ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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「ユーゲント」第07号(1999年07月28日)

2007年08月31日 | 教科通信「ユーゲント」
「ユーゲント」第07号(1999年07月28日)

              ドイツ語教室の教科通信

 いつもは前期に2回、アンケートを取って、皆さんの意見を聞くのですが、今年は3回となりました。今回、通読してまず印象に残った事は、アンケートに対する皆さんの取り組みがとても熱心になったということです。

 内容も豊かになりましたし、何より分量的にいままでより沢山書いて下さるようになりました。皆さんが「このアンケートは書くに値する」と判断した結果だと思います。嬉しい事です。「落ちついた対話」路線はまず第1の成果を挙げました。

 纏め方としては、今回は、皆さんへの問題提起を多くするという方針にしました。夏休みに、友だちと、そして何よりも家族と話し合って下さることを希望します。

   演劇大会について

- 中学の頃は少しは会話とかをやったけど、高校の英語は受験のためだけだったので、あまり楽しさを感じなかった。だから私は演劇大会はとても意義があったと思う。みんなの会話を聞いて、笑うところがあったりして、あの時の授業は楽しかった。内容はあのくらいでちょうどよかったと思う。

 ★ 全体に好評でした。「又やりたい」という意見は人文のクラスに多く、工学部では「もうやりたくない」という意見もかなりありました。クラス全員の顔を見ることが出来た、分量が多かった、全員が同じ文だったので終わりの方はマンネリ化した、大会そのものより準備に意義があった、次はアドリブを入れたい、などの意見がありました。

   「和敬塾」のビデオについて

──やはり男はいい。女には絶対できない盛り上がりだと思う。私はもともと集団生活が好きで、片山寮などにも入りたかった性質なので、和敬塾にはとても憧れる。

 けれど彼らには自分の時間があるのだろうか、という疑問が湧いてきた。片山寮にはプライバシーがない!と知り合いがよく言っている。しかし、ともかく彼らは自分のやりたいことを見つめ、考え、実行している。

──自分は寮に入っているが、人生について相談したことがない。何日間もかけての体育大会があるのは楽しそうだ。

 ★ ああいう生活はしたくない、という意見ももちろん何人かありました。

   6月に宿題を多くし、7月は少なくする方針について

 ★ 支持率が高かったようです。7月はやはりレポートや試験が多いようです。6月攻勢は辛かったという人もかなりいました。

──6月は、大学の行事やサークルのコンパなどが終わり、ふと気が抜ける時期で、宿題が適度にあったのはよかったと思う。7月は試験等もあるし、宿題が少ないのはありがたい。

   フレッシュマン・セミナーについて

 少数ながら先生が話すだけの授業とかもあったようですが、多くは「誰かが調べてきて発表し、それについて皆が質問、意見を出す」というゼミだったようです。もちろん議論の盛り上がった所とそうでない所とがあったようです。

 どこかに見学に行ったゼミもあるようです。これは始めて知った事ですが、抽選漏れでゼミに参加できない人もいたようです。このゼミには皆が参加できるようにするべきだと思います。

──人文学部法学科のN教官が開いた「知的探究の方法」というのに参加しました。内容は、現代社会の問題についてのディスカッション。ダイオキシンごみ問題、原発、食糧問題などを、各人が調べてきて、話をしました。

 先生は毎回、新聞のコピーを持ってきて、それについて話をしました。とても興味深い話ばかりで、良い授業だったと思います。とても面白かったです。

──討論のセミナーで未修外国語について話し合った。そこで出た内容は、未修外国語を1~2年やった程度では言葉の理解は難しい。更に英語の理解は中高とやりつづけたにもかかわらず出来ていない所からみても、更に未修外国語を学ぶより英語を完璧にする方が好いという結果だった。

 ★ 未修外国語を肯定する意見はなかったのですか。先生の意見は? 授業方法やクラスの人数の点は問題になりませんでしたか。

   アンケートについて

──前期の最後の授業の中で授業に対する評価を提出するのがありました。選択式・匿名のものです。アンケートの内容が授業に反映されるのは嬉しいことですが、これは対話ではなく、先生の意見の聞けない一方的なものでした。

 昨年、浪人して予備校に通いました。そのとき講師に対する評価をアンケートとして提出しました。予備校の講師というのは評価が待遇に影響するそうで、講師は生徒の反応には敏感でしたが、人気取りに気をつかわなければならないのか、授業態度を注意するのも大変そうでした。一方的な評価を第三者が見て更に評価する制度というのは、このようにご機嫌取りを必要としてしまうのではないかと思います。

 牧野先生のアンケートのように、対話であることが本当の意味でより良い授業のためになるのだと分かりました。昨年は「アンケートによる授業評価」自体を疑問に思いましたが、それが「一方的なアンケート」に対する疑問に変わりました。

 ★ アンケートの種類にはそのほかにもいろいろな分け方があって、先生が自分で取るものと経営者とか学校とかが取るものと生徒が作成するものとの違い、講師の待遇と直結するか否かの違いもあると思います。生徒の授業態度を注意しにくくなるようなのは、やはりどこかおかしいと思います。

──アンケートの記名・匿名の問題ですが、今では教官の意見に大体賛成します。しかし、忘れないでいただきたいのは、匿名の意見を単なるトイレの落書き呼ばわりして捨ておかないで欲しいということです。

 最近話題になった東芝批判のホームページ問題で、ネット上の論議についてやはり某有名キャスターがのたまわっておりました。しかし、東芝は結局折れざるをえない程の反響を巻き起こしたのは事実ですし、その議論の中では冷静で適格な意見を述べておられる方も多くおられました(もっとも、それ以上に聞くに耐えない悪口雑言を並べている輩も多数いましたが)。

 大切なのは、広く意見を聞く姿勢だと思います。言葉を生業としている人はとかく、匿名の意見=低俗な論議→聞く価値なし、としてしまうフシがあるように思えてなりません。

 方向性は違いますが、上記の話題はたくさんの示唆を私たちに与えてくれていると思います(ちなみに、私はこの話題を一歩引いた姿勢で観察していたので、東芝派でも会社員派でもありません)。

 ★ 静岡大学ではアンケートを取る教師は少なく、「学生による授業評価」は制度化されていません。あなたは、アンケートを取らない教師に匿名で「アンケートを取って欲しい」と言いましたか。学長に匿名で要望書を出して「『学生による授業評価』や教科通信を制度化して欲しい」と言いましたか。

 また、あの東芝問題になぜ「一歩引いた姿勢で観察した」のですか。あなたの親やこれまでの先生はそういう態度でいいと教えたのですか。どっちがどう正しいかと考える場合にのみ、人間の思考力は高まるのではありませんか。

 大切なのは広く意見を聞く姿勢だけではないと思います。意見を言う人に対して甘やかさない態度も大切だと思います。

     考えて欲しいこと

 前回と今回のアンケートの中に、教科通信(Jugend)を毎回出して欲しいとか、もっと多く出して欲しい、という要望がありました。これは大切な問題を含んでいると思います。

 まず、アンケートを取ることと教科通信を出すことは良い事である、あるいは「先生はそうあるべきである」ということは前提します。すると、それを例えば月に1回のペースで行っている先生に向かって「毎回やって欲しい」と言うのは正しいでしょうか。

 私は正しくないと思います。なぜなら、その前にまず、それを行っていない先生に、「アンケートを取って欲しい」とか、「教科通信を出して欲しい」と要求する方が先だと思うからです。あるいは学長に要望書を出して、「アンケートや教科通信を制度にして欲しい」と言うのが正しい態度だと思います。

 しかし、多くの人はそうは言わないで、既に行っている先生に「毎回出して欲しい」といった要求をします。何故でしょうか。人間の中には、「言いやすい人に言う」という傾向があるからだと思います。しかし、これでは世の中はよくならないと思います。「言うべき人に言う」というのが、公正な態度ではないでしょうか。

 ちなみに、フレセミについての文の中で、「ここで教科通信が出ていたら、もっと充実したと思う」という趣旨の事を書いている人は一人もいませんでした。少し想像力に欠けるのではないでしょう
か。

     夏休みの宿題について

 これについては2つの問題を提起したいです。

 第1は、「ドイツ語の授業で日本語の小説を読む宿題を出すのは適当か」ということです。3人の人が疑念を表明しています。宿題をした上で、秋に皆さんの意見を聞きますから、宿題はやって下さい。私の立場は「この授業は大学教育の一環としてのドイツ語教育である」ということです。

 第2の問題は「夏休みの宿題が多すぎるか」です。2つの意見を紹介します。

──生徒の意見をもっと聞き入れて欲しいです。先生にとって都合の悪い事でも、ちゃんと聞いて下さい。あと、宿題を減らして欲しいです。先生に取っては最小限でも、私にとっては多すぎます。大学生はヒマだと言われていますが、そこまでヒマではありません。ドイツ語を押しつけるのではなく、もっと興味が持てるように考えて欲しいです。

──今のところ他の授業では宿題は出ていません。牧野先生のこの授業ではそこそこの分量が出ていますが、自分にとってはとてもよかったと思います。そうでなければ、夏休みは勉強をしないかもしれないからです。今後もこの方針は変えずにいて下さい。

   これらの意見についての講師の考え

(1) 「生徒の意見を聞き入れて欲しい」という言い方は「原理的に」間違っていると思います。それは「対話」ではなく「強要」です。皆さんの意見は全部、2度以上読んで、考えています。教師には生徒の意見を聞き、考える義務はありますが、聞き入れる義務はないと思います。

(2) 勉強については、人間はA・B・Cの3種に分類できると思います。
 A・宿題がなくても自分でどんどん勉強する人。
 B・宿題があればやる人。
 C・宿題があってもやらない人。

 Aは変わり者、Bは凡人、Cはろくでなしだと思います。人間はほとんど皆Bです。Bだからこそ、「先生に引っ張ってもらおう、宿題を出してもらおう」と思って学校に来ているのです。

 人によって違うのは、「どの程度の宿題ならやれるか」です。そこで、私は「上」の人に合わせ、「上」の人を出来るだけ伸ばす方針を取っているのです。

     その他

──ビデオ大好きです。先生の授業は1時間半あるように思えません。他の授業はたいてい50分で限界です。組み合わせからくるメリハリと切替えのうまさだと思います。ビデオもその1つとしていいと思います。

 ★ 秋には別の休憩も考えたいと思います。

──アンケートと「ユーゲント」とで、大学にはあまりない先生との会話が出来ていると思う。

──「ユーゲント」を読んでいると、ドイツ語の勉強以上のことを学んでいるような気がします。

──「ユーゲント」の最後にドイツの諺などを書いてくれたらよいと思う。(考えてみます)

──今まで教科通信をこんなにひんぱんに出してくれる先生はいなかったので、新鮮味があっていい。

──独検3級を取ったら、企業で使えるものなのでしょうか。

 ★ 3級ではまだ難しいでしょうが、3級になれば1人で勉強できると思います。

──今まで僕は単に日本を嫌い、外国にあこがれているような人間だった。しかし、静岡に来て、いろいろな人に出会い、外人とも話し合って、日本人には見えない好い所が分かって、とても良い刺激になった。これからは日本全土を見て、なぜ自分が日本が好きになれない日本人だったのかを考えてみたいと、最近は思っています。

──先生は毎週、引佐町からやって来るのですか。だとしたら交通手段は何ですか。いなさ牛乳はおいしいですね。小学5年生の時に観音山〔少年の家〕で飲んで感動しました。

 ★ 今は、たいてい、来る時は新幹線で、帰りはハイウェイバスです。わが家は観音山の麓にあります。観音山には運動のためによく登ります。6キロくらいの水を背負って登って頂上で捨てます。往復2時間ちょっとです。

──もうすぐ夏休みです。先生はどんなことをするつもりですか。私はよく学びよく遊んで充実した夏休みにしたいと思います。

 ★ 最近は、学校のある時は授業の準備で忙しく自分の仕事が出来ません。夏休みはヘーゲルの『精神現象学』の翻訳を続けます。ドイツ文法の研究もしたいです。畑の仕事もあります。大前提は健康の維持で、これが今やとても大変です。

 楽しみは14日の袋井の花火大会です。子供や友人や元・現生徒などが来てくれるのも楽しみです。そうそう、最近買ったパソコンでビアボイスの練習をして、秋からは使えるようになりたいです。

若い頃は7月末の試合の後、1週間くらいアルプスを歩いたものです。信州の学生村に勉強に行ったこともありました。大学1年の時は北海道の家庭学校〔教護院〕で1か月近く過ごしました。

 Ich wuensche Ihnen schoene Sommerferien! (どうぞ素敵な夏休みを!)

