ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

 2008年10月から「第2マキペディア」として続けることにしました。

金谷武洋著「主語を抹殺した男」を読んで

2007年01月27日 | カ行
 金谷武洋著「主語を抹殺した男」(講談社)を読みました。副題として「評伝三上章」とありますから、これでテーマと内容が推察できるでしょう。

 どのような経緯で私がこれを知ったかは記しません。読後感想もあまり詳しく書きません。書きはじめると、準備が必要になり、勉強に差し障りが出るだろうからです。単なる箇条書きにとどめます。 

 評伝の対象たる三上章という人は日本語文法家です。「象は鼻が長い」の著者だと言えば、名前くらいは御存知の方も少なくないでしょう。

 私が興味を持ったのは、もちろん関口存男さんとの理論上の接点がありそうだと直観したからです。この点は今後調べてみます。多分、現在執筆中の「関口ドイツ文法」に書き加えることになるでしょう(従って、この本の完成が少し遅れるでしょう)。

 三上は1903年に生まれて、1971年に死去しています。関口さんは1894年に生まれて1958年に死去しています。ほぼ10年の間をおいて平行して生きています。

 従って、その文法理論なり言語観なりに一致があるならば、共にものすごい読書家ですし、互いに知っていてもよさそうなものですが、知らなかったようです。とても不思議です。

 もっとも三上の「象は鼻が長い」が出たのは1961年ですから、関口さんが知らなかったのは仕方なかったと言えるかもしれません。逆に、生前から関口文法は有名でしたから、三上がそれを知らなかった方が不思議の度合いが高いです。

 しかし、関口さんも三上文法を知ることとは不可能ではなかったわけです。かつて私は関口さんがヘーゲルの「大論理学」を読まなかった(らしい)ことを不思議だと思いましたが、その後、ソシュールを全然知らなかったらしいことを第2の不思議と思うようになりました。今回、三上文法を知らなかったらしいことが第3の不思議となりました。

小さな事ですが、この本を読んでいて、「外国暮らしが長くなるとやはり日本語に少し問題が出るようになるのではないか」と思いました。証拠を集めながら読んだわけではありませんし、それは意図していませんが、ともかく少しおかしいのではないかと思う言い回しがいくつかありました。

 インターネット新聞の JanJan にも、最近はあまり寄稿していないようですが、かつて盛んに寄稿していた女性がいて、この方は夏目漱石の孫とかだそうで、アメリカに留学して向こうの方と結婚した人ですが、この方の文章を読んでいてもそう思いました。

 いずれも外国で日本語を教えている方ですから、一層気になります。

 金谷さんはフランス文学の研究のためにカナダのケベック州に留学して、たまたま日本語教師を頼まれて、そこで出会った疑問に答えるべく調べていて三上文法に出会い、曲折をへて日本語文法家になったそうです。

 ともかく素晴らしい本だと思いました。日本語学者の誰かについての評伝としては、大槻文彦の評伝である高田宏著「言葉の海へ」と並ぶのではないでしょうか。

 高田宏も実は三上を調べていたけれど途中で止めたそうです。しかしその資料などを金谷さんはもらって受け継いだそうです。


「松の木」の目次

2007年01月20日 | 教科通信「松の木」
     「松の木」の目次

「松の木」第1号(2007年01月05日

「松の木」第2号(2007年01月06日

「松の木」第3号(2007年01月07日

「松の木」第4号(2007年01月09日

「松の木」第5号(2007年01月11日

「松の木」第6号(2007年01月12日

「松の木」第7号(2007年01月13日

「松の木」第8号(2007年01月14日

「松の木」第9号(2007年01月16日

「松の木」第10号(2007年01月17日

「松の木」第11号(2007年01月18日

松の木、第11号 2003年11月12日発行

2007年01月18日 | 教科通信「松の木」
松の木、第11号 2003年11月12日発行

        浜松市積志公民館  哲学講習会の教科通信

   落ちついた意見交換を

──今日も、私の主人は野菜嫌いで、ミカンの白いすじは植物繊維
なんだから、その位は食べなさいと言っても、聞き入れないの、と
或る人に言ったら、「貴女のご主人の悪い所ばかりを言って、好い
所はどこなの」と聞き返されました。自分は正しくて主人はこんな
にも悪い、と私は言っていたのです。

 好く、悪気はないけどと言いますが、悪気があるから聞き手はそ
れを分かるのですね。相手の立場に立って物を言うと言いますが、
相手の立場になんかなれませんよね。それより相手を想う心を持っ
て人と接する事だと思いました。

 ★ 夫婦の問題は取り上げたかったけれど取り上げなかった問題
の1つです。私の考えは、「夫婦は互いに相手を丸ごと受け入れる
か別れるか二者択一で、中間はない」というものです。

 ヤマギシでは、「共同生活の秘訣は『人を責めない』ということ
だ」としています(ヤマギシ自身は実行していませんが)。これに
学びました。

──毎日の情報が私共を現代に導いていくと考えていましたが、そ
れを意見の交換まで発展させていく事が重要であると改めて考えさ
せられました。(略)上の学校に進むほど、意見交換、教科通信が
少ないとの事。孫たちも心して勉学に励んでいかなくては、と考え
ます。

──意見交換ということは、話し合う場合、大変むつかしい。黒か
白かの討議ならはっきりしている。とかくこのようになり易い。や
はり押し進めるための技術に挙げられている(1) (目的をはっきり
させる)が、一番のものではないだろうか。

この講座も最初はっきりと分からず、1、2回は何を話し合えば
よいのか、どのように話し合えばよいのか、はっきりと分からず過
ぎてしまった感がある。それが分かってきた頃からはすっきりとし
た話し合いができた。

技術の中で次に心すべきことは(5) (トップの役割の確認)であ
る。日本では司会者は発言者を指名するロボットに成り下がってい
る、ということ。これは前々から考えていたことで、これなら司会
者は誰でもできる。

本来は人の発言をどうとらえ、他の発言者の発言とどうつなげて
いき、どのような方向に持っていくのかが大切な技術だと思う。以
上の2つは技術として最も大切なものだと思う。

──人と人の交流は話し合いから発展する。生活の会話から、生き
方や文化、芸術への発展、交流は本音で語り合うことは少ない。な
あなあ主義が全体的社会の語り方。(1) の「目的をはっきりと~」
から(3) までは分かるが、(4) ~(6) は未知のままにあると思う。
雑談の中からの哲学は学ぶことは少ない。


VTRを見て

──シュタイナーが、若いとき出会った障害児の傷つけられた肉体
を持っているがゆえに美しい魂を持っている子にひかれた、という
話は自分も実感として体験している。

若い時イスラエルのキブツという共同農場にいた時、英語がしゃ
べれないで一人浮いてしまって寂しい日々を過ごしていた時、ろう
あの3歳くらいの男の子と5歳くらいの女の子と出会って、とても
嬉しい思いをして、友達になって、心温められたことがある。

キブツという小さなコミューン、お金のない(資本主義経済でな
い)グループの中にあってさえも、その子たちは寂しい思いをして
いた。傷ついた人達と出会うとどうしてこんなに自分が癒されるの
だろう。

精神障害を持っている人達5人ほどと2時間くらい一緒にさつま
芋掘りをしましたが、人の温かさに、自分の居場所を見つけた。こ
の人達と関わって農業をしていきたいと思っています。

──依然として高い銀行に対する不信感がある中で、VTRで紹介
された〔シュタイナー派の〕GSL銀行の運営理念に興味を持った
。銀行が土地・物件を担保に企業・一般に金を貸しだしているのは
以前ほどではないにしても現状だろう。しかし一部で起業マインド
に対して融資するようになっているのも事実だ。

