ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

 2008年10月から「第2マキペディア」として続けることにしました。

教育の広場、第 240号(責任転嫁男の末路)

2006年08月25日 | 教育関係
教育の広場、第 240号(責任転嫁男の末路)

 2006年08月21日の朝日新聞の声欄に次の投書が載っていました。
これはテーマを決めて投書を募集したもので、テーマは「全共闘」
でした。字数制限は 500字だったようです。題名は新聞社で付けた
のだと思います。

         記

 学問とは何か自問せぬ学生(無職、K・T、愛知県瀬戸市63歳)

 私は高校、大学と社会科学研究会(社研)に入っていた。マルク
ス主義の研究サークルで、大抵の高校や大学にあった。大学の自治
会の連合体が全学連である。いずれも終戦直後から出発し、綿々と
引き継がれていた。

 1970年を前に全共闘の運動が高揚していった。だが、行動が先に
ありきで理論は駄目だった。国家イコール暴力、とでもいうような
古い信条だった。私は東京の私大に進んだが、全共闘には加わらな
かった。

 大学紛争で学長や教授を捕まえて、大衆団交をやる。「学問は何
のためにやるか」などの問いを突き付け、教授たちがまともに答え
られないと言って笑った。学生が学問に志すものなら、そうした問
いは自分にも突き付けられているのだ、ということに気付かなかっ
た。

 広範な学生が立ち上がったが、しょせん一時の跳ね上がり。全共
闘が沈静化した後、学園は全くの砂漠となってしまった。私は全共
闘に恨みを覚えている。
 (引用終わり)

 これまたお粗末な考えの見本です。主要点だけ指摘しておきまし
ょう。

 第1点。ご自分は社研に入っていたそうですが、どういう問題意
識で入り、何をして、その結果どうしたのかが書いてありません。
多分、主体性がなかったのでしょう。

 第2点。「行動が先にありきで理論は駄目だった」と言っていま
すが、本当は「理論も行動も低劣だった」と言うべきでしょう。こ
の点は拙著「理論と実践の統一」(論創社)で検討しましたので、
繰り返しません。

 第3点。理論の低さを「国家イコール暴力」の事だとするならば
、それは又別の問題です。ではK氏は国家の本質をどう捕らえるの
か、それを言わなければなりませんが、言っていません。万事、K
氏には自分の説と行動を積極的な形で述べるという、論争者として
守るべき態度がありません。

 私は年を取るほど、行政の横暴や怠慢の度し難さを知って、やは
りレーニンの国家暴力説は正しいと思っています。ここで暴力とは
強制力のことです。

 第4点。学問は何のためにやるかという問いを「学生は、自分に
も突き付けられている」のだと言っていますが、この「も」が曲者
です。

 教授にも学生にもと言うのは、それ自体としては正しいと思いま
す。しかし、ここで終わるのはごまかしです。授業のお粗末さは先
生にも責任があるが、生徒にも責任がある、と言って終わるのと同
じです。これでは、どうしたらいいのかが出てきません。そういう
のをごまかしと言うのです。

 責任のパーセンテージを検討し、イニシアチブはどちらにあるの
かまで検討しなければ「考えた」とは言えません。K氏の間違いは
ここに極まりました。

 その結果、最後に、「全共闘が沈静化した後、学園は全くの砂漠
となってしまった」と正しく指摘したのですが、その責任を全共闘
だけにおしつけて、「私は全共闘に恨みを覚えている」と結ぶこと
になりました。

 この結論は完全な間違いです。

 60年代末の学生運動は、今から振り返りますと、その根底に、
大学の大衆化(進学率が20%を越えた)と、その現実に対処してい
なかった大学との矛盾があったことは明らかです。

 これに対して、全共闘はただ「現状は間違っている」とだけ言っ
たのです。その行動方法と共に幼稚な考えでした。勝てるはずはあ
りませんでした。しかし、この問題の解決方法を学生に提示しろと
求める方が間違っていると思います。これを解決するのは大人たる
大学の責任だからです。