「ユーゲント」06号(1999年06月23日)

2007年08月30日 | 教科通信「ユーゲント」
「ユーゲント」06号(1999年06月23日)

                   ドイツ語教室の教科通信

 2回目のアンケートは2枚にもなってしまい、事後処理が大変でした。「濃いめの字で書いて下さい」と書いたのに、薄い字で書いた人も何人かいました。協力して欲しいと思います。しかし、アンケートと教科通信とを取り入れた授業に共鳴して下さる方も多く、楽しい面もありました。メール・アドレスはまだの人がいますが、今後は新しく取ったら、私宛にメールを下さい、「取りました」と。メールの練習になります。

   まず、とても喜んで下さったAさんの意見を紹介します

──アンケートと Jugend は私たちと先生との間でコミュニケーションをとるのにすごく良い手段だと思います。毎回、ただ何となく顔を合わせるだけというのも何だか寂しと思います。人数が多いので大変だとは思いますが、できるだけ私たち一人一人のことを分かってほしいです。

 授業はもちろんのこと、先生と私たちとの関係をよりよいものにするためには、アンケートと Jugend は絶対必要だと思うし、どちらかが欠けてしまったら意味のないものだと思います。今年だけではなく、これからもずっと続けていってほしいです。(中略)高校でもそういうものがあったら良かったのになあ。

 ★ 私はある市立看護専門学校で2年生に後期だけですが、哲学を教えています。哲学史をするのではなく、現実の問題を考えています。こちらは哲学の授業ですから、毎回、その日のテーマ(複数)について資料を読んだり私の話を聞いたりし、話し合いをし、休憩の後、レポートをまとめます。

 私は初めはレポートへの感想も書かないで返していたのですが、段々と感想を書くように変わりました。とても大変でしたが、「先生との交換日記みたいだ」と喜んでくれる生徒もいました。

 去年、教科通信というアイデアを知ってからは、毎回、1人1人への感想のほかに全体のための教科通信を出しました。これが「天タマ」です(私のホームページに載っています)。疲れて病気になりました。しかし、とても好評でした。家族や友人にまで広がりました。

 (生徒は期末には自分のレポートをまとめて文集にします。2部提出します。1部は成績とその根拠とメッセージを書いて生徒に返し、1部は私がもらいます)。

 この経験を踏まえて、本学でも少しやってみようかと始めたのです。

 Aさんがアンケートと Jugend に強く共鳴して下さったのは、Aさんがスクールカウンセラーに興味を持っていることと関係していると思います。カウンセリングというのは結局は、本当の対話だからです。広義の対話には言葉によらない(音楽とか絵とかによる)心の交流もあると思いますが、そこまで拡げないとしても、言葉による対話では話し言葉のほかに書き言葉をうまく使うことが有効だと思います。恋人でも、会って話し合うだけでなく、恋文も有効であることを考えてみると分かると思います。

 Aさんが将来もしカウンセラーになったとしたら、この授業を思い出してもらえるような授業にしたいです。

 それにしても「高校時代にこういう教科通信があったらなあ」という意見は看護学校でも聞きました。多感な高校時代こそ、先生と生徒の間で、また生徒同士でいろいろな事をゆっくりと考え合い、話し合う場が欲しいものです。対話こそが心の教育なのです。

 尚、私はよく考えるのですが、これもワープロと簡易印刷機のお蔭だということです。この二つがなかったら、私には教科通信を作ることは考えられません。逆に、Eメールを皆が使うとか、携帯電話で送るとかになったら、教師の編集作業は大分楽になると思います。LAN(イントラネット)がどの学校にも構築される日も近いでしょうが、そうなったら又変化があるでしょう。

   アンケートと成績

 多くの人が疑問に思っていることは、やはりアンケートと成績の関係のようです。これはとても大きなテーマになりますので、問題点と私の考えを箇条書き風にまとめるだけにします。皆さん自身で今後も思索を深めて下さい。

 (1) 問いは「アンケートが記名式で、かつ成績と関係していることをどう思いますか(これまでに経験した「授業のアンケート」と合わせて考えて下さい)」とありましたが、これまでの経験とそれについての考えを書いている人がほとんどいませんでした。つまり、高校までにこういうものを経験し、問題点を考えたことのある人がいないということでしょう。

 まず、これが問題です。教師(ないし学校)は「授業のアンケート」を取る義務があるかないか、それはなぜか、これは広まってきてはいますがまだ一般化していません。本学でも制度になっていません。これをどう考えたらよいのでしょうか。

 (2) このドイツ語の授業のアンケートの場合、生徒には提出する義務があるかないか。私は「義務がある」と考えています。選挙なら「棄権の権利」もあるでしょう(オーストラリアでは、投票所まで行くのは義務で、白票を投じるのは自由だそうですが、これも面白い考えだと思います)。

 しかし、こういう授業では出さないのは生徒と認めにくいです。そこで、私は、アンケートを2回以上出さないと、可以下の成績にします。1回は見逃します。

 (3) 記名したらアンケートではないとか、本音が書けないという意見がいくつもありました。まず、この「アンケート」は「アンケート」と言っていますが、内容は、「より良い授業のための教師と生徒、また生徒同士の対話」なのです。名前を書かない方が不自然ではないですか。又、「匿名でなければ書けない本音」って、どんな本音でしょうか。トイレの落書きのような本音はトイレだけで十分です。

 人間の心の中には天使と悪魔の両方が住んでいます。匿名にすると悪魔が起き出してきます。悪魔に活動の場を与えるのは避けるべきだと思います。言論の自由と言っても、文字通りどんな事を言ってもよい、どういう言い方をしてもよい、ということではありません。公然わいせつ罪もあれば、名誉毀損罪もあります。

 まして、教師と生徒の関係を前提しての対話では、その自由は極めて狭くなります、教師にとっても、生徒にとっても。人間関係というのは、距離の取り方だと思います。どういうのが良くてどういうのが悪いのか、それは親に聞いて下さい。学校教育は家庭教育で学ぶ姿勢の出来ている生徒に、勉強だけを教えるものです。

 残念ながら、記名にしてもおかしな事を書く人がいます。無礼な人もいます。その程度により、可または不可にします。つまり、アンケートと取り組む「態度」は成績に関係します。尚、アンケートで成績の良くなることはありません。出すのは当たり前、真面目に書くのも当たり前だからです。

 (4) 匿名で授業の評価をしたいというなら、自分たちでやったらどうでしょうか。大学祭で取り上げたらどうですか。すべての授業を同じ基準で評価してみて下さい。ノウハウの資料を提供して、応援してあげます。

 権利があるのにやらないなら、こういう事をする勇気と実行力のないことを、皆さんはまず反省するべきだと思います。ドイツの大学では学生委員会みたいな所でアンケートを実施しています。そもそも「学生による授業評価」は最初、アメリカのハーバード大学の学生が自主的に始めたそうです。日本でも少しずつ出てきたようです。

 早稲田大学の社会人学生が、楽勝科目を教えるのではなく、学問と教育の見地からいろいろな授業を評価し、それを冊子にして売り出したそうです。S大生の奮起を期待します。

 (5) 教師に対して批判的な事などを書くと、真面目な発言なのに、それに対して教師が悪い点をつけるかもしれない、という説もあります。私もそういう例を聞いたことがあります。匿名でも、筆跡で分かってしまい、呼び出されて文句を言われたとか、投書箱への投書について朝礼で教師が非難した、という例も聞いています。もしこういう事が起きたらどうしたらよいのでしょうか。

 (6) 一番の問題は、学校教育の場に、先生と生徒が一緒になって、以上のような問題を実際の事例にもとづいて原理的に(なぜそうなのかを)考える授業のないことだ、と思います。これこそが一番大切な道徳教育であり、心の教育なのに。

  大学の授業は「上」の生徒(才能とやる気のある生徒)に合わせるべきだという講師の考えについてどう思いますか

 どの項目もとても丁寧に論じて下さったN君の意見を全文紹介します

──中学や高校の授業で「上」の生徒に合わせてゆくのは様々に問題になりそうですが、大学は中学までの義務教育を二段階も越えた所にある学ぶ場所なのだから、「上」の人に合わせることは何も問題はないだろうと思います。しかし、語学の苦手な人、しょうがなくカリキュラムの1つとして取らざるを得なかった人にはきついと思います。努力をしてもついて行けないほどのペースだと問題はあると思います。今はまだ努力をすれば誰でもついて行けるのかもしれませんが。

 あと、最初からすごいペースできつい授業だと、ドイツ語を学ぶことをそれほど楽しみにしてきていなかった人は、やる気を失うと思います。あまり気が進まないでドイツ語を学びにきた人の興味をひくことなど、先生には関係ないと言われるかもしれませんが、最初は「下」の生徒に合わせて、興味を持ちやすくするのも一つの方法かもしれないと思います。

 ★ 冷静に広い視野から考えた好い考察だと感心しました。少しだけ疑問を出します。

 (1) 総論(一般論)と各論(この授業の実際はどうか)とを分けて欲しいと思います。(2) 生徒の興味をひくような授業をするということと「下」に合わせることとは同じではないと思います。(3) 皆さん、次回、次の質問に答えて下さい。

 ・この授業は、「努力をしても付いていけないほどのペース」ですか。

 ・この授業では、生徒の興味をひくための工夫が、他の授業より少ないですか。

 なお、やる気の有る無しは何で判断出来るでしょうか。私は、これまでの経験から、音読するかしないかだと思っています。

  語学には読み・書き・聞き・話す・文法の5つの勉強がありますが、この授業での組み合わせ方についてどう思いますか。又ドイツ語で説明する試みをどう思いますか。

 ★ 「書き」(作文)がないという意見がいくつかありました。文法問題の中に少しあったと思いますが、今後は独自にもやっていきます。

 ★ ドイツ語での説明は、特に2回目は動作をつけたので「分かったので嬉しかった」という意見がかなりありました。分からないから無意味だという意見も数人ありました。

 ★ 文法の説明が足りないという意見がかなりありました。私としては、文法自体としての説明と読みながらの説明との全体で考えているのですが。

 ★ 文法の勉強の一部を「教科書を読んで独習させる」方法についても批判がありました。しかし、私としては、大学で授業時間の少ないのは、中学みたいに授業で皆は教えないからだと思っています。

   休憩(主としてビデオ)についてはどう思いますか

 ★ ビデオの続きがみたいという要望が多かったです。特に「和敬塾」は要望が多いので再度取り上げます。

 ★ もう少し時間を長くという意見は、今は難しいです。90分を目一杯使っているので、休憩を増やしたら、何かを削らなければならなくなるからです。

 ★ ビデオ以外のものも取り上げていきたいと思います。

  ドイツへの語学留学の希望、あるいはこの夏休みのドイツ語の勉強の相談


 ★ 文法の詳しい説明を聞きたいという人は、関口存男(つぎお)『新・ドイツ語の基礎』(三修社、1200円くらい)をどうぞ。

 ★ 独検について。

 (1) 4級は資格になりません。3級からは履歴書に書くことが出来ます。来年の6月に3級を受けることをお勧めします。日大三島校か、南山大学(名古屋)かで受けられるでしょう。

 (2) 最近の3~4年、独検のレベルが下がってきています。困ったことです。

 (3) 勉強はNHKのラジオがベストです。春休みの勉強が鍵です。希望者とはいずれメールで相談しましょう。

 ★ 留学したい人とはメールで個人的に相談したいので、必ずメールアドレスを取って、知らせて下さい。一般的な注意としては、 (1) 3年の時、1年間留学するのが一番適切です。
 (2) 十分に準備をしていかなければ1年間では大した成果は上がりません。
 (3) 費用は、学費が年間50万くらい、往復の交通費が20数万くらい、生活費が月8万(年間 100万)くらい、あと旅行の費用とかです。

 ★ アメリカに留学したいという人がいました。工学部の人が語学留学することは問題ないし、よい事だと思います。

 ★ 夏休みの勉強も、宿題のほかに何か勉強したいという人はメールで相談しましょう。

   その他

──先生のやり方がすでにかたまっていて、アンケートの意見が聞き入れられていないような気がします。

 ★ こういう意見は毎年、2~3名から出ます。私の授業は毎年、かなり大きく変わっています。姉妹で私の授業に出た人が、去年、こう書いていました。「私は、牧野先生は多少なりともやり方を変えていると思う。なぜなら、私の姉が以前、先生にドイツ語を習っていたが、今の授業の様子や宿題の量などを話すと、多少変わっているらしいのです」。

