ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

 2008年10月から「第2マキペディア」として続けることにしました。

日本語問題の一面

2006年01月04日 | ナ行
 01、日本語問題の一面

 サッカーのW杯もいよいよ大詰めです。先日、ブラジルとイングランドの試合がありました。翌日の新聞に、ブラジル人三渡洲アデミール氏(元清水エスパルス選手。アレックス選手の実兄)のことが載っていました。

──先発選手の名前が呼び出されると、スタジアムは拍手と歓声で沸いた。「ミスが許されない試合という空気が伝わってくる」。ブラジル生まれで、1995年に日本国籍を取得した元清水エスパルスFWの三渡洲アデミールさんは、少し興奮気味に話した。

 W杯を実際に見るのは初めてだ。ブラジルの現地時間では、夜中の試合になるが、「ブラジル全体が寝ていないよ。夜食を用意し、ユニホームを飾って、みんな試合を見ているはず」。(以下略) (2002,6,22,朝日)

 私はこの記事を読んで日本語の問題を考えました。第一に、「ミスが許されない試合」という言い方は「本当は」違うので、「ミスの許されない試合」と言うべきだと思います。しかし、今では大多数の日本人も、そして学生の学力低下を批判している大学教授でも「分数が出来ない大学生」などと平気で書いているくらいですから、もう「違う」とすら言えないと思います。これは今回は論じません。

 今回問題にしたいのはもっと高級な問題です。それは「ブラジル全体が寝ていないよ」という表現です。

 これを考えるために状況を確認しましょう。多分、これは新聞記者が三渡洲アデミールさんと並んでサッカー場で見ていて話を聞いたのだと思います。時間は、多分、21日の3時半のキックオフの少し前だと思います。つまり「今、自分たちは日本の午後3時すぎにこれをこうして見ているが」という前提があって、(ブラジル時間では夜中の試合になるが)「ブラジル全体が寝ていないよ」ということだと思います。

 さて、こういう状況下で、日本人はこう言うでしょうか。私は言わないと思います。「ブラジル全体」を生かすなら「ブラジル全体が起きているよ」だと思います(本当は「ブラジル全体」も少し変で、「ブラジル国民はみんな起きているよ」くらいでしょう)。「寝ていないよ」を生かすなら「ブラジルでは誰も寝ていないよ」だと思います。

 こういう「意味としては正しいのだけれど、日本語らしくない表現」というものを考えてみたいのです。もう少し例を出します。

 ドイツと言わずヨーロッパの日本学の第一人者と言われる人にベルリン自由大学教授のイルメラ・日地谷キルシュネライト氏がいます。この方は「1945年ベルリン生まれ。一橋大学助教授、トリーア大学教授を経て、ベルリン自由大学教授。古典から、谷川俊太郎、村上春樹までを対象にした、インゼル社から刊行中の『日本文庫』を編集。ヨーロッパ日本学協会会長」と紹介される(1994年11月15日付け朝日夕刊)くらいの方です。

 その朝日新聞に載った文章(氏自身が日本語で書いたもので「日本文学紹介阻む英語優先主義」と題されていました)の中に、「先日、大江健三郎氏に二人目の日本人としてノーベル文学賞が決まったのも」という文がありました。私は、日本人だったら「先日、大江健三郎氏に日本人として二人目のノーベル文学賞が決まったのも」という順序で言うのではないか、と思ったことでした。

 最近は外国人でも日本語に堪能な方が増えてきました。嬉しい事です。しかし、そういう人々の日本語を読んだり聞いたりしていますと、やはり時々「少し変だな」と感じることがあります。もちろん私の日本語感覚の方がおかしい場合もあるでしょう。上に挙げました2例でも、私は自分の意見を述べただけです。

 しかし、ここで問題にしたいのは、先ず第1に、こういう疑問を持った時に参照できる辞書がない(少なくとも私は知らない)ということです。そして第2に、こういう微妙な問題に注意を喚起する人がいない(あるいは、ほとんどいない)ということです。

 外国人の日本語にだけ問題があるのではありません。第3の例を挙げます。06月22日の朝日新聞には次のような文がありました。「ピエルサ(アルゼンチンの代表監督)は無名選手から27歳で指導者に転身。卓越した分析力を武器に1998年、43歳の若さで異例の代表監督に就任した」。

