ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

 2008年10月から「第2マキペディア」として続けることにしました。

教育の広場、第292号、民主党は成功学を

2007年07月31日 | マ行
 (2007年)07月29日、第21回参議院議員選挙が行われ、民主党が歴史的な大勝利を収め、自民党が歴史的な大敗を喫しました。その他、公明党も共産党も社民党も敗北と言うべきでしょう。国民新党は勝利と言っていいかもしれません。

 この結果を巡るいくつかの論評を読んだり聞いたりしましたが、私の同感したのは次の朝日新聞の記事(07月30日)だけです。まずそれを引用します。

      小沢氏行脚、保守票奪う

 「政治生命をかけて戦う」と臨んだ今回の参院選。小沢氏が徹底したのは、旧来の自民党が得意としてきた「地域密着型」の選挙戦術だった。

 昨年4月の代表就任直後から1年あまり「1人区行脚」を続けてきた。建設業協会や商工会議所など自民党支持と見られてきた組織に積極的に足を運ぶ小沢氏の姿が、頻繁に地元のメディアに報道された。農村部で特産のお茶を飲んだり、トマトをかじったりし、「うまいっ」と顔をほころばせるパフォーマンスも見せた。

 13日に青森、秋田、14日に山形、18日に愛媛、香川~。選挙期間中の遊説先は、自民の牙城がずらりと並んだ。小泉・安倍両政権の構造改革路線で疲弊する地方の保守票を切り崩す。そんな狙いは明らかだった。

 その中でも、小沢氏が特にこだわりを見せたのは鳥取選挙区だった。新進党解党後の1998年以降、補選を含めて4回の参院選ですべて自民公認か推薦候補が勝ってきた保守王国。ここに小沢氏は「郵政造反組」の元自民党衆院議員、川上義博氏(56)を説得し、民主新顔として擁立した。

 選挙戦最終日の28日。小沢氏は公示日に小さな集落でマイクを握ったのに続き、鳥取県米子市のホールに立った。「このままなら日本の将来は暗い。国民本位の政治を実現する」。静かに語りかけるような小沢氏の演説に、会場に入りきらない約2600人から何度も拍手がわき起こった。

 自民支持だったという工場経営の男性も熱心に聴き入った。「景気回復はここでは実感できない。小沢さんは地方を重視してくれる」。地元選対の幹部は「これまでの民主党の集会では見たことのない顔がたくさんあった」と驚いた。

 スケジュールにない動きでも陣営を引き締めた。選挙戦の半ば、他県で遊説中の小沢氏が何の連絡もなく鳥取の選対を訪れた。「風を頼まず、地道に活動を続けてください」。これを機に、選対は農村部での街頭演説などに力を注いだ。

 鳥取選挙区は、3選を目指した自民前職の常田享詳氏(63)を川上氏が破り、参院選で初めて民主が議席を獲得した。小沢戦術は他の1人区も次々と制し、「政権交代の最大で最後のチャンス」の第1関門を突破した。(引用終わり)

 私もこれと基本的に同じ考えを表明してきました。しかし、この記事は小沢代表になってからのこの1年余りしか見ていないようですので、もう少し視野を広げて、近づいたと思われる次の総選挙で政権交代を実現するための方法を考えてみたいと思います。

 ここで方法を確認しておきますと、それは畑村洋太郎さんの失敗学です。それは、失敗した時は、「責任追及の前に失敗の原因を冷静に分析するべきだ」と教えるものです。私はこれを拡張して成功学をこう定義します。成功学とは「成功した時にも浮かれないで、成功の原因を冷静に分析し、同時にそこに隠れていた失敗の可能性を見いだし、次の失敗の芽を早めに摘んでおく」というものです。

 さて、前回参院選でも年金問題による「風」で、岡田民主党は小泉自民党に「善戦」ないし「辛勝」しました。しかし、察するに、岡田代表(当時)を初めとする民主党の人達は、ここで辛勝したために、岡田さんの「真面目さ」があって、その上に「風」が吹けば次の総選挙も戦えると思った、あるいは感じてしまったのだと思います。

 逆に、負けた小泉首相は、自分のイニシアチブで解散し、自分の得意なパフォーマンスを駆使しなければ勝てないと悟り、2005年夏の郵政選挙を演出して、成功したのだと思います。つまり、民主党は成功学を疎かにし、小泉さんは失敗学をきちんとやったのです。