 しかし、年度の途中ではあまり変えていません。これには次の2点を考慮するべきでしょう。(1) 最低でも1年やらなければ、その方法がどの程度有効か判断できない(明らかに拙いと分かった時は、年度の途中でも変更する)。(2) 年度の途中でやり方を変えること自体にはデメリットもある(変えることのメリットの方が大きい時のみ変更する)。

 教師は生徒の反応を注意深く観察しつつ授業のやり方を考えていくべきですが、それにも程度(どのくらい注意深く観察し、考えているか)があると思います。皆さんにお聞きしたいのですが、私は、他の教師に比べて、生徒の反応を注意深く観察していない方ですか、注意深い方ですか。

──「仏の牧野」と呼ばれる理由がいまだに分からないので、教えてほしい。

 ★ 看護学校の生徒がある時、こう書いていました。「先生は最初に聞いていたほどこわい人ではなかった。むしろ真剣に話をしている途中に時々見せてくれる笑顔が仏のように思えて、いい先生だと思った。」

──ドイツ人とメールのやり取りをしたいのでその方法を教えて。

 ★ ホームページ「哲学の広場 - 考える楽しさを分かち合う」の「リンクのコーナー」を開いて下さい。そして、「ドイツ」をクリックして下さい。ドイツとドイツ語関係のサイト〔日本語で書かれたものもドイツ語で書かれたものもあります〕にアクセス出来るようになっています。もちろん、メール友達なども探せるようになっています。

──先生の研究室はどこですか。

 ★ 私は非常勤講師ですから、研究室を持っていません。水曜日に授業に来るだけです。

──某語学の講義では大したこともしていないらしい。そんな人達と、ちゃんと授業をしている僕らが同じ単位をもらうのはおかしいと思いました。(同感)

──前にある講義で未修外国語について討論しました。その結果、未修外国語の必要性というものに疑問が上がり、何のために、またなぜいまだに学ぶ必要があるのか分かりません。

 ★ その討論でどういう意見が出たか、詳しく教えて下さい。いずれこのアンケートでも聞いてみましょう。

──僕は正直なところ、ドイツ語が簡単だと聞いて、ドイツ語を選びました。しかし、全くそんなことはありませんでした。4月5月は、ドイツ語が苦痛で、毎週、この授業の前はおびえていました。しかし、今は、ドイツ語は、やればできるということが分かり、これからやっていけそうで、安心しています。

 ★  Deutsch macht Spass!

   ドイツの大学の一面

 日本の大学の時間割では枠組みが決まっています。1時間目は9時から10時半までで、2時間目は10時40分からとか。そして、その枠の中にいろいろな授業が配置されていくのです。

 ドイツの大学ではこの枠組み自体が決まっていないみたいです。ある先生は9時から11時まで、他の先生は10時から11時まで、第3の先生は10時半から12時半まで、と授業の長さも時間も先生の勝手なのです。しかも、夜の6時から8時までの授業とかいったものも結構たくさんあるのです。

 聴講も勝手です。ゼミみたいなものは、見学させてくれと断りますが。本当に自由な所です。授業が終わると、たいてい、学生は手で机をコツコツコツとノックします、「ご苦労さん」ないし「ありがとう」という意味です。これを Klopfenと言います。生徒が発表した時などにもこれをします。

「ユーゲント」05号(1999年06月16日)

2007年08月29日 | 教科通信「ユーゲント」
「ユーゲント」05号(1999年06月16日)

                ドイツ語教室の教科通信

   9日の小テスト

 この小テストから成績に関係させます。
 定冠詞の格変化をしっかり覚えて下さい。複数はdie, der, den,die です。複数3格形を dem としている人が何人かいました。

 名詞の覚え方自体が出来ていない人がまだ何人かいます。これはみな×です。

   der Tisch,-e 。─
 定冠詞・見出し語・コンマ・複数1格形(-を使うこと)

 20点の人が人文で2人工学部で1人でした。人文には19点も何人かいました。0点が数人出ました。12点は取るようにして下さい。

   「舌切り雀」か「舌切られ雀」かの研究法

 ユニークな答えを紹介します。工学部には面白い答えが少なかったです。

──おとぎ草紙のような「舌切り雀」のもととなっている物を探して、まず読む。そこに「舌切られ雀」とあれば、現代になって「られ」が「れ」に変化したものだと分かるだろう。そして、「舌切り雀」のモトがなく、口によって伝えられてきたものかもしれないと思ったら、「舌切られ雀」を百回くらい続けて唱えてみる。そうすると「舌切り雀」になるかもしれないので。

──日本語では、主語を省略して、動詞+目的語という形にして、その動詞をさらに形容詞化するという現象が存在する。「舌切り雀」の場合、「人が雀の舌を切る」→「雀の舌を切る」→「舌切り雀」となる。

──「舌切られ」と言うと残酷な感じが出てしまうので、「舌切り」とつけたと思うので、他の日本の昔話の題名をいろいろ調べ、残酷な感じのする言葉が切り取られていることを明らかにする。

──ほかに「止まり木」などの例を出して、類似性でせめる。

──たくさんの人、様々な年齢層の人々に、「舌切る雀」「舌切り雀」「舌切られ雀」などいくつかの解答パターンを提示してアンケートをする。選んだ理由も述べてもらう。その結果を導き出し、日本人の表現法のデータをとる。

──舌切り雀に出てくる雀は、おばあさんが作ったのりを食べてしまう、という良くないことをした結果として、舌を切られた。だから、直接舌を切ったのはおばあさんだけど、「雀が良くないことをしたから」というふうに、雀自身に原因があるから、雀自身がやったと同じなので、「舌切り雀」というようになった、と思う。

──「舌切り雀」は舌を切られた雀の話だが、これは「舌切る+雀」をまとめて全体を名詞化したもので、例えば「焼き肉」も焼かれた肉で、「焼く+肉」を名詞化したものではないかと思う。

──アメリカのNASAに行ってタイムマシンを作ってもらい、「舌切り雀」の書かれた時代に行き、作者に聞く。

──他にも同じような事例、または言い回しのものを探し、音や字数を調べる。

    講師の考え

 まず、「舌切り雀」型の用例と「舌切られ雀」型の用例を集めてみると、前者はあるけれど、後者はないのである。前者の例を列挙する。

 (1) 忘れえぬ思い出
 (2) 裏長屋・・人家の裏の方(裏通り)に建てた(みすぼらしい)長屋(『新明解国語辞典』)

 (3) 士官が、呟いた。いかつい顔、がっしりと鍛え上げた体格とは、およそ似つかわしくないロマンチックな言葉だった。(伴野朗氏『霧の密約』63回)

 (4) メディアが丸裸にした被害者(『アエラ』50号の記事の標題。医師が妻と二人の子供を殺害して、海に捨てた事件の記事)

 (5) 「ふれ合い小さな絵画展」と題したこの展示会(ラジオ)

 このように、受け身でもよいところに能動形が好んで使われている。要するに、日本語はこういうものだというだけの話ではなかろうか。

 外国語で似た例を考えてみる。「人っ子一人見当たらなかった」と言う時、英語とドイツ語では次のように対照的である。

 英語・ Nobody was to be seen.
 独語・ Niemand war zu sehen.

 つまり、英語は受動形を使うが、ドイツ語は(表面的には)能動形を使う(ただし、意味は受動なので、文法としてはこれを「未来受動分詞」と言う)。

 この時、なぜ英語では to see と言わないのか、なぜドイツ語では gesehen zu werdenと言わないのか、という質問を出したとする。答えは「そういう習慣になっている」としか言えないであろう。

 この場合も、英語には The room ist to letと You are to blame の2つの例外がある。ドイツ語には例外はない。

 では、なぜ英語のその2つの場合は例外になったのか、という問題を出してみよう。すると、歴史的な経緯で答えることは出来ても、原理的な答えとしては、ただ「そうなっている」というしかないであろう。

 言葉の学問は最後は「習慣」に行き着くが、それはソシュールが明らかにしたように、言葉の本性として「恣意性」ということがあるからであろう。しかし、その「習慣」を確認するために、しっかり用例を調べて見なければならないのである。

 もう1つ。「最後は」習慣に行き着くのだが、習慣も一度出来てしまうと、その後の言葉のあり方に対しては影響力を持つ。従って、ある表現がそれに先行するどういう表現から影響を受けているか、ということは問題になりうる。習慣の内部での関連である。今の「舌切り雀」についてそれを考えてみる。

 井上ひさし氏の『私家版日本語文法』(新潮文庫)によると、日本語では利害を感ずるという意味で人格を認められる主体に対してのみ受け身表現が認められていた。しかし、明治以降、非情の物にもそれが認められるようになり、又自然可能的な受け身表現(自然に~される、~と考えられる、といった表現)も西欧語の影響で生まれた、そうである。

 そうだとすると、「舌切り雀」の雀は有情主体だから受け身表現は可能だったはずである。従って、ここで更に、受け身表現の可能な場合でも、どういう場合には能動表現が使われ、どういう場合には受け身表現が好まれるか、という問題が生まれる。私はこれに一般的に答えるだけのものをまだ持ち合わせていない。しかし、今では英語の影響で受け身も奇異に感じられなくなったが、昔の人には原則として能動が自然だったのではないだろうか、という仮説を持っている。

   父の日のプレゼント

 06月20日は「父の日」です。皆さんは何をしますか。ネクタイとか、何か物を贈るのですか。感心しません。お父さんが何を欲しがっているか、考えて下さい。息子や娘と対話をしたいのです。「父の日」には「話を贈る」のです。晩酌に付き合って、あるいは電話をかけて、いつもよりは少し長く付き合ってあげて下さい。喜んでくれるはずです。

 話す事がない、なんて言わないで下さい。自分がいかに「青春を謳歌」しているかを話し、お父さんはいかに「青春を謳歌」したか、それを聞けばよいのです。話す事はいくらでもあるはずです。

 いずれアンケートにその結果を書いて下さい。楽しみにしています。

「ユーゲント」第04号(1999年05月12日)

2007年08月26日 | 教科通信「ユーゲント」
「ユーゲント」第04号(1999年05月12日)

              ドイツ語教室の教科通信

 連休中の宿題と一緒に、最初のアンケートを送っていただきました。

 裏まで沢山書いている人、ほとんど書いていない人、様々でした。このアンケートは記名式になっています。この点はいずれ話し合いましょう。私としては、対話の1つと考えています。

 主な意見を紹介し、私の感想を添えます。

  なぜ本大学に来ましたか。又、自分の学科を選んだ理由は何ですか

──親元を離れ、自分の力で生活がしたかったので県外の大学を選んだ。
 ★ 下宿をしてみたいという考えは、多くの大学生が持つようです。青年らしい健全な発想だと思います。しかし、特に女子の場合には、下宿は困るという家庭もあるようです。私自身は下宿をした経験はありません。

 ★ ミヒャエル・エンデを学びたいという人が2名いました。エンデはドイツでは日本ほどの人気ではないようですが、ドイツ語はとてもきれいだと思います。

 ★ センター試験に失敗して本学に来た、という人もいるようです。しかし、ここに来てよかったと思えるようにしましょう。少なくともドイツ語については。

 ★ 本学は宇宙工学が特色なのでしょうか。工学部の人達にはそれを希望する人が多いようです。

 ★ 静岡の温和な気候に憧れる人もかなりいるようですね。

 ★ 周りに遊ぶ所が少ないので、勉強するのに好いという意見もかなりありました。

   どんな学生生活を送るつもりですか

──自分の様々な可能性をためし、多角的なものの見方を養いたいので、勉強のみならず、サークル活動、対人関係、できればセカンドスクールなど、出来る限り積極的に何にでも参加していくつもりです。
 ★ 自分を見つけるために、大いに暴れてください。

──自分の将来についてしっかりと考えて、高校時代から憧れていた職業につくために努力したい。また、サークル活動などを通して自分の視野を広げていきたい。

   これまでに外国に行ったことがありますか。どこにどういう事でどの位の期間滞在しましたか。どんな感想を持ちましたか

──アメリカにいとこに会いに行った。田舎だったので、とてものんびりした雰囲気だった。また、人がみんな親切だった。
 ★ ドイツも田舎の小都市がとても素敵です。

──シンガポール観光1週間。いろんな民族がいておもしろい。
──修学旅行でカナダのバンクーバーへ5泊6日。とてもきれいだった。

──修学旅行でハワイに。食べ物から洋服からサイズが大きいので驚きました。こちらの意思を伝えるのは比較的楽ですが、相手の言っていることを理解するのに苦労しました。ヒアリングに力を入れなくてはと思っています。(同感)