 私の問題にしたいのはこの「異例の」という言葉の使い方です。意味はもちろん分かります。しかし、この言い方で好いのでしょうか。

 教育社の「現代国語例解辞典」で似た例を見ますと、「新人でいきなり主役にばってきされるのは、異例のことなんだよ」がありました。ほかに、通常の使い方では「この冬は、太平洋側でも大雪になるなど、異例の寒さであった」が挙げられています。

 つまり「異例の何々」と言う場合は、「何々は異例だ」と言えなければならないのです。しかし、先の例では「代表監督は異例だ」と言えるでしょうか。「43歳の若さで代表監督になることが異例」なのです。ここに私の感じた「おかしさ」の理由があります。

 ではどう言ったら好いのでしょうか。あまり好い対案は出てきませんが、一応次のものを考えました。

 A・卓越した分析力を武器に1998年、43歳の若さでは異例の代表監督に就任した。(「は」を入れる)
 B・卓越した分析力を武器に異例にも1998年、43歳の若さで代表監督に就任した。(「異例」が評辞であることをはっきりと出す)
C・卓越した分析力を武器に1998年、43歳の若さで代表監督に就任した。(「43歳の若さで」の中に既に「異例にも」という趣旨が入っていると考える)

 私見ではCBAの順で好い日本語だと思います。

 「牧野はスポーツ記事しか読まないのか」とお叱りを受けそうですが、もう一つ日本人の文章から引きます。韓国がスペインに勝った日の様子を伝えた文章の中に次の文がありました。

 「今や韓国戦観戦の『名所』と化したソウル中心部の光化門(クァンファムン)交差点。22日は過去最大の80万人がチームカラーの赤一色で埋めつくした。」(2002,6,23,朝日)

 これを読んでどこに違和感を感じたかと言いますと、前の文を体言止めにしたのに、次の文ではその体言が主語になっていない点です。「交差点」は次の文では省略されていますが、内容上は「埋めつくした」の目的語になっています。こういう日本語は「あり」なのでしょうか。

 私の提案。「今や韓国戦観戦の『名所』と化したソウル中心部の光化門(クァンファムン)交差点。22日は過去最大の80万人が集まり、チームカラーの赤一色で埋めつくされた」。これが日本語だと思うのです。

 しかし、以上のどの問題についても、判断は読者に任せます。私の言いたい事は、こういう事を問題にする人がいないのは困るということであり、こういう事に役立つ辞書がないのはもっと困るということです。そして、学校の国語の時間にこういう問題は取り上げられているのだろうかという疑念です。

 最後にもう一つ。「意味が分かれば表現はどうでもいいではないか」というシニカルな考えの方とは、私は話し合う意思はありません。こういうシニカルな意見と議論はしたくないが、自分の中でこういう意見に対する適当な反論が見い出せなくて困っているという方には、関口存男(つぎお)氏の次の言葉を贈ります。

 「言語はただ人間を正直に反映しているだけの事と思えばよい。言語は意を達するために発明されたものではない。意を充たすために発明されたものなのである。ドイツ人は思ったことを普通どういう風に言い表すかがドイツ語なのではない。ドイツ人は思ったことを普通はどういう風に言い表したら気が済むか、これがドイツ語なのである。」(『冠詞』三修社、第2巻 143ページ)

 こういう言葉を聞いて説明抜きに納得するようでありたいと思い
ます。

(2002年06月23日発行)

 02、投書(日本語問題の一考察)
                    S・R
 牧野紀之先生

 こんにちは、はじめまして、S ・ Rと申します。上智の学生です。

つい先日、大学構内の購買部にて『哲学の授業』を購入し、貪るように拝読いたしました。銃後から書かれたものではない、「実戦」の書との感想を持ちました。教師志望のぼくにとって、この本との出会いはたいへん貴重なものとなりました。どうもありがとうございました。

(“香取草之助監訳『授業をどうする!―カリフォルニア大学バークレー校の授業改善のためのアイデア集―』東海大学出版会、1995年。”を超えるほど揺さぶられました!)