GSL銀行がそれを実施し続けているのもすごいが、実はそれを
支えているのが一般預金者の投資に対する考え方であると知って驚
いた。日本では見られないことだ。自分の預金がどのように使われ
るかという経済感覚が有効利用を促進するわけだから、言ってみれ
ば生半可な利息を得るより満足できるかもしれない。

──牧野さんがルドルフ・シュタイナーに関心を持っていることは
大変興味深いことであります。精神に重きを置く極めて脱近代的な
脱20世紀的なシュタイナーの思想による社会運動は、私も関心を持
っています。人類が進化の過程で大きな物質文明を創り、そのマイ
ナス面が大問題となっている今日において、シュタイナーの思想と
運動はマイナス面を克服し、人類を大きく進化させるかのように考
えられます。

──ヤマギシなんて懐かしい言葉を聞きました。あれって社会運動
だったのですか? 私の友人にもあれの卵にはまった人がいました
。私も時々購入していましたが、「週刊新潮」にヤマギシのことが
載り、子供達が働かされていることを知って、辞めました。その後
、洗脳の楽園という本を読んで、いろいろ考えさせられました。

──浜松のクリエートで日独展を開きました。ボランティアで受け
付けに入りました。実行委員の方とも交流が出来、次の時にはドイ
ツに行けたらと思っております。

私の足も一般では合うのがないので、静岡にあるパサバで足に合
わせてもらっている。先生はドイツで学ばれた方とか。私に父は6
歳位の頃から、ゲルマン人のことをよく話してくれました。現在の
私には言葉は言えませんが、ドイツに憧れております。私は海外は
スイスとドイツに行きたいと思っております。


その他

──2年前、ヒューマンセミナーで「カウンセリング」を10回学び
、自分を無にして只相手中心に対応することに比べて、この学問は
本当に対照的だと思います。が実は違うのではなくて、自分をしっ
かり持って他人に十分な対応をすることで初めて一人の完全な人間
になれるのかなと思います。

──この講座に来てはっきりしたことは、筋を通して(私らしい)
子供達に生きざま(目に見えない精神)を見せていけるような自分
になるよう、「自分で考える」、日々練習し、今後成長するよう、
勉強したいと思います。

──様々な講義を受けましたが、今回のように自分の考え、意見を
追求することは初めてでした。とまどうと共に、こんな講義もある
んだな、と驚きました。

哲学は、他人(学者)の考え方を覚えることではなく、自分なり
の考え、意見を作り上げることだと思いました。その過程で、本や
VTR等で得る知識や他の人の意見を冷静に受け止め、更に自分の
考え、意見をより充実したものにしていくことが大切であると思い
ました。

──何か消化不良の感じがぬぐえません。いつも書きましたが、も
っと「哲学的な事柄」を知りたかった、というのが、今の感じです
。何事も縁ですから、何かの形で又接点が出来ることもあるかもし
れません。とりかく好い経験をさせていただいたと、思っています


──話し合いの時間をもっと多くして欲しかった。毎回2時間では
短いが。

──この講座は、隔週、前週のテーマについての「発展」が行われ
るとのことで、好奇心もあって参加した。過去に受講したものとは
異なり、「教科通信」の発行等、牧野さんスタイルで進められ、大
変に有意義な印象に残る講座であった。

本日の「落ちついた意見交換を」は、これから反芻して生活に活
かしてより良いコミュニケーションに役立てていきたい。


松の木、第10号、2003年11月05日発行

2007年01月17日 | 教科通信「松の木」
松の木、第10号、2003年11月05日発行

        浜松市積志公民館  哲学講習会の教科通信

 10月29日は浜松を活性化させる秘策の第2回でした。

   浜松を活性化させる秘策

──浜松を活性化する一策に浜名湖周辺の開発を提案したい。地理
的に難しい提案であるが。VTRで見たLRTで湖を周回して市内
と結ぶのも面白い。交通システムの充実で浜名湖周辺の市のベッド
タウン化を促進する。それにともないインフラを完備していく。

 人口の増加は企業の立地条件もよくなるので、現市内に集中する
産業・文化施設の移動が可能になり、一極集中が緩和される。

 緩和されたスペースに人が集まる計画を考える。活性化には市民
意識の継続的な高揚が欠かせない。一過性の計画(イベントなど)
ではなく、浜松の特性に関連した計画の招致を考える。

──市電も好いと思いますが、私は地下鉄で広範囲に移動できるよ
うにしたら好いと思います。高丘から雄踏町まで乗り換え1つで行
けるとか、笠井から館山寺まで乗り換え1つで行けるようになると
好いと思います。駐車場はできるだけ地下に作ったら好いのではな
いかと思います。歩く人優先の道を多く作るべきです。理想の未来
に向かって人間は進歩していくべきであり、必ず実現するにちがい
ない。

──浜松市の発展には、自動車道路(環状線)を中心に展開されて
いますが、シャトルバスで低料金で市中心に行けるシステムがほし
いと願っています。

──くるくるバスを東西南北の主な所から発するよう。現在は駅前
のみ。

──マイカーがあればバスに乗る人も少ないし、値段も高くなる。
若い人はそれですむが、中高老年は不便だろう。家族の運転をあて
にすると、自分で自転車などで出歩かないので、家のなかでほとん
ど過ごし、車に乗れる人と乗れない人では非常に生活が違っている
し、そのせいか人の心も外向的、内向的と分かれてしまい、ひいて
は自立できず、男女共同参画などと、国中あげて推進しようとして
も難しい。

 足と経済力のあるなしが男女共同参画にも市政活性化にも大きな
ネックとなると思う。

──都田へのテクノ道路のわきは大きな遊歩道がありますが、あれ
は栗原市長の時モノレールを通すために確保した土地だったとか。
しかし老人社会になるのに階段を昇り降りするのが激しい乗り物は
よくないという反対で、計画はつぶれたとか。

 しかし、赤電の高架はどうでしょう。遠州病院前駅など、まっす
ぐに階段が延びていて、見上げるとずっと階段なので、ぞっとしま
す。足の悪い方が多くなる社会。鉄道の高架も考えなくてはいけな
い時期ではないか。

 ★ 2日の新聞には、パンタグラフのない市電が開発されたとあ
りました。

──みんなが集う場所は要らないとは言えませんが、どこにもかし
こにも若い人と老人が一緒にいなくてもいいと思う。若者だけが楽
しめる通り、老人がゆっくりお茶を飲める一角というのがあっても
いいと思う。

──高齢者層になった時は遠出はちょっと迷います。バス停1つか
2つの所で楽しめるのが時間的身体的にも理想と感じます。市内の
数カ所に商店街、緑地帯等を造って、気軽に楽しめるのも好いかと
思います。外国のように大規模な市街化でなくても遊べると好いで
す。

──街を動かすのはやはり「市」なので、公務員である市役所の職
員を何とかするのが全ての出発点のような気がします。「公務員が
『奉仕者』」の思想を徹底的に追求するわけです。そのためには我
々市民に力がなければなりません。

 肩書、少々の権力など使えるものは何でも利用して会合を開き、
周知を集めて、とにかく我々が力を付けるしかありません。抽象的
な事ばかりでしか言えませんが、集まって継続的に主張し続ける事
が唯一の道と思います。