 今回も、もし小沢民主党、特に小沢さん以外の人達が成功学を疎かにして反省を怠ると、総選挙で失敗する可能性があると思います。自民党の方は必ずや失敗学をきちんとやってくるでしょうから。

 では、小沢民主党の成功の原因は何か。朝日の記事が述べていますように、「かつての自民党のやり方で組織固めをしたこと」、これです。多くの論客は「風」ばかり強調しますが、「風」が吹いたのに共産党や社民党はなぜ後退したのでしょうか。組織固めの方法を見いだせず、出来なかったからです。「風」を受け止めて定着させる主体がなかったからです。

 思うに、「風」と「地道な活動」とは、レーニンの言葉で言い換えれば、「自然発生性に拝跪した運動」と「自覚的な運動」となるでしょう。小沢さんの使った対比がレーニンと同じとは驚くかもしれませんが、政治活動である以上、どんな政党でも根本原理は同じだということです。

 たしかに小沢代表のやり方は旧自民党的であり、農村的であり、義理人情的です。しかし、人はそれぞれのやり方でやるしかないのです。要は、政策談義だけが政治だと思い込んだり、それだけで選挙に勝てると思うのは幻想でしかないということです。

 民主党の若手の人達は政策談義は得意のようですが、それはそれで結構な事ですが、その上に、「自分流の組織固めの方法」を見つけなければならないと思います。政治は政策とそれを実行する組織の両輪から成り立っているのです。

 PS、小沢さんが選挙後に「休養」したことについて付記します。

 これが心臓疾患と関係があるらしい点は心配ですが、原理的に言って、政党のトップなどは日頃があまりに多忙ですから、時々、ゆっくりする時間を作った方がいいと思います。

 いつでも走っていないで、時には一人静かに考えることです。そうしないと本当の反省はできないと思います。

 そのための「口実」に「医者の勧め」を使ったのなら、悪くないどころか上手いやり方でさえあると思います。


教育の広場、第291号、耐震補強をどう進めるか

2007年07月23日 | 政治関係
教育の広場、第291号、耐震補強をどう進めるか

 2007年07月22日付けの朝日新聞の社説に次の文章が載りました。

   耐震補強、命を守る決め手だ

 地震で一番怖いのは、強い揺れで瞬時に家をつぶされ、その下敷
きになってしまうことだ。阪神大震災の死者の8割は建物の倒壊に
よる圧死だった。

 規模こそ違うものの、今回の新潟県中越沖地震でも同じことが繰
り返された。10人の犠牲者のうち9人が、壊れた建物に押しつぶさ
れて亡くなった。

 地震による犠牲者を少なくする決め手は、古い木造住宅を改修し
て補強することに尽きる。それが1995年の阪神大震災の教訓であり、
その年のうちに耐震改修促進法を制定した理由でもあった。

 ところが、肝心の耐震補強が思うように進んでいない。今回の地
震で被害が集中した柏崎市の場合も、この春から耐震補強の助成制
度を始めたが、申請はゼロだった。残念と言うしかない。

 進まない理由の一つは、耐震改修の基本方針づくりをしている国
土交通省の硬直した姿勢にある。

 現行の建築基準では、建築物に「耐震強度1以上」を求めている。
震度6の揺れでも倒れない強さである。国交省は「公金を投じる以
上、古い住宅でも改修後はこの基準を満たすものでなければならな
い」という。

 しかし、この基準に沿って補強をすれば、平均して百数十万円の
費用がかかる。所得の少ない家庭や年金で暮らすお年寄りには負担
しきれないのだ。

 耐震補強が進まないことに悩む自治体の間では、国交省の方針を
乗り越えて独自の支援を始める動きが広がっている。先陣を切った
のは東京都の墨田区だ。

 強度の足りないところに柱や筋交いを入れる。それで少しでも地
震に強い家にする。費用も数十万円ですむ。昨年から始めた簡易改
修の助成事業である。後に続く自治体が相次いだ。

 国内には強い地震に耐えられない住宅が全体の25%、約1千万戸
もある。中央防災会議は2015年までにこれを10%に減らす目標を打
ち出している。

 この目標を達成するためには、国と自治体がもっと柔軟な発想で
取り組む必要がある。補強が進まないうちに地震に襲われて犠牲者
が増えるようなことは、何としても防がなければならない。

 むろん、行政を批判すれば事足りる話ではない。防災の基本は自
助である。住民白身が「自分の命は自分で守る」という気概を持つ
ことが大切だ。

 その意味で学びたいのは、宮城県松島町の取り組みである。東北
工業大学の田中礼治教授らの協力を得て、3年前から中学生に住宅
の耐震診断のノウハウを伝授する授業を始めた。