──中学2年の時にアメリカのテネシー州に1ヵ月間、1人でホームステイをしました。そこで学んだのは、やはり言葉というものは自分で話そうとしないと伸びないということです。実際、たった1ヵ月のホームステイで驚くほど英語の力がつきました。

 あと、テネシーの田舎の農家にステイしたのですが、アメリカといえば男女平等というイメージを持っていましたが、私のステイした家庭ではまるで昔の日本のようにお父さんが一番エライという感じでした。今の日本などよりずっと父親に威厳があったので、驚きました。

──カナダに3年間。むこうの人は、いい奴といやな奴とはっきりしていると思った。

──中学3年生の時、市の交換学生としてアメリカに2週間半いき、ホームステイしました。日本はとても治安がいいなと思いました。アメリカは自然がとてもきれいだった。

──サマーキャンプでアメリカ・メキシコに1週間。
──中学の時、学校の海外派遣でオーストラリアに1週間。4泊5日ホームステイしました。発音がイギリスとは違うのでびっくりしました。

──ツアーで中国に5泊6日。中国は日本に比べて遅れているが、みんな好い人ばかりで、温かい国民性だと思った。

──中学2年の時、友達と2人でドイツのフランクフルト近郊の家に2週間。前に見た学生牢も見たことがあります。フランスのパリにも3日間くらい。素晴らしかったです。また絶対に行く。
 ★ 2度目は油断しますから、泥棒にやられないように。

──2年前、タイに1週間の家族旅行。「異国の文化」というものを強く感じました。

 ★ 今では家族旅行で外国へという人も増えているようですね。

──外国に行ったことはないけれど、アメリカ人と何度か話したことがある。とても楽しかった。
 ★ この積極性を買う。ドイツ人の学生から聞いた話。ドイツ人の学生は外国語を習うと、それを母語とする人を見つけるとすぐに話そうとする、とのことでした。

──高校2年の時、ロスアンゼルスの親戚の所に2週間行った。英語を話せなくては全然ダメだと思った。

   中学と高校での英語の授業の印象

──中学は楽しかった。なぜなら、英語だけでなく、アメリカやイギリスの文化や産業のこともやってくれたから、覚えやすかった。高校は受験英語で、グラマーは特につまらなくて大嫌いだった。でも、リーダーは文章を読むのでいろいろなことをまなべて、楽しかった。
 ★ 全体として、中学の英語の授業には工夫のある授業が多く、良い印象を持っている人が多いようでした。高校は一部の例外は除いて、つまらない授業が多いようです。大学の受験問題がヒアリング重視に変わってきているので、今後は少しは変わるかな?

   このドイツ語の授業についての感想

──非常に展開が早いように思います。それだけに予習・復習がものをいう授業のようなので、これからが大変そうです。前回、学生寮に住む学生のビデオを見ましたが、興味深かったので、今後もドイツ語以外のビデオを見る機会を多くとっていただきたいと思います。

 ★ 今年から、休憩にドイツ語以外のビデオなどをも少し取り入れようかと考えています。あの学生寮には反発もあったようです。尚、授業のペースは生徒が少し早いと思うくらいがちょうど好いと思っています。付いていけないのではと不安の方もあるようですが、心配ありません。家では音読することです。慣れることです。

──先生は人に覚えさせるのがとてもうまいと思った。ただ、もうちょっと説明が欲しいです。

 ★ 私の授業に対する不満は毎年、ほとんど同じで、その1つが「もう少し説明を詳しく」です。原因は、私が説明は必要最小限にしようとしていること、そして何よりも生徒に音読で慣れるよりもまず頭で理解しよういう間違った考えがあること、にあると思っています。

 中級文法に入ると詳しく説明しますが、初等では自然に解決します。現に「文法が分からないので、全く分からなかったが、今はなんとかなっている」という声もあります。

──日本語訳の答え合わせをもう少しゆっくりやって欲しい。
 ★ これは考えましょう。

──黒板の字をもう少し大きく書いてほしい。(考えましょう)

──先生が、ドイツ語は「教養科目として」学ぶと言ったのに深い違和感を感じた。戦時独語教育を引きずらないでほしい。
 ★ 意味が分かりません。次回、詳しく持論を展開して下さい。メールで送って下さっても結構です。

──文法よりも耳からドイツ語を覚えるという授業だと思った。

──ドイツ語を少し、話せるようになる気がします。

──青春を謳歌するのはドイツ語を勉強することだというのは、先生にとってそうであっても、僕にとってはそうではありません。
 ★ あなたにとって青春とは何ですか。否定だけでなく自説を出してくれなくては、対話になりません。

──赤ん坊も耳だけで日本語を覚えてしまうので、先生の授業は正しいが、1年間しかないので、きついものがある。
 ★ 大人が外国語を学ぶのは、子供が母語を学ぶのと、共通点と差異点とがあると思います。正しい組み合わせや如何に?

──1年間、ドイツ語づくしになりそうな予感。
 ★ 青春を謳歌しましょう。

──ドイツ語は英語より覚えづらい。
 ★ ドイツ語の方が規則性が高く、同じ努力で英語の場合の1、5倍の成果があると思います。

 ★ 再履修の方からは、「今までにない授業」とか、「新鮮な感じがする」という声もありました。

   その他

──前回、ドイツ語とはあまり関係のないような話も聞けましたが、それを聞いて、もっと先生とお話をしてみたいと思いました。
 ★ 学校生活では、友達との付き合いも大切だと思いますが、先生との付き合いも意味があると思います。しかし、それをどこに求めたらよいのでしょうか。

 ドイツの学校では Sprechstunde 〔面会時間〕という時間を個々の先生が設けています。その時に研究室に行けばよいのです。私は拙宅に泊まりにきて下さるのを歓迎します。

 この連休も、かつて教えていた東洋大学の学生が社会人になって2年目ですが、ようやく休みを取って来てくれました。安城市にあるデンパークという花のテーマパークみたいな所に行きました。そこまでは大変だとすると、例えば水曜日の4時から一緒にビデオを見たりして話し合うとして、数人でも来てくださるでしょうか。

──ドイツ語を勉強するために大学に行く人は外大に行っていると思います。他のことにも力を入れたいので、もう少し考慮して下さい。
 ★ 生徒を上中下に分けるとすると、上の人に合わせて授業をするべきである、というのが私の考えです。才能とやる気のある人を最大限に伸ばすことが大学の目的だと思うこと、それによってこそ中の人も下の人も最もよく学べること、が理由です。自分の考えで授業を利用して下さい。

──緊張感があり、他の授業よりやりがいがある。
 ★ その他、「他の授業の生徒に差をつけることができそうだ」という意見もありました。本当は、皆さんを2年間受け持って、独検3級に合格させさせたいのです。東洋大学では1度、そうしました。

──先生は哲学が専門だそうなので、今度、先生の持っている考え方、人生観について、一度じっくりと聞いてみたいです。
 ★ 私の本はみな、図書館に寄贈してありますし、翻訳以外は読みやすいものです。まずそれを何冊か読んでみて下さい。

──ドイツ一人旅を実現するためにがんばるぞう!!
 ★ Viel Glueck! 成功を祈る

──高校の時、ベートーベンの第9を歌ってから、ドイツ語の力強さのようなものに興味を持ちました。
 ★ 私は音痴なので歌は歌いませんが、詩は取り上げたい。

──対話形式の練習の時、どの言葉がどちらの発言か分からないことがよくあるので、区分を分かりやすくして欲しいです。
 ★ どちらか分からないということは、どちらにしても意味が通るということだと思います。両方の場合を練習したらどうでしょうか。

──なんで「仏の牧野」と呼ばれているのか?
 ★ 3回の授業等でも既に十分にお分かりいただけると思います
が。

──イノシシはペットとして飼っているのか、食用なのか。
 ★ ペットにしては、畑の芋類などを勝手に食べすぎると思います。

──本学では、他大学との交流ないし接点が少ないのが残念だ。
 ★ 東京などの大学には「ニセ学生」というのがいて、余所の大学の授業に無断で出ています。

──フランス語を第1希望にしていましたが、今はドイツ語になってよかったと思っています。
 ★ Heil Deutsch ! 万歳! この言葉を聞きたかった!

   ZUM SCHLUSS 〔終わりに〕

 戦後民主主義の教科書として執筆された石坂洋次郎の小説『青い山脈』はこう始まっています。

  六月の、ある、晴れた日曜日の午前であった。
  駅前通りの丸十商店の店の中では、息子の六助が、往来に背中を向け、二つ並べたイスの上にふんぞりかえって、ドイツ語の教科書を音読していた。恐ろしくふきげんそうな様子である。

 これは昭和22年6月から、朝日新聞に連載された小説です。

 終戦直後で、まだ学制改革がなされていませんでした。旧制高校の最後の頃でした。だからその旧制高校の典型的な一コマを描いて小説の筆を起こしたのでしょう。ドイツ語と音読と、この2つは旧制高校の象徴みたいなものだったのです。

 それなのに、今では音読もドイツ語もすっかりさびれてしまいました。なぜでしょうか。ドイツ語の人気が落ちているのは、世の中が変わったことが背景にあると思いますが、ドイツ語教師(学者)がかつての人気にあぐらをかいていて、努力をしなかったことも大きいと思います。

 実際、ここ数年、ドイツ語を本格的に研究してみて、学界のレベルの低さと大学の授業の工夫の無さに驚いています(哲学の世界もレベルは低いです。哲学という名の哲学史ばかりです。もちろん授業もつまらない)。

 授業に工夫が無いのは、皆さんが体験している通りです。

 学界のレベルがいかに低いか。いずれ具体的にお話しする機会があると思います。40年以上も前に出た、お世辞にも「詳しい」とは言えない橋本文夫の『詳解ドイツ大文法』を越える文法書がいまだに出ないことに、それがよく表れています。

 いよいよ風薫る5月。5月攻勢の時です。12日に再帰動詞と分離動詞とドイツ文の特徴を学んで、直ちに読本に入ります。同時に、新しいヒアリングも試みます。乞御期待

「ユーゲント」第03号(1999年04月14日)

2007年08月25日 | 教科通信「ユーゲント」
「ユーゲント」第03号(1999年04月14日)

            ドイツ語教室の教科通信

   WILLKOMMEN

 皆さん、よくいらっしゃいました。たった一年間、正味10ヵ月くらいですが、一緒にドイツ語を勉強していきましょう、真面目に、そして楽しく。

 まず、私の授業要綱をお話しましょう。

(1) 語学の諸分野を次のように理解しています。

 聴解を常に先行させて、言葉に慣れることを土台とします。文法も繰り返し反省する必要があります。読解力こそ語学力の底力を作るものですから、沢山読むことを第一にします。作文にこそ実力が現れますから、独自に練習しなければなりません。会話はその上に自ずから出来ると思います。

(2) 教科書は『音読主義のドイツ語』を使います。

  辞書はアポロン(同学社)、クラウン(三省堂)、研究者の中辞典、を推薦します。

 ノートを作って下さい。ルースリーフでも結構です。授業は連続していて、全体が関連しています。

 B5版のファイルと単語カードを用意して下さい。

(3) 10月末までに初等文法を終えて、11月から中級に入るくらいのペースで行きます。

 NHK TVのドイツ語会話、更にはラジオのドイツ語講座の視聴をお勧めします。

(4) 原則として毎回、宿題を出します。教科書の予習、文法問題のプリントなどです。

 宿題を郵送してもらうことがあります。

(5) 小テストをなるべく多く行いたいと思います。

 小テストは原則として予習のテストです。予習能力=独習能力=実力だと考えるからです。

 20問20点満点で、正解が12個以上の場合のみ点がつきます。正解が11個以下は0点です。但し、20点を取ると、過去の0点が一つだけ12点になります。

 小テストをもって出席に代えます。0点は欠席と同じです。

(6) 提出物には必ず席番を書いて下さい。

(7) 成績は、態度とドイツ語力で総合的につけます。

 成績の根拠を知らせたいので、Eメール・アドレスを知らせて下さい。それのない人は、切手を貼った返信用封筒を提出して下さい(1月末までに)。

  成績についての質問には、1回だけ返事をします。

(8) 授業のあり方等についての学生の意見はいつでも聞きます。

アンケートは全部で3~4回、取ります。その他いつでも、意見を知らせて下さって結構です。

 授業内容についての質問も授業の区切れに適宜行って結構です。

(9) 授業中に気分が悪くなったりトイレ等の理由で出たい人は黙って出ていって下さい。特に断らなくて結構です。

(10)ホームページ「哲学の広場」を公開しています。

 哲学日記、日本語疑典、天タマ(哲学の授業の教科通信)、読者の広場などのコーナーがあります。

 要するに、「青春を謳歌するというのは、ドイツ語を勉強するということ」です。

   講師の自己紹介

 名前は、本名は牧野紀之(まきの・のりゆき)ですが、一般には「仏の牧野」と言われているようです。

 年齢不詳。東京に生まれ育ちましたが、引佐の山の中に移り住み、イノシシと共に暮らしています。

 専門は哲学で、ドイツ語は趣味です。

 哲学はヘーゲル哲学を手掛かりにして、実際の哲学問題を考えています。ドイツ語はほとんど独学ですが(大学の授業はあまり出なかった)、関口存男(つぎお)氏のドイツ語学を学んでいます。