 例えば、本講座を月1回、今後もずっと「何かの形で」続けてい
くのも1つの案と思っています。

 ★ この講座は「卒業するためのもの」であって「いつまでも居
続けるもの」ではないと思います。市のHPを見ては市長に意見を
言うとか、大岡さんを応援するとか、オンブズを応援するとか、何
かの会に入るとか、メルマガ「教育の広場」に登録するとか、それ
ぞれの考えに基づいて先に進んでほしいと思います。

──資本主義のはてしない自由競争というのは、人の心がボロボロ
になってしまうと思う。農業というフィールドが人の心を癒すよう
なことをしたいと思って、精神障害のある人をこのごろ受け入れて
います。今のところ、ひとりだけだけど。その人から、自分が元気
を与えられています。

 ★ 袋井のデンマーク牧場は不登校の人たちを受け入れていると
か。頑張って下さい。


      落ちついた意見交換を

 1、このスローガンの眼目は2つ。「意見」交換であって、「情
報」交換ではない。「落ちついた」それであって、「カンカンガク
ガクの」それではない。

 「落ちついた意見交換」は人生を豊かにするために必要だが、現
実には極めて不十分にしか行われていない。学校でも家庭でも社会
でも。

 2、それを押し進めるための技術

(1) 目的をはっきりさせる。
 話し合いの目的は意見の交換、彼我の意見の異同の確認。
 哲学(多くの授業)の目的は「自分の考えを自分にはっきりさせ
、さらに発展させること」である。

(2) 手段と方法の開発。書き言葉と話し言葉の両方をうまく使う。

(3) 会(集団)の運営のあり方(ルール、形式)を明確に決めてお
くこと。ルールの変更のルールも、ルール違反の扱い方も明確に決
めておくこと。
 それによって初めて内容についての意見の自由が保証される。

(4) そのルールを定期的に見直して反省し、内容上の言論と思想の
自由が保証されているかを反省し、不適切な点は是正すること(ア
ンケートなどを使う)。

(5) トップの役割の確認。「組織はトップで8割決まる」
 日本では司会者は発言者を指名するロボットに成り下がっている


(6) これらの点がなぜそうなのかということを学問的に(認識論的
に)解明すること。
特定の時点での特定の個人の考えが完全に正しいということはあ
りえない。
自分の考えは行動で主張するべきであって、言葉で他者に押しつ
けるべきではない(間違っていた時、他者の人生に責任が負えない
)。

3、それを妨げる事柄について考える

(1) 全学集会で或る教授が「自分は学生諸君の意見をいつでも聞く
用意がある」と言った。
→アンケートを取るという行動で示せ。学生は自分から意見は言
わない。

(2) 意見箱は置くだけでいいか。
→広く知らせる。その内容とそれへの返事を発表し、その発表し
たことを知らせる。

(3) 間違った理論を克服する。
 「理論と実践の統一」、「批判と自己批判」、「価値判断は主観
的」など。

(4) 経済的条件も大切。恒産なくして恒心なし。
 →やり直しを応援する社会。ヨーロッパ型資本主義


松の木、第09号 2003年10月29日発行

2007年01月16日 | 教科通信「松の木」
松の木、第09号 2003年10月29日発行

        浜松市積志公民館  哲学講習会の教科通信

 22日は浜松を活性化させる秘策の第1回でした。皆さんの考えを
出していただき、話し合いました。「みんなで話し合えてよかった
」という意見もありました。

   浜松を活性化させる秘策

──鍛治町ホコテンの実施に際して盛り上げボランティア募集があ
った。通行人と一緒に折り紙や小さな人形を作ることをした。次は
ハンギングバスケット・コンクールをした。ザザシティが出来た時
は前の歩道に手形モニュメントを置くことにした。

 イベントを企画実行するにはいろいろな方面に声をかけなければ
ならない。警察、市役所、自治会、時には県の許可を求めて話し合
いをする。行動力がないと出来ないと思います。

 砂山町の空き店舗で演劇をするイベントは1回で終わってしまい
ました。続けるパワーは大変です。静岡市の大道芸のように市民が
だんだん興味をもって参加していくという形が活性化になると思い
ます。

 〔浜松は「音楽の町」を標榜していますが〕国際コンクールもピ
アノとかオペラとかある。今年はコンクール中毎回新聞を発行して
いる。

 遠鉄デパートがバスで来た人に帰りのバス券を発行している。年
寄りが1日町にいられるマップを作ったり、商店でも賛同してバス
券を発行したり、休憩所を作ったりするのも好い方法だと思う。

──人の心の活性化を期待したい。即経済の活性化にはつながらな
いかもしれないが、昔、井戸端会議があったが、今はテレビに時間
をとられ、パソコン、メールなど折角の余暇も個人個人バラバラで
、子供はカギっ子、主婦も立派な家の中で昼間はポツンと。出ると
なれば遠く離れた所。老人は福祉施設へ子供のなけなしのお金で入
れられ、共働きの若夫婦も仕事が OFFの時話す人もなく、父親たち
も地域の事には無頓着で。

 こういうバラバラな状態をなくし、無理なくいつでも身近に知恵
をさずかり、遊ぶ人、話す人がいる関係に持っていきたい。

──まず最初に「ソフト」ありき。そして、「ハード」を考えるも
の。順序が逆の場合が多い。「ハコ」だけではダメ。

 ★ アクトタワーがその悪い例ですね。

──市役所に人が集まるなんて考えてもみませんでした。児童福祉
課へはよく行きます。体の不自由な子供を連れた親を見るにつけ、
何で2階まで来なくてはいけないのか、と思ってしまいます。皆に
優しい場所が第1に市役所である。この結論に賛成。


   「松の木」を読んで

──昔、野菜を売る時に自分の通信をほぼ毎週作って入れていた時
があったのですが、反響もあり、人との出会いもあり、それは楽し
いものでしたが、やっぱり疲れて止めてしまいました。それでも55
号まで数年やりました。やり続けるというのは相当なエネルギーが
いるのは確かです。

 ★ 数年続けて55号まで出したのは立派だと思います。読者がフ
ァイルにまとめていけるような形(B5かA4。B4はまずい)にして、
パンチで穴を開けてあげるとか、工夫も大切だと思います。私の「
鶏鳴」は26年続けて、昨年 170号で終えました。

──3人の子供に依頼する時の平等性について。基本的に、準備の
よい依頼をする。順番にやってもらう、小遣いとか、子供に差をつ
けることは、親は持っていない。特別に進んで引き受ける子供には
皆の前で説明していく。

 ★ 自分でこのようにしたのでしょうか。それなら、その結果ど
うだったかも報告してほしいと思います。単なる考えなのでしょう
か。

──正義とは真理とお金が比例することだ、と牧野さんは言われて
いますけれど、とうの昔にそういう事はあきらめています。真理と
お金はつながってないものだと思ってるし、それでもやるかどうか
だけ。

 ★ 今は部分的にしか両者は比例していませんが、原理的に不可
能とは言えないと思います。それを目指して不正と戦っていきたい
と、私は思っています。


   VTR「禁止のない公園」

──子供の遊び方及び遊ぶ場所が高度成長以後大きく変化して来て
いる。これは子供が変わったのではなく、大人が変えてしまったの
だと思います。

 大人は、かつて自分たちが成長してきた過程は把握できても、現
在の子供たちが大きく変わった環境の中でどのように育って行くの
か、分かりかねている。つまり、ある意味で大きな実験を行ってい
ると言える。