 これはその後も解決されませんでした。実際には90年代に入っ
て、大学設置基準の大綱化により大学の自由度が増したこと、及び
少子化で、特に私大の経営問題が出て、一部で解決の機運が出てき
たという程度です。

 つまり、大学は実際には理論によってではなく札束にひっぱたか
れて少し動いたということです。

 たしかに全共闘は幼稚で話になりませんが、だからと言って、す
べての責任を全共闘にだけなすりつけるのは同じように幼稚な考え
で、そこからは何も出てこないと思います。

教育の広場、第 239号、学力低下教師の見本

2006年08月22日 | 教育関係
第 239号、学力低下教師の見本

 2006年08月20日の朝日新聞の声欄に次の投書が載っていました。

         記

 刺激に満ちた放送大学受講(高校教員I・N。栃木県野木町、53
歳)

 私は8月上、中旬に放送大学の面接授業を受講した。ペ・ヨンジ
ュンさんの影響で、韓国語を2年前からテレビで学んでいる。この
春からは放送大学の放送授業も受けてきた。そして、韓国語を母語
とする先生に直接教えてもらう機会を得たのだ。

 2時間15分の授業を5コマ受けた。受講生は男女半々で、20代か
ら70代までの15人前後。誰もが真剣で、私語は聞こえず、居眠りす
る人などもちろんいない。先生の一語一語を聞き漏らすまいと、み
な必死で取り組んでいた。

 普段は教える側の私も教わる側に戻り、楽しく受講した。そして
思った。学校数育も本来、このようにあるべきではないのか、と。

 振り返って今日、学習意欲に欠け、理由がないのに欠席する生徒
が学校でまま見受けられる。これでは学力は定着しない。本人にも
マイナスと思われるが、多くはそのまま卒業していく。働く意思の
乏しいニートや、低収入の職しか得られないワーキングプアが生ま
れている。

 放送大学での受講は刺激に満ちていた。(引用終わり)

 この投書は、放送大学での授業の様子(とくに生徒の態度)と自
分の高校での授業の様子(同)とを比較しています。そして、それ
だけです。

 この違いがどこから来たのか、これこそ考えるべきなのに、それ
は考えていません。少なくとも書いてありません。そして、自分の
学校の授業を改善するために今後自分はどうするつもりなのかも書
いていません。

 高校教師でもこのレベルなのでしょうか。まあ、考えてみれば、
予想できたことです。

 なぜこうなったのでしょうか。大学でしかるべき教育を受けてこ
なかったからだと思います。つまり大学教員の学力が低下しており
、熱意がないからだと思います。

 そのために、学問とは何かも分からないまま、学問する方法の練
習もしないで、単位だけ取って教員の免状を取得したのでしょう。

 教師になってからは、こういう教師を指導するのはまずは校長の
仕事です。次いで教育長の仕事でしょう。教育長の仕事には校長の
指導もあると思います。最後に、こういう指導力と熱意のある教育
長を任命するのは県知事の仕事だと思います。

 栃木県では知事も教育長もやる気と見識と指導力がないのでしょ
う。わが静岡県でも同じです。


PTA新聞での経験(投稿)

2006年08月15日 | ハ行

投稿(PTA新聞での経験)

                K・T

 ご無沙汰しています。いつもメルマガを拝読しています。

 もうお忘れになったかもしれませんが、以前にメールを差し上げたことがございますKです。

 〔「教育の広場」第237号の〕第1は、ニセの教師と本当の教師とはどこが違うかということです。それは「自分の事を言うか否か」だと思います。(引用終わり)

 このところを読んで、思い出したことがあります。息子の東京の公立高校で、PTA新聞の係をいたしました。

 先生方に「私の高校時代」を書いていただいたのです。担任はもちろん、校長先生も選科の先生も、お忙しい中を、先生皆さん(お一人抜けました)が書いてくださいました。

 野球の球を追って、毎日真っ黒になっていた、
 絵ばかり描いていて、勉強しなかった、
 将来の不安なのか、自分探しなのか、なぜか暗かった、
 生物が大好きで虫や魚を飼っていた、