 趣味はいずれ知られることになるでしょう。

 この大学には7年目です。ここに来てよかったと思っています。好い生徒にめぐり合えて、ドイツ語教育に新境地を開くことが出来ました(進行形)。

 今年の抱負としては、会話とヒアリングのシフトして、楽しく学べる授業にしたいと思います。ということは、今までの授業は楽しくなかったということかな。

 Jetzt beginnen wir! (さあ、始めましょう)


 付記

 この教科通信の本当の名称はドイツ語で SCHOEN IST DIE JUGENDとなっています。「青春は麗し」という意味です。

教育の広場、第299号、会議は準備で8割決まる

2007年08月24日 | カ行
 (浜松市の)第2次行革審の第1回の会議が29日にあるとか。しかし、その会議の内容とかテーマとか、その順序とかはどこかに発表されているのでしょうか。もし秋山さんが知っていらっしゃるのでしたら、箇条書きで結構ですから、このブログで教えて頂けませんか。そして、今後も毎回、そのようにして頂けませんか。

 多くの会議ではその内容が事前に知らされないで招集されると思います。これは民主的でないと思います。提案者以外の出席者には準備が出来ず、提案者と対等の話し合いが出来ないからです。ひどい場合には、だまし討ちにする人もいます。

 沢山の不適当な会議(私自身に責任のあるものを含む)の経験から、「会議は準備で8割決まる」という考えを持っています。その準備の1つが議題を事前に関係者に知らせておくということです。そして、「事前に会議の議題等を知らせておくことは、正しい事をしようとしている人にとってのみ有利である」ということも言えます。

 第2に、会議は「その他」の事を提案できるようにしておくべきだと思います。

 昨年度、私は隣保班長でした。2月に役員改選の会を開くのが習慣でしたが、それを「総会」とすることを含め、いくつかの提案をすることにしました。その通知は紙にコピーして事前に皆さんにお配りしました。もちろん「議題」もみな書いておきました。

 そして、最後に、「このほかの議題を出したい方は事前に班長まで連絡して下さい」と書き添えました。

 私見によれば、「その他」のない会議とかは民主的とは言えないと思います。民主党の岡田克也さんのブログが出来た時、指定されているテーマ以外のことを書き込みました。掲載されませんでした。メールを送って、「何でも発言できるようにしてくれ」と要望しました。そうしたら、「テーマ以外の事はメールで下さい」との返事でした。「公開の場で議論したいから」と再度言いましたが、受け入れられませんでした。

 行革審の第1回の会議では、2年間の任期の全体の見通しを話し合うことも必要だと思います。

 大学では大分前からアメリカのまねをして授業の「シラバス」を出すように強制されてきていますが、あれは賛成出来ません。私は独自に「授業要綱」を最初の授業の時に配って、詳しく説明します(実物は教科通信「天タマ」に載っています)。

 ここに書くべきことは授業についての根本方針(考え方)、全体の計画、授業改善のためのルールです。

 全体計画はそう細かいものである必要はないと思います。授業というのは、生徒の様子や教師の勉強によって適宜変えていくべきものですから。

 私は昨年の秋に或るきっかけで、ブログで「次回の授業の予定」を知らせるのが好いと気づいて実行しています。

 特に重要なのは最後の点です。今は授業アンケートが流行っていますが、ほとんどの所で形式的なものになっています。

 教師に授業を反省しより良いものにしようという気持ちがあるなら、生徒の意見を聞く方法を明記しておくべきです。

 行革審のあり方についての異論を聞く道も開いておいてほしいと思います。

 (これは、浜松市行財政改革審議会委員の秋山さんのブログへのコメントです)


「天タマ」第45号(最終号)(2001年1月30日発行)

2007年08月23日 | 教科通信「天タマ」
「天タマ」第45号(最終号)(2001年1月30日発行)

     (その1)

        市立看護専門学校 哲学の教科通信

 今年初めて「冬休みの宿題」を出してみました。アンケートによ
ると、肯定的な感想(あるいは、否定的でない感想)が多数ですが
、辛かったという感想も大分ありました。しかし、全体としてしっ
かり取り組んでくれたと思います。やはり本校の生徒は真面目でが
んばり屋なのだと、嬉しく思いました。その中からいくつか紹介し
ます。また文集の「あとがき」から1編、紹介します。

     私の夢

 私には昔から結婚願望がとてもある。結婚したらとか、子どもが
生まれたらとかを想像するのも好きだ。ごく普通の生活で思いやり
のある家庭のお母さんになるのが私の夢です。バイト先の主婦の人
を見て、電車の中の親子を見て、私の母を見て、良いところや良く
ないところを見つけて、将来、子どもにとって良いお母さんになる
よう、子どもが思いやりのある人になるよう、考えている。中学・
高校の時の私はお母さんになることが一番の夢だった。

 今は、看護婦をしながらお母さんになるのが私の夢です。私には
看護婦になりたい理由が特になく、どういうきっかけで看護婦にな
ろうとしたのかも覚えていない。しかし、今はこの勉強がとても楽
しい。特に看護過程が始まってそう思うようになった。今まではテ
ストのために覚え、テストが終わるとほとんどのことを忘れてしま
っていた。

 しかし、看護過程はそうではなく、一言では言い表せないが、勉
強をしているとついつい時間が経つのを忘れてしまうような、どこ
までも続けたくなるような気持ちになる。机の上はいろんな教科書
が山積みになっている。私はこんな勉強は初めてだと思った。

 昔から勉強はちゃんとやってきたが、ずっと机に向かって集中し
てやった勉強は看護過程が初めてだと思う。看護過程を苦痛と感じ
ている人はとても多い。看護婦になるのがいやになっている人もい
る。でも私はどんどん看護婦になりたいという気持ちが大きくなっ
てきている。

 今の冬休みはのんびりと過ごしているが、9月から12月まではと
ても充実した生活を送ることができた。勉強することがいっぱいあ
る中で、勉強以外の事をするのもいつもより楽しく、何もかもが楽
しかった。〔今年の〕1月から12月まではずっと実習があるが、実
際の1人の患者さんに対して看護過程を展開していくのが楽しみに
なってきている。

 どんな看護婦になりたいかというのは、今のところは、患者と上
下関係を作らない看護婦である。患者の支えになったり、元気で明
るい看護婦になりたいということももちろんだが。授業に来てくだ
さる看護婦さんが言っていた。大きい病院だと、患者さんはいつで
も来てくれる。そういう雰囲気に守られてしまって、ついつい患者
さんにお礼を言われるのが当たり前になってしまう。

 看護をすることによって患者さんから与えられることはたくさん
ある。これは今まで経験した3回の実習で分かった。それは命の重
みや健康の有り難さ、家族の大切さなど、たくさんある。看護して
あげているというのではなく、お互いに与え・与えられる関係でい
たいと思う。

 看護婦として働くことも、結婚して母親になることも、今考えて
いるほど簡単な事ではないと思うが、周りの人といっしょに楽しく
幸せに過ごせるよう頑張りたい。

 ★ 仕事には、絶対になくならない仕事と、無くなった方がいい
仕事がある、といったことを私は考えることがあります。教育は絶
対に必要だから教師の仕事はなくならないでしょう。しかし、医者
や看護婦の仕事の大部分を占めている「病気を治す」という面につ
いて言うと、これは病人が出るということを前提しているのだから
、無くなった方がいいと思います。その時でも、健康を維持・増進
する面の仕事は残るでしょうが。日本人全体が西式健康法を実行し
たら、日本人の病気は半分以下になると私は思います。

     ターミナル期の患者の場合

 「病は気から」を読み、気持ち次第で人生の目標を持って毎日規
則正しい生活を送ることができ、その結果として病気が治ったとい
うことに納得させられた。確かに「病は気から」である。

 これを読み終わった時、ふとターミナル期にある患者のことを思
った。ターミナル期の患者は、余命6ヵ月、3ヵ月などと告知を受
けている患者ばかりである。いくら「病は気から」と思っても彼ら
の病気は治らない。彼らも、自分の人生の最期が近いことを理解し
た上で生きている。

 そのような患者にとって「病は気から」などという言葉は聞きた
くもないだろう。ターミナル期にある患者の場合、「病は気から」
ではなく、「生は気から」だと考える。なぜならば、今の状態を受
容した上で、残りの人生をいかに自分らしく生きるかということが
人生を締めくくる上で重要になってくると考えるからだ。

 ターミナルケアの目的が、「その人がその人らしい生を全うする
のを援助すること」と定義されているのもこの重要性からだろう。
その人がその人らしい生を全うする、ということについて考えてみ
る。現代では、ほとんどの人が自宅ではなく病院で死を迎えている
(この現状がその人らしさを奪っているように思うが~)。

 その人らしく生を全うするにあたり、次のような話がある。ホス
ピスにおいて不眠を訴えている患者に対して看護婦は、「睡眠薬に
します? それともウイスキーかブランデーにします?」と尋ねた
ということだ。病院でしかも看護婦の方から、患者にアルコールを
勧めるとは!と世間からは批判されるかもしれないが、患者の生活
習慣を病院においても継続させることは、最もその人らしく生きて
いることだと考えるため、私はこの看護婦の患者への対応に共感で
きる。ターミナル期にあるからといって何もかも許されるわけでは
ないが、その人らしさを考えた場合、これも大切なターミナルケア
になると思う。

 生活習慣を改善することで病気が治り、生活習慣を取り戻すこと
でその人らしく生きられる。何だか矛盾しているようにも思えるが
、看護をしていくにあたり、患者個々の置かれている状況を考えて
ケアをしていきたいと思った。

 ★ 基本的に賛成ですが、睡眠薬かアルコール以外の選択肢も提
案できるように、様々な知識を持つことがプロには要求されると思
います。

     思いやりの方法

 私はいつもどんな看護婦になりたいかと問いただした時に、やさ
しくて思いやりがあってそれでいてよい技術を身につけている看護
婦になりたいと思う。思いやりとは「他人の身の上や気持ちをおし
はかること」とあるが、まだ看護技術を応用できるほどの余裕がな
くて、実習中にも患者さんに思いやりをもって接することで自己満
足してしまっているような気がする。

 私は幸運なことに、小さい頃から両親や周囲の人に思いやりをも
って育てられてきたし、24歳になった今でも恥ずかしいくらい思い
やりや優しさをもらっているため、思いやりをもって育てられなか
った人に比べれば、思いやりをもって接することができると思う。

 しかし、患者さんに対してただ優しく接することだけが思いやり
なのだろうか。以前、脳梗塞のために片麻痺で、糖尿病の合併症で
腎障害のために日に何度もトイレに行きたくなってしまう人を持た
せていただいたことがある。

 優劣で表現してはいけないのかもしれないけれど、看護学生と患
者という関係の前に私は自由に動けるけれど、患者さんは車椅子で
の移動もままならない状態なのだから、患者さんにできないことは
私がしてあげたいと思った。

 しかし朝、私が来るまでその患者さんはトイレに行くのを待って
いてくれたり、どこかへ行きたくなったら私を頼ってくれるように
なった。信頼関係ができるってこういうことなのかなと喜んでいた
反面、私の援助は果して患者さんのことを思いやった行為なのかと
考えるようになった。

 その患者さんは私の実習が終わったら在宅療養に変わる予定の人
だった。在宅に変わってからのことを考えると、私が何でもしてあ
げるのは思いやりでもなく優しさでもないと思った。この患者さん
に思いやりをもって接するとしたら、出来る限りのことは患者さん
自身ができるように援助していくことだろう。