 人間は成長する過程の中で、自己を確立させるものと思います。
現在、子供たちを取り巻く環境が将来どのように現れるか、不安な
一面があると思います。

──自由と責任はあらゆる事について回るもの。幼い時から教えな
ければならないこと、学ばなければならないこと。


       浜松市政を考える

1、20世紀は資本主義と社会主義の対立の時代で、資本主義が勝っ
た。

1914~1918 第一次世界大戦
   ソ連(社会主義)の誕生(1917)、
世界の中心が英から米へ。
 1949 新中国の誕生(社会主義が1つの体制になる)
 1960 資本主義が押し返し始める。
1991 ソ連の崩壊(アメリカが唯一の超大国)

2、21世紀の課題はどういう資本主義社会を目指すか。中国の台頭
。EUの台頭。

 アメリカ型(完全な自由競争)か、ヨーロッパ型(規制された
自由競争)か。
  小泉首相はアメリカ型を目指している。
  改革派の知事は事実上、ヨーロッパ型を目指している。
  安全網を張り、失敗してもやり直せる社会。

3、日本の問題。公務員が「奉仕者」ではなく「権力者」になって
いる。

根本的には「修身制の公務員」をなくす(まずはオンブズの制度
化、高校で教育)
幹部はトップが任命する。平は任期制にする。(志木市の例)

4、浜松市政の課題

 (1) 情報公開の徹底(HPについて)
   幹部職員の職歴と給与と退職金。
   議会、教育委員会、外郭団体(5公社1財団法人)、○○協
会の情報公開。
   援助団体(市が補助金を出している団体)の情報公開。
   以上の団体の幹部の職歴と給与と退職金。

(2) 市民の意見や提案を聞く(HPの掲示板などで)
   外国や他の都市を訪問してみて「これはいいな」と思ったこ
とを出し合う。

(3) 市役所とその周辺を人の集まる場所にする。
   植木や池などを撤去する。
   駐車場を撤去する
(職員は公共交通機関で通うと交通事情が分かる)
   出来れば役場前の道路を広場にする
(道は地下にするか迂回する)
   体育館等も、牛山公園を含めて考え直す。
   屋台を許可する。大道芸を許可する。
議会を夜に開き、中継する。
   周囲の金融機関に徐々に移転してもらう。
   市民食堂をきれいにし美味しくする
   (大きくし、外から入れるようにする。その筋の学生や希望
   者にやらせる、市民投票で好いものを表彰する)

 (4) 出来れば、市の全体計画を内外の専門家のコンペで決める。
(松崎町の例)


   参考

1、浜松市の外郭団体(5公社1財団)

  (1) 医療公社(医療センター)、建設公社(支援金なし)、フル
ーツパーク公社、清掃公社(くみ取り)、土地開発公社
   (財)アクトシティー運営団体

  (2) 財務は市のHPで。
トップ→市政概要┳情報の広場→企業・公社の財政状況

  (3) HPはあるものとないものとがある。

2、市民食堂は厚生会(職員の互助会)が月宏会に委託している。

  厚生会はみなし法人
  その他○○協会というのがあるはず。

3、休日開館
  日曜日9時~4時、水曜日5時15分~7時半。
3種の証明書の交付のみ

 感想

組織体系と人事体系と財政の分かりやすい一覧表が必要。
 索引からも引けるようにする。


教育の広場、第 251号、議員候補の公約

2007年01月15日 | 政治関係
教育の広場、第 251号、議員候補の公約

 今年は選挙の年です。既に立候補予定者の多くは活動を始めてい
ます。

 最近はマニフェストとかが強調されるようになってきています。
結構な事だと思います。

 そこでマニフェストも含めて議員候補の公約について考えてみた
いと思います。なぜならそれは首長の公約とは原理的に異なる面が
あるからです。

 すぐにも分かりますように、首長は「行政の長」ですから実行す
る権限を持っていますが、議員は「立法府」に属し、しかも「ワン
・オブ・ゼム」ですから、実行する権限を持っていないのです。も
し権限があるとするならば、それは調査権です。

 すると、議員になったとして、出来る事は次の3種になると思い
ます。

 A・議会などでの発言で首長に実行を要求すること。議会で多数
を獲得した場合には、法律や条例を作って首長に実行を強制出来る
こと。

 B・同じ考えの議員仲間と一緒に実行できること。

 C・自分だけで実行できること。

 Aは一番大切な事ですが、1人でするのは難しいでしょう。する
と、始めから首長派になるのが最も適当ということになりますが、
首長の姿勢に問題が多い時には、首長派になるは正しくないし、か
といって多数派を形成するのも難しいということになると思います


 そこで、この種の公約は「それを必ず実行します」というもので
はなく、「そういう立場で発言します」ということになります。

 Bは同じ志を持つ議員仲間で集まればいいわけで、出来ない事は
ありません。例えば、「政務調査費の使い道を領収書を付けて全部
明らかにし、余った金は返す」といった公約は、1人でも出来ます
し、仲間と一緒にも出来ます。

 こう考えればすぐにも分かる事は、BはCに帰着するということ
です。

 Cは「1人でも出来ること」つまり「自分だけでもやろうと思え
ば出来る事」ですから、これこそが本当の公約だと思います。

 では、議員の場合、自分だけで出来る事で重要な事は何でしょう
か。

 議員の第1の仕事は政策の提案と行政の監視ですから、その前提
として、市政や県政などを日頃から研究していなければなりません
。又、そのために調査権があるのです。

 その結果をホームページにまとめるべきだと思います。つまり、
自分で「役所のホームページ」を作ることです。私はこれを「カウ
ンター・ホームページ」と呼んでいます。役所の作ったホームペー
ジに対抗するものだからです。

 これは現今の「情報公開」や「説明責任」の実情を見ればますま
すその重要性が増すと思います。今や「情報公開」や「説明責任」
を言わない人の方が少ない時代になりましたが、実際には「本当の
情報公開」はほとんどなされていないからです。特に公的機関の情
報公開がお粗末です。

 前号で論じましたように、本来、完全に近い情報公開をしていて
おかしくない学校ですら、お粗末そのもののホームページが沢山あ
ります。役所のホームページも同様です。

 こういう現状に対して、多くの候補者が「行政の情報公開」とい
う公約ないし政策を掲げます。

 しかし、この「行政の情報公開」こそが首長の姿勢でほとんど決
まるのです。これは、これを要求して戦っているオンブズ関係の人
達の間では常識です。

 すると、この事自体はAに属する公約になります。しかし、する
と官僚首長には求むべくもないということになります。

 これまでの議員はここで終わっていたと思います。では、どうし
たらいいのでしょうか。

 例えば、県会議員候補者は「県庁のカウンター・ホームページを
自分で作り、議員の権限を使って調べた事をみなホームページに発
表します」という公約を掲げるべきだと思うのです。

 市議会議員候補者は「市のカウンター・ホームページを自分で作
り、議員の権限を使って調べた事をみなホームページに発表します
」という公約を掲げるべきだと思うのです。

 議会はシンクタンクになれと言った人がいます。その通りです。
しかし、現状はシンクタンクの「シ」の字もないと思います。議員
活動の原点は行政の調査研究でり、それをカウンター・ホームペー
ジに発表することです。

 このほかに、「週に1度は養護施設(とか学校とか行政の出資し
ている機関等)を1ヵ所は視察して実情調査をします」といった公
約も考えられますし、必要です。

 しかし、これはカウンター・ホームページにまとめてこそ意味の
あることですから、事実上、カウンター・ホームページを作ること
に帰着します。

 しかるに、市役所でもそうですが、まして県庁となると、その守
備範囲は膨大で、1議員では調査し切れないと思います。

 たしかに議員には1千万を越える年俸がありますし、政務調査費
もありますから、それらを使って手伝ってくれる人を集めることは
できます。この事自体はぜひ必要です。

 しかし、それでも1人の議員で全部を調べて「真ホームページ」
を作るのは難しいでしょう。そこで考えられるのが、同志を集める
ということです。何人かの議員が協力すればかなりの力になると思
います。