 田中教授は「中学生を大人として扱い、防災の担い手にしたい。
授業は、親や祖父母との対話のきっかけにもなる」と語る。松島町
の試みは宮城県だけでなく、隣接県にも広がりつつある。

 私たちは、いつどこで地震に襲われてもおかしくない国に生きて
いる。命を守るために、さらに知恵を絞りたい。
 (引用終わり)


     感想

 1、関連する事情をまとめてくれたのには感謝しますが、具体策
を提示できないところに朝日新聞の限界が好く出ていると思います。

 2、要するに問題は、古い住宅を震度7でも倒れない(死なない
)ように耐震補強するのに、最低でも例えば50万円かかるというの
に、助成金が20万円しか出ないというのでは、その自己負担分の30
万円を出せない世帯が沢山ある、ということです(数字は仮のもの
、しかしかなり現実に近いと思います)。

 3、解決策は以下の3つしかないと思います。

 第1案・貧困を無くす。
 第2案・全額公費で出す。
 第3案・とにかく自己負担ゼロで解決する方法を考え出す。

 第1案は正道ですが、政権交代が実現しても出来るかどうか分か
りませんし、出来ても時間がかかるでしょう。

 第2案も今の財政でも可能だと思いますが、それを実行できる首
相が生まれるのを待っていることはできないでしょう。あるいは、
公務員の給与を下げれば出来ますし、特別行政法人などを正常にす
れば更に出来ると思いますが、それを実行できる政府を待っている
ことはできないでしょう。

 残るは第3案しかありません。ではどうするか。私の考えている
案の「1つ」を紹介します。

 朝日新聞の紹介する松島町の中学の取り組みは「耐震診断のノウ
ハウ」だけのようですが(電話で聞きましたが、役場も学校も詳し
い事を知らないようでした)、これを耐震補強工事まで含めるよう
にするのです。

 そして、中学生より高校生(女子を含む)を主体にするのです。
授業の一環にして好いと思います。

 自分の家だけでなく、危険性のあるすべての家屋を対象にするの
です。教育再生会議の提唱している道徳教育よりはるかに大きな教
育的効果すらあると思います。

 因みに、住宅の価格に占める材料費の割合は5分の1以下です。

 こういう記事で示されている耐震補強費用も内訳を精査する必要
があります。


     お知らせ(07月23日)

 本日2007年07月23日、以下のブログを更新しました。

 「国語辞書・マクシコン」の「壁」の項を書き直しました。

 http://blog.goo.ne.jp/maxikon2006/

教員人事のあり方を見直せ

2007年07月12日 | カ行
 以下の文章は朝日新聞の「私の視点」欄に載っていたものです。

     教員人事のあり方を見直せ

         千葉県富里市民生児童委員 土屋 茂喜

 最近の教育改革の議論で教員人事のあり方をめぐる検討がなされ
ていない。30年余り公立中学校の教員をしていた者として、次の点
を指摘し、改善を求める。

 第一は、行政職に絡む問題だ。多くの教師が教職を志す初心は、
教育が「子供の幸福と人間形成に携わる尊い仕事」だからである。
将来、行政職に転身して出世したいためではない。

 しかし10年以上、学校現場の経験を積んで35歳を過ぎるころにな
ると、教師を続けるか、行政職に転身して、「より上に立つ」機会
を得るかの選択を迫られる。

 ここでいう行政職とは、教育委員会や社会教育施設などの職員で
ある。これらの職は公募されているわけではなく、当人と人事権者
以外は知らないところで話が進み、まとまれば表向きは退職という
形をとって学校現場から去る。

 そして、いったん出ると、よほどのことがない限り将来のポスト
はもとより、退職後も公民館長になるなど、優遇措置が約束される。
そこに教師の上ばかりを見る体質や選良意識が生じる。

 実際、教育長や指導主事らの学校訪問があると、現場では校長を
中心に全校をあげて準備にかかり、前日は大掃除をして、仕事で来
るというのに特別の昼食を用意、中には土産を渡す学校まであった。

 また、退職の形で出たはずが、その後たいていは、校長・教頭と
いった管理職として「天下」ってくる。それが普通のこととして何
の疑問も持たれず慣例化している。

 第二は、主として文部科学者主催の研修や海外視察、研究指定校
の経験に対する偏重である。教員は様々な研究・研修を遠心て優れ
た教師となるよう努力しているが、前述した経験は異動の際、特に
有利に働く。それ故、それらに参加しようと躍起になり始めるのも
35歳ごろからである。