 思いやりと一言で言ってもいろいろな形があって難しいと思う。

     学生版アンケートについて

 この前、学生版アンケートを行い先生に提出したが、先生から
「これは受け取れない」と言われ、残念だったが、当然のことだな
ぁと思った。

 先生が指摘していた通り、アンケート結果を先生に提出する前に
「これを発表してよいか」というような、アンケート結果に対する
意見を求める確認作業は行われなかった。アンケート結果が配られ
、どうしてこのような結果になってしまったのか、とても不思議だ
った。

 これまでの授業の雰囲気から考えても、私は大勢の人が毎回の授
業を楽しみにしていたと思うし、他の授業とは違う貴重な授業がで
きたと思っている、と思う。しかし、2年1組として提出したアン
ケート(特に「その他」の意見のところ)では、先生に対する批判
のような意見が多く載せられ、このような意見の人ばかりかのよう
な印象を受け、とても残念だった。

 このことにより、アンケートを行う時には、もっと自分の意見な
どに責任を持たなければいけないということを改めて感じた。今回
のアンケートでは、私はアンケートを集計する係ではないからとい
って、その係の人に任せっきりにしてしまっていた。

 今回のような学生版アンケートでは、クラス全体として提出する
ことは決まっているのだから、集計する係になった人に協力するな
り、集計結果がどうなったかなど、もっと気にしたり、自分から聞
きにいったりするべきだったなぁと思った。アンケート結果に対す
る確認作業を行わず、クラス全員が納得するようなアンケート結果
を提出することができなかったのは、アンケートを集計した人だけ
の責任ではなく、このアンケートに意見を提出した人、つまりクラ
ス全員の責任ではないかと思う。

 これまで私は、アンケートのことを、もっと軽く考えていたよう
な気がする。今回のことで先生にはとても嫌な気分をさせてしまっ
て申し訳ないと思うが、このことでアンケートの重み、自分の意見
に対する責任のようなものを学ぶことができ、とても自分のために
なったと思う。この経験を無駄にすることのないように、これから
はもっと有効的なアンケートができるようにしたいと思った。

 ★ 批判は自由ですが、中傷や誹謗(ひぼう)は不自由、という
ことです。

     パソコンについて

 冬休みに入ってすぐに哲学のレポートをパソコンで打ち始めた。
私にとって初めての超大作だった。我が家にはパソコンはすでにあ
ったのだが、私は機械が大の苦手なので、近づきもしなかった。私
以外の家族はインターネットやメールなどをしていたりして楽しげ
だったが、やらなかった。

 そんな私が今回、哲学のレポートをパソコンで行った。それは、
(1) 量が多い、(2) そろそろ私もパソコンをやらねばというあせり
、(3) パソコンを覚えようというやる気から、やってみよう!と決
心した。

 最初なんて大変で、ワープロにするところから分からなくて、一
人で騒いでいた。ワープロが開けると、次はファイル、保存の仕方
が分からない。どれだけ消えたことか~。ショックで悔しくて涙が
出た。でもそこで投げ出すこともなく、終了できた。うれしかった
。達成感でいっぱいだった。

 もうワープロの開き方、保存の仕方、両手でワードを打てる。こ
れからはキーボードを見ずに打つ、という目標もできている。パソ
コンの波に乗り遅れないよう、努力したいと思った。

 ★ 今回の宿題のためにパソコンに習熟したという報告が多数寄
せられています。必要に迫られないと人間はしないのです。皆さん
、よかったですね。


「天タマ」第45号(その2)

2007年08月23日 | 教科通信「天タマ」
「天タマ」第45号(その2)

     韓国・日本・KOREA ・JAPAN

 今年の冬休み、韓国に3泊4日の旅行へ行った。おいしい焼肉、
冷麺、餃子などの食べ物は安くておいしく、キムチは特においしか
った。食事のほか、ロッテワールド、エステ、昌徳宮など、韓国の
文化もたくさん触れることができ、とても楽しく充実した旅行で、
あっという間に終わってしまった。いろいろなところへ行ったが、
異文化にふれて、気になるところがたくさんあった。

 韓国は土地が狭く、建物は日本のように庭はなく、たてに細長く
、高いビルがたくさん建っていた。冬は寒いので、窓が二重構造に
なっていたのはびっくりした。また、1つの会社がほとんどの建物
、電車、宅配などを独占しているようで、その会社の名前をあちら
こちらで見かけた。お店もたくさんあり、まるで日本で言う東京の
中心部のようだった。どこに行っても人はたくさんいて、平日でも
多くの人でごった返していた。

 韓国の人は冷たいように感じた。空港へ着いた時、税関の人の冷
たい視線から、人にぶつかっても謝らず、逆に人を押し退けていく
ようにぶつかってきた。私は謝らないことに少し怒れてきたが、こ
れがこの人たちのやり方なのかとショックを受けた。地下鉄に乗っ
ても日本人とわかるようで、冷たい視線でジロジロ見られ、乗って
いる時すごく嫌な感じを受けた。

 しかし、感心するところもたくさんあった。韓国の人は自分より
年の人(20代の人から見て40~50歳以上の人)が入ってきたら、席
を譲っていた。日本では寝たふりをして席を空けないが、韓国では
そういう事にはしっかりしていると見習うべきだと思った。また、
韓国のほとんどの人が日本語を話せたことにびっくりさせられた。
私はハングル文字も読めないのに、どうして日本語が分かるのだろ
うかとびっくりした。

 もう1つびっくりした事は、麻痺のある人や義足の人などの身体
に障害を持っている人が、電車の中で、何かを訴えながら人々にお
金をもらっていた事だ。韓国ではそうやって、日本のように障害者
手帳がないものかと思ってしまった。私たちにもお金をほしいと言
ってきたが、言葉が分からなかったので、どうする事もできなかっ
た。

 でもこのような光景を見ることは初めてだったので、私たちはど
うしたらいいのか、ただお金がほしいから自分を見せびらかしてい
るのかとさえ思ってしまった。障害者に対して日本のようにしっか
りとした制度がないのかなと思った。

 韓国と日本、初めての異文化に触れて、韓国のいい所と悪い所が
見れたと思う。まだまだ沢山の事に気づき、分かった事、ショック
と思った事などあるが、よい所は日本でも取り入れていきたいと思
う。まだまだ物足りなく、もっと韓国にいたいと思った。また海外
へ行ってみようと思う。韓国も行きたいけど、ディズニーワールド
へも今度行こうと、今回の旅行で次の旅の計画をもう立ててしまっ
た。でも韓国は初めての海外にはいい所だった。

 ★ 古代では朝鮮半島の人は先生として日本に来たようです。豊
臣秀吉が朝鮮を侵略して失敗しました。江戸時代には朝鮮通信使と
いうのが十数回も来て、友好を深めました。1910年に日韓併合とい
って朝鮮を植民地にしたのが今日まで尾を曳いています。こういう
歴史を踏まえてこれからの日韓関係を作っていくべきでしょう。

    哲学の授業を終えて

 私は、一番始めの講義の時、哲学はとても難しいものだなと思い
ました。哲学って何?私の中に哲学とは漠然としたものしかありま
せんでした。先生の話を聞いていると、奥深いものなのだなぁと感
じました。

 毎回、レポートがあり、自分の意見や思いを文章で表すことが苦
手な私にとっては、少し気が重い時間でした。テーマによって、ス
ラスラ書ける時と、すごく時間がかかる時と様々で、自分に関心の
あることと無いこととの差がはっきり分かりました。レポートを書
くことによって、頭を使って考える難しさと自分の物事を見る視野
の狭さを身にしみて実感しました。

 また、哲学の講義を通して考える力と自分の思いや意見を文章で
あらわす力が身についたように思います。この講義で、普段考えも
しなかった物事を考えさせられ、自分の物事を見る視野が広がった
ような気がします。

 先生の第一印象は「気難しそう」「怖そう」でした。でも、その
第一印象は、先生の趣味がケーキ作りと聞いて、音を立てるように
崩れさっていきました。私は、先生の笑い声と笑顔が好きでした。
先生が笑っていると、自然に私も元気になりました。

 レポートに対する先生の返事が毎時間とても楽しみで、先生と文
通している気分でした。先生の授業に対する熱意がとても伝わって
きましたが、「天タマ」は友達の意外な一面が発見できたり、友達
の意見に考えさせられたりしました。あまりに自分の考えと違うこ
とが書いてあると、落ち込んだりもしましたが。

 今こうして授業を振り返ってみると、哲学の講義には楽しみが多
かったように思えます。授業中、睡魔に負けて寝てしまった時もあ
りましたが、哲学の授業のことや牧野先生のことは、毎週、私の日
記に書き残していたので、忘れることはありません。哲学に出会え
てよかったです。これからも、この講義で得たものを生かして頑張
っていきたいです。

       ア ン ケ ー ト か ら

 ★ この授業の目的を「その〔筋道をつけて考えることの〕練
  習」としたことについて

──私自身、このような授業は初めてであり、新鮮味があった。理
論的根拠を用いて患者のケアをしなくてはならない看護婦には、こ
のような事は大切であるので、練習になったと思う。やはり何かを
行うには、根拠を持つことが必要であり、自分自身の意見や考えを
明確にしなければいけない。そのことが分かったような気がする。

 ★ シュタイナー学校について

──とても独特な学校だと思いました。でも、うずまき〔のフォル
メン〕など、イメージしてから描いてみる、決して先生が「早くし
なさい」とは言わない、という所が素晴らしいと思いました。

──学年ごとに教室の形や壁の色が違い、面白いと思った。

──人間性を育てるにはいいと思うが、本校で学力や知識が自分を
守ることを知ったので、私は今までの自分の道の方がよいと思っ
た。

 ★ シュタイナーの病院について

──家庭的であり、病院という独特の雰囲気がない。とても理想的
であり、病気を治すということが本当にその人にとっては人生の一
部にすぎないということを強く感じた。

 ★ 講師の「21世紀の日本社会案」について

──教育が金儲けの手段になっているとか、各家庭の経済状況で既
に子どもに差ができているというのに共感した。

──勝者はいつまでも勝者であるわけではない。敗者となる可能性
もあるので、利益を制限するようなことはしない方がいいと思う。

──大学にオンブズ学科を作ってオンブズを養成するという考えが
とてもいいと思いました。

 ★ その他

──来年から哲学がなくなると聞きました。しょうがないけど、私
は反対です。こんなに自分の考えをまとめられる事ってあまりない
のに~。次からの2年生がかわいそう。私は哲学の授業を受けられ
てよかったです。

──哲学が来年から無いというのはとてもさみしいです。後輩にも
受けて欲しかったなぁと思います。先生はこの学校に来られて幸せ
ですとおっしゃいましたが、私も先生の授業が受けられて本当に良
かったなと思います。

──哲学は最初少しとまどいもありましたが、陰ながら楽しみでし
た。「天タマ」は本当に良かったです。このような授業にはもう二
度と会えなくなると思うと寂しいです。講師と生徒が一体化してい
た講義だったように思います。

──この授業を後輩が味わえないと思うと、とても残念です。「我
が哲学」を味わえないのと同じだと思うからです。

──レポートをワープロで写している時に気づいたのですが、先生
の感想は決して批判するだけでなく、「~したらどうか」とか、同
意が多くて、分かってくれている、という感じを受けました(大き
な心で受け止めてくれるという感じ)。この授業は難しいテーマの
時は少し辛かったけれど、その他はとても良かったです。こんなに
自分の考えを話せる先生の講義を聞くことができて、新しい世界を
見たし、とても楽しめました。

──何かを変えようとすると、それがどれだけ困難かをまず考えて
しまって、あたかも不可能な事であると決めつけたいかのようにし
てしまっていたのかもしれません。けれど、そうではなくして、ど
ういう方法を取ったら実現可能かをよく頭を使って考えてみると、
中には変えられることもあるような気がしてきました。

 私はこれまで自分の意見を述べることに臆病になっていたようで
す。でもそれは別の見方をすれば、自分の頭を使うことを怠けてい
たということだと気づきました。

──先生には来年も来てほしかったので、残念です。他の学校で授
業をする時も、生徒のことを考えて、手を抜かない、その時間を精
一杯がんばっている先生でいて下さいね。

      お別れの言葉           牧野 紀之

 哲学を「筋道をつけて考えること」と定義しましたが、考える主
体には個人と集団の2つがあると思います。従って、思考には個人
的思考と集団的思考の2つがあることになります。集団的思考とは
、要するに、組織の中での意思の疎通であり、人間関係です。この
ように考えると、個人的思考と集団的思考とは影響を与え合うとい
うこともすぐに分かります。分かりやすくいうならば、人間を幸福
にするのも人間関係なら、不幸にするのも人間関係だということで
す。