等々あったように思います。

 生徒たちが、先生に親しみを感じてくれればとの思いがあったのですが、短い中にも、思いがけないようなお話も、いかにもあの先生らしい、というお話もあって、家庭でも話題になったようでした。

 高校といういろいろものを考える時代がテーマだったのが良かったのかもしれません。

 でも、先生ご自身の中学時代でも、小学校時代でも、また「私の父」「私の母」などというテーマでも、お書きいただいても良かったな、と思います。

 私はその1号だけが担当だったので、それ以上はしなかったのですが。

 当時は職業を持っていたため、学校を訪ねることも少なかったのですが、先生方とお話がなんだか通じやすくなったように覚えています。

 それでどうした、というような話題ではありませんが、何事もきっかけが必要かもしれない、こんなことで、親や生徒と先生方との良い関係ができれば・・・と思いました。

 失礼いたしました。 お暑い日が続いております。お体大切にお過ごしくださいませ。


     お返事(牧野 紀之)

 Kさんのことは覚えています。

 私が「自分の事を言う」と言いますのは、さしあたっては「自分がどういう研究をしているか、自分は授業のやり方でどいう工夫をしているか」を言うことです。

 多くの教師は、大学教員でさえ、その点で言うべきものを持たないので、学校や大学のホームページはお粗末になっているわけです。

 しかし、学生時代のこととか、個人的趣味なども言って悪いことはないし、学校の中では少しは言った方がいいでしょう。

 退職されたようですが、経験を生かして、後世によりよい社会を残すようにがんばってください。


霜村三二著「らぶれたあ」 学級通信

2006年08月13日 | カ行
 前号で取り上げました「イチローに学べ」と言うニセ教育者とは正反対の本当の教師の本に出会いました。霜村三二(さんに)著「らぶれたあ」(かもがわ出版)です。先日、朝日新聞で紹介されていましたので、町の図書館で買ってもらいました。地元の教師のためも思ってのことです。

 この本は埼玉県の小学校で、最近は主として低学年の担任をしている霜村さんが、教師になって以来約28年間、ほとんど毎日欠かさず発行してきた学級通信のまとめです。

 四六版で全部でわずか 175頁の本ですから、とても28年間のものを全部含んでいるとは言えません。最近のものを中心にまとめたと思われます。

 読んでいると、生徒(私は生徒のことを「こども」と呼ぶのに賛成できません)向けのもあるのですが、親向けに発行しているという面も強く持った学級通信だと思います。

 親の方も又、それに応えて、感想などを書いて子供に持たせているようです。それもかなり載っています。断っておきますが、親というのは母親だけではありません。父親もがっばっています。

 主な感想だけをまとめます。

 第1は、ニセの教師と本当の教師とはどこが違うかということです。それは「自分の事を言うか否か」だと思います。

 ニセの教師はイチローを褒めて、イチローに見習えと言うだけで、自分の事は言いません。それに対して霜村さんは自分の事を具体的に沢山書いています。

 根本的に人間観が違います。霜村さんは「いろんな子がいる、だから面白い」(16頁)という考えです。ここからは「イチローのようになれ」という説教は出てきません。

 第2に、霜村さんは自分の考えと指導法を具体的に語っています。とても面白かったのは、「もめごと解決法」(22頁)です。それは次のような箇条書きにできるでしょう。

 例えば或る生徒が「誰かが〔自分を〕ぶった」と言ってきた時。

 まず、「どうして○○はキミのことをぶったの?」と聞く。
 これで、その子がこの事をどう考えているかが分かる。

 次にぶった子を呼んで、話を聞く。
 互いに、相手の話を遮って話そうとするので、相手が言い終わるまで黙って聞くことを求める。

 周りの子に確かめながら事実をはっきりさせる。

 霜村さんの根本的な立場は「先に手を出した方が悪い」(暴力的対応をした方により多くの非がある)というものです。これを具体的に確認する。

 しかし、しこりを残さないように、スカッとした気分で終わる終わり方(逆再現ビデオ)を開発して実行している。

 それは次の通りです。

 (このけんかを)互いに役割を入れ換えて演じ(再演)させる。
 教師がナレーションで過剰な説明をしながら進める。
 途中から笑いだして、どうでもよくなって、大笑いの内に終わる。