 私は1市民として「浜松市役所の真ホームページ」を作っていま
す。自治会長をしていた頃から集め始めた情報が今、役立っていま
す。

 先日は「合併の真実」と題する文を発表して、「合併で職員給与
の総額は増えた」という事実を明らかにしました。

 しかし、市民では調査といっても限度があります。時間も金も人
手も足りません。私は1人でも続けるつもりですが、本来は議員こ
そがこれをするべきだと思います。

 最近、議員の特権を廃止しようという運動を始めた議員たちがい
るようです。当然の事です。遅すぎたくらいです。しかし、「特権
廃止」程度では議員の活動として不十分すぎます。

 もっと大きく、議員の活動の根本たる県政や市政の調査結果をカ
ウンター・ホームページにまとめる運動こそするべきでしょう。


松の木、第08号、2003年10月22日発行

2007年01月14日 | 教科通信「松の木」
松の木、第08号、2003年10月22日発行

        浜松市積志公民館  哲学講習会の教科通信

 15日の問題は次の通りでした。

 牧野から教科通信をもらってみて、これはとてもためになる、と
思った学生が、アンケートで「教科通信を毎回出してほしい」とか
「もっとページ数を増やしてほしい」とか要望したとします(A)


 これは、イチロー選手に対して「4割を打ってほしい」と言うの
や松井選手に対して「3冠王になってほしい」と言う(B)のと同
じか違うか、どこが同じか、どこが違うか、でした。


   テーマについて

──Aは、数ある教師の中で1人にだけ負担となる作業を依頼する
のは不平等であり、負担になる。これは作業を要求するものである
し、返事でOKを出したら必ずやり遂げなければならない(やろうと
すればやれるものだから)。そこまで要求するのは正当でない。通
信を出さない教授もいる。サービスとして愛弟子を育てるという心
情から出せるのなら出してもいいが。

 Bは、ファンとして希望するのみで約束するものではない。望み
として出すだけだから正当。もし成果が出れば個人の見返りは比例
してくる。

 ★ プロスポーツの世界には「努力が報いられるシステム」が出
来ていますが、大学には(少なくとも現在は)それがありません。

 私が教科通信を出しても毎回出しても給与は変わりません。サボ
リ教授も給与は下がりません。

 正義とは真理とお金が比例することだと思います。正しい事をし
たら収入が増え、悪い事をしたら損する、そういう社会が「公正な
社会」だと思います。

 しかし、現実は「正直者がバカを見る」ことが多いと思います。
こういうお金の問題を見落としている点で、Aの主張は「コドモの
態度」だと思います。それは「正直者にバカを見させる」態度であ
り、悪い態度だと思います。

 又、「言いやすい人にだけと言う態度」として卑劣な態度ですら
あると思います。パートの私が最低限の通信を出しているのは、学
生や他の人々に、本当の授業とは何かを考えてもらい、大学(や社
会)を正しく改革していくように動いてほしいからです。

──Aの主語(生徒)は牧野先生以外にお願いしていない。他の先
生に教科通信を望めても不思議ではない点。なぜなら他の先生にお
願いしてもおかしくないから(他の先生でも実現可能であるから)
。(略)

 その他を考えて、Aについては、依頼者と依頼される側とは確実
なコミュニケーションがあるが、Bにはない点である。従って、現
実の問題か希望的な問題かの違いがある。

──基本的には「同じである」と言うことができる。その理由。第
1に、教科通信にしてもイチロー、松井にしても「実績がある」と
いうことである。まわりには沢山の教師、選手がいるが、実績のな
い者には、そういう事は思わないだろう。

 第2に、それ故に、「可能性がある」ということである。可能性
がない者には教師にしても選手にしても、まずそういう事は考えな
い。期待しない、ということである。

 ただ、少し違う面もある。Aは自分の意欲に関わることであり、
自分のためでもある。しかし、Bは自分には直接影響がなく、願望
である。この点は違うであろう。

 ★ 社会的「義務」については、それの「実現不可能な人」はそ
の役(仕事)から排除するようにするべきだと思います。つまり、
それが当人にとって「義務」であるか否かという観点が必要だと思
います。私見では、1学期に2回以上の通信は教師の義務だと思い
ます。

──仕事でもボランティアでも、忙しい人はついつい頼まれて、更
に忙しくなる事にもなる。

 ★ この「言いやすい人にだけ言う」という人間の心理、はっき
り言うと卑劣な性格が問題なのだと思います。

 子供が3人いたとします。親は、或る仕事をしてもらいたいと思
った時、その仕事に適当でかつしてくれそうな子に頼むと思います
。その時、「どうして私に頼むの?」と反問されたことはありませ
んか。この時どうしますか。

──先生は大変でいそがしいと思いますが、こちらの期待を裏切ら
ないでほしい。Bは、出来なくてもこちらの人生は変わらない。

 ★ 大学の授業でも、1度だけですが、4月以来毎回教科通信を
出したことがあります。授業の最後に10分間取り、その日の感想を
書いてもらい、それをまとめて翌週に通信を出したのです。

 6月になって、私が自分の本を出す仕事で疲れてしまい、出せな
かったことがありました。「今週は疲れて出来なかった」と言いま
した。その日の感想に、何人かの人が、その日通信の出なかったこ
とを残念に思ったと書いていました。中には、教科通信の意義を私
に教えてくれている人もいました。

 「これまで毎週出ていたことが決して当たり前の事ではなかった
のだと気づいた」と書いてくれた人は1人もいませんでした。私は
がっかりして、その後は時々しか出さなくなりました。これをどう
思いますか。

──私だって何か人が興味を持ってくれる内容があれば、通信を出
してみたいものです。

 ★ 学生が通信をもらってみて「これはためになる」と思った時
、取る態度は次の5種あると思います。

 A・出している人に「もっとやってくれ」と要望する。
 B・他の先生に「あなたも通信を出してほしい」と要望する。
 C・学長に言う。これはまた3つ可能で、
  (1) 「学長も通信を出してほしい」と言う。
(2) 「教科通信を全教員に義務づけ、制度にしてほしい」と言
   う。
(3) 「この先生にベストティーチャー賞を出してほしい」と言
   う。
D・自分でも通信を出そうと考える
   (通信を親や友達に見せて話し合う等)、
 E・誰にも何も言わない。

 どの態度が正しいか、それがなぜ正しいか、私は毎年話すことに
しています。


   「松の木」第7号を読んで

──○○さんの発言は、日本語を使う日本人のこれから考えなけれ
ばならない問題だと思う。

──文法を説くには面白さを出さなければ皆さんが付いてこないと
のお話に、なるほどそうかと感じました。「言葉の研究を」につい
て、教え方がまだしっかり出来ていない面もあるようでしたら、文
部省に一言申し上げられたら好いのではと思いました。早く正しい
日本語を広められるようにお願いします。

 ★ 講座の目的は受講生が向上することであって、受講生が講師
に忠告したりお願いしたりすることではありません。牧野の考えが
正しいと思ったら、自分で文部科学大臣とか県の教育長とか市の教
育長とかに手紙を出して、「牧野さんの意見を聞いたらどうか」と
言う人間になってほしいと思います。