 では、実際には、この集団的思考はどうなっているでしょうか。
多くの人は「良い親分を求める心情」を持っていると思います。又
、以心伝心とかいって、言葉によらない伝達で済まそうとする傾向
もあると思います。そしてそれがお世辞と陰口で補われるというの
が多いようです。

 私はこれに対して、人間は意見や考えが違って当然という事実を
認めた上で、「ルールを決めて話し合う」ということを提案したい
と思うのです。ここには「ルールを意識化し、時々そのルールを見
直す」ということも含まれています。

 皆さんがどこかの病院の看護婦(士)になるということは、既成
の組織に入っていくということです。そこには既にそこなりの「コ
ミュニケーションのルール」があります。従って、まずそれを知っ
て身につけなければならないでしょう。

 しかし、その次にはそれを反省して、改善していくように努力し
ていってほしいと思います。「自分一人がんばっても仕方ない」と
いう考えもありますが、人間には各自が自分の出来る範囲で努力す
る以上の事は出来ないのです。一人一人の小さな努力が集まれば大
きな変化を引き起こすこともできます。しかも、それが皆さん自身
の幸福に関係してくるのです。

 私は本年度でこの学校を辞めることになりました。来年度からは
哲学は無くなるそうです。本校に話があった時、「生徒は真面目か
?」と確かめたことを覚えています。そんな事は杞憂でした。この
学校に来られて幸せでした。ここに来たからこそ、このような新し
い本当の哲学教育を作りだすことが出来たのだと思います。

 本校との出会いはいろいろな面で幸運だったと思います。私も50
を過ぎてようやく、教えるということを理解し始めていました。ワ
ープロや印刷機といった技術も発達していました。その上、生徒が
優秀で、積極的に意見を出してくれました。授業中の休憩はここの
生徒が提案してくれたことです。

 どんな課題でも積極的に取り組んでくれましたので、毎年新しい
ことを採り入れ試してみようという気になりました。24回生からは
教科通信を出しました。これが大成功でした。「天タマ」は皆さん
と一緒に作った宝物です。

 大学と比べて専門学校の方が教育システムとしてははるかに優れ
ていることも実感しました。授業がクラス単位で必修なのが最もい
い点です。クラス単位だからこそ生徒が集団としてまとまっている
のです。

 最近はどこでも選択科目が増える傾向にありますが、結局くじ引
きなどで希望が叶えられない人が出ます。受講生が極端に少ない場
合も出ます。そもそも生徒がクラスとしてまとまっていないのが困
ります。大学のように机が床に固定されていると、4人ずつでカン
ファレンスをするといってもしにくいです。そもそも大学の教室は
大きすぎます。いや、大学自体、大きすぎるのです。

 私にとっては本当に楽しい時間でした。毎年、秋から冬にかけて
3~4ヵ月授業をして、皆さんから喜びと元気をもらって、又残り
の9ヵ月をがんばるというサイクルが出来ていました。このサイク
ルが崩れるのは少し辛いですが、運命は良きにつけ悪しきにつけ神
様の思し召しとして受け入れるのが私の主義です。新しい哲学教育
は作り上げたのだから、この授業が無くなって生まれた時間で新し
い仕事に取り組め、という意味だと思います。

 沢山の温かい言葉をありがとうございました。皆さんにお会いで
きて、嬉しかったです。皆さんと分かち持った楽しかった何時間か
のことは、いつまでも忘れないでしょう。私はこの学校も生徒も好
きでした。

 皆さんも後1年、実習をがんばって、立派な看護婦(士)さんに
なって下さい。(2001,1,30)


「天タマ」第44号(2000年12月14日発行)

2007年08月22日 | 教科通信「天タマ」
「天タマ」第44号(2000年12月14日発行)

         市立看護専門学校 哲学の教科通信

 12日は学校の訓育力を考えました。
(1) 内容が充実し工夫があって楽しい授業は生徒の態度をよくする
力を持つ、
(2) 学校教育は個々の教師が行うものではなくて「校長を中心とす
る教師集団」が行うものである、
という講師の考えに対して、いろいろな意見がありました。

 最後のレポートとなりましたが、毎回のテーマと格闘してきた人
には大きな前進が見られたと思います。授業が終わりに近づいたこ
とを惜しむ声も沢山寄せられました。

 学生版アンケートをいただきましたが、どちらのクラスでも、発
表前にクラス全体で「これを発表してよいか」と確認する作業をし
ていないようです。これはルール違反です。

 1組とか2組とかの名前で出されたものは、1組なり2組なりの
全員の責任になります。責任の持てない事には反対しておかないと
、訴えられた時に困ります。

──前回の「天タマ」に盗難問題を生徒総会で解決した文章があり
ました。私は同じ高校にいたのでそれを思い出しました。あの全校
集会は中身のあるものだった。いろいろな人の意見がとびかい、生
徒皆で何とかしていこうという雰囲気があったことは、今でも忘れ
られない。

 私は、悪い事をしたら警察が入ることは悪いことだとは思わない
が、話し合いで犯人本人が心を改める機会になれば、それも一つの
方法なのだということが分かった。

 先生は、「この筆者は、興味のある充実した授業を教師がしてい
るかどうかを見落としている」と言っていたが、確かに授業の雰囲
気は学校生活に全く関係していないと言ったらうそになるが、高校
生にもなるとある程度人間が作られ、していい事と悪い事はもう既
に分かっているのではないかと思う。だから見落とすというよりも
、そういう視点で見ることが、私も含めて気づかなかった、と言え
ると思う。

──今回の授業で、先生の「教師は勉強を教えるだけでいい」とい
う言葉に対する誤解が解けて良かった。でも、先生の授業は「勉強
以外のことも教えている」という意図がないということには、依然
として疑問を感じます。情熱のなせる技でしょうか?

 ★ 勉強しか教えないという言葉と、勉強以外の事も教えるとい
う言葉との理解が皆さんと私とで違うようです。

 あるメルマガに「生徒より世間知らずの教師が生徒に教えるなん
てふざけるな」という投書が載っていました。私は「教師は自分の
担当教科の事を興味深く教える技術を持ってさえいればいい、世間
知らずで結構」という考えです。

──家庭はしつけに重みをおいて、学校は勉強に重みを、地域は社
会性と、それぞれ分担しつつ連携するべきだと思う。それで、学校
はまず勉強を教えて、しつけのできていない(態度が粗悪な)子に
は指導して、社会性が育つような活動をしなければならない。とい
うことから、現在の学校は茶髪などを取り締まって部活を行ってい
ると思う。

 だけど、先生の言ったように、授業でそれらの事ができたらいい
というか、そのような事も可能な授業をすべきだと思う。学校は学
校のやり方でやることが大事だと思う。

 でも授業「だけ」に力をそそげばいいというのは反対です。授業
の中では個人個人にまでは行き届かないから、休み時間、放課後な
ども、もし生徒が求めれば応えていくべきではないだろうか。

──家庭は小集団であるのに対して、学校は大きな集団であるとい
う違いがある。現在は特に核家族が増え、家庭の中だけでは関わる
人の数が少ない。それに比べて学校は人数が多く、いろいろな人が
いて、いろいろな考え方がある。このような集団の中で教育を受け
ることによって協調性を学ぶのではないかと思う。

 集団の中で自分の考えを述べ、それを理解してもらったり、他の
人の考えを聞き、それに共感したり、新しい考え方を発見したりし
ていく。このような事をすることによって、お互いに理解し合い態
度が良くなっていくのではないかと思う。

 この時、教師も校長を中心にまとまっているべきだと思う。教師
一人一人の考え方の違うのは仕方のない事かもしれないが、学校全
体の考え方としてはまとまっているべきだと思う。それは生徒にと
っても良い手本となると思う。

──私の通っていた中学では1年に1回、研究発表があって、先生
たちはそれぞれ授業について研究をしていた。そして、3年に1回
くらい本を出し、全国から見学者が来た。

 授業では先生から課題が与えられ、「追究用紙」という紙に1人
ずつ自分の意見を書いた後、4人のグループに分かれてホワイトボ
ードを使って話し合い、お互いの考えを深めてから、クラスで発表
をした。これが授業の基本だった。私たちの考えた意見はすべて認
めてくれたので、意見の言いやすい雰囲気があった。

 初めて授業参観に来た母は「自分も授業を受けてみたい」と言っ
た。先生たちは教科別に部屋を持っていて、そこで授業について研
究していた。その部屋へ行くと資料が山積みになっていた。授業は
1回1回、先生の思いのあふれるもので、生徒もそれに応えようと
努力していた。

 他校と比べると部活には力を入れてなくて、生徒が楽しむ程度で
あったが、授業の内容の濃さではどこにも負けなかった。学校生活
がとても充実していた。先輩たちも後輩の面倒をよく見てくれて、
とても仲が良く、学校内にトラブルはなかった。(略)

 先生と共に良い授業をして、研究発表を成功させたいという思い
が生徒の中にあった。先生と生徒の上下関係を強調するのではなく
て、一緒に夢中になれるものが学校には必要だと思う。

──高校の時のことを考えると、校長を中心とする教師集団ができ
ていたと思う。校長先生は勉強のことも、生徒の教育(女子校だっ
たので女性の教育に力を入れていた)も精力的にされていた、と記
憶している。あまり生徒に近い存在だったとは思わなかったけれど
。先生方の生徒に対する対応も人により多少違ったけれど、ほぼ統
一されており混乱しなかった。

──私は最近、某塾のテスト監督のバイトを始めた。そこで見た教
師陣の情熱にはすごいものがあった。別に塾と学校では目的も違う
わけで比較するつもりもないが、あのような先生が学校にいたら良
かったなあと、漠然と思った。

 授業内容もすごく分かりやすく、生徒のやる気を引き出してい
た。生徒達もすごく楽しそうに授業を受けていた。また、教師・生
徒といった壁を作らず、対等な立場で接し、すごくいい雰囲気だっ
た。

 そして、一番びっくりしたのは、生徒が来る頃と帰る頃に塾の外
で1人1人に挨拶を交わし、声をかけていたことだった。そういっ
たちょっとした事の積み重ねから、先生と生徒のより良い関係が築
けていけるのだと思った。

   VTR「家族画」を見て

──中学生の時、教育実習に来ていた人が少年院を経験している人
でした。その人はそのような過去を皆に話すことで、生徒たちに自
信を持ってほしかったのではないかと考える。

 警察に連れていかれた後は、人生に悪い影響を与えるばかりでは
なく、その後の人生はその人自身の考え方によりいくらでも更生で
きるものだと思う。だからといって法律に違反する行為をしてもよ
いのではなく、1度失敗しても悲観的になるのではなく、自分の人
生をしっかりと見据えてがっばっていくことだと思う。

──親と子は別々なのだと感じた。そして、子供は真っ白であると
思った。真っ白で何もない状態に沢山の色が混ざっていく過程で親
の影響はとても大きくて、親のたった一言でも色はがらっと変化す
る強く大きな力があると思った。

 子供は親が大好きで、好かれたくて愛されたくて、自分の意志と
は違うことをしてしまうこともあるのだと思った。親に好かれたい
がために、親の抱いている子供像を子供が感じ取り、教育されてい
く内に、親に好かれる方法を見つけ、子供はそれを演じ、演じてい
るために疲れてしまって全く逆の事をしてしまうのかもしれない。
子供を育てることは本当に難しいのだと感じた。

──中学のクラスに、家庭環境が悪くて問題になるいわゆる不良と
いう子がいた。授業に途中まで来ていたが、後半は席がぽつんとあ
り、どこか施設に行ったと聞いた。

 卒業の時のアルバムにその人の住所が忘れられていて、後から回
収して付け加えられた。先生にとってはそんなもんだったのかなと
思った。私たち生徒には何も言わずにアルバムを回収したが、みん
な大体気づいていた。生徒は分かっていたのに、先生は忘れるなん
て、悲しいと思った。

──私には、小さい頃から病気で小学校の頃に入退院を繰り返して
いた四つ違いの姉がいる。小中学生の時、両親の気持ちがすべて姉
に行っている気がし、兄も長男ということで何か皆に特別視されて
いる気がして、私は放っておかれていると感じ、さみしい思いをし
ていたことがあった。

 だからこつこつと勉強もがんばっていたし、特に道にはずれるこ
ともなくて、良い子を演じようとしていたかもしれない。でも高校
や現在に至って、私はそのような気持ちでいた事を母親に話した。
今までためていたものを吐き出せた気がした。私のそういう気持ち
を母は分かってくれていたし、その時の私を受け入れてくれた。今
の自分があるのは、その時の気持ちや受け入れてくれた家族があっ
たからだと、最近思う。

   その他

──今回が最後のレポートということで少しさみしい気がします。
レポートが苦手なので、もう書かなくてもいいということで嬉しい
気持ちもあるけれど、この哲学の授業が終わってしまうということ
が少しさみしいです。

 初めは何か変わった授業だと思っていたけれど、回が進むにつれ
て、今日のテーマは何だろう、休憩は何をするのだろうかと、授業
を楽しみにする気持ちも出てきました。また、短時間で自分の考え
をまとめて文章にする力も少し身についたと思います。

──私の高校はキリスト教だったので、クリスマス会があった。ク
リスマス会といっても、お菓子やジュース片手に騒ぐのではなく、
聖歌をうたったり聖書を朗読して、キリストの誕生のお祝いをする
ものであった。そして最後には全員でロ-ソクを持ち、火を灯し、
その炎でおおわれた空間を楽しむ会であった。こういうものは自分
たちではなかなか味わえないので、すごく良い体験をした。

──先生は昨日の月を見ましたか。出始めた頃すごく月が大きくて
、ほんとに黄金色って感じでした。感動しました。月を見ると私は
平安時代のことをなぜか思います。平安宮廷人が月を愛でる姿をな
ぜか連想するのです。先生と月を見ると何か思うことってあります
か?