  「対話こそ一切の教育の根本」(p.242)

 この力強いことばに感動いたしました。

 日本の学校における教育の目的が、「知識の拡大生産」であれ、「即答能力をつける」であれ、あるいは、昨今、これまで十分ではなかったとの反省から言われておりますような「洞察力をつける」「知恵をつける」であれ、いずれにせよ、「対話」なしに達成できるものでは決してないでしょう。確かにこれこそが「一切の教育の根本」でありましょうね。共感いたしました。

 閑話休題。

 第82号「日本語問題の一面」で展開されております問題にたいへん関心を持ちました。浅はかながら考えてみましたので以下愚見を述べます。

> W杯を実際に見るのは初めてだ。ブラジルの現地時間では、夜中の試合になるが、「ブラジル全体が寝ていないよ。夜食を用意し、ユニホームを飾って、みんな試合を見ているはず」。(以下略)── (2002,6,22,朝日)

> 「寝ていないよ」を生かすなら「ブラジルでは誰も寝ていないよ」だと思います。

 ぼくも確かにそうだと思います。

「ブラジル全体が寝ていないよ」は「ブラジル(国民)全体が(興奮していて、寝てなんかいられなくて、誰も)寝ていないよ」ということなのでしょうね。

> 本当は「ブラジル全体」も少し変で、「ブラジル国民はみんな起きているよ」くらいでしょう)

 ぼくは、「ブラジル全体」と言う表現に語感としてそれほど違和感をもちませんでした。あのサンバのリズムに「ブラジル全体」が、ブラジルの大地が、揺れていて、興奮の坩堝と化している、普段なら寝静まっている時間だけど、誰も、寝てなんかいられなくて、寝ていない、そんなイメージが湧き起こりました。

>「先日、大江健三郎氏に二人目の日本人としてノーベル文学賞が決まったのも」という文がありました。私は、日本人だったら「先日、大江健三郎氏に日本人として二人目のノーベル文学賞が決まったのも」という順序で言うのではないか、と思ったことでした。

 ぼくは、「先日、日本人として二人目のノーベル文学賞が大江健三郎氏に決まったのも」という順序が最もしっくりくるように思います。

> 「ピエルサ(アルゼンチンの代表監督)は無名選手から27歳で指導者に転身。卓越した分析力を武器に98年、43歳の若さで異例の代表監督に就任した」。

ぼくは、「43歳という異例の若さで代表監督に就任した」がいいと思います。

> 私の提案。「今や韓国戦観戦の『名所』と化したソウル中心部の光化門(クァンファムン)交差点。22日は過去最大の80万人が集まり、チームカラーの赤一色で埋めつくされた」。これが日本語だと思うのです。

 これは先生のご提案どおりだと思います。

 ことばって面白いですね。ぼくがこれまでに読んだ文章読本の類で感銘を受けたものは、
“本多勝一『わかりやすい文章のために』すずさわ書店、1981年。”と、“桑原武夫『文章作法』潮文庫、1984年。”です。

 先生ご推薦の“文章読本”がございましたらぜひお教えいただきたいです。

 それでは、失礼いたします。


 03、お返事(牧野 紀之)

 1、拙著がお役にたって嬉しいです。

 2、もう少し詳しい自己紹介をしていただけたら適切なお返事もできたかな、と思います。所属学部と専攻、学年、志望は中学教師か高校教師か、これまでに読んできたものなどです。あなたが国語教師志望なら、以下の文はもっと詳しく書いた方がよかったでしょう。

 3、私の取り上げた日本語の個々の表現に対するご意見については、私は今のところ言うべきことはありません。それより大切な事は、このように意見が違った時、「言葉は面白い」で済まさないで、「ではこの場合にはどういう言い方があり、どう言うとどういう効果があるのか、所与の場合ではどれが適切か、を研究するにはどうしたら好いか」という問題です。つまり研究方法の問題です。あなたはこの問題に対してどう答えますか。答えられるような教育を
(国語や英語、その他の外国語の授業で)受けてきましたか。

 別にあなたを責めているのではありませんから、よく反省して正直に答えてみてくれませんか。

 4、私の問題にしたかったのは、こういう問題を考えるのに役立つ辞書や文法書がないということであり、そもそもこういう問題がほとんど意識されていないということであり、学校で教えられていない(と思います)ということです。

 5、文章読本は沢山ありますが、どれも内容が多すぎて、実際に文章を書くときの手引きとして役立たないと思います。そこで私は肝心要の点だけをまとめました。これが拙稿「美しい論理的な日本語のために」です。拙著『生活のなかの哲学』(鶏鳴出版)の中に入っていますが、今この本は売り切れです。どこかの図書館にはあると思います。

(2002年06月25日発行)