 第3に、しいて本書の欠点ないし限界を指摘するならば、校長や教育長のことは書いていないということです。

 「放課後の自由な教育談義が消えかけている」(51頁)、「現状の学校の仕事の大半が上から決められたことをいかにうまくこなすかに終始している」(3頁)といったことは、1教師の力ではどうしようもない事です。しかし、これ以上は論じていません。

 霜村さんは「生涯1教師」でいたいそうです。私は何もこれを批判するつもりはありません。

 しかし、教師としての努力では限界があると感じて校長になった蔭山英男さんのような人もいます。

 とにかく、学校教育は個々の教師が行うものではなくて、校長を中心とする教師集団が行うものである、という観点だけははっきりさせておかなければならないでしょう。

 最後に、しかし、霜村さんの学級通信のようなものこそ「本当の説明責任」( 155頁)だ、という考えは強く支持します。

 最後の後にもう一つ。優れた学級通信や教科通信を地元の公立図書館に備えるように努力しませんか。第 186号で提案したものに本書を加えると次の4点です。

 霜村三二著「らぶれたあ」(かもがわ出版)

 田中正史著「?(なぜ)と!(びっくり)を見つけよう」
   (KKベストセラーズ)

 妹尾和弘編著「私の目は死んでいない」(評論社)

 牧野紀之著「哲学の授業」(未知谷)

 これで小学校、中学校、高校、大学と、それぞれに1冊、出そろったわけです。このほかにも適当なものがありましたら、教えてください。(2006年08月13日発行のメルマガ「教育の広場」)

          関連項目

学級通信と教科通信と学年だより

教育の広場、第 236号、イチローを褒める校長たち

2006年08月10日 | 教育関係
第 236号、イチローを褒める校長たち

 近隣の中学校のホームページに入学式と卒業式の校長式辞などが
載るようになりました。それを見ると、イチローの小学校6年生の
時の作文が引用されています。南中(浜松市立南部中学校)と北中
(同北部中学校)の2つがあるのですが、南中では入学式の式辞で
引用されています。北中では始業式の挨拶の中にあります。

 両校の学校目標は共に似たようなもので、「夢を持ち、粘り強く
挑戦する生徒」と「求めて学ぶ心豊かな生徒」です。

 そして、その学校目標の模範的な例としてイチローが紹介されて
いるわけです。折角ですから、そのイチローの作文を全文紹介しま
しょう。

 ・・僕の夢は、一流のプロ野球の選手になることです。そのため
には、中学・高校で全国大会へ出て、活躍しなければなりません。
活躍できるようになるには、練習が必要です。

 僕は、その練習には自信があります。僕は3歳の時から練習を始
めています。3歳~7歳までは半年ぐらいやっていましたが、3年
生の時から今までは、 365日中、 360日は、激しい練習をやってい
ます。だから一週間中、友達と遊べる時間は、5時間~6時間です。

 そんなに練習をやっているんだから、必ずプロ野球の選手になれる
と思います。そして、中学、高校でも活躍して高校を卒業してから
プロに入団するつもりです。そして、その球団は中日ドラゴンズか
西武ライオンズが夢です。ドラフト入団の契約金は、一億円以上が
目標です。

 僕が自信があるのは、投手と打撃です。去年の夏、僕たちは全国
大会へ行きました。そして、ほとんどの投手を見てきましたが、自
分が大会のナンバーワン投手と確認できるほどです。打撃では、県
大会4試合のうちに、ホームランは3本打ちました。そして、全体
を通した打率は5割8分3厘でした。

 このように、自分でも納得の成績でした。そして、僕たちは、一
年間負け知らずで野球ができました。だからこの調子でこれからも
頑張ります。

 そして、僕が一流の選手になって試合に出れるようになったら、
お世話になった人に、招待券を配って、応援にきてもらうのも夢の
一つです。とにかく一番大きな夢はプロ野球の選手になることです。
(引用終わり。かなは適宜、校長が漢字に直したようです)