   VTR「上川端商店街」について

──東京にはおばあさんの原宿というのがあるとか。原宿の竹下通
りという所に数年前に行ったことがありますが、いいとこだと思う
。歳をとってもいつまでも元気で楽しくハリのある日々を過ごせる
ように行政も力を出してほしい。老人福祉施設は少なくしてほしい
。ボケを増やすだけ。

 ★ 行政を「お上」と思わず、「奉仕者」(憲法第15条)と理解
して、それを要求して、提言していくことが大切だと思います。

──私の住む街も上川端商店街と同様に問題を抱え、今はさしたる
活性化もなされていないのが現状です。VTRを見ると、やっぱり
アクセスは重要だと実感しました。それはターゲット。年寄りと明
確化させたのは好い着眼だと思いました。(略)いつ行って(歩い
ても)そこにいつも新しい何かがある、行きやすい、そして居易い
街が好いなと思います。

★ 今回と次回でそれを考えましょう。


松の木、第07号、2003年10月15日発行

2007年01月13日 | 教科通信「松の木」
松の木、第07号、2003年10月15日発行

        浜松市積志公民館  哲学講習会の教科通信

   大野さんの文章
  (大野晋著『日本語練習帖』岩波新書の文章)の書き換え

 ★ やはり課題が難しかったようです。1つだけ部分的意見を紹
介します。

──森さんの言葉は、『日本語に文法がない』とは言っていない。
『文法的でないから森んは日本文法が嫌いだった』のでしょうと、
(1) と(2) は結べる。

 ★ 講師の書き換えを紹介します。

     第2章 文法に敏感になろう

 昔、森有正というフランス文学者がいて、デカルト研究者として
知られていました。若いころの森さんを知っていますが、森さんは
「日本語は非文法的な言語だ。フランス語には文法があるけれど」
と書いています。

 森さんは日本語にもフランス語と同様にきちんとした文法のある
ことを知らなかったのでしょう。それにもかかわらず森さんは立派
な日本語を書きました。

 実際、現代語は(一般に、誰でも自分の母語は)文法など習わな
くても正しく使えます(文盲でなければ、読み書きも出来ます)。
芭蕉も西鶴も近松も日本文法の教育を受けなかったのに、立派な日
本語(それぞれの時代の現代日本語)を書きました。

 一般的には、文法の知識の必要性を感じるのは、知らない言葉を
学ぶ時です。つまり、普通は、自分の母語の文法の知識の必要性を
感じることはないのです。そのために「日本語には文法がない」と
いう感想を持つことになるのです。

 では、その「普通」ではないどういう時に、日本人が現代日本語
の文法の知識の必要性を感じるでしょうか。

 まず、最近のように外国人に日本語を教えるということが多くな
りますと、そういう日本語教師には日本文法の知識は必要です。

 それ以外にもいろいろな動機から、自分の母語はどういう規則に
従っているのだろうかという疑問を持つ人は出てくるものです。

 外国語を習うと文法を習いますから、そして英語とかフランス語
とかは文法がよく組み立てられていますから、そういう文法に接し
て日本語の文法はどうなっているのだろうかと反省する人の出て来
ることもあるのです。

 森さんは残念ながらそうはならなかったようですが、皆が皆、森
さんのようではありません。

 又、特別の動機はなくても単なる知的好奇心から日本文法を調べ
てみようと志す人もいないではありません。

 そういう訳で、経路はいろいろでしょうが、ともかく日本語の文
法というものに関心を持つことがあります。その時、それに答えら
れる文法を文法学者は提供しなければなりませんし、その研究方法
を教えなければならないでしょう。

 日本語文法の体系を提示するのは本書の目的ではありませんから
、それはそのための本に譲りまして、本章では、「文法に敏感にな
ろう」と題して、文法の面白さを感じていただけるような問題を出
し、又文法上の問題意識を持った時の研究方法についてお話したい
と思います。


   その他

──ヘブライ語をイスラエルで学んだことがあるが、その時初めて
、日本語とは何なのか、社会的関係が日本語はタテ社会だというこ
とが良く分かった。あまりにも敬語が発達しすぎているから。同じ
日本人同士でも英語とかでしゃべっていると、関係性が平等になる
体験をした。

──静岡県の裏金疑惑を取り上げてほしい。


   VTR「半七捕物帳」を見て

──岡本綺堂の記者時代から小説家に転換した点、これは新聞記者
には多くある例だ。反面、綺堂という人は小説書きから得た収入を
殆ど彼自身趣味だった昔のSPレコードを沢山買い求めて、引っ越
しなどのときは大変苦労した話。LPレコードが売りに出て来て、
沢山買い求めたレコードが二足三文のようになって終わったという
話も聞いているが。


   講習の要領の変更

 第8回 浜松を活性化させる秘策(1)
(各自の案を発表していただきます)

第9回 浜松を活性化させる秘策(2)
(講師の考えを発表します)

第10回 終わりに適当な事を考えます。終了式もあるそうです。

 浜松市のHPをまだ見ていない人は浜松情報館とかで1度見てお
いて下さい。係の人がいて、親切に教えてくれます。

文集の作成は中止します。2回目のアンケートも中止します。最
終回のレポートをまとめた「松の木」は希望者にのみ郵送します。
希望者は80円切手を張り自分の宛て名を書いた封筒を10回目までに
提出して下さい。


   ア  ン  ケ  ー  ト  特  集

  講座の目的

──この講座に来て、興味のある事に対しては、自分の意見や考え
があるんだなと、意外な自分を発見したように思いました。

──今まで日常生活において自分の考えを他人に伝える場面は数多
くあったが、振り返ってみると、考えを自分にはっきりさせずに、
その場限りの伝え方をして自己満足していたようである。今回の講
座で「更に発展させる」ことを自分で考えることの重要性を感じて
いる。

──私はレポートの中で「~ではないだろうか」と自分の考えを疑
問の形で述べています。これでは考えを発展できないと思います。
と同時に、自分の考えを自分にはっきりさせることには責任が伴う
と感じています。

──私なりに自分の考えを持っていたつもりでしたが、時代の変化
に伴って「もっと明確な考えを持つこと」が必要と思われました。
この講座は丁度好い機会と思われます。

──日頃、人と話をする場合などで、自分の考え、意見を発言して
いることは非常に少ないことを改めて感じました。


   材料は適当か

──「松の木」は大変深い内容です。人生相談ではないけれど、書
くという事は自分の人生を写しているので、そうかもしれません。
でも私には答えか考え方を示して下さるので感謝しています。

──ドイツ語講座の時はよい資料とは思えなかった。

──「コーチング」のVTRがよかった。


   話し合いの時間について

──時間が短い。

──全く知らない方々と話せるのは毎回新鮮です。

──こういった話をしたり聞いたりする場があまりないように思い
ました。

──初めは戸惑いを感じたが、回を重ねる毎にその雰囲気に慣れて
きた。講座の目的に叶っている。


   VTRについて

──それまでの事が途切れてしまう感じがします。

──・起承転結の「転」にあたるので、好いと思う。


   レポートにまとめることについて

──大変だけれど、思った事が何でも書けると喜んでいます。

──普段、言葉を文章にする機会がなく苦手で大変でした。この講
座に来て、改めて2人の大学生の子供たちもその時々にレポートを
提出しているんだなと実感しました。ガンバレと声援したい気持ち
になりました。