 ★ 月の感慨はありません。すみません。これまでにも冬の星座
について何人かの人が書いていました。私は夏の星座は少し覚えま
した。矢座みたいな可愛いものもあります。星座を考えたり、月に
思いをはせたり、人間には誰にでもロマンチズムがあるのですね。


「天タマ」第43号(2000年12月12日発行)

2007年08月21日 | 教科通信「天タマ」
「天タマ」第43号(2000年12月12日発行)

         市立看護専門学校 哲学の教科通信

 5日は校則について考えました。レポートを読むと、在学中は疑
問を持っていたが、卒業後は認める気になったという人も何人かい
ます。未成年者の教育は家庭(しつけ)と学校(勉強)と地域社会
(部活)で分担するという考えについても賛否両論でした。

──私は先生の「犯罪をしたら警察に引き渡す」という意見に反対
です。殺人とか命にかかわったり他人の心を目茶苦茶にしてしまう
ような人は、すぐにでも警察に渡さなければならないが、でき心で
他人の物を盗んでしまった人とかは、学校で反省させ、更生させれ
ば、警察にとどけなくてもいいのでは?と思います。

 もし警察に届けてしまうと、その人の人生はメチャクチャになっ
てしまうと思います。罰を受けても心が反省しなくてはその人は反
省しないと思います。現に、少年犯罪者の7割がまた罪を犯すと言
います。学校はなぜいけなかったのかを話し合い、その子を更生さ
せる義務があると思います。

 先生は「しつけは家で」とおっしゃいましたが、やはりしつけは
学校でも行うべきだと思います。親といえどもいろいろな人がいる
わけだし。親の足りない部分は学校で補うべきだと思います(略)

 今日のような授業を小学校か中学校の時に行い、「学校の意義」
をみんなで理解する事は絶対に必要だと思いました。家でするべき
事、学校でするべき事、両方でするべき事を明確化するべきで、そ
れも父母・生徒・先生と共にするべきだと思います。

 ★ 「今日のような授業」だけですか? 私はこの哲学のような
授業が小学校から大学までどこにでもあって欲しいと思っていま
す。

──私は、学校は学力をつけるためのものだという考えに反対であ
る。私の高校では一時期、盗難がとても多かった。先生が「次から
は警察を呼ぶ」と言っても無くならなかった。

 私は警察を呼ぶのはどうしても嫌だった。警察沙汰になると、そ
の犯人はきっと退学になってその人の人生は大きく変わってしまう
と思った。だからと言って盗難があっても見逃すのではなく、私は
その人が自分で気づいて止めて欲しかった。

 ある日、生徒総会で全校生徒で話し合った。沢山の人が意見を言
って、生活指導のこわい先生は、みんなで話し合ってまとまってい
て嬉しい、というような事を言っていた。

 その時から盗難は無くなったと聞いている。この犯人は心を入れ
換えてもう同じ事はしないだろうと思った。学校は集団ですごす場
所である。家庭では特に最近は子供が少なく、また核家族が多くて
なかなか学べないこともある。集団でしか学べないことも必ずあっ
て、そのために学校は必要だと思う。

 盗難に遇った人たちの立場からすると警察に訴えてほしいことか
もしれないが、学校としては集団の力で社会性とか人間性を身につ
けてほしいと思っているはずである。そのためにすぐに警察に頼ら
ないで生徒を守るのだと思う。

──教師は、生徒が犯罪に近い事件を起こしたら警察に引き渡すべ
きである。生徒が可哀相だと思っても、警察には犯罪を犯した子供
の心を入れ換えさせてくれる専門家の人々がいるからだ。本当にそ
の生徒のことを思うのなら、一時的な感情に左右されずに一生の事
を考えて引き渡すべきだ。

 でも、教師は自分の生徒に犯罪者が出たことで自分が非難される
のを恐れているかもしれない。だけど、これはやはり学校にしつけ
を求めている人々がいるという背景によるのだと思う。

──子供の受講態度が悪かったのなら、学校の教師が「授業を受け
なくてもよい」とか、「学校に来なくてもよい」とか言っても良い
と思う。なぜなら、学校は勉強を教える所であるからである。子供
が学びたいという意志を持てることが最良であると言える。この意
志があって初めて教師が教えることに意味があると思う。

──先生の言った「学校はBとCに対して教育する所であって、今
の学校はBとCの予防のためにA-2を行っている」という考えに
、なるほどと思った。

 確かにA-2に対して厳しくしすぎだと思う。BとCを行ってし
まうような人間は見た目が茶髪でゲーセンに行ってだらしない恰好
でフラフラしているというイメージや一般論があるため、また世間
体がよくないため、A-2について徹底して直そうとするのだと思
う。

 私の親もそうだった。高校卒業までは服装、髪の色などうるさく
言われ続けた。確かに親はA-2を支持する。でも根本を考えれば
、人として反しない行為(犯罪など)をしなければ、見た目はどん
なであってもいいのではないだろうか?

 しかしさすがに人に不愉快に思われるような見た目であってはよ
くないだろうけど。人間中身が大切である。この事について親と話
してみたいと思った。

──学校は勉強を教える場所であって、家庭がしつけを教える場所
というのは、その通りだと思う。親が学校に責任をおしつけるのは
間違っていると思う。

 でも小学校のようにまだ小さい頃は、学校も勉強以外の事を教え
ていく必要があると思う。勉強だけというのは高校などだけだと思
う。高校は頭髪や服装にとてもうるさい。

 でももともと茶色で染めていない生徒でも注意されていた。カン
ファレンスでも、先生に気づかずに挨拶しなかっただけで、「帰れ
」と言われたことがあったと聞き、驚いた。先生が何でも一方的に
決めつけるのはどうかと思った。

 ★ 罪刑法定主義と言って、何が悪いか、それに対する罰の上限
は何かをきちんと決めておかなければなりません。そして、異議申
立ての方法も改正提案の手続きも定められていなければなりません


 しかるに、学校にはこれがなく、力のある人(ボス教師や、時に
はワル生徒)の恣意が罷り通っています。これでは無法地帯です。
しかし、本当はなぜこうなるのかという事まで考えないと、解決し
ないでしょう。教師にも、どうしたらいいのか本当の事が分かって
いないのです。

──私は今回の「天タマ」を読んで、全員ひざまづかせてスカート
の長さをチェックすることには驚いた。何か強制的脅迫的であり、
生徒たちを個々として捉えていない気がする。

 学校は集団生活の場でもある。しかし、集団は個々の集まりであ
るという事を考慮するべきだと思う。学校の規則は生徒をしばるも
のではないと思うが、外見をとても重視し、学生らしくと述べるの
は矛盾しているとも思う。

──私が中学生、高校生の頃、あまりオシャレに興味がなかった、
というか身だしなみに興味がなかったせいで、学校の服装や頭髪の
校則には別段不満を抱くこともなく、校則について不満を言ってい
る人をみても共感することなく、「ふ~ん、そうなんだ」というく
らいの感じで見ていた。

 しかし、やはり校則を思い切り破ってみんなと違う恰好をしてい
る人を見ると、なんだか違和感があって、見てて不快だなと思える
人が多かったように思います。それはやはり、校則はどの程度であ
ったらみんなに迷惑をかけることなく気持ち良く生活できるかとい
うことをしっかり考えた上で決められているのだから、それを大き
く逸脱した人を見ると不快に感じたのだと思います。

 だから校則にはそれなりの意味があって、それを守っていくべき
だと思うし、不満なら、みんなでその校則について話し合って改善
していくことが大切だと思います。

──塾なら生徒はおとなしく言う事を聞くのに、学校では言う事を
聞かない現象がある。これもおかしな現象だと思う。

──高校の同じクラスの人で、中学時代からいじめられていてその
思いが爆発して精神病になって、結局学校を辞めてしまった人がい
た。私は理解できなかった。なぜいじめられた子が学校を辞めて、
いじめている子が堂々と学校生活をしているのか。

   その他

──私は、三方原学園〔静岡県の児童自立支援施設〕に2回ほど行
ったことがあります。1回目は小学校の頃、古墳を見学しに行った
。2回目は高校の吹奏楽の一員として行った。

 私の1つ年下の子で、三方原学園に行っている子がいた。その子
は何らかの悪い事をして、そこに中学生の頃に入ったらしい。しか
もその顔を私は覚えていたので、2回目に行った時に見たいと思っ
た。

 その子は、いた。私の知っているその子ではなかった。とても不
良面した子だったのに、落ちついた顔をして、みんなで仲良く話を
していた。私はいい環境にこれてよかったなぁと思った。今でもそ
う思う。

──休憩で好意度診断テストをしてみて、17の「彼の姓を私の名前
の上にかぶせて、小さな声でつぶやいてみたことがる」というのに
笑ってしまいました。女の子はけっこうこういう事が好きだな~と
いう風に思いました。

 小学校の頃から好きな人のことを友達と話すと、好きな人の姓で
名前を呼び、冷やかし合ったことを思い出しました。今になっても
17のようなことって、心の中などで言ってみたりすることがあるな
と思ったら、なんだか恥ずかしくなりました。

──私は好意度診断テストの結果が17個でした。25個中17個だった
から半分以上でよいと思います。相手のことをどの程度好きなのか
、自分自身よく分かりません。基準がないし、相手より私の方が好
きでいるのかそうでないのか~。

 理想としては同じくらいに好きでありたいし、安定していられる
と思います。彼との心理的距離を近づけていくほど、いい所と嫌な
所が見えて、喜んだり怒ってしまったりすることがあります。でも
やはり近づけるほど色々知ることができるから、楽しいし嬉しいで
す。

──この前ザザシティに初めて行ってみた。洋服の店に人はほとん
どいなくて、売れているのかなと思う状態だった。こういうのを作
るくらいなら、バリアフリーなどのためにお金を使ってほしいなと
思った。浜松はアクトなどもそうだけど、お金の使い方が下手だな
と思った。

 ★ 講師の提案。

 市役所の敷地内の植栽は撤去し、駐車場は500mくらい離れた所に
移して、広場にする。役所前の道を通行止めにしてそこも広場にす
る。市民食堂をきれいにして美味しいものを出す。その広場を青空
市場にして近郊の人が店を出す。大道芸は自由にやらせる。用がな
くても人々が役所の周りに集まり、出会い、楽しみ、市政を議論す
るようにする。市長は時々その議論に加わる。

   12日のテーマ

 前回に言った事と矛盾するようですが、学校は勉強を教えるだけ
ではありません。学校には生徒を訓育する仕事もあります。しかし
、学校の訓育力はどこにあるのでしょうか。家庭の力とどこが違う
のでしょうか。これをテーマとしましょう。

 又、VTRでは「家族画」を見ます。これは名古屋少年鑑別所で
の或る試みを紹介したものです。非行少年少女は警察に捕まった後
、どうなるのでしょうか。これを考えてみます。なお、最近は不登
校になったりした生徒たちに対しては学校カウンセラーが導入され
てきています。