 つまり、イチローは「夢を持っていた」し、「挑戦した」し、支
えてくれた人々に感謝する気持ちを忘れなかった、というのです。


 こういう説教は、多分、多くの学校で「生きた屍」みたいな校長
などによって繰り返されているのでしょうから、一度、私見を述べ
ておきましょう。

 まず、生徒はこういう説教をされてどう思うかということを考え
てみましょう。イチローのようになろうと思う生徒も少しはいるで
しょうが、ほとんどの生徒はイチローと自分は違うから、と思うと
思います。もう少しヒネた生徒なら、「校長や教師は一体どんな夢
を持っているのだろう。とても夢に向かって努力しているとは思え
ないけど」と思うでしょう。

 第1点。子供は兄弟姉妹と比較して言われるのをとても嫌うとい
うことです。先日も、大学を出て仕事もしない息子が、母に兄弟と
比較されて批判をされたために怒って母を殺したという事件があっ
たと思います。まあ、殺すのは論外ですが、母の叱り方も問題だと
思います。

 人は皆、問題を抱えて生きています。それを叱っても解決しませ
ん。じっくり話を聞いてあげるのが本当の親切だと思います。

 まして、学校教師たるもの、これくらいの事は弁えていなければ
ならないでしょう。それなのに何十年も教師をしてきて校長になっ
た者が、異常な努力をして成功した例外的な人を模範とせよと説教
するだけいうのでは、不登校になるのは当然でしょう。

 第2点。こういう説教を聞いて思い出すのは、かつて中国で毛沢
東が提唱した「雷峰に学べ」という運動です。雷峰は人民解放軍の
一兵卒でしたが、とても倹約し、滅私奉公の精神を体現し、何かの
事故か誰かの犠牲を肩代わりして死んだのです(詳しい事は忘れま
した)。

 死後、その日記が発表され、毛沢東が褒めて、その運動が起きた
のです。

 では、その運動の最中、毛沢東自身は何をしていたのでしょうか
。過日公刊されました「マオ」(講談社)によると、ハーレムを作
り、別荘を50軒くらい作り、贅沢三昧の生活をしていました。

 つまり、模範的な人間とやらを褒めて、「○○に学べ」という運
動を起こす指導者は、模範者の陰に隠れて私利私欲を貪るニセ者な
のです。

 では、南中の校長と北中の校長はどんな「夢」を持って「自分を
信じて努力」して、その結果どうなっているのでしょうか。

 著書や論文はないようです。ホームページを見ても、自分の事は
ほとんど書いてありません。ですから、想像するしかないのですが
、ホームページに書いてないという事が最大の手掛かりになります


 つまり、公表できるような「夢」も持っていないし、「努力」も
していないということです。

 では、本当に全然「夢」がなく、「努力」もしていないのでしょ
うか。そういう事はないと思います。

 では、どういう夢を持っているのでしょうか。公立学校の校長に
なって年俸1千万超にありつきたいという夢です。

 では、どういう努力をしてきたのでしょうか。お上には楯突かず
、特別の努力をして目立ったりしないという「努力」です。こうい
う「努力」もあるのです。そして、そういう努力を30年なり、40年
なり続けて、ようやく年俸1千万超にありついたのです。

 年俸1千万超というのは日本の勤労者の約5%だそうですから、
立派な「夢の実現」だと思います。

 今後の「夢」は、定年まで消化試合をして、多額の退職金をもら
い、十分な年金をもらおうというものです。

 今は、イチローのような生き方だけが理想ではないということは
言うのを控えます。また、中学生に対する式辞とはどうあるべきか
、それも今は論じません。

 今回はっきりさせたい事は、「○○君(さん)のようになりなさ
い」という教育は最低の教育だということです。もしその○○さん
が本当に模範的だったとしても、結果としてそうなるような具体的
な指導をするのが教師の仕事なのです。「○○さんのようになりな
さい」でそうなるのでしたら、教師は要りません。

 詳しくは、拙稿「批判と自己批判」(拙著『ヘーゲルからレーニ
ンへ』鶏鳴出版に所収)に述べました。