   「松の木」について

──毎回、講座でみんなどんな事を考えていたのかが感じられて面
白いです。

──講座終了後、家族に見せてみたい。

──1つのテーマに対するさまざまな観点に触れることができ、毎
号拝見するのが楽しみです。牧野さんの感想文には、自分なりの考
えをぶつけています。

──とても大変な作業を先生がしてくれているので感謝です。

 ★ 自分や子供などがもらった学級通信などと比較してみると面
白いと思います。人間には「落ちついた意見交換」が必要なのだと
思います。そこから自分で成長していくのだと思います。


   時間配分について

──話し合いが20分では少ない。

──体験談を聞くのが好きなので、一気に牧野さんの話を聞くのも
面白いのではないか。


   その他

──講座が始まる前は、講義を受けるだけだと思っていたので、少
しとまどいました。

──説明が少し早口の所があるのでは? 落ちついた言葉ですと先
生の貫祿が一段と上がると思います。

──他者と話し合える時間が楽しみ。こういう体験をほとんどして
いないから、今の生活の中では。

──受講生は自分の役割を自覚して行動すべきである。(1) 初めと
終わりの挨拶の励行。(2) 当番制の理解。


   講師のHP

 私はホームページを公開しています。「哲学の広場」です。この
名で検索できます。


松の木、第06号、2003年10月08日発行

2007年01月12日 | 教科通信「松の木」
松の木、第06号、2003年10月08日発行

        浜松市積志公民館  哲学講習会の教科通信

   生徒(学生)による授業評価について

──教育の現場に対する評価は当然されるべきであって、問題にな
るのはその方法(手段)であると考えます。先生が生徒にアンケー
トをとるのならまだしも、教育を受ける側(生徒)が先生を評価す
るなど、あってはならない事です。教育現場のイニシナチブを取る
のは先生でなくてはならない。

──新聞の論説には、一定の判断力がなければ評価する価値がない
と述べている。私は、判断力がなくとも子供が「授業内容」につい
て評価する方を取る。

 第1に、先生の人格を評価するのではなく、授業内容や技術を評
価する。その点で小学生でもそれなりにできると考える。特に、児
童にとって分かりやすく勉強の意欲を持てるための条件づくりのた
めの改善を図ることが目的だからである。

 第2に、先生は1つのフィードバックと受け止めて、改善すると
ころは改善し、生徒・児童により分かりやすく伝えられるようにな
る。それによって教師も生徒も分かり合える場が出来る。

 ★ 参考までに静岡大学のある学生の意見を紹介します。

──前期の最後の授業の中で授業に対する評価を提出するのがあり
ました。選択式・匿名のものです。アンケートの内容が授業に反映
されるのは嬉しいことですが、これは対話ではなく、先生の意見の
聞けない一方的なものでした。

 昨年、浪人して予備校に通いました。そのとき講師に対する評価
をアンケートとして提出しました。予備校の講師というのは評価が
待遇に影響するそうで、講師は生徒の反応には敏感でしたが、人気
取りに気をつかわなければならないのか、授業態度を注意するのも
大変そうでした。

 一方的な評価を第三者が見て更に評価する制度というのは、この
ようにご機嫌取りを必要としてしまうのではないかと思います。

 牧野先生のアンケートのように、対話であることが本当の意味で
より良い授業のためになるのだと分かりました。昨年は「アンケー
トによる授業評価」自体を疑問に思いましたが、それが「一方的な
アンケート」に対する疑問に変わりました。

──今、私も小学校に勤務しているが、先生たちは忙しい。毎日毎
日があっと言う間に過ぎ去ってしまうが、教頭、校長たちはという
と、違う。それだけ今まで頑張ってきたから上に行けたと思うが、
先生たちが忙しければ手伝ってあげるとかして、和を作るのが上司
の役目だと思う。

 ★ 委員会とかが沢山あるそうです。ある校長はそれを半分にし
て教員が授業に力を入れられるようにしたそうです。

 日本の学校教育には、

(1) 学校は学ぶ姿勢の出来ている生徒に勉強だけを教える所であ
る事が理解されておらず、家庭や地域の仕事まで背負わされている
こと、

(2) 学校教育は個々の教員のするものではなく、「校長を中心と
する教師集団」が行うものであることが十分には理解されていない
こと、

(3) 教師についても生徒についても結果責任を問うシステムが極
めて不十分なこと、

などの根本問題があると思います。


   VRT「ディベート甲子園」を見て

──ディベートは、意見・考え方が異なる相手と初対面で行う議論
の1つと考える。一般社会において初対面の相手と重要な議題をそ
の場で結論を出すことはあまりないと思う。また、顔見知りの相手
であっても、重要な問題をその場の話し合いだけで結論を出すこと
は少ないと思う。

 つまり、ディベートは話術の1つであり、ある程度理解し知って
いればよい、と考える。

 それ以上に大切なものは、話し方の技術ではなく、自分の真意を
相手に伝え、相手の考え方を理解する事である。


   「松の木」を読んで

──NHKとの交渉について。

 追求する語学をお持ちの先生には感服いたしますが、何か行き過
ぎではないかなとも思いました。一般を対象に放送しているようで
すので、放送する方も聞き取り安い方法を取ったのではないかなと
感じます。

 ★ NHKTVの番組に「課外授業」というのがあります。第一
線で活躍している人が出身小学校の6年生に自分の専門の事を授業
するのです。面白い工夫をしています。しかし決して真理は曲げて
いないと思います。本当の専門家とはこういうものだと思います。


   その他

 ★ ロバの耳さんが、新聞への投書の切り抜きを下さいました。
社会人学生になっている中年女性が授業について意見を出したら、
2人の教師から聴講をクビになったというものでした。

 ★ 本号は頁数が少なくなりました。大学での授業とその他の事
が始まって私が忙しくなったことが1つの原因です。

 逆に言うと、このような教科通信を出すには週に1日か、せいぜ
い2日の授業でないと難しいということです。

 ですから、私は、定年退職した国公立大学教員は私立大学の教授
に天下るのではなく、週に1~2日の非常勤をして、こういう本当
の授業をせよ、と主張しています。


松の木、第05号、2003年10月1日発行

2007年01月11日 | 教科通信「松の木」
松の木、第05号、2003年10月1日発行

        浜松市積志公民館  哲学講習会の教科通信

 前回は、材料として小柴発言批判とNHKとの争いとの2つを出
してしまったために、多すぎて、皆さんの消化不良を引き起こした
ようです。私の時々やる間違いですが、又やってしまいました。

 又そもそも問題が何なのかもはっきりしていなかったようです。

 現在のテーマは、大きくは、「世の中では必要な話し合いが適当
な形で十分に行われていない」という前提から出発しています。そ
の時、その責任は誰にあるのか、どこにあるのか、どうしたらよい
のかが問題なのです。

 もちろん話し合いには限界があり、話し合っても解決出来ない問
題は沢山あるのですが、それは又別に考えるとして、話し合いとい
うものを考え直すことで少しでも住みよい世の中にしていこう、と
いうことです。

 人間を幸福にするのも人間関係なら不幸にするのも人間関係だと
思います。

 そして、この講座の目的は、講師の出す材料などを手掛かりにし
て、自分の経験を反省し、「自分の考えを自分にはっきりさせるこ
と」です。

 なお、講座の内容に関する疑問を休憩時間に質問しにきた人がい
ます。こういう人は日本の学校では沢山います。理由としては、
「私の質問のような下らない事のためにみんなの時間を取るのは申
し訳ない」という理由を聞いたことがあります。

 私がNHKに要求しているように、放送(授業、講座)の内容に
関する疑問は放送(授業、講座)の中で取り上げて、みんなで考え
るべきだと思います。


   或る発言を検討する時には、まずその発言の観点を考える

──結婚したばかりの友人が、自分の実家に夫婦で帰った時、旦那
の「そろそろ帰ろうか」という言葉を聞いたとたん、「私の帰る家
はここなのに」と思い、ぼろぼろと涙が出たという話をしていまし
た。

