは
りレーニンの国家暴力説は正しいと思っています。ここで暴力とは
強制力のことです。
第4点。学問は何のためにやるかという問いを「学生は、自分に
も突き付けられている」のだと言っていますが、この「も」が曲者
です。
教授にも学生にもと言うのは、それ自体としては正しいと思いま
す。しかし、ここで終わるのはごまかしです。授業のお粗末さは先
生にも責任があるが、生徒にも責任がある、と言って終わるのと同
じです。これでは、どうしたらいいのかが出てきません。そういう
のをごまかしと言うのです。
責任のパーセンテージを検討し、イニシアチブはどちらにあるの
かまで検討しなければ「考えた」とは言えません。K氏の間違いは
ここに極まりました。
その結果、最後に、「全共闘が沈静化した後、学園は全くの砂漠
となってしまった」と正しく指摘したのですが、その責任を全共闘
だけにおしつけて、「私は全共闘に恨みを覚えている」と結ぶこと
になりました。
この結論は完全な間違いです。
60年代末の学生運動は、今から振り返りますと、その根底に、
大学の大衆化(進学率が20%を越えた)と、その現実に対処してい
なかった大学との矛盾があったことは明らかです。
これに対して、全共闘はただ「現状は間違っている」とだけ言っ
たのです。その行動方法と共に幼稚な考えでした。勝てるはずはあ
りませんでした。しかし、この問題の解決方法を学生に提示しろと
求める方が間違っていると思います。これを解決するのは大人たる
大学の責任だからです。
これはその後も解決されませんでした。実際には90年代に入っ
て、大学設置基準の大綱化により大学の自由度が増したこと、及び
少子化で、特に私大の経営問題が出て、一部で解決の機運が出てき
たという程度です。
つまり、大学は実際には理論によってではなく札束にひっぱたか
れて少し動いたということです。
たしかに全共闘は幼稚で話になりませんが、だからと言って、す
べての責任を全共闘にだけなすりつけるのは同じように幼稚な考え
で、そこからは何も出てこないと思います。