 これに推薦されるための準備などを優先して出張なども増え、残
りの教師たちにしわ寄せがくる。多忙な現場はさらに忙しくなり、
子らと触れあう余裕を失う。

 第三は、教職員組合との関係である。組合幹部の多くは、組合活
動を終えた後に行政職へ転身、管理職へと駆けのばる。組合幹部に
なる教師の本音は、組合員のためにというより、自分の出世のため
の手段という傾向が否めない。

 私は教育で最も尊いのは壷井栄の小説「二十四の瞳」の大石先生
や、今年開設40年を迎えた「ねむの木学園」の宮城まり子さんのよ
うに、日々子供に摸し共に笑い泣き、時には厳しく、共に成長して
いこうとする姿にあると信じる。

 現場を離れ、直接は責任をとらなくて済む評翰家的立場や、管理
職試験の準備に専念できる特権を得た者が、社会的な地位や評価を
得るのはおかしいと思う。

 教員をめぐる現行の人事異動のあり方を、たとえば行政職を公募
制にして天下りはやめさせ、民間の研修経験も重視するなどして改
めていかない限り、他のどんな施策を講じても真の教育改革は実現
しない。
   (2007年07月10日、朝日、私の視点)


     感想

 この投稿は、教育制度の内部事情を熟知する人がその実情を教え
てくれた点で貴重だと思います。

 しかし、行政職のあり方の決定的な重要性を指摘した点では正し
いにせよ、具体的な改善策としては行政職の公募制とか、民間での
研修経験の重視だけで、不十分だと思います。

 まず、どんな組織にも現場と管理(マネジメント)の2つの仕事
があるということです。もちろん選手兼任監督がいるように(この
方の尊敬している宮城まり子さんもその1人)、両者を1人の人が
兼ねてもいいのですが、普通はそれは無理でしょう。従って、マネ
ージャーが必要になります。

 すると問題は、マネージャーの人事をどうするか、それが本当に
より良い現場のためのマネージャーになるようにするにはどうした
ら好いかだと思います。マネージャーにも大きく2段階あり、教育
長レベルと校長レベルがあります。プロ野球で言えば、フロントと
監督です。

 とても難しい問題だと思います。現実には、愛知県犬山市のよう
に、前市長が立派な教育長を任命したために大きな成果をあげてい
る所もありますが、これは例外です。制度的に行政職が堕落しない
ようにする保証となると、私にも好い案がありません。

 少し問題点を指摘することしか出来ません。

 1、校長や教頭などの給与を現場より高くせず、同一の基準で決
めること(これは実施している学校もほんの一部にあるようです。
イギリスのニールとか)。

 教師を著書数によって、著書ゼロ教師、著書1~2冊教師、著書
3冊以上教師の3段階に分けて、給与はこれだけで決める。年功序
列は止める。

 ともかく今は教員の給与は高すぎ、勤務時間は長すぎます。給与
を下げて、週に3日勤務にすると好い。

 2、教員数の5%にあたる教師を常に研修中にしておくようにす
る。今でも何人かの現職教員が大学などで勉強しているようですが
、各教委が主催する研修方式を持つべきだと思います。

 新人教師もまずこの「研修教師」になり、どこかから呼ばれるの
を待つようにする。3年間、研修教師のままの人は退職する。

 3、校長は公募で決める(現在でも校長には資格は要らない)。

 校長には教員の選択権を与える。校長は自分の学校の不適当な教
員をこの研修中の人と取り替える権限を持つ。つまりスポーツの監
督と選手の関係です。

 毎学期末に 360度評価を行い、一定点以下の場合は更迭し、(希
望者は)現場に復帰させること。

 市民が学校のホームページの批評をするように奨励する。

 4、教育長と教育委員はなくす。市町村役場に担当部署を作る。



     お知らせ(07月12日)

 本日2007年07月12日、以下のブログを更新しました。

 「日本国の姿」に「(安倍総理には総理の資格があるか)」を
アップしました。

 http://blog.goo.ne.jp/kuni7659/

 「浜松市政ニュース」に「第38号、「市民への約束」は継承」
をアップしました。

http://shisei.hamazo.tv/e417195.html

 「国語辞書・マクシコン」に「バカロレア」の項をアップしました。

 http://blog.goo.ne.jp/maxikon2006/