 結婚したことのない私にとっては、新妻という視点で物事を考え
る必要に迫られたとき彼女と同じ寂しさに気づけないと思います。

 日本人には気づかない日本語の特別な言い回しに、外国人でなけ
れば気づかないということも、友人の話から「その立場になってみ
ないと実際の所は分からない」という経験で、よく分かります。

 そうは言っても、哲学するということは、複数の観点から物事を
見て考える必要があるとのこと。経験不足はどのように補えるので
しょうか。

 ★ 直面した問題から逃げないことだと思います。

──小柴発言に対して、内容で理解する事で十分たりる事であると
考えます。形式が整っていないからと言って批判するのはいかがと
思う。形式が整っていないので内容が伝わらない、理解できないと
いう事なら話は分かるが、形式で考えて、抜けているから間違いで
あるとは屁理屈だと思います。

 ★ 「世の中では必要な話し合いが適当な形で十分に行われてい
ない」と思いませんか。その責任は誰にあるのでしょうか、この問
題へのあなたの意見をまとめて下さい。

──本当に今の日本の授業内容はどうなっているのでしょうか。子
供達に考える事をさせなくするような教え方だと思います。授業参
観で感じました。

 まったく理論的ではないし、丸暗記です。答えは1つではないの
に、絶対に1つだと教え込まれます。だから同じ考え以外の人を差
別したりして、自分達とは違う人間なのだと区別してしまうのでは
ないでしょうか。

 考え方をぶつけあって答えを出していく教育であってほしいで
す。私の時代は良かった~って、言えるかもしれない。

 ★ こうなった原因はどこにあるのか、どうしたら好いのか。そ
れを考えて下さい。


   目下の者に対する態度の重要性

──私は或る財団法人に勤めていますが、先生の言われることはま
さにその通りだと思います。内部に不正があり、不適切なことを知
りながら、上層部は、変える気など少しもありません。

 世間的にはその名称(ブランド)の信用があるため、ほとんど表
面へ出てきません。きっと多くの組織が同様の事を行っていること
と思います。

 ★ 公務員(及びそれに準ずる人)は「生きた屍」というか「動
物園の動物」だと思います。もっとも動物園では、最近、苦労して
探さないと餌が見つからないような仕方で隠して与えるそうです。

 人間の場合は、市場の評価も完全ではないと思いますが、それが
第1だと思います。市場の評価を受けない組織では、根本は終身制
を止めることだと思いますが、その前には情報の公開とオンブズし
かないと思います。

──東大総長の大学運営の間違いは当然出てくる問題で、官公庁だ
けでなく、零細な小企業でも同じであり、これが発展への糸口とな
ると思う。

──NHKとの争いも同じで、対等の立場でないと「無視する」
「聞き置く」という態度がどの社会でもあると思います。それで済
むなら好いが、「反発される」「攻撃を受ける」という事態も起こ
りかねません。


   牧野とNHKとの争いについて

──牧野さんのNHKとの確執を聞いて〔個別的な問題の当否は分
かりませんが〕言えることは、牧野さんのドイツ語に対する情熱と
疑問点を明確にせずにはいられない姿勢に感心させられたことで
す。

 常に自他に問うことは求道者に不可欠な事です。しかし、私も求
道者のはしくれでありながら、その姿勢がついつい弱くなっている
ことに気がつかせられました。

 ★ あなたは2回続けて根本的な姿勢を論じましたが、これでは
足踏みだと思います。今回は、例えば、「要綱」の「7」のような
具体的な問題も出ていたのですから、それを考える中で「姿勢の問
題を具体化していく」ことが必要だったと思います。

 私の学問の出発点は「現実の問題」です。翻訳や解釈の間違いと
か、教育現場の問題とかがあるから、それを解決するのに役立つ理
論を求めているだけです。こうすると、役立つか否の基準があるわ
けで、自分の学問を反省するのが簡単です。

──公共放送のあり方としてはもう少しきめ細かい行動が必要とさ
れる。今月号「文芸春秋」にNHK海老沢会長のことが書かれてい
るが、どこかの誰かのようにならねばよいが。

──放送番組の外で内々に処理することは、不正が正されないまま
なので、問題だ。

 ★ 人間の業は根深い。学校批判を続けている「ハダカの学校」
というメルマガがあります。ある時、私がその内容を批判する投書
をしたら、発行人は「2人だけで話し合いたい。メルマガには載せ
られない」と言ってきました。

 これでは、PTAの新聞に学校批判を載せようとすると校長が弾
圧するのと同じではないでしょうか。

 いわゆる社会主義も、野(や)にある時は独裁政府に対して言論
の自由とか民主主義を要求しましたが、自分が権力を握ったら、以
前よりひどい独裁政権になりました。

 上に立つ者は必要ですが、上に行くにつれて謙虚さを忘れ、下の
者の意見を聞かなくなるのは人間の本性だと思います。それをどう
統御するか、ここに民主主義システムの根本問題があるのだと思い
ます。

──牧野さんは何を目的に指摘しているのでしょうか。自分は知識
があるのを自慢したいのか。相手をやっつけるのが楽しいのか。第
3者が聞いて感心するような事だとは思えない。


   「講座のあり方の反省」について

──今まで私は幾つかの講座なりイベントなり見学なりをしてきま
したが、このような説明は初めてです。講座を開いたならば、時間
、内容、場所等、事前にパンフレットなりでよく調査し、自分の意
志のもとに講座を受けているので、わざわざ断りを入れなくてもい
いのではないか。

──私はいろいろとグループ活動をしておりますが、その会場又そ
の時に論争(だれだれが、というように)して進んで行っていると
思っておりますが、話し合いのまとめはグループだけでは決められ
ず、必ず一番上の人の所で答えを出しております。私たちは話し合
っているだけです。

 ★ これで不都合はないのか、なぜそれでいいのか、あるいは悪
いのか、悪いならどうしたら好いのか、と考え進めて下さい。


   「松の木」を読んで

──「松の木」第4号の内、幼稚園の役員の話を読んで。

 子供を人質に取られている以上、何か言うのは大変です。私の息
子は寮生活をして東京におります。毎年行う懇親会が近くあるので
すが、そこの寮長(管理人)は「何でも言って下さい」と、いつも
言うのですが、親としては後々の事を考えると、少々の要求でも話
しにくいのです。

 元警察官の高齢の寮長にはオブラートに包んでも伝わりそうにあ
りません。どうしたら好いのでしょうか。

 ★ 講座の目的は人生相談ではありません。自分の意見をまとめ
て下さい。観点としては、そもそも問題はどういう性質のものか(
根本的な事か部分的な事か等)、言う相手を誰にするか(社長か寮
長か等)、誰が言うのか(息子本人か親か弁護士か等)、息子の性
格はどうか、等があると思います。


   VTR「デルフトの眺望」について

──写実派でよく分かる画。美しい風景も又楽しい絵。人物も又美
しい。楽しませる絵だ。フルートの独奏がバックに入ってとてもよ
い。


   その他

──先週の「数」についての宿題は「広辞苑」「国語辞典」そして
漢和大字典もひろげて見ました。久しぶりの「文字探索」で頭の運
動をしました。


   今日のテーマ

1、発言の観点を考える練習

2、最近増えている学生(生徒)による授業評価について、静岡新
 聞の社説を手掛かりにして考える。